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8世紀
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{{centurybox| 前世紀=7 | 世紀=8 | 次世紀=9 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | 前世紀=7 | }} [[ファイル:Age of Caliphs.png|right|thumb|300px|イスラーム帝国の拡大]] [[ファイル:Ellora cave16 001.jpg|right|thumb|280px|[[エローラ石窟群]]の第16窟カイラサナータ寺院。8世紀にインドの[[ラーシュトラクータ朝]]の君主クリシュナ1世により[[ヒンドゥー教]]の[[シヴァ]]神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた。]] [[File:DSC00096 Java Centre Borobudur Stupas and Temple (6219572675).jpg|thumb|280px|right|ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝時代に造営された。]] [[ファイル:Vajirapani Shukongoshin Todaiji2.JPG|right|thumb|200px|[[東大寺法華堂]]執金剛神。日本では平城遷都が行われ国際色の豊かな[[天平文化]]が花開いた。]] [[ファイル:Manicheans.jpg|right|thumb|200px|タリム盆地高昌故城出土の細密画「マニ教経典断簡」。[[ウイグル]]では[[マニ教]]が国教化された。]] [[ファイル:Meister des Book of Kells 001.jpg|right|thumb|200px|「[[ケルズの書]]」。「[[ダロウの書]]」「[[リンディスファーンの福音書]]」とともに三大ケルト装飾写本の一つとされ、「世界で最も美しい本」とも称される。]] [[ファイル:Karl der große.jpg|right|thumb|200px|[[アーヘン大聖堂]]宝物館の[[カール大帝]]の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。]] '''8世紀'''(はちせいき、はっせいき)は、[[西暦]][[701年]]から西暦[[800年]]までの100年間を指す。 == できごと == * 日本では[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]へと移り変わり、さらに[[平安時代]]初頭にあたる。 ---- * [[701年]] - [[大宝律令]]の撰定が完成する。[[忍壁皇子|刑部皇子]]・[[藤原不比等]]らに禄を賜う。 * [[701年]] - 則天武后の命により中宗の嫡男[[李重潤]](懿徳太子)・七女[[永泰公主]]らを処刑する。 * [[702年]] - [[倭]]が[[唐]]の[[武則天|則天武后]]に使者を送り、国名を[[日本]]と定める。 * [[705年]] - 則天武后が死去し、復位した中宗により唐が再興される(神龍革命)。 * [[705年]] - [[ウマイヤ朝]][[カリフ]]の[[ワリード1世]]により[[ダマスクス]]の[[ウマイヤド・モスク]]が完成する。 * [[707年]] - [[文武天皇]]が没し、第43代[[元明天皇]]即位する * [[708年]] - [[和同開珎]]鋳造。 * [[710年]] - [[平城京]]へ[[遷都]]。[[奈良時代]]はじまる。 * [[710年]] - 唐で韋后排斥の政変により睿宗が復位。この功績で李隆基が皇太子となる。 * [[710年]] - 涼州に最初の[[節度使]]である河西節度使が設置される。 * [[711年]] - [[ウマイヤ朝]]がグアダレーテの戦いで[[西ゴート王国]]を滅ぼし[[イベリア半島]]を占領。 * [[712年]] - [[太安万侶]]が『[[古事記]]』を撰上する。 * 712年 - 唐で李隆基が[[玄宗 (唐)|玄宗]]として即位。唐は最盛期を迎える([[開元の治]])。 * 712年 - ウマイヤ朝の[[クタイバ・イブン・ムスリム]]が[[サマルカンド]]を占領し、[[トランスオクシアナ]]全域の征服完了。 * [[713年]] - 諸国に『[[風土記]]』の編纂を命ずる。 * 713年 - 震国が国号を[[渤海 (国)|渤海]]と改称。 * [[714年]] - 『[[続日本紀]]』に奄美・信覚・球美などの人々が来朝したとされる。 * 714年 - 唐で最初の[[市舶司]]が[[広州]]に設置される。 * [[715年]] - 元明天皇が譲位し、第44代[[元正天皇]]が即位する。 * [[717年]] - [[東ローマ帝国]]で[[レオーン3世]]が皇帝に即位。[[イサウリア朝|イサウリア王朝]]を開く。 * [[718年]] - 東ローマ皇帝レオーン3世が[[コンスタンティノポリス]]を包囲したウマイヤ朝軍を撃退。 * [[720年]] - 『[[日本書紀]]』完成。[[舎人親王]]、『[[日本書紀|日本紀]]』30卷・系図1卷を撰上する。 * [[723年]] - 田地開墾のため[[三世一身法]]を施行する。太安万侶没する。 * [[724年]] - 元正天皇が譲位し、第45代[[聖武天皇]](首皇子)が即位する。 * [[726年]] - 東ローマ皇帝レオーン3世が[[キリスト教]]における[[イコン|聖像]]使用の禁止を命ずる。 * [[729年]] - [[長屋王]]の変。 * [[732年]] - [[トゥール・ポワティエ間の戦い]]で、[[カール・マルテル]]率いる[[フランク王国]]軍がウマイヤ朝軍を破る。 ** この戦いと、718年の東ローマ帝国の勝利により、キリスト教世界は[[イスラム帝国]]の進撃を止めることに成功。 * [[734年]] - [[遣唐使]]留学生[[井真成]]36歳で[[長安]]で没する。 ** その2005年4月に発見された墓誌には、玄宗皇帝から官位授与や「国号日本」も記録されている。「日本」表記の現存資料としては最古。 * [[738年]] - 唐が皮羅閤を雲南王に冊封し[[南詔]]が建国される。 * [[740年]] - アクロイノンの戦いで東ローマ帝国がウマイヤ朝に勝利し、小アジアの確保に成功。 * [[740年]] - [[クーファ]]のシーア派によるザイド・ブン・アリーの乱。 * [[741年]] - 東ローマ皇帝レオーン3世により「ローマ法大全」を改訂した「エクロゲー(ギリシア語法選集)」が出される(726年説もある)。 * [[743年]] - [[墾田永年私財法]]を施行。[[東大寺盧舎那仏像|大仏]]建立の詔。 * [[745年]] - 唐の玄宗が楊太真を貴妃とする([[楊貴妃]])。 * [[749年]] - 聖武天皇が譲位し、第46代[[孝謙天皇]]即位する。 * [[750年]] - ザーブ河畔の戦いで[[アブー・アル=アッバース]]がウマイヤ朝を倒し[[アッバース朝]]を起こす。首都は[[クーファ]]。 * 750年ごろ - ベンガル地方に[[パーラ朝]]が成立。 * [[751年]] - 唐の[[高仙芝]]中央アジアに遠征し、タラス河畔でアッバース朝に敗れる([[タラス河畔の戦い]])。 * 751年 - [[ランゴバルド人|ランゴバルド]]王アイストゥルフが東ローマ帝国のラヴェンナ総督府を占領。 * 751年 - フランク王国でソワソン会議が行われ[[カール・マルテル]]の子[[ピピン3世]]が国王となり[[カロリング朝]]成立。 * [[752年]] - [[東大寺]]大仏の開眼供養が行われる。 * [[753年]] - 唐僧の[[鑑真]]が日本に着く。 * 753年 - [[ダンティドゥルガ]]が[[ラーシュトラクータ朝]]を興す。 * 754年 - 教皇[[ステファヌス3世]]とフランク王ピピンとのポンティオンの会見。 * [[755年]] - 唐で[[安史の乱]]が起こる(- 763年)。 * [[756年]] - 唐の玄宗が長安から出奔。馬嵬にて楊国忠・楊貴妃を処刑。玄宗に代わり[[粛宗 (唐)|粛宗]]が[[霊武市|霊武]]にて即位。 * 756年 - [[正倉院]]の始まり(聖武太上天皇の77回忌に当たり、遺品を東大寺に施入する)。 * 756年 - フランク王小ピピンが北イタリアをランゴバルドから奪い、[[ローマ教皇]]に[[寄進]]する。 * 756年 - ウマイヤ朝の王族[[アブド・アッラフマーン1世]]がイベリア半島で独立し[[後ウマイヤ朝]]を興す。イスラム帝国は分裂する。 * [[758年]] - 孝謙天皇が譲位し、第47代[[淳仁天皇]]が即位する。 * [[762年]] - [[回鶻]](ウイグル)の[[牟羽可汗]]が[[マニ教]]を受容する。 * [[762年]] - アッバース朝のカリフ・マンスールがハーシミーヤから[[バグダード]]に遷都。 * [[764年]] - [[藤原仲麻呂の乱|藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)]]後、淳仁天皇を廃して[[淡路国]]に配流し、孝謙上皇が[[重祚]]し、第48代[[孝謙天皇|称徳天皇]]となる。 * [[768年]] - [[カール大帝|カール]]がフランク王に即位する。 * [[769年]] - [[宇佐八幡宮神託事件]]で[[和気清麻呂]]が[[大隅国]]に流罪。 * [[770年]] - 称徳天皇の命で[[法隆寺]]など有力寺院に[[百万塔陀羅尼]]が奉納される。 * [[770年]] - 称徳天皇が没し、第49代[[光仁天皇]]が即位する。[[道鏡]]を[[下野国]]に配流する。 * [[770年]] - 光仁天皇の[[皇后]][[井上内親王]]と皇太子[[他戸親王]]が廃される。 * [[774年]] - フランク王カールがランゴバルド王国を滅ぼす。都[[パヴィア]]を制圧し「[[ロンバルディアの鉄王冠|ランゴバルドの鉄王冠]]」を取得。 * [[775年]] - 東ローマ帝国で[[コンスタンティノス5世]]・コプロニュモスに替わり、[[レオーン4世]]・ハザロスが皇帝に即位(在位775-780年)。 * [[778年]] - スペイン遠征中のフランク王国軍がロンスヴォーの戦いで敗退(『[[ローランの歌]]』のモデル)。 * [[780年]] - 唐の宰相[[楊炎]]の建議により[[租庸調]]制から[[両税制]]へ税制を移行。 * [[780年]]ごろ - インドネシアの[[シャイレーンドラ朝]]が[[ボロブドゥール]]の建設を始める。 * [[781年]] - 唐の[[徳宗 (唐)|徳宗]]の抑圧策により[[河朔三鎮]]・河南二鎮の[[節度使]](藩鎮)が反乱を起こす。 * [[781年]] - 中央アジア出身の伊斯が長安の[[大秦寺]]に「[[大秦景教流行中国碑]]」を建立。 * [[781年]] - 光仁天皇が病気のため譲位し、[[桓武天皇]]が即位する。 * [[783年]] - 唐で朱泚の乱が起こり、皇帝徳宗が長安から逃亡。 * [[784年]] - [[長岡京]]に[[遷都]]。 * [[785年]] - 長岡京建設の責任者[[藤原種継]]が暗殺され、桓武天皇の弟[[早良親王]]が流罪となる。 * [[786年]] - アッバース朝で、[[ハールーン・アッ=ラシード]]が[[カリフ]]となる(-[[809年]])(アッバース朝の最盛期)。 * [[787年]] - [[第2ニカイア公会議]]でキリスト教が聖像使用の教義を確認。 * [[788年]] - [[最澄]]は[[比叡山]][[延暦寺]]を造る。 * [[789年]] - [[モロッコ]]に[[イドリース朝]]が興る。 * [[791年]] - フランク国王カールが[[アヴァール]]を征討。 * [[793年]] - イングランド北部の[[リンデスファーン修道院]]が[[ヴァイキング]]に襲撃され、ヴァイキング時代の幕開けとなる * [[794年]] - [[平安京]]へ遷都し[[平安時代]]はじまる。山背国を[[山城国]]へ改称。 * [[794年]] - フランク国王カールの招集によるフランクフルト教会会議が開催される。 * [[797年]] - 東ローマ帝国で皇帝[[コンスタンティノス6世]]が母[[エイレーネー]]によって廃位され、エイレーネーがローマ帝国初の[[女帝]]として即位。 * [[797年]]頃 - 唐僧摩訶衍がインド僧カマラシーラに敗北しチベットから退去。[[サムイェー寺の宗論]]が終わる。 * [[800年]] - フランク国王カールがローマ教皇から「ローマ皇帝」の冠を受ける(カール大帝)。 * 800年 - [[富士山]]の[[延暦]][[噴火]]。 == 人物 == === 東アジア === ==== 唐 ==== * [[張柬之]]([[625年]] - [[706年]]) - 唐の政治家・張易之と張昌宗の兄弟を斬り則天武后を退位させる・中宗の復位を実現 * [[韋皇后 (唐中宗)|韋后]](? - [[710年]]) - 唐の皇帝[[中宗 (唐)|中宗]]の皇后・「武韋の禍」の一人・中宗を殺害し帝位を窺う * [[太平公主]]([[665年]]? - [[713年]]) - 唐の皇帝高宗の娘・母は則天武后・韋后排斥の中心人物・後に甥の李隆基と対立し滅ぼされる * [[張説]]([[667年]] - [[730年]]) - 唐の政治家・宰相・李隆基に挙兵を決断させた功で有名・詩人として『張説之文集』がある * [[玄宗 (唐)|玄宗]](李隆基)([[685年]] - [[762年]]) - 唐の第6代皇帝(在位[[712年]] - [[756年]])・その治世前半が「開元の治」 * [[姚崇]]([[650年]] - [[721年]]) - 唐の政治家・宰相・宋璟とともに「姚宋」と呼ばれ「[[開元の治]]」を指導 * [[宋璟]]([[663年]] - [[737年]]) - 唐の政治家・宰相・姚崇とともに「姚宋」と呼ばれ「開元の治」を指導 * [[張九齢]]([[678年]] - [[740年]]) - 唐の政治家・宰相・[[李林甫]]と対立し辞職・「開元最後の賢相」と呼ばれる * [[高力士]]([[684年]] - [[762年]]) - 唐の宦官・韋后討伐から安史の乱まで玄宗の腹心として仕える・李輔国に失脚させられる * [[郭子儀]]([[697年]] - [[781年]]) - 唐の軍人・安史の乱を平定・後には吐蕃やウイグルの反乱も鎮圧する * [[高仙芝]](? - [[755年]])- 唐の[[高句麗]]系[[軍人]]・タラス河畔の戦いで敗北・安史の乱の渦中で処刑される * [[李輔国]]([[704年]] - [[762年]]) - 唐の宦官・玄宗に代わり[[粛宗 (唐)|粛宗]]を擁立・粛宗の皇后を殺害させるなど専権を極める * [[楊国忠]](? - [[756年]]) - 唐の宰相・楊貴妃の親族として出世・安史の乱で長安を捨て四川に逃亡するが殺害される * [[楊貴妃]]([[719年]] - [[756年]]) - 唐の玄宗の寵妃・安史の乱の原因とされ楊国忠に続き馬嵬で殺される * [[安禄山]]([[705年]]? - [[757年]]) - 唐の安史の乱の指導者・もとは[[節度使]]・大燕皇帝を自称(在位[[756年]] - [[757年]])・実子[[安慶緒]]に殺される * [[史思明]]([[703年]] - [[761年]]) - 唐の安史の乱の指導者・もとは安禄山の部下・大燕皇帝を自称(在位[[759年]] - [[761年]])・実子[[史朝義]]に殺される * 魚朝恩([[721年]] - [[770年]]) - 唐の宦官・神策軍を従え代宗の宮廷で専権を振るうが[[元載]]の命で処刑される * [[楊炎]]([[727年]] - [[781年]]) - 唐の政治家・皇帝[[徳宗 (唐)|徳宗]]に仕え均田制/租庸調制に代わる両税法を創設・のちに失脚し処刑される * [[第五キ|第五琦]]([[729年]] - [[799年]]) - 唐の政治家・塩法による塩の専売制を導入し財政再建に尽力・乾元重宝銭の鋳造で物価高騰を招く * [[杜佑]]([[735年]] - [[812年]]) - 唐の官僚・歴史家として法令制度の通史『[[通典]]』をまとまる・杜牧は孫 * [[李思訓]]([[651年]] - [[718年]]) - 唐の画家・皇族であり官僚として玄宗に仕える・「北画の祖」とされる * [[呉道玄]](生没年不詳) - 唐の画家・玄宗に仕えて山水画の画法に変革をもたらし「画聖」と呼ばれる * [[鑑真]]([[688年]] - [[763年]]) - 唐の僧侶・日本に渡り[[律宗]]を伝える・奈良の唐招提寺の開基となる * [[孟浩然]]([[689年]] - [[740年]]) - 唐の詩人・代表作に「春暁」がある・官人にはなれず在野で活躍 * [[王維]]([[701年]] - [[761年]]) - 唐の[[詩人]]で「詩仏」と称される・[[画家]]として「[[南画]]の祖」とされる * [[李白]]([[701年]] - [[762年]])- 唐の詩人で「詩仙」と称される・代表作に「早發白帝城」がある * [[顔真卿]]([[709年]] - [[785年]]) - 唐の忠臣・書家として「争座位帖」や「[[祭姪文稿]]」がある * [[杜甫]]([[712年]] - [[770年]]) - 唐の詩人で「詩聖」と称される・代表作に「春望」がある * [[張旭]](生没年不詳) - 唐の書家・[[狂草]]という奔放な書体で有名・「自言帖」や「郎官石柱記」がある * [[懐素]]([[725年]] - [[785年]]) - 唐の書家・僧侶・張旭の狂草の影響を受ける・「草書千字文」が有名 * [[陸羽]]([[733年]] - [[804年]]) - 唐の文筆家・[[茶]]にまつわる知識をまとめた『[[茶経]]』を残す ==== 渤海 ==== * [[大欽茂]](文王)(? - [[793年]]) - 渤海の第3代王(在位[[737年]] - [[793年]])・律令体制を整え[[上京龍泉府]]に遷都 ==== 日本 ==== * [[藤原不比等]]([[659年]] - [[720年]]) - [[公卿]]・[[右大臣]]・大宝律令を制定 * [[柿本人麻呂]]([[660年]]頃 - [[720年]]頃) - 歌人・『[[万葉集]]』の代表的な歌人・「歌聖」と呼ばれる * [[山上憶良]]([[660年]]? - [[733年]]?) - 官人・歌人・『万葉集』の「貧窮問答歌」「子を思ふ歌」が知られる * [[元明天皇]]([[661年]] - [[721年]]) - 第43代天皇(在位[[707年]] - [[715年]])・女帝・平城京に遷都 * [[太安万侶]](? - [[723年]]) - 文官・『古事記』を編纂・太安万侶墓誌が発見されている * [[行基]]([[668年]] - [[749年]]) - [[大僧正]]・[[東大寺]]大仏造造営の勧進としても活躍 * [[舎人親王]]([[676年]] - [[735年]]) - 天武天皇皇子・淳仁天皇の父(崇道尽敬皇帝)・『日本書紀』を編纂 * [[藤原四兄弟]] ** [[藤原武智麻呂]]([[680年]] - [[737年]]) - 公卿・[[藤原南家]]祖 ** [[藤原房前]]([[681年]] - [[737年]]) - 公卿・[[藤原北家]]祖 ** [[藤原宇合]]([[694年]]? - [[737年]]) - 公卿・[[藤原式家]]祖 ** [[藤原麻呂]]([[695年]] - [[737年]]) - 公卿・[[藤原京家]]祖 * [[橘諸兄]]([[684年]] - [[757年]]) - 公卿・[[左大臣]]・藤原四兄弟亡き後の政局を指導 * [[長屋王]]([[684年]]? - [[729年]]) - 皇族・公卿・左大臣・長屋王の変で自害した * [[吉備真備]]([[695年]] - [[775年]]) - 遣唐留学生・帰国後は右大臣となる * [[阿倍仲麻呂]]([[698年]] - [[770年]] - 遣唐留学生・帰国せず唐朝に仕え高官となる * [[聖武天皇]]([[701年]] - [[756年]]) - 第45代[[天皇]](在位[[724年]] - [[749年]])・[[奈良]][[東大寺]]を創建 * [[光明皇后]]([[701年]] - [[760年]]) - 聖武天皇の皇后・人臣で最初の皇后・孝謙称徳天皇の母 * [[藤原広嗣]](? - [[740年]]) - 官人・大宰少弐・式家宇合の子・[[藤原広嗣の乱]]を起こし処刑される * [[藤原仲麻呂]]([[706年]] - [[764年]]) - 公卿・太師([[太政大臣]])・藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)を起こし敗死 * [[藤原真楯]]([[715年]] - [[766年]]) - 公卿・[[大納言]]・北家房前の子 * [[国中公麻呂]](? - [[774年]]) - 仏師・造東大寺次官・[[東大寺]][[盧遮那仏]]の造像と大仏殿建立の指揮をする * [[孝謙天皇|孝謙・称徳天皇]]([[718年]] - [[770年]]) - 第46代天皇(在位[[749年]] - [[758年]])・第48代天皇(在位[[764年]] - [[770年]]) * [[大伴家持]]([[718年]]頃 - [[785年]]) - 公卿・[[中納言]]・諸国の国司を歴任・和歌に優れ『万葉集』を編纂したか * [[橘奈良麻呂]]([[721年]]? - [[757年]]) - 公卿・参議・橘諸兄の子・[[橘奈良麻呂の乱]]が露見し処罰される * [[道鏡]](? - [[772年]]) - 太政大臣禅師・[[法王]]・[[宇佐八幡宮神託事件]]に関与・称徳天皇没後は[[下野国]]に追放される * [[藤原百川]]([[732年]] - [[779年]]) - 公卿・参議・[[井上内親王|井上廃后]]事件に関与して桓武天皇を擁立したか * [[和気清麻呂]]([[733年]] - [[799年]]) - 公卿・[[民部卿]]・宇佐八幡宮神託事件で道鏡を退ける * [[桓武天皇]]([[737年]] - [[806年]]) - 第50代天皇(在位[[781年]] - [[806年]])・[[長岡京]]そして[[平安京]]に遷都 * [[藤原種継]]([[737年]] - [[785年]]) - 公卿・中納言・長岡京造営の途中で暗殺される === 南アジア・チベット・東南アジア === * ナラシンハヴァルマン2世(? - [[728年]]頃)- インドの[[パッラヴァ朝]]の王(在位[[700年]]頃 - [[728年]]頃)・[[マハーバリプラム]]海岸寺院を建立 * ヴィクラマーディティヤ2世(? - [[744年]]) - インドの前期[[チャールキヤ朝]]の王(在位[[733年]] - [[744年]])・[[パッタダガル]]寺院を建立 * ダンティドゥルガ(? - [[756年]]) - インドの[[ラーシュトラクータ朝]]の王(在位[[753年]] - [[756年]])・[[チャールキヤ朝]]の君主を廃しデカン地方を支配 * クリシュナ1世(? - [[775年]]) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位[[756年]] - [[775年]])・[[エローラ石窟]]のカイラーサ寺院を建立 * [[ダルマトゥンガ]](? - [[782年]]) - ジャワ島の[[シャイレーンドラ朝]]の王(在位[[755年]]以前 - [[782年]])・[[ボロブドゥール寺院]]建立に着手 * [[善無畏|シュバカラシンハ]]([[637年]] - [[735年]]) - インド出身の僧侶・中国名は善無畏・唐に[[密教]]([[真言宗]])を伝え第五祖とされる * [[シャーンタラクシタ]](? - [[787年]]頃) - インドの僧侶でナーランダ寺院の出身・チベットに仏教を伝え[[サムイェー寺]]を建立 * カマラシーラ(生没年不詳) - インドの僧侶・チベットに招かれサムイェー寺の宗論で唐僧[[摩訶衍]]に勝利する * [[パドマサンバヴァ]](8世紀後半頃) - インドの僧侶・チベットに仏教を伝え[[ニンマ派]](紅教)の祖となる * [[ティソン・デツェン]]([[742年]] - [[797年]]) - チベットの吐蕃の王(在位[[755年]] - [[797年]])・安史の乱に乗じて長安を占領・仏教興隆に尽力 === イスラム世界 === ==== ウマイヤ朝 ==== * [[クタイバ・イブン・ムスリム]]([[669年]] - [[715年]]/[[716年]]) - ウマイヤ朝の軍人・[[ホラサーン]]総督となり[[トランスオクシアナ]]を征服する * [[ワリード1世]]([[674年]] - [[715年]]) - ウマイヤ朝の第6代カリフ(在位[[705年]] - [[715年]])・[[ウマイヤド・モスク]]を建設 * [[ターリク・イブン=ズィヤード|タリク・イブン・ズィヤード]]([[689年]] - [[720年]]) - ウマイヤ朝の軍人・イベリア半島を征服し[[ジブラルタル]]の名の由来になる ==== 後ウマイヤ朝 ==== * [[アブド・アッラフマーン1世]]([[731年]] - [[788年]]) - 後ウマイヤ朝の初代[[アミール]](在位[[756年]] - [[788年]])・[[コルドバ]]を都とする ==== アッバース朝 ==== * [[アブー・アル・アッバース]]([[724年]]? - [[754年]]) - アッバース朝の初代カリフ(在位[[750年]] - [[754年]])・別名は「サッファーフ」 * [[マンスール]]([[712年]] - [[775年]]) - アッバース朝の第2代カリフ(在位[[754年]] - [[775年]])・都バグダードを建設 * [[ハールーン・アッラシード]]([[763年]] - [[809年]]) - アッバース朝の第5代カリフ(在位[[786年]] - [[809年]])・アッバース朝の最盛期 * ジヤード・イブン・サーリフ(? - [[752年]]) - アブー・ムスリム配下の将軍・[[タラス河畔の戦い]]で高仙芝率いる唐の軍団を撃破 * [[アブー・ムスリム]]([[700年]]頃 - [[755年]]) - [[アッバース革命]]の指導者でアッバース朝建国における最大の功臣・「ホラサーンの猛虎」 ==== 思想家・学者 ==== * アブー・ハニーファ([[699年]]頃 - [[767年]]) - イスラム法学者・[[ハナフィー学派]]の祖・シーア派との関係を疑われ獄死 * [[ジャアファル・サーディク]]([[702年]] - [[765年]]) - シーア派の第6代イマーム・イスラム法学者としては[[ジャアファル法学派|ジャアファル学派]]の祖 * イブン・イスハーク([[704年]] - [[761年]]/[[770年]]) - アッバース朝の著述家・カリフのマンスールに命じられ『預言者の生涯』をまとめる * マーリク・イブン・アナス([[714年]] - [[796年]]) - イスラム法学者・[[マーリク学派]]の祖・著作に『ムワッタ』がある * [[ラービア・アル・アダウィーヤ]]([[717年]]頃 - [[801年]]頃) - [[バスラ]]出身の女性神秘家・禁欲から「神への愛」を昇華させた[[スーフィー]]の先駆者 * [[イブン・アル・ムカッファ]]([[721年]] - [[757年]]) - アッバース朝の著作家・ペルシアのサーサーン朝の年代記『フダーイ・ナーメ』をアラビア語に翻訳 * [[ジャービル・イブン・ハイヤーン]]([[721年]]? - [[815年]]?) - アッバース朝の哲学者・化学者・塩酸や硝酸の調合や蒸留装置を開発 === 中央アジア === * [[毘伽可汗|ビルゲ・カガン]](? - [[734年]]) - [[東突厥]]の[[カガン]](在位[[716年]] - [[734年]])・[[オルホン河]]畔の[[ホショ・ツァイダム碑文]]で有名 * [[ブラン・カガン]](? - [[740年]]) - [[ハザール]]の[[カガン]](在位[[730年]] - [[740年]])・[[テュルク]]系遊牧国家ながら[[ユダヤ教]]に改宗 * [[牟羽可汗]](? - [[779年]]) - [[回鶻]]の可汗(在位[[759年]] - [[779年]])・マニ教を受容・安史の乱の鎮圧に協力するが後に唐と反目 === キリスト教世界 === ==== フランク王国 ==== * アヴランシュのオベール(? - [[720年]]) - [[ノルマンディー]]地方のアヴランシュ司教・[[モン・サン=ミシェル|モン・サン・ミシェル]]修道院の基礎を築く * [[カール・マルテル]]([[686年]] - [[741年]]) - フランク王国の[[宮宰]]・トゥール・ポワティエ間の戦いで勝利しイスラム軍を撃退 * [[ピピン3世]](小ピピン)([[714年]] - [[768年]]) - カロリング朝の開祖(在位[[751年]] - [[768年]])・カール・マルテルの子・[[教皇領]]を寄進 * [[カール大帝]]([[742年]] - [[814年]]) - フランク国王(在位[[768年]] - [[814年]])・西ローマ皇帝(在位[[800年]] - [[814年]])・小ピピンの子 * [[ウィドゥキント]]([[730年]]頃 - [[808年]]?) - [[ザクセン]]部族公・[[サクソン戦争|ザクセン戦争]]でカール大帝に敗北しキリスト教に改宗 * タッシロ3世([[742年]]頃 - [[794年]]頃) - [[バイエルン]]部族公・カール大帝と対立しバイエルンから追放される * [[聖ボニファティウス|ボニファティウス]]([[672年]]頃 - [[754年]]) - キリスト教宣教師・「ドイツ人の[[使徒]]」・[[フリースラント]]で殉教 * ピルミニウス([[700年]]頃 - [[753年]]) - 修道士(ベネディクト会)・[[ライヒェナウ島]]修道院を建設 * [[アルクィン]]([[735年]]? - [[804年]]) - 神学者で[[トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]]司教・フランク王国宮廷学校校長・「カール大帝の知的宰相」 * リュートガー(ルドガー)([[742年]]頃 - [[809年]]) - キリスト教宣教師・[[ザクセン人]]や[[フリース人]]に布教し[[ミュンスター]]で修道院を創設 ==== イタリア ==== * デシデリウス(? - [[786年]]) - [[ランゴバルド王国]]最後の国王(在位[[756年]] - [[774年]]) * [[パウルス・ディアコヌス]]([[720年]] - [[799年]]) - イタリアの著述家・歴史家として『ランゴバルド史』を著す * [[ザカリアス (ローマ教皇)|ザカリアス]](? - [[752年]]) - ローマ教皇(在位[[741年]] - [[752年]])・ピピン3世のカロリング朝創設を支援 * [[ステファヌス3世 (ローマ教皇)|ステファヌス3世]](? - [[757年]]) - ローマ教皇(在位[[752年]] - [[757年]])・ピピン3世による寄進を受ける([[教皇領]]の始まり) * [[レオ3世 (ローマ教皇)|レオ3世]]([[750年]]? - [[816年]]) - ローマ教皇(在位[[795年]] - [[816年]])・「カール大帝の戴冠」を行う ==== 東ローマ帝国と東方正教圏 ==== * [[レオーン3世]]([[680年]]? - [[741年]]) - 東ローマ帝国[[イサウリア朝]]の皇帝(在位[[717年]] - [[741年]])・イスラム軍を撃退・聖像崇拝を禁止 * [[コンスタンティノス5世]](コプロニュモス)([[718年]] - [[775年]]) - 東ローマ帝国イサウリア朝の皇帝(在位[[741年]] - [[775年]]) * [[エイレーネー]](アテナイア)([[752年]] - [[803年]]) - 東ローマ帝国イサウリア朝の女帝(在位[[797年]] - [[802年]])・聖像崇敬を復活 * [[ダマスコの聖イオアン|ダマスコのヨハネ]]([[676年]]頃 - [[749年]]) - キリスト教[[神学者]]・聖像崇敬を擁護・著作に『神学の泉』がある * テオドロス・ストゥディテス([[759年]] - [[826年]]) - キリスト教[[神学者]]・首都のストゥデイオス修道院院長・聖像崇敬派を率い皇帝と対決 ==== イベリア半島 ==== * [[ロデリック (西ゴート王)|ロデリック]]([[687年]]以降 - [[712年]]頃) - 西ゴート王国最後の国王(在位[[710年]] - [[712年]]頃)・イスラム軍に敗北し殺害される * [[ペラーヨ]](? - [[737年]]) - 西ゴート王国の貴族・反イスラム勢力を糾合し[[アストゥリアス王国]]を建国(在位[[718年]] - [[737年]]) * エリパンドゥス([[718年]]頃 - [[802年]]頃) - [[トレド]]大司教・[[ウルヘル]]司教フェリックスとともに[[養子的キリスト論|キリスト養子論]]を提唱し論争を引き起こす * リエバナのベアトゥス([[730年]]頃 - [[800年]]頃) - アストゥリウス王国のリエバナの修道院長・キリスト養子論を否定・著作に『黙示録注解』がある ==== イングランド ==== * [[ベーダ・ヴェネラビリス]]([[672年]]/[[673年]] - [[735年]]) - キリスト教聖職者・歴史家として『イングランド教会史』を著す * オファ(? - [[796年]]) - [[マーシア]]王(在位[[757年]] - [[796年]])・[[ブレトワルダ]](上王)として覇を唱える・オファの防塁でも有名 == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[700年代]]''' || [[700年|700]] || [[701年|701]] | [[702年|702]] || [[703年|703]] | [[704年|704]] || [[705年|705]] || [[706年|706]] | [[707年|707]] || [[708年|708]] || [[709年|709]] |- | '''[[710年代]]''' || [[710年|710]] || [[711年|711]] | [[712年|712]] || [[713年|713]] | [[714年|714]] || [[715年|715]] || [[716年|716]] | [[717年|717]] || [[718年|718]] || [[719年|719]] |- | '''[[720年代]]''' || [[720年|720]] || [[721年|721]] | [[722年|722]] || [[723年|723]] | [[724年|724]] || [[725年|725]] || [[726年|726]] | [[727年|727]] || [[728年|728]] || [[729年|729]] |- | '''[[730年代]]''' || [[730年|730]] || [[731年|731]] | [[732年|732]] || [[733年|733]] | [[734年|734]] || [[735年|735]] || [[736年|736]] | [[737年|737]] || [[738年|738]] || [[739年|739]] |- | '''[[740年代]]''' || [[740年|740]] || [[741年|741]] | [[742年|742]] || [[743年|743]] | [[744年|744]] || [[745年|745]] || [[746年|746]] | [[747年|747]] || [[748年|748]] || [[749年|749]] |- | '''[[750年代]]''' || [[750年|750]] || [[751年|751]] | [[752年|752]] || [[753年|753]] | [[754年|754]] || [[755年|755]] || [[756年|756]] | [[757年|757]] || [[758年|758]] || [[759年|759]] |- | '''[[760年代]]''' || [[760年|760]] || [[761年|761]] | [[762年|762]] || [[763年|763]] | [[764年|764]] || [[765年|765]] || [[766年|766]] | [[767年|767]] || [[768年|768]] || [[769年|769]] |- | '''[[770年代]]''' || [[770年|770]] || [[771年|771]] | [[772年|772]] || [[773年|773]] | [[774年|774]] || [[775年|775]] || [[776年|776]] | [[777年|777]] || [[778年|778]] || [[779年|779]] |- | '''[[780年代]]''' || [[780年|780]] || [[781年|781]] | [[782年|782]] || [[783年|783]] | [[784年|784]] || [[785年|785]] || [[786年|786]] | [[787年|787]] || [[788年|788]] || [[789年|789]] |- | '''[[790年代]]''' || [[790年|790]] || [[791年|791]] | [[792年|792]] || [[793年|793]] | [[794年|794]] || [[795年|795]] || [[796年|796]] | [[797年|797]] || [[798年|798]] || [[799年|799]] |- | '''[[800年代]]''' || [[800年|800]] || [[801年|801]] | [[802年|802]] || [[803年|803]] | [[804年|804]] || [[805年|805]] || [[806年|806]] | [[807年|807]] || [[808年|808]] || [[809年|809]] |} [[Category:8世紀|*]]
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