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9世紀
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{{centurybox| 前世紀=8 | 世紀=9 | 次世紀=10 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | 前世紀=8 | }} [[Image:Wikinger.jpg|thumb|250px|[[イングランド]]を襲撃する[[デーン人]]([[ヴァイキング]])。12世紀に書かれた『聖[[エドマンド殉教王]]伝』挿絵より]] [[ファイル:Samara spiralovity minaret rijen1973.jpg|thumb|220px|[[マルウィヤ・ミナレット]](サーマッラーのミナレット)。[[アッバース朝]]第8代カリフの[[ムウタスィム]]が建築した[[サーマッラー]]の大モスク付属の螺旋式のミナレット。]] [[File:Harun Al-Rashid and the World of the Thousand and One Nights.jpg|thumb|right|180px|[[ハールーン・アッラシード]]。アッバース朝最盛期のカリフで『[[千夜一夜物語]]』にも登場する。]] [[File:Maqamat hariri.jpg|thumb|220px|アッバース朝時代の「知恵の館」に集まる学者たちを描いた13世紀の細密画。]] [[ファイル:Taizokai.jpg|thumb|220px|空海らによって日本に密教がもたらされ平安時代の仏教に大きな影響を与えた。図は密教で用いる胎蔵界曼荼羅。]] [[File:Siege of Paris (885–886).jpeg|thumb|250px|「パリの戦い」。パリ伯ウードはヴァイキングからパリを死守し名声を高めた。画像はジャン・ピエール・フランクの歴史画。]] [[ファイル:Варяги.jpg|thumb|right|250px|東スラブ人と出会う[[ヴァリャーグ]]の[[リューリク]]一行。画像は[[ヴィクトル・ヴァスネツォフ]]の歴史画。]] '''9世紀'''(きゅうせいき)とは、[[西暦]][[801年]]から西暦[[900年]]までの100年間を指す。 == できごと == * 日本では[[平安時代]]にあたる。 ---- * 801年 - [[征夷大将軍]]の[[坂上田村麻呂]]が[[陸奥国|陸奥]]へ向かう。 * 801年 - [[畿内]]の[[班田]]を12年に一度とする。 * 802年 - [[ジャヤバルマン2世]]が[[カンボジア]]を統一。[[アンコール朝]]の成立。 * 802年 - 東ローマ帝国で女帝[[エイレーネー]]が政変で廃位され、皇帝[[ニケフォロス1世]]が即位。 * 802年 - 坂上田村麻呂、[[胆沢城]]を築かせる。後に[[鎮守府 (古代)|鎮守府]]を置く。蝦夷の[[アテルイ|大墓公阿弖流為]]ら降伏する。 * 803年 - [[ハールーン・アッラシード]]が[[ジャアファル]]を処刑。バルマク家一族を粛清。 * 803年 - 東ローマ皇帝ニケフォロス1世との和約によりヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。 * 803年 - 坂上田村麻呂、[[志波城]]を築く。 * 804年 - 坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。 * 804年 - [[最澄]]と[[空海]]が唐にわたる。 * 805年 - 最澄が[[天台宗]]を興す。 * 806年 - [[桓武天皇]]が没し、第51代[[平城天皇]]が即位。 * 806年 - 空海が[[真言宗]]を興す。 * 806年 - カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。 * 807年 - [[生野銀山]]が開坑された。 * 809年 - 平城天皇が譲位し、第52代[[嵯峨天皇]]が即位。 * 811年 - 東ローマ皇帝ニケフォロス1世が[[プリスカの戦い]]でブルガリアの[[クルム (ブルガリア皇帝)|クルム]]に敗北し戦死。 * 812年 - 東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーがカール大帝を「フランク族の皇帝」として承認。 * 813年 - [[ガリシア]]の[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]で聖[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]]の墓が発見されたという。 * 813年 - アッバース朝6代カリフの[[アミーン]]が異母兄[[マアムーン]]に暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。 * 814年 - 日本最初の勅撰漢詩集『[[凌雲集]]』が成立。 * 815年 - 東ローマ皇帝[[レオーン5世]]が再び聖像破壊令を出す(第二次[[イコノクラスム]] - 843年)。 * 816年 - 空海が[[高野山]][[金剛峯寺]]を開基。 * 818年 - [[菅原清公]]らが『[[文華秀麗集]]』を編纂。 * 821年 - [[ホラサーン]]で[[ターヒル朝]]が自立する。 * 821年 - 唐と吐蕃との間で[[長慶会盟]]が結ばれる。 * 822年 - 現存最古の説話集『[[日本現報善悪霊異記|日本霊異記]]』を[[景戒]]が編集。 * 822年 - [[比叡山]]の大乗戒壇建立が勅許。 * 823年 - 「[[唐蕃会盟碑]]」が建てられる(チベットの[[トゥルナン寺]](大昭寺)前の碑のみ現存)。 * 823年 - 嵯峨天皇が譲位し、第53代[[淳和天皇]]が即位。 * 825年 - [[イングランド]]で[[ウェセックス王国]]の[[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]王が[[マーシア]]を[[エランダン]]で破る。 * 827年 - [[チュニジア]]の[[アグラブ朝]]が[[シチリア島]]征服に着手。 * 828年 - エジプトの[[アレクサンドリア]]から[[マルコ (福音記者)|聖マルコ]]の遺骸が[[ヴェネツィア]]に運ばれる([[サン・マルコ大聖堂]]の起こり)。 * 828年ごろ - 空海が[[綜藝種智院]]を創設。 * 829年 - [[ウェセックス王国]]の[[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]がイングランドを統一。 * 830年ごろ - [[チェック人]](西スラブ族)が[[モラビア王国]]建設。 * 830年 - [[唐]]で[[牛僧孺]]と[[李徳裕]]が争う([[牛李の党争]])(- 844年)。 * 830年 - [[アッバース朝]]カリフの[[マアムーン]]が[[バグダード]]に[[バイト・アルヒクマ]](知恵の館)を建設する。以後、ギリシア語文献のアラビア語翻訳が盛んになる。 * 833年 - アッバース朝で[[ムウタスィム]]が[[カリフ]]に即位。トルコ人奴隷([[マムルーク]])で親衛隊を組織。 * 833年 - 淳和天皇が譲位し、第54代[[仁明天皇]]が即位。 * 835年 - 唐で[[甘露の変]]が起こる。 * 836年 - アッバース朝がバグダードから[[サーマッラー]]に遷都。 * 838年 - [[小野篁]]を[[隠岐国]]に配流。 * 838年 - [[アモリオンの戦い]]。 * 840年 - [[ウイグル]]が[[キルギス人|キルギス]]の攻撃により崩壊。 * 841年 - [[フォントノワの戦い]]。 * 842年 - [[ストラスブールの誓い]]。 * 842年 - 嵯峨上皇が没する。[[承和の変]]が起こり、[[藤原良房]]が[[橘逸勢]]、[[伴健岑]]らを謀反の疑いで配流する。 * 843年 - [[ヴェルダン条約]]で[[フランク王国]]が3つに分裂。 * 843年 - 東ローマ皇帝[[ミカエル3世]]の母[[テオドラ]]が召集した教会会議で聖像崇敬派の最終的な勝利が確定。[[イコノクラスム]]終結。 * 844年 - クラビホの戦い。「ムーア人殺し」聖[[ヤコブ]]出現伝説。 * 845年 - 唐の[[武宗 (唐)|武宗]]が仏教を弾圧([[会昌の廃仏]])。 * 847年 - ローマで「ボルゴの火災」。 * 849年 - イタリアの[[ナポリ]]・[[アマルフィ]]・[[ガエータ|ガエタ]]の艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。 * 849年 - 東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダスにより[[コンスタンティノープル大学|コンスタンティノポリス大学]](マグナウラ宮殿大学)が再興される。 * 850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代[[文徳天皇]]が即位。 * 853年 - 唐の商人[[欽良暉]]漂着。 * 858年 - 文徳天皇が没し、第56代[[清和天皇]]が即位。 * 858年 - [[藤原良房]]が臣下としては初の[[摂政]]となる。 * 859年 - 唐で[[裘甫の乱]]が起こる。 * 860年 - [[行教]]が[[清和天皇]]の命を受けて[[石清水八幡宮]]を創建。 * 860年 - [[ヴァリャーグ]]が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される([[ルーシ・ビザンツ戦争]])。 * 862年 - 伝説では[[ノルマン人]]ルス族の[[リューリク]]が[[ノブゴロド公国]]を建国する。[[ロシア]]国家のはじまり。 * 863年 - [[東ローマ帝国]]の[[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]、[[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]](コンスタンティノス)兄弟が[[スラヴ人]]に対して[[キリスト教]]伝道を開始する。 * 863年 - [[神泉苑]]にて最初の[[御霊会]]が行われる([[祇園祭]]の始まり)。 * 864年 - [[富士山]][[貞観 (日本)|貞観]][[噴火]]。 * 864年ごろ - [[第一次ブルガリア帝国]]の[[ボリス1世]]がキリスト教に改宗する。 * 866年 - [[応天門の変]]がおこる。応天門放火の罪で[[大納言]][[伴善男]]が流罪となる。 * 867年 - 東ローマ帝国で[[バシレイオス1世]]がクーデターで皇帝に即位。[[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]を開く。 * 867年 - [[イラン]]に[[サッファール朝]]が興る。 * 868年 - 唐で[[龐勛の乱]]が起こる。 * 868年 - [[エジプト]]に[[トゥールーン朝]]が興る。 * 869年 - [[第4コンスタンティノポリス公会議]]による総主教フォティオスの追放(- 870年)。 * 869年 - デーン人ヴァイキング(大異教徒軍)との戦いで[[イースト・アングリア]]王[[エドマンド殉教王|エドマンド]]が殉教する。 * 869年 - [[イラク]]で黒人奴隷が反乱を起こす([[ザンジュの乱]])。 * 869年 - [[貞観地震]]発生。[[陸奥国]]を大津波が襲う。 * 870年 - [[メルセン条約]]により中部フランクが東西に2分割される。 * 871年 - [[アルフレッド大王|アルフレッド]]がイングランド王となる(- 899年)。 * 871年ごろ - [[アイスランド]]の植民始まる。 * 874年 - 唐の[[僖宗]]皇帝が[[法門寺]]に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する(法門寺地下宮殿宝物)。 * 875年 - 唐で[[黄巣]]の乱が起こる(- 884年)。 * 875年 - 中央アジア最初のイラン系イスラム王朝である[[サーマーン朝]]が興る。 * 875年 - イタリアにおけるカロリング朝の断絶。 * 876年 - 清和天皇が譲位し、第57代[[陽成天皇]]が即位。 * 877年 - トゥルーン朝が[[シリア]]を併合。 * 877年 - キエルジー勅令により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。 * 878年 - イングランド王アルフレッドが[[ヴァイキング]]のデーン人の侵入を撃退。ウェドモーアの和議が結ばれる。 * 878年 - [[藤原保則]]が陸奥の蝦夷平定に出発。 * 879年 - コンスタンティノポリスの教会会議による総主教フォティオスの復権(- 880年)。 * 879年 - [[ボソ (プロヴァンス王)|ボソ]]により[[キスユラブルグント王国|下ブルグント王国]]が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。 * 879年 - [[クロアティア]]の独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。 * 880年 - [[リブモント条約]]により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。 * 882年 - [[オレグ (キエフ大公)|オレグ]]が[[リューリク]]の子[[イーゴリ1世|イーゴリ]]を擁して[[キエフ]]を占領し、[[キエフ大公国]]を建てる。 * 884年 - [[藤原基経]]によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代[[光孝天皇]]が即位。 * 885年 - ノルマン人の[[パリ]]攻撃に対し[[ウード (西フランク王)|パリ伯ウード]]らが篭城戦( - 886年)。 * 886年 - イングランド王アルフレッドとデーン王グスルムとの間で協定が結ばれる。 * 887年 - [[藤原基経]]が初の[[関白]]となる。 * 887年 - イタリアにおける[[カロリング朝]]断絶。 * 887年 - 光孝天皇が没し、第59代[[宇多天皇]]が即位。 * 888年 - 最後の統一フランク王のカール3世(肥満王)が没し、統一フランク王国は分裂する。 * 888年 - ルドルフ1世により[[ユーラブルグント王国|上ブルグント王国]]が独立し、スイス西部がその版図となる。 * 889年 - [[高望王]]に平姓を賜う([[桓武平氏]])。 * 891年 - 宇多天皇が[[菅原道真]]らを登用して国政改革に着手。 * 892年 - [[朝鮮半島]]で[[甄萱]]が[[完山]](全州)に[[後百済]]を建てる。[[新羅]]が分裂への道を歩み始める。 * 892年 - アッバース朝が再びバグダードに遷都。 * 892年頃 - 東ローマ皇帝[[レオーン6世]]により「バシリカ法典」が出される。 * 893年 - ブルガリア王に[[シメオン1世]]が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。 * 894年 - 菅原道真の進言により、[[遣唐使]]が廃止される。 * 895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起([[寛平・延喜東国の乱]])が勃発。 * 896年 - [[ハンガリー]]に騎馬民族が定住した。 * 897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代[[醍醐天皇]]が即位する。 * 899年 - [[藤原時平]]が[[左大臣]]に、菅原道真が[[右大臣]]に就任。対立が激化。 == 人物 == === キリスト教世界 === ==== フランク王国 ==== * [[カール大帝]]([[742年]] - [[814年]]) - フランク王(在位[[768年]] - [[814年]])・西ローマ皇帝(在位[[800年]] - [[814年]]) * [[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルートヴィヒ1世]](敬虔王)([[778年]] - [[840年]]) - カール大帝の子でフランク王・西ローマ皇帝(在位[[814年]] - [[840年]]) * [[ロタール1世]]([[795年]] - [[855年]]) - ヴェルダン条約による[[中部フランク王国|中央フランク王]](在位[[843年]] - [[855年]]) * [[ルートヴィヒ2世 (東フランク王)|ルートヴィヒ2世]]([[804年]] - [[876年]]) - ヴェルダン条約による[[東フランク王国|東フランク(ドイツ)王]](在位[[843年]] - [[876年]]) *[[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世(禿頭王)]]([[823年]] - [[877年]]) - ヴェルダン条約による[[西フランク王国|西フランク(フランス)]]王(在位[[843年]] - [[877年]]) * [[カール3世 (フランク王)|カール3世・シャルル肥満王]]([[839年]]頃 - [[888年]]) - 東西フランク王を兼任した最後の[[カロリング朝]]皇帝(在位[[881年]] - [[887年]]) * [[ウード (西フランク王)|ウード]]([[860年]]頃 - [[898年]]) - パリ伯・ノルマン人からパリを死守した功で西フランク国王となる(在位[[888年]] - [[898年]]) * アニアーヌのベネディクトゥス([[750年]]頃 - [[821年]]) - 修道士・ルートヴィヒ敬虔王に近侍し[[ベネディクトゥス]]の修道規則を普及させる * [[アインハルト]]([[770年]]頃 - [[840年]]) - フランク王国宮廷学校教授・[[アルクイン]]の弟子・『カール大帝伝』の著者 * [[ラバヌス・マウルス・マグネンティウス]]([[780年]]頃 - [[856年]]) - [[マインツ]]大司教・『事物の本性』ほかを執筆・「ゲルマニアの教師」 * ヒンクマール([[806年]]頃 - [[882年]]) - [[ランス (マルヌ県)|ランス]]大司教・[[ランス大聖堂]]でのフランス王の塗油戴冠を定式化・『[[サンベルタン年代記]]』も執筆 * [[エリウゲナ|ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ]]([[810年]]? - [[877年]]?) - フランク王国宮廷学校校長・[[神学者]]・[[哲学者]]・『自然区分論』を著す ==== イタリア ==== * [[ニコラウス1世 (ローマ教皇)|ニコラウス1世]]([[820年]]? - [[867年]]) - ローマ教皇(在位[[858年]] - [[867年]])・総主教フォティオスと対立 * [[ヨハネス8世 (ローマ教皇)|ヨハネス8世]](? - [[882年]]) - ローマ教皇(在位[[872年]] - [[882年]])・サラセン人の攻撃からローマを守る * [[フォルモスス (ローマ教皇)|フォルモスス]](? - [[896年]]) - ローマ教皇(在位[[891年]] - [[896年]])・いわゆる「死体裁判」で辱めを受ける ==== イングランド・スコットランド ==== * [[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]([[775年]]? - [[839年]]) - [[ウェセックス]]王(在位[[802年]] - [[839年]])・[[マーシア]]を破り[[イングランド]]を統一 * [[エゼルウルフ]](? - [[858年]]) - ウェセックス王(在位[[839年]] - [[858年]])・エグバードの子・アルフレッド大王の父 * [[アルフレッド大王]]([[849年]] - [[899年]]) - イングランド王(在位[[871年]] - [[899年]])・海軍を創設しデーン人を追い払う * [[ケネス1世 (スコットランド王)|ケネス・マカルピン]]([[810年]] - [[858年]]) - 最初の[[スコットランド]]王(在位[[848年]] - [[859年]])・[[アルバ王国]]を建設 ==== 東ローマ帝国 ==== * テオファネス([[752年]]頃 - [[818年]]頃) - 東ローマ帝国の修道士・年代記作者・この時代の記録として『テオファネスの[[年代記]]』は重要 * [[ニケフォロス1世]]([[760年]]? - [[811年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[802年]] - [[811年]])・[[アモリア朝]]の始祖・クルムに敗北し戦死する * [[レオーン5世]]アルメニオス(? - [[820年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[813年]] - [[820年]])・イコノクラスムを再開し総主教[[ニキフォロス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ニケフォロス1世]]を解任 * テオドラ([[815年]]頃 - [[867年]]以降) - 東ローマ皇帝[[テオフィロス]]の皇后・息子[[ミカエル3世]]の摂政として[[イコノクラスム]]を終結させる * [[バシレイオス1世]]([[827年]] - [[886年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[867年]] - [[886年]])・ミカエル3世を倒し[[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]を開く * [[フォティオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|フォティオス]]([[820年]] - [[897年]]) - [[コンスタンディヌーポリ総主教|コンスタンティノポリス総主教]]・神学者・古典文献学者・『図書総覧』を著す・ローマ教皇と対立 * [[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]([[826年]] - [[885年]]) - 東ローマ帝国の神学者・[[修道士]]・「スラブ人の使徒」・[[グラゴル文字]]を作る・キュリロスは弟 * [[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]]([[827年]] - [[869年]]) - 東ローマ帝国の神学者・修道士・「スラブ人の使徒」・[[グラゴル文字]]を作る・メトディオスは兄 ==== 東欧 ==== * [[クルム]]([[755年]] - [[814年]]) - [[ブルガリア]]国王(ハーン)(在位[[803年]] - [[814年]])・[[プリスカの戦い]]で東ローマ帝国を破り領土を拡大 * [[リューリク]](? - [[879年]]) - [[ヴァリャーグ]]([[ヴァイキング]])の一族で[[ノヴゴロド公国]]の建国者(在位[[864年]] - [[879年]]) * [[ラスチスラフ]](? - [[870年]]) - [[モラヴィア王国]]の国王(在位[[846年]] - [[870年]])・メトディオスとキュリロス兄弟の宣教を支援 * [[ボリス1世]](? - [[907年]]) - ブルガリア国王(在位[[852年]] - [[889年]])・キリスト教(東方正教)を受容し従来の宗教を弾圧 * [[オフリドのクリメント]]([[840年]]頃 - [[916年]]) - [[オフリド]]の[[主教]]・スラブ人へ東方正教を宣教・スラヴ語での説教や著述活動を行う * [[シメオン1世]]([[863年]]頃 - [[927年]]) - [[ブルガリア]]最盛期の君主・国王(在位[[893年]] - [[913年]])・皇帝(在位[[913年]] - [[927年]]) * [[オレグ]](? - [[912年]]/[[922年]]) - リューリクの一族か・[[キエフ公国]]の建国者(在位[[882年]] - [[912年]])・ドニエプル水系から黒海を支配 ==== イベリア半島 ==== * [[アルフォンソ2世 (アストゥリアス王)|アルフォンソ2世]]([[760年]] - [[842年]]) - [[アストゥリアス王国|アストゥリアス王]](在位[[791年]] - [[842年]])・半世紀に及ぶ治世で聖[[ヤコブ]]の墓が発見されたという === イスラム世界 === ==== アッバース朝 ==== * [[ハールーン・アッラシード]]([[763年]] - [[809年]]) - [[アッバース朝]]第5代カリフ(在位[[786年]] - [[809年]])・王朝の全盛期を現出 * [[マアムーン]]([[786年]] - [[833年]]) - アッバース朝第7代カリフ(在位[[813年]] - [[833年]])・「[[知恵の館]]」を設置 * [[ムウタスィム]]([[794年]] - [[842年]]) - アッバース朝第8代カリフ(在位[[833年]] - [[842年]])・[[サーマッラー|サマッラー]]に遷都 * [[ジャアファル]]([[766年]]? - [[803年]]) - アッバース朝の政治家・名門バルマク家出身・権力を恣にしたがカリフにより一族とも殲滅される * [[アリー・ブン・ムハンマド]](? - [[883年]]頃) - イラク南部での黒人反乱の[[ザンジュの乱]]の指導者・アッバース朝を弱体化させる ==== イラン系諸王朝 ==== * ターヒル・イブン・アル・フサイン(? - [[822年]]) - [[ターヒル朝]]の建国者(在位[[821年]] - [[822年]])。アッバース朝から最初に独立 * [[ヤアクーブ・イブン・アル=ライス・アル=サッファール]]([[840年]] - [[879年]]) - [[サッファール朝]]の建国者(在位[[867年]] - [[879年]])。アイヤール(イラン世界における任侠の徒)出身 * [[ナスル1世|ナスル・イブン・アフマド]](? - [[892年]]) - [[サーマーン朝]]の建国者(在位[[875年]] - [[892年]])。ブハラを首都にトランスオクシアナを支配 ==== 学者・詩人 ==== * [[アブー・ヌワース]]([[756年]] - [[814年]]) - [[アッバース朝]]最盛期に活躍した詩人・飲酒や少年愛などを歌ったことで知られる * シャーフィイー([[767年]] - [[820年]]) - イスラム法学者・[[シャーフィイー学派]]の祖・著作に『起源の書』がある * [[アル・ジャーヒズ]]([[776年]] - [[869年]]頃) - アラブ古典散文学の確立者・著作に『けちんぼども』『動物の書』などがある * [[フワーリズミー]]([[780年]]/[[800年]] - [[845年]]/[[850年]]) - 「知恵の館」で活躍・地理学者・天文学者・数学者として移項の原則をまとめる * [[イブン・ハンバル]]([[780年]] - [[855年]]) - イスラム法学者・[[ハンバル学派]]の祖・著作に『ムスナド』がある * [[キンディー]]([[801年]] - [[873年]]?) - 「知恵の館」で活躍・科学者・数学者・哲学者であり「アラブの哲学者」と呼ばれる * [[フナイン・イブン・イスハーク]]([[808年]]頃 - [[873年]]頃) - 「知恵の館」で活躍・主任翻訳官で[[ネストリウス派]]キリスト教徒 * [[アルフラガヌス|ファルガーニー]](9世紀前半) - 天文学者・『天の運動と天文知識の集成』やアストロラーベに関する著作がある * [[ムハンマド・アル=ブハーリー|ブハーリー]]([[810年]] - [[870年]]) - イスラム法学者・[[スンナ派]][[ハディース]]集の最高峰とされる『[[サヒーフ・アル=ブハーリー|真正集]]』の編纂者 * バラーズリー(? - [[892年]]頃) - 歴史学者・イスラム帝国の拡大を描いた『諸国征服史』や有名人の伝記集『貴族の系譜』がある * ジュッバーイー(? - [[915年]]) - イスラム神学者・合理主義的神学ムウタズィラ派の代表・アシュアリーは弟子だったが後に離反 * [[イブン・フルダーズベ]]([[820年]]頃 - [[912年]]) - アッバース朝のペルシャ系官僚・地理学者・アラビア語最古の地誌『諸道と諸国の書』を執筆 * [[サービト・イブン・クッラ]]([[826年]] - [[901年]]) - 「知恵の館」で活躍・[[ハッラーン]]の[[サービア教徒]]の出身・数学者として[[友愛数]]を発見 * [[タバリー]]([[838年]] - [[923年]]) - イスラム法学者・歴史学者として『諸使徒と諸王の歴史』がある * [[バッターニー]]([[850年]]? - [[929年]]) - シリアで活躍した天文学者・数学者・[[三角法]]の整理や私設天文台の設置で知られる * [[ムハンマド・ムンタザル]]([[868年]] - [[874年]]?) - [[シーア派]]([[十二イマーム派]])での第12代[[イマーム]]([[隠れイマーム]])・マフディー === 南アジア・東南アジア・チベット === * ダルマパーラ(? - [[815年]]) - インドの[[パーラ朝]]の王(在位[[770年]] - [[815年]])・仏教を保護し[[ヴィクラマシーラ大学|ヴィクラマシーラ寺院]]を建立 * [[ゴーヴィンダ3世]](? - [[814年]]) - インドの[[ラーシュトラクータ朝]]の王(在位[[793年]] - [[814年]])・[[カナウジ]]からインド南端[[コモリン岬]]まで征服 * [[シャンカラ]]([[788年]]頃 - [[820年]]頃) - インドのヴェーダーンタ派の哲学者で不二一元論を提唱する・著作に『ブラフマ・スートラ注解』がある * ジャヤーヴァルマン2世(? - [[834年]]) - [[カンボジア]]の[[アンコール朝]]の建国者(在位[[802年]] - [[834年]])・[[シャイレーンドラ朝]]から独立 * [[アモーガヴァルシャ1世]]([[801年]] - [[878年]]) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位[[814年]] - [[878年]])・『カヴィーラージャ・マールガ』を執筆 * チツクデツェン(レルパチェン)(? - [[841年]]) - チベットの吐蕃の王(在位[[815年]] - [[841年]])・唐との間に[[長慶会盟]]を結び仏教興隆に尽くすが暗殺される * [[ランダルマ|ランダルマ]]([[803年]]/[[809年]] - [[842年]]/[[843年]]) - チベットの吐蕃の王(在位[[841年]]? - [[842年]]/[[843年]])・チツクデツェンの弟・廃仏を行い暗殺される === 東アジア === ==== 唐 ==== * [[武宗 (唐)|武宗]]([[814年]] - [[846年]]) - 唐の第18代皇帝(在位[[840年]] - [[846年]])・[[会昌の廃仏]]を行う * [[宣宗 (唐)|宣宗]]([[810年]] - [[859年]]) - 唐の第19代皇帝(在位[[846年]] - [[859年]])・牛李の党争を抑え小康期をもたらす * [[牛僧孺]]([[779年]] - [[847年]]) - 唐の政治家・科挙出身者の代表として牛李の党争を引き起こす * 仇士良([[781年]] - [[843年]]) - 唐の[[宦官]]・[[甘露の変]]で李訓や鄭注を処刑し皇帝[[文宗 (唐)|文宗]]を幽閉 * [[李徳裕]]([[787年]] - [[849年]]) - 唐の政治家・門閥貴族の代表として牛李の党争を引き起こす * [[恵果]]([[746年]] - [[806年]]) - 唐の僧侶・真言宗第七祖・長安[[青龍寺 (西安市)|青龍寺]]住持・両部曼荼羅を大成・空海の師 * [[百丈懐海]]([[749年]] - [[814年]]) - 唐の僧侶・禅門の規範として『百丈[[清規]]』を定め勤労を尊重する自給自足の体制を確立した * [[韓愈]]([[768年]] - [[824年]]) - 唐の文人[[士大夫]]・[[唐宋八大家]]の一人・皇帝[[憲宗 (唐)|憲宗]]の怒りに触れた『[[論仏骨表]]』がある * [[白居易]]([[772年]] - [[846年]]) - 唐の詩人・政治家・詩文集『[[白氏文集]]』があり「[[長恨歌]]」「琵琶行」が有名 * [[柳宗元]]([[773年]] - [[819年]]) - 唐の文人士大夫・唐宋八大家の一人・詩では「江雪」散文では「永州八記」が有名 * [[柳公権]]([[778年]] - [[865年]]) - 唐の政治家・書家・[[楷書]]に優れ「玄秘塔碑」などを残す * [[李賀]]([[791年]] - [[817年]]) - 唐の詩人・「蘇小小歌」など幻想的な作品を残し「鬼才」と評される * [[呂洞賓]]([[798年]]? - ?) - 唐の道士・中国を代表する仙人の「[[八仙]]」の一人 * [[段成式]]([[803年]] - [[863年]]) - 唐の官僚・怪異をまとめた『[[酉陽雑俎]]』の著者 * [[杜牧]]([[803年]]- [[853年]]) - 唐の詩人・官僚・李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される * [[李商隠]]([[812年]] - [[858年]]) - 唐の詩人・官僚・杜牧と共に「晩唐の李杜」とも称される * [[張彦遠]]([[815年]]頃 - [[877年]]頃) - 唐の官僚・著述家・『[[歴代名画記]]』を著し画史の祖とされた * [[趙帰真]](? - [[846年]]) - 唐の道士・皇帝武宗に近侍し会昌の廃仏を進める・廃仏中止で斬殺される * [[臨済義玄]](?- [[867年]]) - 唐の[[禅]]僧で[[臨済宗]]の開祖・[[語録]]に『臨済録』がある・「臨済の喝」で有名 * [[王仙芝]](? - [[878年]]) - 唐末の反乱指導者・黄巣の協力者・後に黄巣と別れるが反乱は鎮圧される * [[黄巣]](? - [[884年]]) - 唐末の反乱指導者・黄巣の乱を起こし大斉皇帝を名乗る(在位[[880年]] - [[884年]])・反乱は鎮圧される * [[李克用]]([[856年]] - [[908年]]) - 唐末の[[突厥]][[沙陀部]]出身の軍閥指導者で黄巣の乱を鎮圧・後唐の[[李存勗]](荘宗)の父 ==== 日本 ==== * [[坂上田村麻呂]]([[758年]] - [[811年]]) - 征夷大将軍・[[大納言]]・陸奥国の蝦夷制圧に功績を残す * [[藤原薬子]](? - [[810年]]) - [[尚侍]](女官)・兄の藤原仲成とともに平城上皇を擁して[[薬子の変]]を起こす * [[景戒]](生没年不詳) - 法相宗(薬師寺)の僧・日本最初の仏教説話集『[[日本霊異記]](日本国現報善悪霊異記)』の著者 * [[最澄]](伝教大師)([[767年]] - [[822年]]) - 入唐僧・天台宗の祖で比叡山延暦寺開山・著作に『顕戒論』がある * [[空海]](弘法大師)([[774年]] - [[835年]]) - 入唐僧・真言宗の祖で高野山金剛峰寺開山・書家([[三筆]]の一人)・著作に『[[三教指帰]]』がある * [[藤原冬嗣]]([[775年]] - [[826年]]) - 公卿・左大臣(閑院大臣)・最初の[[蔵人頭]]となる・「弘仁格式」や「内裏式」を編纂 * [[橘逸勢]]([[782年]]? - [[842年]]) - 官人・書家(三筆の一人)・遣唐使で唐に渡る・[[承和の変]]で流罪となる * [[嵯峨天皇]]([[786年]] - [[842年]]) - 第52代天皇(在位[[809年]] - [[823年]])・書家(三筆の一人) * [[橘嘉智子]]([[786年]] - [[850年]]) - 嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)・[[仁明天皇]]の母・橘氏を支援し[[学館院]]を設立 * [[円仁]](慈覚大師)([[794年]] - [[864年]]) - 入唐僧・天台山門派の祖・『[[入唐求法巡礼行記]]』を著す * [[高岳親王]](真如)([[799年]] - [[865年]]?) - 廃太子・空海の弟子となり入唐後さらに天竺を目指す * [[小野篁]]([[802年]] - [[853年]]) - [[公卿]]・[[参議]]・学者・歌人・遣唐副使の任免で衝突し隠岐へ流される * [[藤原良房]]([[804年]] - [[872年]]) - 公卿・太政大臣・人臣最初の[[摂政]]・承和の変や応天門の変に勝利し北家全盛を築く * [[伴善男]]([[811年]] - [[868年]]) - 公卿・大納言・応天門の変の犯人とされ伊豆に流される * [[円珍]](智証大師)([[814年]] - [[891年]]) - 入唐僧・天台寺門派の祖・長等山[[園城寺]](三井寺)を再興 * [[源融]]([[822年]] - [[895年]]) - 公卿・左大臣(河原左大臣)・賜姓源氏の一人([[嵯峨源氏]]の祖) * [[在原業平]]([[825年]] - [[880年]]) - [[蔵人頭]]・歌人([[六歌仙]]の一人)・『[[伊勢物語]]』の主人公とされる * [[小野小町]](生没年不詳) - 女流歌人(六歌仙の一人)・絶世の美女とされ日本各地に伝説が残る * [[益信]](本覚大師)([[827年]] - [[906年]]) - 真言宗の僧・東密広沢流の祖で[[円成寺]]開山・[[仁和寺]]で宇多法皇を受戒 * [[相応 (僧)|相応]]([[831年]] - [[918年]]) - 天台宗の僧・比叡山での[[千日回峰行]]の祖とされ数々の霊験譚が伝えられている * [[聖宝]](理源大師)([[832年]] - [[909年]]) - 真言宗の僧・東密小野流の祖で[[醍醐寺]]開山・当山派[[修験道]]の祖 * [[藤原基経]]([[836年]] - [[891年]]) - 公卿・太政大臣・最初の[[関白]]・藤原良房の養子・陽成天皇を廃し光孝天皇を擁立 * [[菅原道真]]([[845年]] - [[903年]]) - 公卿・右大臣・詩人・学者・宇多上皇の信任を得て昇進する・遣唐使を廃止 == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[800年代]]''' || [[800年|800]] || [[801年|801]] | [[802年|802]] || [[803年|803]] | [[804年|804]] || [[805年|805]] || [[806年|806]] | [[807年|807]] || [[808年|808]] || [[809年|809]] |- | '''[[810年代]]''' || [[810年|810]] || [[811年|811]] | [[812年|812]] || [[813年|813]] | [[814年|814]] || [[815年|815]] || [[816年|816]] | [[817年|817]] || [[818年|818]] || [[819年|819]] |- | '''[[820年代]]''' || [[820年|820]] || [[821年|821]] | [[822年|822]] || [[823年|823]] | [[824年|824]] || [[825年|825]] || [[826年|826]] | [[827年|827]] || [[828年|828]] || [[829年|829]] |- | '''[[830年代]]''' || [[830年|830]] || [[831年|831]] | [[832年|832]] || [[833年|833]] | [[834年|834]] || [[835年|835]] || [[836年|836]] | [[837年|837]] || [[838年|838]] || [[839年|839]] |- | '''[[840年代]]''' || [[840年|840]] || [[841年|841]] | [[842年|842]] || [[843年|843]] | [[844年|844]] || [[845年|845]] || [[846年|846]] | [[847年|847]] || [[848年|848]] || [[849年|849]] |- | '''[[850年代]]''' || [[850年|850]] || [[851年|851]] | [[852年|852]] || [[853年|853]] | [[854年|854]] || [[855年|855]] || [[856年|856]] | [[857年|857]] || [[858年|858]] || [[859年|859]] |- | '''[[860年代]]''' || [[860年|860]] || [[861年|861]] | [[862年|862]] || [[863年|863]] | [[864年|864]] || [[865年|865]] || [[866年|866]] | [[867年|867]] || [[868年|868]] || [[869年|869]] |- | '''[[870年代]]''' || [[870年|870]] || [[871年|871]] | [[872年|872]] || [[873年|873]] | [[874年|874]] || [[875年|875]] || [[876年|876]] | [[877年|877]] || [[878年|878]] || [[879年|879]] |- | '''[[880年代]]''' || [[880年|880]] || [[881年|881]] | [[882年|882]] || [[883年|883]] | [[884年|884]] || [[885年|885]] || [[886年|886]] | [[887年|887]] || [[888年|888]] || [[889年|889]] |- | '''[[890年代]]''' || [[890年|890]] || [[891年|891]] | [[892年|892]] || [[893年|893]] | [[894年|894]] || [[895年|895]] || [[896年|896]] | [[897年|897]] || [[898年|898]] || [[899年|899]] |- | '''[[900年代]]''' || [[900年|900]] || [[901年|901]] | [[902年|902]] || [[903年|903]] | [[904年|904]] || [[905年|905]] || [[906年|906]] | [[907年|907]] || [[908年|908]] || [[909年|909]] |} [[Category:9世紀|*]]
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