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{{centurybox| 前世紀=6 | 世紀=7 | 次世紀=8 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | 前世紀=6 | }} [[ファイル:Mohammed_receiving_revelation_from_the_angel_Gabriel.jpg|thumb|260px|right|[[天使]][[ガブリエル|ジブリール]]から啓示を受けるムハンマド(14世紀,[[エディンバラ大学]]所蔵『[[集史]]』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画)。]] [[ファイル:Xuanzang w.jpg|thumb|200px|right|インドへの求法の旅をした[[玄奘三蔵]]。]] [[ファイル:Tenjyukoku embroidery.jpg|thumb|250px|right|飛鳥時代を代表する工芸の「[[天寿国繍帳]]」。聖徳太子の妃である[[橘大郎女]]の発願で作成されたと伝わる。]] [[File:SongstenGampoandwives.jpg|thumb|250px|right|吐蕃の王[[ソンツェン・ガンポ]]と二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。]] [[ファイル:Longmen lu she na.jpg|thumb|right|250px|[[洛陽]]郊外の[[龍門]]にある[[奉先寺]]大仏。則天武后にの命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。]] '''7世紀'''(ななせいき、しちせいき)とは、[[西暦]][[601年]]から西暦[[700年]]までの100年間を指す。 == できごと == * 601年 - 厩戸皇子([[聖徳太子]])が[[斑鳩宮]]を造る。[[任那]]回復のため、[[高句麗]]と[[百済]]に遣使する。 * 602年 - 東ローマ皇帝[[マウリキウス|マウリキオス]]が[[フォカス]]に帝位を簒奪され処刑される。 * 602年 - 撃新羅将軍を任命し、[[国造]]・[[郡司]]らの軍2万5千を動員する。 * 603年 - [[新羅]]攻撃を中止する。[[小墾田宮]]に遷る。[[冠位十二階]]を制定する。 * 604年 - 冠位十二階制を施行する。厩戸皇子、[[十七条憲法]]を作る。朝礼を改める。 * 604年 - [[隋]]で[[煬帝]]が即位する。<!--文帝暗殺はあくまでも伝承なので削除--> * 605年 - 隋の煬帝が[[大運河]]の建設を命じる。 * 606年 - [[ハルシャ・ヴァルダナ]]、[[北インド]]に[[ヴァルダナ朝]]を建国。 * 607年 - 第2回[[遣隋使]][[小野妹子]]が派遣される。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」。 * 607年 - 国ごとに[[屯倉]]を置く。 * 608年 - 小野妹子、隋使[[裴世清]]らとともに帰国する。隋使、朝廷に参内し、帰国する。小野妹子また隋に遣わされる。この時、[[高向玄理]]・[[旻]]・[[南淵請安]]ら8人留学する。 * 609年 - 小野妹子ら帰国する。 * 610年 - 隋に使を派遣する。 * 610年 - [[東ローマ帝国]]で[[ヘラクレイオス]]が皇帝に即位。 * 610年 - [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]が[[イスラム教]]を興す。 * 611年 - [[隋]]が[[隋の高句麗遠征|高句麗遠征]]を開始(- 614年)。失敗に終わる。 * 613年 - 東ローマ帝国が[[サーサーン朝]]に[[シリア|シリア地方]]を奪われる。 * 613年 - 隋で[[楊玄感]]の乱。 * 617年 - サーサーン朝が東ローマ帝国の首都[[コンスタンティノポリス]]を包囲。 * 618年 - 煬帝が[[宇文化及]]に殺害され隋が滅亡する。[[李淵]]が[[唐]]を建国。 * 618年頃 - コンスタンティノポリスでの都市民への穀物支給の廃止(「[[パンとサーカス]]」の終焉)。 * 622年 - 厩戸皇子が斑鳩宮で没する。 * 622年 - [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]が[[マディーナ|メディナ]]へ遷る([[ヒジュラ]](聖遷)- [[イスラム暦]]元年)。 * 622年 - 東ローマ皇帝ヘラクレイオス、サーサーン朝への反撃を開始。 * 624年 - [[バドルの戦い]]でムハンマドのメディナ軍がメッカ軍に勝利。ラマダーン月の始まり。 * 625年 - [[ウフドの戦い]]でメッカ軍がメディナ軍に勝利。 * 626年 - 唐で[[玄武門の変]]が起こり、勝利した李世民が第2代皇帝[[太宗 (唐)|太宗]]として即位(- [[649年]])([[貞観の治]])。 * 626年 - [[蘇我馬子]]が没する。 * 627年 - [[ハンダクの戦い]]でメディナ軍がメッカ軍に勝利。[[クライザ族虐殺事件]]が起こる。 * 628年 - [[推古天皇]]が没する。 * 628年 - 東ローマ皇帝ヘラクレイオス、サーサーン朝を破って被占領地を奪回。 * 629年 - 第34代[[舒明天皇]]が即位する。 * 628年ごろ - [[唐]]の僧侶[[玄奘]](三蔵法師)がインドへ向けて出発(- 645年)。 * 630年 - ムハンマドが[[マッカ|メッカ]]を征服。 * 630年 - 唐軍により[[頡利可汗]]が捕えられ[[東突厥]]が滅亡。唐の太宗は西域諸国から「天可汗」に推戴される。 * 630年 - [[遣唐使]]として[[犬上御田鍬]]を派遣。 * 632年 - [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]が没し、イスラム教団で[[カリフ]]制度がはじまる。リッダ(背教)の戦いが起こる( - 633年)。 * 634年頃 - [[チャールキヤ朝]]のプラシーケン2世が[[ナルマダー川]]の戦いで[[ハルシャ・ヴァルダナ]]の軍を破り南インドの独立を維持する。 * 636年 - シリア地方のヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍が[[イスラム帝国]]軍に惨敗。サーサーン朝から奪回した領土を再び失う。 * 638年 - 東ローマ皇帝ヘラクレイオスが「エクテシス」を発布。 * 640年 - イスラム帝国の[[シリア|シリア地方]]征服が完了。 * 640年 - 唐が麴氏[[高昌国]]を滅ぼし、最初の都護府である西州都護府(後の[[安西都護府]])を設置。 * 640年ごろ - 中部ジャワに[[シャイレーンドラ朝]]が成立。 * 641年 - 舒明天皇が没する。 * 641年 - 吐蕃の[[ソンツェン・ガンポ]]王が唐の[[文成公主]]を妃として迎える。 * 641年 - アレクサンドリア包囲戦でイスラム軍が勝利。東ローマ帝国はエジプトを喪失。 * 642年 - [[ニハーヴァンドの戦い]]でサーサーン朝がイスラム帝国に大敗する。 * 642年 - 第35代[[皇極天皇]]即位。 * 642年 - [[高句麗]]の[[淵蓋蘇文]]が[[栄留王]]を弑害し、[[宝蔵王]]を擁立。 * 643年 - [[蘇我入鹿]]が[[山背大兄王]]一家を滅ぼす。 * 645年 - 6月12日、[[天智天皇|中大兄皇子]]・[[藤原鎌足|中臣鎌足]]ら、蘇我入鹿を宮中で暗殺する。[[蘇我蝦夷]]は自殺する(乙巳の変)。 * 645年 - 皇極天皇が譲位し第36代[[孝徳天皇]]が即位。難波宮へ遷都( - 655年)。 * 646年 - [[改新の詔]]を宣する([[大化の改新]])。 * 647年 - ハルシャ・ヴァルダナ王の死により[[ヴァルダナ朝]]の支配が崩壊し、北インドは混乱状態になる。 * 648年 - 東ローマ皇帝[[コンスタンス2世]]が「テュポス」を発布。 * 650年ごろ - [[スマトラ島]]に[[シュリービジャヤ王国]]が成立。 * 651年 - サーサーン朝ペルシアが滅亡。皇子ペーローズ3世は唐に亡命する。 * 652年 - 「[[唐律疏義]](永徽律疏)」が編纂され、漢代からの「[[春秋決獄]]」が廃止される。 * 653年 - 孝徳天皇と中大兄皇子とが不和になり。中大兄皇子以下は飛鳥に還る。 * 655年 - 東ローマ帝国が[[リュキア]]沖の海戦でイスラム帝国に惨敗。 * 655年 - 唐の高宗の皇后として[[則天武后|武照]]が冊立される。 * 655年 - 皇極天皇が重祚し、第37代[[皇極天皇|斉明天皇]]となる。 * 656年 - イスラム帝国で第一次内乱が勃発(-[[661年]])。ラクダの戦いでアーイシャがアリーに敗北。 * 657年 - 唐軍により[[阿史那賀魯|沙鉢羅可汗]]が捕えられ[[西突厥]]が滅亡。高宗のこの時期に唐の領土は最大となる。 * 657年 - [[スィッフィーンの戦い]]。勝敗がつかずドゥーマト・アッ・ジャンダルの和議が結ばれる。 * 660年 - 新羅と唐の連合軍([[唐・新羅の同盟]])が百済を滅ぼす。 * 661年 - カリフの[[アリー・イブン=アビー=ターリブ|アリー]]が暗殺され、[[ムアーウィヤ1世]]がカリフとなる。[[ウマイヤ朝]]イスラム帝国成立。 * 661年 - 斉明天皇が没する。 * 663年 - [[白村江の戦い]]で、日本が唐・新羅連合軍に大敗する。 * 663年 - 吐蕃の宰相ガル・トンツェンが[[吐谷渾]]を征服する。 * 664年 - [[ウィットビー教会会議]]が開かれローマ式典礼がケルト式典礼の優位に立つ。 * 667年 - [[近江国]]の[[大津京|大津]]へ遷都(- 672年)。 * 668年 - 東ローマ皇帝コンスタンス2世が滞在中のシチリア島で暗殺される。 * 668年 - 高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされる([[唐の高句麗出兵]])。 * 668年 - 中大兄皇子が即位し、第38代[[天智天皇]]となる。 * 670年 - 全国的に[[戸籍]]をつくる([[古代の戸籍制度#庚午(こうご)の年籍|庚午年籍]])。 * 670年 - ウマイヤ朝軍が[[チュニジア]]に進軍し、[[カイラワーン]]市の建設に着手( - [[675年]])。 * 671年 - 唐僧[[義浄]]が渡印のため[[広州]]を出航し室利仏逝(シュリービジャヤ王国か)に到着。 * 671年 - 新羅と唐が対立する([[唐・新羅戦争]])。 * 671年 - 第39代[[弘文天皇]](大友皇子)が即位。 * 672年 - 天智天皇没する。[[壬申の乱]]で第40代[[天武天皇]]即位。[[飛鳥浄御原宮]]に遷る。 * 673年 - ウマイヤ朝海軍、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを[[678年]]まで毎年包囲。 * 676年 - 新羅が[[朝鮮半島]]を統一。 * 680年 - [[カルバラーの戦い]](カルバラーの悲劇)。 * 680年 - [[第3コンスタンティノポリス公会議]]で[[単意論]]が排撃される。 * 680年 - 唐で皇太子[[李賢 (唐)|李賢]](章懐太子)が廃される。 * 681年 - [[飛鳥浄御原令]]の編纂を開始する。 * 683年 - ウマイヤ朝で[[第二次内乱 (イスラーム史)|第二次内乱]](-[[692年]])が勃発。[[アブドゥッラー=イブン・アッズバイル|イブン・アッズバイル]]がカリフを名乗る。 * 683年 - [[マヤ]]の[[パレンケ]]「碑文の神殿」の地下室にパカル王が埋葬される。 * 683年 - 唐の皇帝高宗が没し、息子の中宗が継ぐ。 * 684年 - 唐の中宗が退位させられ、[[睿宗 (唐)|睿宗]]が即位。李敬業の反乱。 * 686年 - 天武天皇が没し、第41代[[持統天皇]]が即位。 * 689年 - [[律令制#飛鳥浄御原令|飛鳥浄御原令]]を発令。 * 687年 - テルトリーの戦いで、カロリング家のアウストラシア宮宰[[ピピン2世]](中ピピン)がネウストリア宮宰ワラットを倒し、[[フランク王国]]の実権を握る。 * 690年 - 戸令により[[庚寅年籍]]をつくる。 * 690年 - 唐で[[高宗 (唐)|高宗]]の皇后([[則天武后]])が女帝となり、国号を周とする( - [[705年]])。唐王朝は一時断絶。 * 692年 - ウマイヤ朝カリフの[[アブドゥルマリク]]により[[エルサレム]]の[[岩のドーム]]が完成する( - [[688年]])。 * 694年 - [[藤原京]]に都を移す。 * 697年 - 持統天皇が譲位し、第42代[[文武天皇]]が即位する。 * 698年 - ウマイヤ朝のハサン・イブン・アル・ヌゥマーンがカルタゴの戦いで東ローマ帝国に勝利。北アフリカのほぼ全域を制圧。 * 698年 - 靺鞨人[[大祚栄]]が震国(後の[[渤海 (国)|渤海]])を建国。 === 日本 === 日本では[[飛鳥時代]]([[古墳時代]]終末期)にあたる。 [[645年]]に[[孝徳天皇]]が即位するとこの年を[[大化]]元年と定め、日本における最初の[[元号]]が誕生した(「[[大化の改新]]」を参照)。また、7世紀後半から8世紀初頭ごろに対外的な[[国号]]を「[[倭国]]」から「[[日本]]」へ改めている<ref>ただし、日本成立以前の倭国および[[倭国王]]の勢力範囲に関しては諸説ある。</ref>。 == 人物 == === イスラム世界 === * [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]([[570年]]頃 - [[632年]])- [[イスラム教]]開祖・最後の[[預言者]]・その言行が『クルアーン』に記録される * [[アブー・バクル]]([[573年]] - [[634年]]) - 初代[[正統カリフ]](在位[[632年]] - [[634年]])・ムハンマドの教友 * [[ウマル・イブン・ハッターブ|ウマル]]([[592年]]? - [[644年]])- 第2代正統カリフ(在位[[634年]] - [[644年]])・ムハンマドの教友 * [[ウスマーン・イブン・アッファーン|ウスマーン]]([[574年]] - [[656年]])- 第3代正統カリフ(在位[[644年]] - [[656年]])・ムハンマドの教友 * [[アリー・イブン・アビー=ターリブ|アリー]]([[600年]]頃 - [[661年]])- 第4代正統カリフ(在位[[656年]] - [[661年]])・ムハンマドの従兄弟で娘婿・シーア派では初代[[イマーム]]とされる * [[アムル・イブン・アル=アース|アムル・イブン・アル・アース]]([[583年]] - [[664年]]) - 正統カリフ時代の将軍・アレクサンドリア包囲戦に勝利しエジプトを征服 * [[ハーリド・イブン・アル=ワリード|ハーリド・イブン・アル・ワリード]]([[592年]] - [[642年]]) - 正統カリフ時代の将軍・ヤルムークの戦いに勝利しシリアを征服・別名「アッラーの剣」 * サード・イブン・アビー・ワッカース([[595年]] - [[664年]]) - 正統カリフ時代の将軍・ニハーヴァンドの戦いに勝利しペルシアを征服 * [[ムアーウィヤ]] ([[603年]]頃 - [[680年]]) - [[ウマイヤ朝]]初代[[カリフ]] (在位[[661年]] - [[680年]])・アリーと敵対しカリフ世襲化を行う * [[アーイシャ・ビント=アブー=バクル|アーイシャ]]([[614年]]頃 - [[678年]]) - ムハンマドの3番目の妻・カリフのアブー・バクルの娘・ラクダの戦いではカリフのアリーと対決 * [[アブドゥッラー=イブン・アッズバイル|イブン・アッズバイル]]([[624年]]頃 - [[692年]]) - イスラム帝国の第二次内乱の指導者・アブー・バクルの孫でカリフを名乗る * [[フサイン・イブン・アリー (イマーム)|フサイン・イブン・アリー]]([[626年]] - [[680年]]) - アリーの次男・シーア派では第3代[[イマーム]]とされる・[[カルバラーの戦い]]で虐殺される * [[ヤズィード1世]]([[645年]] - [[683年]]) - ウマイヤ朝第2代カリフ(在位[[680年]] - [[683年]])・カルバラーの戦いでアリー家を殲滅する * [[アブドゥルマリク]]([[647年]] - [[705年]]) - ウマイヤ朝第5代カリフ(在位[[685年]] - [[705年]])・[[岩のドーム]]を建設 === キリスト教世界 === ==== フランク王国 ==== * [[ブルンヒルド]]([[543年]]頃 - [[613年]]) - [[フランク王国]][[アウストラシア]]王シギベルト1世の王妃・子や孫の[[摂政]]となる * [[クロタール2世]]([[584年]] - [[629年]]) - フランク王国[[ネウストリア]]王(在位[[613年]] - [[629年]])・ブルンヒルデを倒しフランク王国を再統一 * [[ダゴベルト1世]]([[603年]] - [[639年]]) - フランク王国(統一フランク)国王(在位[[629年]] - [[639年]])・パリ郊外の[[サン=ドニ大聖堂|サン・ドニ大聖堂]]を建立 * ガルス(ガル)([[550年]]頃 - [[646年]]頃) - アイルランド出身の修道士・コルンバヌスの弟子・現スイスの[[ザンクト・ガレン修道院]]を建立 ==== ローマ教皇 ==== * [[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世]]([[540年]] - [[604年]])- [[ローマ教皇]](在位[[590年]] - [[604年]])・ゲルマン系諸民族への宣教を推進 ==== イングランド・アイルランド ==== * コルンバヌス([[540年]] - [[615年]]) - アイルランドの修道士・[[コルンバ]]の弟子・西欧各地に[[ケルト]]系修道制を伝えボッビオ修道院を建立 * エイダン(? - [[651年]]) - アイルランドの修道士・[[リンデスファーン修道院]]を建立し北部イングランドの布教に努める * オスウィ([[612年]]頃 - [[670年]]) - [[イングランド]][[七王国]]の[[ノーサンブリア]]王(在位[[642年]] - [[670年]])・[[ウィットビー教会会議]]を開催 * ウィルフリッド([[633年]]頃 - [[709年]]頃) - リポン司教・ウィットビー教会会議ではローマ式典礼側を代表しケルト式典礼派を論破する ==== 西ゴート王国 ==== * [[セビリャのイシドールス]]([[560年]] - [[636年]]) - [[西ゴート王国]]の[[セビリャ]]大司教・[[神学者]]・著作に『語源論』がある・長兄レアンデルも神学者 * [[レケスウィント]](? - [[672年]]) - 西ゴート王国国王(在位[[649年]] - [[672年]])・ 西ゴート法典を公布・「グアラザールの宝物」でも有名 ==== ブルガリア ==== * [[アスパルフ]]([[644年]]頃 - [[700年]]頃) - [[第一次ブルガリア帝国]]の建国者(在位[[681年]] - [[700年]]頃) ==== 東ローマ帝国 ==== * [[ヘラクレイオス]]([[575年]] - [[641年]]) - ヘラクレイオス朝の東ローマ皇帝(在位[[610年]] - [[641年]])。シリア・エジプトを喪失・「エクテシス」を発布。 * [[コンスタンス2世]]ポゴナトス([[630年]] - [[668年]]) - ヘラクレイオス朝の東ローマ皇帝(在位[[641年]] - [[668年]])・「テュポス」を発布。 * [[コンスタンティノス4世]]([[650年]]頃 - [[685年]]?) - ヘラクレイオス朝の東ローマ皇帝(在位[[668年]] - [[685年]])・イスラムに反撃を開始。 * セルギオス1世(? - [[638年]]) - [[コンスタンディヌーポリ総主教|コンスタンティノポリス総主教]](在位[[610年]] - [[638年]])・ [[単意論]]をまとめ「エクテシス」を起草。 * [[ソフロニオス]]([[560年]] - [[638年]]) - [[エルサレム総主教]](在位[[634年]] - [[638年]])。キリスト教神学者・[[単意論]]に反対するが[[ウマル憲章]]は受容。 * [[ヨアンネス・クリマコス]]([[579年]] - [[649年]]) - [[シナイ山]]の[[聖カタリナ修道院]]長。修道生活の手引きとなる『天国への階梯』を執筆。 * [[聖マクシモス|マクシモス]]([[580年]]頃 - [[662年]]) - [[東ローマ帝国]]の[[神学者]]で[[修道士]](証聖者・表信者)。書簡「神学と受肉の摂理について」が有名。 * ヘリオポリスのカリニクス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の技術者・コンスタンティノポリス包囲戦で使われた「[[ギリシア火]]」を開発か。 === イラン === * [[ホスロー2世]] (? - [[628年]])- [[サーサーン朝]]の[[シャー]](在位[[590年]] - [[628年]])。エジプト・シリアをめぐって東ローマ帝国と戦う。 * [[ヤズデギルド3世]] (? - [[651年]])- サーサーン朝最後のシャー(在位[[632年]] - [[651年]])。ニハーヴァンドの戦いで大敗し殺害される。 === インド・チベット === * [[ソンツェン・ガンポ]]([[581年]]頃 - [[649年]]) - 古代[[チベット]]の王で[[吐蕃]]の建国者。唐から[[文成公主]]を娶る。 * [[ハルシャ・ヴァルダナ]]([[590年]] - [[647年]]) - [[インド]]のヴァルダナ朝の王(在位[[606年]] - [[647年]])。北インドを統一し[[玄奘]]を引見。 * [[バーナ]](生没年不詳) - インドの詩人・サンスクリットによりハルシャ王を讃える『ハルシャチャリタ』を書く。 * [[プラケーシン2世]](? - [[642年]]) - インドの[[前期チャールキヤ朝]]の王(在位[[609年]] - [[642年]])。[[ハルシャ・ヴァルダナ|ハルシャ]]を[[ナルマダー川]]で撃退。 * [[ブラーマグプタ]]([[598年]] - [[668年]]) - インドの数学者・天文学者・著作『[[ブラーマ・スプタ・シッダーンタ]]』では「[[ゼロ]]の概念」の最古の言及あり。 * [[月称|チャンドラキールティ]](月称)(7世紀) - インド仏教の中観派の学僧・[[清弁|バーヴァヴィヴェーカ]]の論証優先を批判し分派する(帰謬論証派)。 === 東アジア === ==== 隋 ==== * [[煬帝]](楊広)([[569年]] - [[618年]]) - 隋王朝第2代皇帝(在位[[604年]] - [[618年]])・高句麗遠征に失敗し殺害される * [[李密 (隋)|李密]]([[582年]] - [[618年]]) - 隋末に割拠した群雄・[[楊玄感]]の反乱に続いて挙兵し河南で自立・王世充に敗北する * [[王世充]](? - [[621年]]) - 隋末に割拠した群雄・洛陽にて[[恭帝トウ|恭帝侗]]を擁立・さらに自ら皇帝を名乗るが李淵に敗北 ==== 唐 ==== * [[李淵|李淵(高祖)]]([[566年]] - [[635年]]) - 唐の初代皇帝(在位[[618年]] - [[626年]])・隋末の混乱から唐を建国 * [[太宗 (唐)|太宗]]([[李世民]])([[598年]] - [[649年]]) - 唐の第2代皇帝(在位[[626年]] - [[649年]])・その治世が「[[貞観の治]]」 * [[高宗 (唐)|高宗]]([[628年]] - [[683年]])- 唐の第3代皇帝(在位[[649年]] - [[683年]])。唐の最大版図を実現。 * [[武則天|則天武后]]([[624年]] - [[705年]]) - 唐の第3代皇帝高宗の皇后・周の女帝(在位[[690年]] - [[705年]])・「[[武韋の禍]]」の一人 * [[李靖]]([[571年]] - [[649年]]) - 唐の政治家・軍人・[[突厥]]や[[吐谷渾]]の征討に功があった・『[[李衛公問対]]』にその言行が残る * [[房玄齢]]([[578年]] - [[648年]]) - 唐の政治家・尚書左僕射・杜如晦とともに「房杜」と呼ばれ「[[貞観の治]]」を指導 * [[魏徴]]([[580年]] - [[643年]]) - 唐の政治家・諫議大夫・『[[貞観政要]]』に多くの言行が残る * [[杜如晦]]([[585年]] - [[630年]]) - 唐の政治家・尚書右僕射・房玄齢とともに「房杜」と呼ばれ「[[貞観の治]]」を指導 * [[長孫無忌]](? - [[659年]]) - 唐の政治家・太宗の皇后の兄・『唐律疏義』『隋書』を編纂・則天武后と対立し失脚し自殺 * [[李勣]]([[594年]]? - [[669年]]) - 唐の政治家・軍人・武后の冊立を支持・高句麗を滅ぼすことにも功があった * [[狄仁傑]]([[630年]] - [[700年]]) - 唐の政治家・宰相・高宗から則天武后にまで仕え「国老」と称される。 * [[王玄策]](生没年不詳) - 唐の文官。インドのヴァルダナ朝へ外交使節として赴く。ハルシャ王没後のインドの内紛に介入。 * [[欧陽詢]]([[557年]] - [[641年]]) - 唐の儒家・書家であり[[初唐の三大家]]の一人・代表作に「九成宮醴泉銘」がある。 * [[虞世南]]([[558年]] - [[638年]]) - 唐の政治家・書家であり初唐の三大家の一人・代表作に「孔子廟堂碑」がある。 * [[褚遂良]]([[596年]] - [[658年]]) - 唐の政治家・書家であり初唐の三大家の一人・代表作に「雁塔聖教序」がある。 * [[閻立本]](? - [[673年]]) - 唐の政治家・宮廷画家。人物図・肖像画を得意とし「歴代帝王図巻」ほかを描く。 * [[孔穎達]]([[574年]] - [[648年]]) - 唐の[[訓詁学]]者・[[国子監]]祭酒・「[[五経正義]]」を撰述。 * [[玄奘三蔵|玄奘]](三蔵法師)([[602年]] - [[664年]]) - 唐の僧侶・インドのヴァルダナ朝に渡る・『[[大唐西域記]]』を書く。 * [[基 (僧)|基]](慈恩大師)([[632年]] - [[682年]]) - 唐の僧侶・玄奘の弟子で[[唯識論]]を大成し[[法相宗]]を起こす。 * [[義浄]]([[635年]] - [[713年]]) - 唐の僧侶・海路からヴァルダナ朝崩壊後のインドに渡り、『南海寄帰内法伝』を書く。 * [[慧能]]([[638年]] - [[713年]]) - 唐の僧侶・[[禅宗]]第六祖。漸悟の北宗に対し頓悟の南宗を興す。『[[六祖壇経]]』を残す。 * [[寒山]]・[[拾得]](生没年不詳) - 唐の僧侶・天台山国清寺に属し豊干とともに「国清三隠」と呼ばれる・寒山は「寒山詩」の作者か。 * [[薛懐義]](? - [[695年]]) - 唐の僧侶・則天武后の寵愛を受け[[洛陽]][[白馬寺]]寺主となる・大雲経の効験を説き諸国の大雲経寺に頒布。 * [[法蔵 (唐)|法蔵]](賢首大師)([[643年]] - [[712年]]) - 唐の僧侶・[[華厳宗]]第三祖・則天武后の庇護で[[実叉難陀]]に『[[華厳経]]』を訳させ教学を大成。 * [[阿羅本]](活躍時期[[635年]] - [[638年]]) - キリスト教[[ネストリウス派]](景教)の宣教師で「[[大秦景教流行中国碑]]」に名が残る。 * 張鷟([[658年]]? - [[730年]]) - 唐の文人・その著作『[[遊仙窟]]』は中国では[[佚書]]となり日本で愛好された・ほかに『朝野僉載』など。 ==== 渤海 ==== * [[大祚栄]](? - [[719年]]) - 渤海の初代国王(在位[[698年]] - [[719年]])。 ==== 朝鮮 ==== * [[武烈王]]([[602年]]? - [[661年]]) - 新羅の王(在位[[654年]] - [[661年]])。百済を滅ぼす。[[文武王]]は子。 * [[文武王]](? - [[681年]]) - 新羅の王(在位[[661年]] - [[681年]])。唐との戦争で唐を退け朝鮮半島を統一。 === 日本 === * [[蘇我馬子]]([[551年]]? - [[626年]]) - [[飛鳥時代]]の豪族・[[大臣 (古代日本)|大臣]](嶋大臣) * [[推古天皇]]([[554年]] - [[628年]]) - 第33代[[天皇]](在位[[592年]] - [[628年]])・[[敏達天皇]]の皇后・日本最初の女帝 * [[聖徳太子]](厩戸皇子)([[574年]] - [[622年]]) - 推古天皇の摂政・[[用明天皇]]の皇子・遣隋使の派遣や法隆寺の建立を行う * [[小野妹子]](生没年不詳) - 飛鳥時代の政治家・遣隋使として隋に赴く * [[鞍作止利]](生没年不詳) - 飛鳥時代の渡来系の仏師・[[法隆寺]]金堂本尊銅造[[釈迦三尊像]]が代表作 * [[藤原鎌足]](中臣鎌足)([[614年]] - [[669年]]) - 飛鳥時代の政治家・[[内大臣]][[大織冠]]・[[藤原氏]]の祖 * [[天智天皇]](中大兄皇子)([[626年]] - [[671年]]) - 第38代天皇(在位[[668年]] - [[671年]])・蘇我氏を滅ぼし大化の改新を進める * [[阿倍比羅夫]](生没年不詳) - 飛鳥時代の軍人・[[蝦夷]]を討ち海を渡って[[粛慎]]を平定した・[[白村江の戦い]]でも活躍する * [[弘文天皇]](大友皇子)([[648年]] - [[672年]]) - 第39代天皇(在位[[672年]] - [[672年]])・天智天皇の皇子・壬申の乱に敗北 * [[天武天皇]](大海人皇子)([[631年]]? - [[686年]]) - 第40代天皇(在位[[673年]] - [[686年]])・天智天皇の弟・壬申の乱に勝利 * [[道昭]]([[629年]] - [[700年]]) - 法相宗の僧・遣唐留学僧として唐で玄奘に学ぶ・帰国後は教化につとめる・行基は弟子 * [[役小角]]([[634年]]? - [[701年]]?) - [[修験道]]の開祖・[[葛城山]]などで修行・山岳信仰の隆盛により「役行者」と呼ばれ「神変大菩薩」と号される * [[額田王]](生没年不詳) - [[飛鳥時代]]の女性歌人・斉明朝から持統朝に活躍し『[[万葉集]]』に歌が残る * [[持統天皇]]([[645年]]- [[702年]]) - 第41代天皇(在位[[690年]] - [[697年]])・天智天皇の皇女で天武天皇の皇后・藤原京に遷都 == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[600年代]]''' || [[600年|600]] || [[601年|601]] | [[602年|602]] || [[603年|603]] | [[604年|604]] || [[605年|605]] || [[606年|606]] | [[607年|607]] || [[608年|608]] || [[609年|609]] |- | '''[[610年代]]''' || [[610年|610]] || [[611年|611]] | [[612年|612]] || [[613年|613]] | [[614年|614]] || [[615年|615]] || [[616年|616]] | [[617年|617]] || [[618年|618]] || [[619年|619]] |- | '''[[620年代]]''' || [[620年|620]] || [[621年|621]] | [[622年|622]] || [[623年|623]] | [[624年|624]] || [[625年|625]] || [[626年|626]] | [[627年|627]] || [[628年|628]] || [[629年|629]] |- | '''[[630年代]]''' || [[630年|630]] || [[631年|631]] | [[632年|632]] || [[633年|633]] | [[634年|634]] || [[635年|635]] || [[636年|636]] | [[637年|637]] || [[638年|638]] || [[639年|639]] |- | '''[[640年代]]''' || [[640年|640]] || [[641年|641]] | [[642年|642]] || [[643年|643]] | [[644年|644]] || [[645年|645]] || [[646年|646]] | [[647年|647]] || [[648年|648]] || [[649年|649]] |- | '''[[650年代]]''' || [[650年|650]] || [[651年|651]] | [[652年|652]] || [[653年|653]] | [[654年|654]] || [[655年|655]] || [[656年|656]] | [[657年|657]] || [[658年|658]] || [[659年|659]] |- | '''[[660年代]]''' || [[660年|660]] || [[661年|661]] | [[662年|662]] || [[663年|663]] | [[664年|664]] || [[665年|665]] || [[666年|666]] | [[667年|667]] || [[668年|668]] || [[669年|669]] |- | '''[[670年代]]''' || [[670年|670]] || [[671年|671]] | [[672年|672]] || [[673年|673]] | [[674年|674]] || [[675年|675]] || [[676年|676]] | [[677年|677]] || [[678年|678]] || [[679年|679]] |- | '''[[680年代]]''' || [[680年|680]] || [[681年|681]] | [[682年|682]] || [[683年|683]] | [[684年|684]] || [[685年|685]] || [[686年|686]] | [[687年|687]] || [[688年|688]] || [[689年|689]] |- | '''[[690年代]]''' || [[690年|690]] || [[691年|691]] | [[692年|692]] || [[693年|693]] | [[694年|694]] || [[695年|695]] || [[696年|696]] | [[697年|697]] || [[698年|698]] || [[699年|699]] |- | '''[[700年代]]''' || [[700年|700]] || [[701年|701]] | [[702年|702]] || [[703年|703]] | [[704年|704]] || [[705年|705]] || [[706年|706]] | [[707年|707]] || [[708年|708]] || [[709年|709]] |} == 注釈 == <references /> [[Category:7世紀|*]]
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