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{{出典の明記|date=2013年6月}} {{centurybox| 前世紀=5 | 世紀=6 | 次世紀=7 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | 前世紀=5 | }} [[ファイル: Meister von San Vitale in Ravenna 003.jpg |thumb|300px|right|[[ラヴェンナ]]の[[サン・ヴィターレ聖堂]]の[[ユスティニアヌス1世]]と随臣のモザイク。]] [[ファイル:Khusro Plate.png|thumb|250px|right|[[ホスロー1世]]を描いたサーサーン朝時代の大皿。]] [[ファイル:Bodhidharma.and.Huike-Sesshu.Toyo.jpg|thumb|right|180px|[[禅宗]]の祖師[[達磨]]。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は[[雪舟等楊]]の「慧可断臂図」。]] [[ファイル:Sui Wendi Tang.jpg|thumb|200px|right|[[隋]]の[[楊堅|文帝]]。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。]] [[File:Periodo kofun, haniwa, guerriero con armatura keiko, VI sec, 02.JPG|thumb|200px|right|6世紀に畿内での[[埴輪]]作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。「[[国宝]]武装男子立像(群馬県太田市出土)」東京国立博物館蔵。]] '''6世紀'''(ろくせいき)とは、[[西暦]][[501年]]から西暦[[600年]]までの100年間を指す。 == できごと == * 502年 - 中国の[[南朝 (中国)|南朝]]が[[斉 (南朝)|斉]]から[[梁 (南朝)|梁]]にかわる。 * 503年 - 「癸未年八月」の[[干支]]銘をもつ人物画像境が[[和歌山県]][[橋本市]]の[[隅田八幡宮]]に伝わる。(癸未年を[[443年]]とする説もある)。 * 507年 - ブイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。 * 510年代 - [[エフタル]]のトラマーナ王と続くミヒラクラ王が[[インド]]にたびたび侵入する。 * 520年 - インドの[[グプタ朝]]が分裂し統一王朝は崩壊。グプタ朝の版図は北ベンガルとビハールに限定される。 * 523年 - [[北魏]]で[[六鎮の乱]]が起こる。 * 527年([[継体天皇]]の21年)- [[磐井の乱]]起こる(『[[日本書紀]]』)。 * 527年 - 梁の[[蕭衍|武帝]]が[[建康]]の[[鶏鳴寺|同泰寺]]で最初の捨身を行う。 * 527年 - [[東ローマ帝国]]で[[ユスティニアヌス1世]]が[[皇帝]]に即位(- [[565年]]) * 528年(継体天皇の22年)- 磐井斬殺される(『日本書紀』)。 * 529年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が[[アテネ]]の[[アカデメイア]]を閉鎖し、学者を追放する。 * 529年 - [[ヌルシアのベネディクトゥス|ベネディクトゥス]]が[[イタリア]]の[[モンテ・カッシーノ]]に修道院を創設。 * 530年 - ユスティニアヌス1世が古代[[ローマ法]]の集大成である『[[ローマ法大全]]』編纂を命じる(533年完成)。 * 531年 - [[サーサーン朝]][[ペルシア]]帝国で[[ホスロー1世]]が即位(- 579年)。サーサーン朝の最盛期を迎える。 * 532年1月 - ユスティニアヌス1世が[[ニカの乱]]により退位寸前まで追いこまれるが、皇后[[テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)|テオドラ]]の励ましにより反徒を武力鎮圧し、専制支配を固める。 * 532年6月 - 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」を結んで東方国境を安定させる。 * 533年 - 東ローマ帝国が北アフリカの[[ヴァンダル王国]]を征服。 * 534年 - フランク王国(パリ・ソワソン)がブルグンド王国を征服。 * 534年 - 東ゴート王国女王[[アマラスンタ]]が廃位される。翌535年にアマラスンタが殺害されると東ローマ帝国が軍事介入を開始。 * 534年 - 北魏が[[東魏]]と[[西魏]]に分裂。 * 534年 - 西魏の[[宇文泰]]が郷兵を結集する([[府兵制]]の始まり)。 * 535年 - 地球規模の大異変が起きた。世界各地の古文書、年代記、伝承などに異常寒波、自然災害、飢饉、疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊がおきたことが記されている。<ref>石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 84ページ</ref>。 * 537年 - 東ローマ帝国でニカの乱で焼失した[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]の[[ユスティニアヌス1世]]による再建が完成。現存している「アヤソフィア」とは再建されたこの3代目の建物を指す。 * 538年 - 日本に[[仏教公伝|仏教伝来]]。 * 541年 - 東ローマ帝国で「ユスティニアヌスのペスト」が大流行。 * 541年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌスがローマ共和政以来の[[執政官]](コンスル)を廃止する。 * 548年 - 梁で侯景の乱。翌年には建康が陥落し梁の武帝が憤死。 * 550年 - [[北斉]]が東魏を滅ぼす。 * 550年頃 - インドでグプタ朝が完全に滅亡。 * 552年 - 北アジアで[[柔然]]が分裂する。[[突厥]]が建国される。 * 553年 - [[第2コンスタンティノポリス公会議]]で「三章問題」が討議されその著作が排斥される。 * 554年 - 東ローマ帝国がイタリアの[[東ゴート王国]]を征服。 * 554年 - 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部を征服。 * 554年 - 西魏が[[江陵]]を陥落させ、梁の[[元帝 (南朝梁)|元帝]]を殺害。 * 557年 - 西魏に代わり[[北周]]が建国。 * 557年 - 梁に代わり[[陳 (南朝)|陳]]がおこる。 * 559年ごろ - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥と同盟して[[エフタル]]を滅ぼす。 * 560年 - 西ゴート王国が[[トレド]]に遷都。 * 567年 - [[ゲピド族|ゲピド王国]]がランゴバルド族に征服され、国王クニムンドが殺害される。 * 568年 - ランゴバルド人がイタリアに侵入し、[[ランゴバルド王国]]を建国。 * 574年 - 北周の[[武帝]]の廃仏が始まる([[三武一宗の法難]]の一つ)。 * 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。 * 580年ごろ - [[スラブ人]]が北ギリシャに侵入する。 * 581年 - 中国で[[楊堅]](文帝)が北周を滅ぼして[[隋]]を建国。「開皇律令」が公布される。 * 582年 - 隋の都・[[長安|大興城]]が整備され、[[大興善寺]]が国寺として置かれる([[仏教治国策]])。 * 583年 - 突厥が東西に分裂する。 * 583年 - 隋の文帝が郡を廃止し、州県制を導入。 * 584年 - 東ローマ皇帝[[マウリキオス]]が[[ラヴェンナ]]に総督府を設置。 * 587年 - [[蘇我馬子]]が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす([[丁未の乱]])。 * 589年 - 隋が南朝の陳を滅ぼし、中国を統一。 * 589年 - 西ゴート国王[[レカレド1世]]がカトリックに改宗する。 * 590年 - ローマ教皇に[[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世]]が即位。 * 591年 - 東ローマ皇帝マウリキオスが[[カルタゴ]]に総督府を設置。 * 592年 - 隋で[[均田法]]が施行される。 * 592年 - 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。 * 593年 - 聖徳太子が推古天皇の摂政となる。 * 598年 - 隋で[[科挙]]が行われる。[[高句麗]]遠征([[隋の高句麗遠征]])に失敗する。 * 600年 - 日本が第1回[[遣隋使]]を派遣。(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない) === 日本 === [[日本]]では[[古墳時代]]にあたる。ただし、[[崇峻天皇]]が暗殺され[[推古天皇]]が立てられた崇峻天皇5年([[592年]])以降、または[[聖徳太子]]が[[摂政]]になった推古天皇元年([[593年]])以降は、[[飛鳥時代]]に区分される場合もある。 *畿内では[[前方後円墳]]がつくられなくなり、天皇陵含む大型古墳も[[方墳]]となる。関東で[[群集墳]]が盛んに造られる。 == 人物 == === 地中海世界とヨーロッパ === ==== イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで) ==== * [[ディオニュシウス・エクシグウス]]([[470年]]頃 - [[544年]]) - ローマの神学者・教会法学者・キリスト紀元([[西暦]])を案出。 * [[ヌルシアのベネディクトゥス]]([[480年]]頃 - [[547年]]) - 西方教会における修道制の創設者・モンテ・カッシーノ修道院を建立。 * [[ボエーティウス|ボエティウス]]([[480年]]頃 - [[524年]]頃) - 東ゴート王国の[[執政官]]で[[哲学者]]・[[神学者]]。著作に『[[哲学の慰め]]』がある。 * [[カッシオドルス]]([[485年]]頃 - [[585年]]頃) - 東ゴート王国の[[執政官]]で[[哲学者]]・[[神学者]]。ウィウァリウムの修道院に隠棲する。 * [[トーティラ]](? - [[552年]]) - 東ゴート国王(在位[[541年]] - [[552年]])・[[ゴート戦争]]で東ローマ帝国軍に抵抗しタギナエの戦いで戦死。 * [[アルボイン]]([[526年]]? - [[572年]]) - [[ランゴバルド王国]]の初代国王(在位[[560年]] - [[572年]])・東ローマ支配を覆す。 * フォルトゥナトゥス([[530年]]頃 - [[610年]]頃) - イタリアのラテン詩人・聖十字架の賛歌「王の旗が進む」や『聖ラデグンディス伝』がある。 * [[グレゴリウス1世]]([[540年]] - [[604年]])- ローマ教皇(在位[[590年]] - [[604年]])・ゲルマン系諸民族への宣教を推進。 ==== フランク王国 ==== *[[クロタール1世]]([[497年]] - [[561年]]) - [[メロヴィング朝]][[フランク王国]][[ソワソン]]の王(在位[[511年]] - [[561年]])・[[ブルグンド族|ブルグンド王国]]を滅ぼす。 *[[テウデベルト1世]]([[500年]]頃 - [[547年]]/[[548年]]) - [[メロヴィング朝]][[フランク王国]]のランス([[アウストラシア]])王。 *[[テウデバルド]]([[535年]] - [[555年]]) - メロヴィング朝フランク王国のランス(アウストラシア)王・テウデベルト1世の子。 * フレデグンデ(? - [[597年]]) - フランク王国[[ネウストリア]]王[[キルペリク1世]]の王妃・ブルンヒルデの政敵。 * [[ブルンヒルド]]([[543年]]頃 - [[613年]]) - フランク王国[[アウストラシア]]王シギベルト1世の王妃・フレデグンデの政敵。 * ゲルマヌス([[496年]] - [[576年]]) - パリ司教・フランク王国のキリスト教化につとめサンジェルマン・デ・プレ修道院にその名が残る。 * [[トゥールのグレゴリウス]]([[530年]]頃 - [[594年]]頃) - [[フランク王国]]の司教・年代記作家で『歴史十巻(フランク史)』の著者。 * アルルのカエサリウス([[468年]]/[[470年]] - [[542年]]) - [[レランス島|レランス]]の修道院長・[[アルル]]の司教・ガリア教会の復興を指揮する。 ==== イングランド・アイルランド ==== * [[クロンファートのブレンダン]]([[484年]]頃 - [[578年]]頃) - アイルランドの修道士・各地への宣教で知られ『聖ブレンダンの航海』で伝説化される。 * [[コルンバ]]([[521年]] - [[597年]]) - アイルランド出身の修道士・[[アイオナ修道院]]を創建し各地へ宣教・コルンバヌスは弟子。 * [[カンタベリーのアウグスティヌス]](? - [[604年]]/[[605年]])- 初代[[カンタベリー大司教]]・[[ケント王国|ケント国王]]エゼルベルフトを洗礼する。 ==== 西ゴート王国 ==== * セビリャのレアンデル([[549年]]以前 - [[599年]]/[[601年]]) - セビリャ大司教・国王レカレド1世の改宗に活躍・後継の大司教[[イシドールス]]は実弟。 * [[レカレド1世]]([[559年]]頃 - [[601年]]) - [[西ゴート王国]]国王(在位[[586年]] - [[601年]])・アリウス派からカトリック教会に改宗。 ==== 東ローマ帝国 ==== * [[ユスティニアヌス1世]]([[482年]] - [[565年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[527年]] - [[565年]])。東ローマ帝国の最大版図を築いた。 * [[テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)|テオドラ]]([[500年]]頃? - [[548年]])- 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后。二カの反乱で窮地に至った皇帝を励ます。 * [[マウリキウス]]([[539年]] - [[602年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[582年]] - [[602年]])・帝国再建のため各地に[[総督府]]を設置・[[フォカス]]に暗殺される。 * [[ベリサリウス]]([[505年]] - [[565年]]) - 東ローマ帝国の将軍・サーサーン朝やヴァンダル王国/東ゴート王国との戦いに勝利。 * [[ナルセス]]([[478年]] - [[573年]]) - 東ローマ帝国の政治家・宦官・将軍。解任されたベリサリウスを継ぎイタリアの東ゴート王国を征服。 * [[プロコピオス|カイサレイアのプロコピオス]](生没年不詳) - 東ローマ帝国の歴史家。ユスティニアヌスの再征服に関する『戦史』『秘史』の著者。 * ヨルダネス(? - [[578年]]頃) - 東ローマ帝国の歴史家。『ゴート人の歴史』はゴートに関する最重要史料。 * [[トリボニアヌス]](? - [[543年]]/[[545年]]) - 東ローマ帝国の法務官僚。『ローマ法大全』を編纂。 * [[アンティオキアのセウェロス]]([[465年]]頃 - [[538年]]) - [[アンティオキア]]総主教・[[非カルケドン派]]を指導し[[合性論]]を構築する。 * ヤコボス・バラダイオス([[500年]]頃? - [[578年]]) - 東ローマ帝国の[[エデッサ]]司教・[[単性論]][[ヤコブ派]]教会をシリアで組織する。 * [[ダマスキオス]]([[458年]]頃 - [[538年]]以降) - アテネのアカデメイア学園最後の学頭。ユスティニアヌス帝の学園封鎖に立ち会う。 * [[トラレスのアンテミオス]]([[474年]] - [[534年]]) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]を設計し建立する。 * [[ミレトスのイシドロス]](生没年不詳) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・トラレスのアンテミオスと協力しハギア・ソフィア大聖堂を建立。 * [[コスマス・インディコプレウステース]](生没年不詳) - エジプト出身の商人・修道士・[[インド洋]]貿易にまつわる『キリスト教地誌』を残す。 === 西アジア === * マズダク(? - [[524年]]/[[528年]]) - サーサーン朝の宗教家・[[マズダク教]]の開祖・カワードに庇護されるがホスロー1世に弾圧される。 * [[ホスロー1世]](? - [[579年]]) - サーサーン朝ペルシア帝国の[[シャー]](在位[[531年]] - [[579年]])・中央アジアや東ローマへの対外遠征を行う。 * アンタラ・イブン・シャッダード([[525年]] - [[608年]]) - [[ジャーヒリーヤ]]時代の[[アラビア]]の英雄・詩人としても有名で『アンタラ物語』のモデル。 === 中央アジア === * {{仮リンク|ミヒラクラ|en|Mihirakula}}(? - [[533年]]以降) - [[エフタル]]の王(在位[[512年]] - [[528年]]頃)・大規模な[[インドにおける仏教の弾圧|仏教弾圧]]を実施。 * [[木汗可汗]](? - [[572年]]) - 突厥の可汗(カガン)(在位[[553年]] - [[572年]])・柔然を滅ぼしエフタルを攻略して突厥に最盛期をもたらす。 * バヤン(? - [[602年]]) - [[アヴァール]]の王(カガン)(在位[[562年]] - [[602年]])・ドナウ川を渡り[[ゲピド族|ゲピド王国]]を倒しアヴァール王国を建国。 === 南アジア === * [[アリヤバータ]]([[476年]] - [[550年]]頃) - インドのグプタ朝の数学者・天文学者・著作『アーリヤバティーヤ』では円周率の近似値などに言及。 * [[陳那|ディグナーガ]]([[480年]]頃 - [[540年]]頃) - インド仏教の有相[[唯識]]派の学僧・「[[因明]]学」と呼ばれる仏教論理学を確立した。 * プラケーシン1世(? - [[566年]]) - インド・デカン高原の[[前期チャールキヤ朝]]の初代君主(在位[[543年]]頃 - [[566年]])。 * [[清弁|バーヴァヴィヴェーカ]](清弁)([[490年]]頃 - [[570年]]頃) - インド仏教の[[中観]]派の学僧・空の思想を積極的に論証する(自立論証派)。 * [[ダンディン]](6 - [[7世紀]]) - インドの文人・小説『[[ダシャクマーラチャリタ]](十王子物語)』や詩論『カーヴィヤーダルシャ(詩作の鏡)』がある。 === 東アジア === ==== 南朝 ==== * [[蕭衍]]([[464年]] - [[549年]]) - 南朝梁の初代皇帝(武帝)(在位[[502年]] - [[549年]])・仏教保護政策により「皇帝菩薩」と称される。 * [[朱イ|朱异]]([[483年]] - [[549年]]) - 南朝の梁の政治家・東魏から亡命した将軍[[侯景]]を受け入れ[[侯景の乱|反乱]]を誘発させた。 * [[侯景]]([[503年]] - [[552年]]) - 北朝[[東魏]]から南朝梁へ降った武将・侯景の乱を起こし建康を占領・梁の武帝を餓死させる。 * [[宝誌]]([[418年]] - [[514年]]) - 南朝宋から梁の僧侶・神異や予言で知られ「[[野馬台詩]]」の作者に擬せられる。 * [[陶弘景]]([[456年]] - [[536年]]) - 南朝梁の医学者・科学者・梁の武帝の信任が厚く「山中宰相」とも呼ばれる。著作に『[[真誥]]』など。 * 劉勰([[466年]]? - [[532年]]) - 南朝梁の文学評論家。中国で最初の体系的な文芸理論書『[[文心雕竜]]』を著す。 * [[周興嗣]]([[470年]]? - [[521年]]) - 南朝斉から梁の官僚・文章家・初学者の漢字習得用テキスト『[[千字文]]』の撰者。 * [[慧皎]]([[497年]] - [[554年]]) - 南朝梁の僧侶・後漢から梁までの中国僧の事跡を集めた『[[高僧伝]]』の撰者。 * [[蕭統|昭明太子]]([[501年]] - [[531年]]) - 南朝梁の武帝の皇太子・文章家・詩文のアンソロジー『[[文選]]』の撰者。 * [[達磨]](ボーディダルマ)(? - [[528年]]頃?) - インド出身の僧侶で[[禅宗]]の開祖。梁の武帝と交流があったか。 * [[王僧弁]](? - [[555年]]) - 南朝梁の将軍・侯景の反乱を鎮圧し元帝を擁立・江陵失陥後は陳覇先と対立し敗死する。 * [[陳霸先]]([[503年]] - [[559年]]) - 南朝陳の初代皇帝(武帝)(在位[[557年]] - [[559年]])。王僧弁の残党の反乱に苦慮する。 * [[徐陵]]([[507年]] - [[583年]]) - 南朝梁から陳の文学者・政治家・梁の太子蕭綱(後の[[簡文帝 (南朝梁)|簡文帝]])の命で『[[玉台新詠]]』を編纂。 ==== 北朝 ==== * [[鄭道昭]](? - [[516年]]) - [[北朝 (中国)|北朝]]北魏の官僚・書家・[[六朝楷書]]の代表作である「[[鄭文公碑]]」が残る。 * [[宋雲]](活躍時期[[518年]] - [[522年]]) - 北朝北魏の官僚(僧官か)・西域からインドに赴き経典を求めた・『宋雲行記』が残る。 * 酈道元([[469年]] - [[527年]]) - 北朝北魏の官人・地理学者として『[[水経注]]』をまとめる。 * [[曇鸞]]([[476年]] - [[542年]]) - 北朝北魏の僧侶・中国[[浄土教]]の祖・[[道綽]]や[[善導]]さらに[[法然]]や[[親鸞]]に影響・著作に『[[無量寿経優婆提舎願生偈註|浄土論註]]』がある。 * [[爾朱栄]]([[493年]] - [[530年]]) - 北朝北魏の軍人・河陰の変で[[霊太后]]を倒し[[六鎮の乱]]を鎮圧して北魏の全権を掌握。 * [[高歓]]([[496年]] - [[547年]]) - 北朝北魏の政治家・[[孝静帝]]を擁立し[[鄴]]に[[東魏]]政権を立てる・子孫は[[北斉]]の皇帝となる。 * [[宇文泰]]([[505年]] - [[556年]]) - 北朝北魏の政治家・[[孝武帝 (北魏)|孝武帝]]を擁立し[[長安]]に[[西魏]]政権を立てる・子孫は[[北周]]の皇帝となる。 * 賈思勰(活躍時期[[532年]]頃 - [[549年]]頃) - 北朝北魏の官僚・中国最古の総合的農書『[[斉民要術]]』をまとめる。 * [[楊衒之]](生没年不詳) - 北朝北魏末から東魏の人・[[洛陽]]の仏寺の繁栄を記録した『[[洛陽伽藍記]]』の撰者。 * [[高長恭]]([[541年]] - [[573年]]) - 北朝北斉の皇族(蘭陵王)・武勲がありながら「音容兼美」と称され[[雅楽]]「[[蘭陵王 (雅楽)|蘭陵王]]」のモデルとなる。 * [[武帝 (北周)|武帝]]([[543年]] - [[578年]]) - 北朝北周の皇帝(在位[[560年]] - [[578年]])・北斉を滅ぼし北中国を統一・[[三武一宗の法難|周武の法難]](廃仏)を実施。 * [[衛元嵩]](生没年不詳) - 北朝北周の廃仏論者・もとは[[予言]]をする[[風狂]]の僧として知られ後に還俗・北周武帝の廃仏に影響を与える。 ==== 隋 ==== * [[顔之推]]([[531年]] - [[591年]]以降) - 南北朝時代から隋の学者・著書に『[[顔氏家訓]]』がある。 * [[智ギ|智顗]]([[538年]] - [[597年]]) - 南北朝時代から隋の僧侶・[[天台宗]]の第三祖(事実上の開祖)・智者大師・著書に『[[摩訶止観]]』がある。 * 信行([[540年]] - [[594年]]) - 北朝北斉から隋の僧侶・[[三階教]]の開祖・長安[[化度寺|真寂寺]](化度寺)に招かれるが死後に宗派は弾圧される。 * [[楊堅]](文帝)([[541年]] - [[604年]]) - 隋の初代皇帝(在位[[581年]] - [[604年]])・陳を滅ぼし南北朝を統一・その治世が「開皇の治」。 ==== 朝鮮 ==== * [[武寧王]]([[462年]] - [[523年]]) - 百済の第25代国王(在位[[502年]] - [[523年]])・宋山里古墳群の武寧王陵からは墓誌や副葬品が発見される。 * [[聖王 (百済)|聖王]](? - [[554年]]) - 百済の第26代国王(在位[[523年]] - [[554年]])聖明王・日本に仏教を伝える(仏教公伝)・新羅との戦いで戦死。 ==== 日本 ==== * [[継体天皇]]([[450年]]? - [[531年]]) - 第26代天皇(在位[[507年]] - [[531年]])。 * [[筑紫君磐井]](? - [[528年]]?) - 古墳時代末の九州北部の豪族・[[磐井の乱]]を起こす。 * [[大伴金村]](生没年不詳)- 古墳時代末の豪族・[[大連 (古代日本)|大連]]・朝鮮半島での[[任那]]滅亡に伴い失脚。 * [[欽明天皇]]([[509年]] - [[571年]]) - 第29代天皇(在位[[539年]] - [[571年]])・この時代に仏教公伝。 * [[物部守屋]](? - [[587年]]) - 飛鳥時代の豪族・大連・崇仏論争で排仏を唱え[[丁未の乱]]で滅ぼされる。 * [[蘇我馬子]]([[551年]]? - [[626年]]) - 飛鳥時代の豪族・[[大臣 (古代日本)|大臣]](嶋大臣)・崇仏論争で崇仏を唱え[[丁未の乱]]に勝利。 * [[司馬達等]](生没年不詳) - 飛鳥時代の渡来人・娘に日本最初の出家者[[善信尼]]、孫に仏師[[鞍作止利]]がいる。 * [[推古天皇]]([[554年]] - [[628年]]) - 第33代[[天皇]](在位[[592年]] - [[628年]])・日本最初の女帝。 * [[聖徳太子]](厩戸皇子)([[574年]] - [[622年]]) - 推古天皇の摂政・[[用明天皇]]の皇子。 == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[500年代]]''' || [[500年|500]] || [[501年|501]] | [[502年|502]] || [[503年|503]] | [[504年|504]] || [[505年|505]] || [[506年|506]] | [[507年|507]] || [[508年|508]] || [[509年|509]] |- | '''[[510年代]]''' || [[510年|510]] || [[511年|511]] | [[512年|512]] || [[513年|513]] | [[514年|514]] || [[515年|515]] || [[516年|516]] | [[517年|517]] || [[518年|518]] || [[519年|519]] |- | '''[[520年代]]''' || [[520年|520]] || [[521年|521]] | [[522年|522]] || [[523年|523]] | [[524年|524]] || [[525年|525]] || [[526年|526]] | [[527年|527]] || [[528年|528]] || [[529年|529]] |- | '''[[530年代]]''' || [[530年|530]] || [[531年|531]] | [[532年|532]] || [[533年|533]] | [[534年|534]] || [[535年|535]] || [[536年|536]] | [[537年|537]] || [[538年|538]] || [[539年|539]] |- | '''[[540年代]]''' || [[540年|540]] || [[541年|541]] | [[542年|542]] || [[543年|543]] | [[544年|544]] || [[545年|545]] || [[546年|546]] | [[547年|547]] || [[548年|548]] || [[549年|549]] |- | '''[[550年代]]''' || [[550年|550]] || [[551年|551]] | [[552年|552]] || [[553年|553]] | [[554年|554]] || [[555年|555]] || [[556年|556]] | [[557年|557]] || [[558年|558]] || [[559年|559]] |- | '''[[560年代]]''' || [[560年|560]] || [[561年|561]] | [[562年|562]] || [[563年|563]] | [[564年|564]] || [[565年|565]] || [[566年|566]] | [[567年|567]] || [[568年|568]] || [[569年|569]] |- | '''[[570年代]]''' || [[570年|570]] || [[571年|571]] | [[572年|572]] || [[573年|573]] | [[574年|574]] || [[575年|575]] || [[576年|576]] | [[577年|577]] || [[578年|578]] || [[579年|579]] |- | '''[[580年代]]''' || [[580年|580]] || [[581年|581]] | [[582年|582]] || [[583年|583]] | [[584年|584]] || [[585年|585]] || [[586年|586]] | [[587年|587]] || [[588年|588]] || [[589年|589]] |- | '''[[590年代]]''' || [[590年|590]] || [[591年|591]] | [[592年|592]] || [[593年|593]] | [[594年|594]] || [[595年|595]] || [[596年|596]] | [[597年|597]] || [[598年|598]] || [[599年|599]] |- | '''[[600年代]]''' || [[600年|600]] || [[601年|601]] | [[602年|602]] || [[603年|603]] | [[604年|604]] || [[605年|605]] || [[606年|606]] | [[607年|607]] || [[608年|608]] || [[609年|609]] |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <div class="references-small">{{Reflist|group="†"}}</div> === 出典 === <references /> == 参考文献 == == 関連項目 == * [[年表]] {{デフォルトソート:きけんせん06せいき}} [[Category:6世紀|*]]
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