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17世紀
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{{centurybox| 前世紀=16 | 世紀=17 | 次世紀=18 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | 前世紀=16 | }} [[ファイル:Prefecture_yvelines_versailles.jpg|right|thumb|250px|'''絶対王政''' 壮麗なヴェルサイユ宮殿。]] [[ファイル:Las Meninas, by Diego Velázquez, from Prado in Google Earth.jpg|right|thumb|220px|スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に国勢は傾いた。国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「[[ラス・メニーナス]]」。]] [[ファイル:René Descartes i samtal med Sveriges drottning, Kristina.jpg||right|thumb|220px|哲学者ルネ・デカルト『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。]] [[ファイル:The Anatomy Lesson.jpg|right|thumb|220px|[[レンブラント・ファン・レイン]]の「[[テュルプ博士の解剖学講義]]」。この時代は[[オランダ黄金時代の絵画|オランダの黄金時代]]であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。]] [[ファイル:Westfaelischer Friede in Muenster (Gerard Terborch 1648).jpg|right|thumb|220px|[[三十年戦争]]の終結のために開かれた[[ミュンスター]]での会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係は[[ヴェストファーレン体制]]と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。]] [[ファイル:Battle of Vienna 1683 11.PNG|right|thumb|250px|第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。]] [[File:Estasi di Santa Teresa.jpg|thumb|right|200px|[[バロック]]の栄光。対抗宗教改革でカトリック教会は宗教的感情に訴える総合芸術「バロック」を作り出した。画像はローマの[[サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会]]コルナロ礼拝堂に置かれた[[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ|ベルニーニ]]の「[[聖テレジアの法悦]]」。]] [[ファイル:Sheikh-Lotf-Allah mosque wall and ceiling 2.jpg|right|thumb|250px|シェイク・ロトフォラー・モスクの内部。[[シャー]]・[[アッバース1世]]が[[サファヴィー朝]]の新都[[イスファハーン]]に建てた。]] [[ファイル:Taj Mahal, Agra, India edit3.jpg|right|thumb|250px|ムガル帝国の繁栄。皇帝[[シャー・ジャハーン]]が愛妃ムムターズ・マハルを偲んで建てた[[タージ・マハル]]。]] [[File:Ricci Guangqi 2.jpg|right|thumb|200px|『幾何原本』に描かれた[[マテオ・リッチ]]と[[徐光啓]]。[[イエズス会]]宣教師の活躍は東西文化の交流を促進した。]] [[File:Hall of Supreme Harmony.JPG|right|thumb|250px|[[紫禁城]][[太和殿]]。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。]] [[File:Tokugawa Ieyasu2.JPG|right|thumb|200px|徳川家康の肖像。関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる徳川幕府の基礎を固めた。]] '''17世紀'''(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、[[西暦]][[1601年]]から西暦[[1700年]]までの100年間を指す。 == 17世紀の歴史 == この時代の[[ヨーロッパ]]では小氷河期による世界レベルでの寒冷化が原因で'''[[17世紀の危機]]'''と呼ばれる混乱が生じ各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、[[イギリス]]では'''[[清教徒革命]]'''と'''[[名誉革命]]'''が起きて[[議会|議会政治]]が、[[フランス]]では[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]によって、[[絶対王政]]が確立された。この混乱を免れた[[オランダ]]は自由貿易により大いに栄えた。[[ロシア帝国]]は本格的に[[シベリア]]で世界最大の版図を築いた。[[東欧]]は[[西欧]]とロシアの従属的な地位に転落していった。 ヨーロッパから現在における[[北アメリカ大陸]]への永久[[移民]]が入植した。また、[[西インド諸島]]での[[プランテーション]]経営に多くの労働力を必要としたことから、[[北アフリカ]]諸地域から[[ネグロイド|黒人]][[奴隷]]が盛んに連れて来られるようになった([[奴隷貿易]]、[[三角貿易]])。さらに、イギリス・オランダなどが[[東インド会社]]を設立するなど、ヨーロッパ諸国は[[アジア]]、[[新大陸]]である現南北米地域との間で交易を活発にした。 アジアでは西アジアの[[オスマン帝国]]、[[インド]]の[[ムガル帝国]]と大帝国が繁栄、[[中国]]では[[明]]から[[清]]へ王朝が交代し17世紀後半には[[康熙帝]]の登場により最盛期を迎えた。[[日本]]では16世紀末の[[関ヶ原の戦い]]で勝利した[[徳川家康]]による[[江戸幕府]]が開かれ、第2代将軍[[徳川秀忠|秀忠]]の頃になると'''[[鎖国|鎖国政策]]'''がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。 === 17世紀の科学革命 === [[微分積分学]]と[[光学]]、[[万有引力]]などの諸法則・定理を発見した[[アイザック・ニュートン]]、[[望遠鏡]]を使用して[[月]]の表面に[[凸凹]]があることや[[木星]]に[[衛星]]があること、[[天の川]]が無数の[[星]]の集合であることなど[[天体]]に関する様々な発見により[[天文学]]に大きく貢献した[[ガリレオ・ガリレイ]]、[[惑星]]の[[軌道 (力学)|軌道]]が[[楕円]]であることなど天体の運行法則に関する[[ケプラーの法則]]の提唱や[[ルドルフ表]]を作り[[地動説]]のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示した[[ヨハネス・ケプラー]]など[[科学]]的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから'''[[科学革命]]'''と呼ばれている。 誰にでも[[検証]]可能な方法によって自説の正しさを証明するという、[[科学的方法]]が用いられるようになったのもこの時期からである。 === 魔女狩りのピークと衰退 === ヨーロッパで[[15世紀]]から広がり始めた[[魔女狩り]]が、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけて[[ピーク]]を迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で[[極刑]]を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が[[処刑]]されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの[[植民地]]でも数は少ないが魔女狩りの例がある([[セイラム魔女裁判]]など)。 == できごと == *日本では[[江戸時代]]の初期・前期にあたる。 *中国では明清時代(17世紀前半が明朝・中盤から後半が清朝)、また[[モンゴル帝国]]の[[皇帝]]位として存続していた[[北元]]が消滅した。 ---- * 1601年 ** [[海禁]]政策をとっていた[[明]]王朝下で、[[マテオ・リッチ]]が[[北京市|北京]]入城を果たし住居を得る。 ** イングランド女王エリザベス1世の寵臣[[ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)|エセックス伯]]が反逆罪で死刑に処せられる。 ** 織傭の変。 * 1602年 - [[オランダ]]が[[オランダ東インド会社|東インド会社]]を設立([[オランダ東インド会社]])。 * 1603年 ** [[スコットランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]が[[イングランド]]王ジェームズ1世として即位し、両国の[[同君連合]]が成立。 ** ロシアで帝位僭称者[[偽ドミトリー1世]]が出現。 ** [[江戸幕府]]成立。[[徳川家康]]が[[征夷大将軍|将軍]]となる。 * 1605年 ** [[イングランド]]の[[ガイ・フォークス]]らが、国王ジェームズ1世らの爆殺を企てるも失敗([[火薬陰謀事件]])。 ** [[徳川秀忠]]が江戸幕府第2代将軍となる。 * 1607年 - イングランドが[[北アメリカ大陸]]の[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]に入植成功。 * 1609年 ** [[己酉約条]]。 ** [[島津氏]]による[[琉球王国]]侵攻([[島津侵入事件]])。 ** スペインでのイスラム教徒([[モリスコ]])追放令。 ** [[ヘンリー・ハドソン]]による[[ニューアムステルダム]](現[[ニューヨーク]])の発見。 * 1610年 - フランス国王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]暗殺、息子の[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]が即位。 * 1611年 ** [[後陽成天皇]]が譲位し、第108代[[後水尾天皇]]が即位。 ** [[スウェーデン]]王[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ(獅子王)]]が17歳で即位。 ** イングランドで『[[欽定訳聖書]]』(ジェームズ王訳)が出される。 * 1613年 ** [[ロシア帝国]]皇帝に[[ミハイル・ロマノフ]]が推戴され、[[ロマノフ朝]]が成立。 ** [[大久保長安事件]]。 * 1614年 - [[大坂の役|大坂冬の陣]]。 * 1615年 ** [[大坂の役|大坂夏の陣]]、徳川家康が[[豊臣氏]]を滅ぼす。 ** [[慶長遣欧使節]]がスペイン王フェリペ3世や、ローマ教皇パウルス5世と謁見。 * 1616年 ** [[ヌルハチ]]が[[後金]]([[清]]の前身)を建国し、初代皇帝となる。 ** 徳川家康死去。[[久能山]]に葬られるが、翌1617年に[[日光東照宮|日光]]に改葬される。 * 1617年 - フランス元帥[[コンチーノ・コンチーニ]]暗殺、ルイ13世の母后[[マリー・ド・メディシス]]の失脚。 * 1618年 ** [[ベーメン]]で[[プラハ窓外投擲事件]]。この事件をきっかけに[[三十年戦争]]が始まる( - 1648年)。 ** [[ヨーハン・ジギスムント]]のもとで[[プロイセン公国]]と[[ブランデンブルク選帝侯]]国が同君連合となる。 ** 探検家[[ウォルター・ローリー]]の処刑。 * 1619年 ** サルフの戦いで、後金のヌルハチが明に勝利する。 ** 董氏の奴変。 ** オランダ東インド会社が[[バンテン王国]]から[[ジャカルタ]]を獲得し[[バタヴィア]]要塞を建設。 * 1620年 ** [[ピルグリム・ファーザーズ]]が[[メイフラワー号]]でイングランドから北米のニューイングランド地方へ永久移民。 ** 明の[[泰昌帝]]が第15代皇帝に即位するが1か月で死去したため、[[天啓帝]]が第16代皇帝に即位。 * 1622年 ** [[長崎市|長崎]]で[[キリシタン]]55名が[[処刑]]される([[元和の大殉教]])。 ** サファヴィー朝のアッバース1世が[[ホルムズ島]]をポルトガルから奪回する。 * 1623年 ** [[徳川家光]]が江戸幕府第3代将軍となる。 ** [[アンボイナ事件]]。 * 1624年 ** [[リシュリュー]]がフランスの宰相となる。 * 1625年 ** [[ブレダの開城]]。 * 1626年 ** 開読の変。 ** 王恭廠の大爆発。 ** 寧遠城の戦いで明が後金に勝利、ヌルハチが死去し、[[ホンタイジ]]が第2代皇帝として即位。 ** 教皇ウルバヌス8世が[[サン・ピエトロ大聖堂]]の献堂式を行う。 * 1627年 ** [[丁卯胡乱]]。 ** 明の天啓帝が死去し、宦官[[魏忠賢]]が処刑される。 ** フランスで[[ラ・ロシェル包囲戦]]( - 1628年)。 ** [[マントヴァ]]継承戦争( - 1632年)。 * 1628年 ** イングランド議会が[[権利の請願]]を採択。 ** 明の[[崇禎帝]]が第17代皇帝に即位。 * 1629年 ** 後水尾天皇が譲位し、第109代[[明正天皇]]が即位。 ** イングランド王チャールズ1世が議会を解散し、以後11年間議会は開催されず( - 1640年)。 * 1630年 ** [[マクデブルクの戦い]](マクデブルクの惨劇)。 ** オランダがポルトガル領ブラジルの[[レシフェ]]を占領( - [[1654年]])。 ** 明の崇禎帝の命で袁崇煥が処刑される。 * 1631年 ** フランスの「欺かれし者の日」事件で、母后マリー・ド・メディシスが再失脚。 ** [[ベールヴァルデ条約]]が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。 * 1632年 - [[リュッツェンの戦い]]で、スウェーデン国王[[グスタフ・アドルフ]]が戦死。 * 1633年 ** ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。 ** [[ハイルブロン同盟]]結成。 * 1634年 ** [[長崎市|長崎]]に[[出島]]造成。 ** 神聖ローマ帝国軍総司令官[[ヴァレンシュタイン]]が暗殺される。 ** [[ネルトリンゲンの戦い (1634年)|ネルトリンゲンの戦い]]で皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。 * 1635年 ** [[アカデミー・フランセーズ]]創設。 ** モンゴル帝国([[チャハル部]])のエジェイが後金に降伏。元朝伝来の玉璽が後金にわたる。 * 1636年 ** [[ホンタイジ]]が国号を後金から大清に改める。 ** [[丙子胡乱]]。これで清に敗北した朝鮮は翌1637年[[三田渡の盟約]]を締結。 ** [[ハーバード大学]]がアメリカ最古の大学として創立される。 * 1637年 ** [[島原の乱]]( - 1638年)。 ** オランダで[[チューリップ・バブル]]事件。 ** ルネ・デカルト『方法序説』刊行。 * 1640年 ** [[ポルトガル独立戦争]]( - 1668年)。 ** カタルーニャで[[収穫人戦争]]( - 1659年)。 ** イングランドで[[短期議会]]、[[長期議会]]。 * 1641年 ** イングランドで[[議会の大諫奏]]。 * 1642年 ** [[清教徒革命]]( - 1649年)。 ** [[グーシ・ハーン]]が[[チベット]]を再統一し、[[ダライ・ラマ5世]]との協力関係を樹立。 ** フランスで[[サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ|サン・マール侯爵]]の陰謀事件。フランス宰相リシュリュー死去。 * 1643年 ** 明正天皇が譲位し、第110代[[後光明天皇]]が即位。 ** 清のホンタイジが没し、[[順治帝]]が第3代皇帝として即位。 ** フランス国王ルイ13世死去。ルイ14世が即位する。 * 1644年 ** [[李自成]]が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。 ** 清の摂政王ドルゴンと続いて順治帝が北京に入城。清軍が逃亡した李自成軍を滅ぼす。 ** 越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州(韃靼)に漂着、清朝支配の北京に連行される(『韃靼漂流記』)。 * 1645年 ** [[ネイズビーの戦い]]。 ** [[オスマン帝国]]と[[ヴェネツィア共和国]]との[[クレタ]]戦争( - [[1669年]])。 ** ダライラマ5世が[[ラサ]]の[[ポタラ宮殿]]建設に着手( - [[1695年]])。 * 1647年 - ナポリでマサニエッロの反乱。 * 1648年 ** ムガル帝国で[[タージ・マハル]]竣工(1632年 - )。 ** フランスで[[フロンドの乱]]( - 1653年) ** [[ヴェストファーレン条約]]により三十年戦争終結([[ヴェストファーレン体制]])。 * 1649年 ** [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]][[処刑]]。イングランドは共和国になる( - 1660年)。 ** [[クロムウェルのアイルランド侵略|オリバー・クロムウェルのアイルランド侵略]]。 * 1651年 ** [[慶安の変]]。 ** [[徳川家綱]]が江戸幕府第4代将軍となる。 ** イングランドが[[航海条例]]を制定。 * 1652年 - [[英蘭戦争|第一次英蘭戦争]]( - 1654年)。 * 1653年 ** 「統治章典」が制定され、[[オリヴァー・クロムウェル]]が[[護国卿]]に就任。 ** モスクワ総主教ニーコンの教会改革が始まる。 * 1654年 - 後光明天皇が没し、第111代[[後西天皇]]が即位。 * 1655年 ** 北東欧の覇権をめぐる[[北方戦争]]が起こる( - 1661年)。 ** 前スウェーデン女王[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]がカトリックに改宗。 * 1657年 - [[明暦の大火]]。 * 1658年 ** ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]が幽閉され、帝位継承争いに勝利した[[アウラングゼーブ]]が即位。 ** [[ポルトガル領セイロン]]をオランダが占領([[オランダ領セイロン]])。 * 1659年 - [[ピレネー条約]]の締結でスペインの没落が決定的となる。 * 1660年 ** イングランドで[[王政復古 (ヨーロッパ)|王政復古]]により、国王チャールズ2世が即位。 ** フランス王ルイ14世とスペイン王女[[マリー・テレーズ・ドートリッシュ|マリー・テレーズ]]の結婚。 * 1661年 ** 清の[[康熙帝]]が第4代皇帝に即位。[[遷界令]]を出す。 ** ビルマに逃れた南明の永暦帝が捕縛され処刑される。 ** フランス宰相マザラン死去、国王ルイ14世の親政始まる。 * 1662年 ** [[ゼーランディア城包囲戦]]に勝利した[[鄭成功]]がオランダ人を駆逐し[[台湾]]を占領。 ** イングランド王チャールズ2世とポルトガル王女[[キャサリン・オブ・ブラガンザ|キャサリン]]の結婚。 *** この結婚でインドの[[ボンベイ]]・北アフリカの[[タンジール]]がイングランド領になる。 * 1663年 - 後西天皇が譲位し、第112代[[霊元天皇]]が即位。 * 1665年 ** [[英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]( - 1667年)。 ** ポルトガルが[[コンゴ王国]]に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。 ** [[アイザック・ニュートン]]が[[万有引力]]を発見。[[古典力学]]の創始。 * 1666年 ** イングランドで[[ロンドン大火]]・[[ペスト]]流行・ノースフォアランド沖の海戦(第二次英蘭戦争)。 *** この年は事件が続発したのでイングランドでは「驚異の年([[アヌスミラビリス]])」と呼ばれる。 * 1667年 ** [[ネーデルラント継承戦争]]( - 1668年)。 ** [[ブレダの和約]]でオランダからイングランドは北米の[[ニューネーデルラント]]を獲得。 ** [[アンドルソヴォ条約]]で、ウクライナのコサック国家は[[ドニエプル川]]を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。 * 1668年 - 世界最古の[[中央銀行]]である[[スウェーデン国立銀行]]が設立される。 * 1669年 ** [[シャクシャインの戦い]]。 ** 清で[[オボイ]]が失脚し、[[康熙帝]]の親政が始まる。 * 1670年 ** フランス王ルイ14世とイングランド王チャールズ2世の[[ドーヴァーの密約|ドーヴァー密約]]。 ** ロシアで[[ステンカ・ラージン]](スチェパン・ラージン)の反乱( - 1671年)。 * 1672年 ** [[英蘭戦争|第三次英蘭戦争]]( - 1674年)。[[オランダ侵略戦争]]( - 1678年)。 ** オランダの政治指導者[[コルネリス・デ・ウィット|デ・ウィット兄]][[ヨハン・デ・ウィット|弟]]が民衆に虐殺される。 ** オスマン帝国が[[ウクライナ]]の[[ポドリア]](ポディーリャ)を占領。 ** [[エルサレム公会 (1672年)|エルサレム公会議]]で、[[東方正教会]]がプロテスタントの教理を否定。 * 1673年 - 清で[[三藩の乱]]が起こる( - 1681年)。 * 1674年 ** [[寛永通宝]]4貫=金一[[両]]と定め、古銭の通用を停止する。[[江戸]]市中の[[非人]]を改める。 ** [[シヴァージー]]が[[マラータ王国]]を建国。 * 1675年 - [[スコーネ戦争]]( - 1679年)。 * 1677年 - [[美濃国|美濃]][[郡上藩]]の農民、江戸に越訴。[[郡上藩]]、増徴派と減租派の家中騒動始まる([[延宝郡上一揆]])。 * 1679年 - ムガル皇帝アウラングゼーブが非イスラム教徒に対する人頭税[[ジズヤ]]を復活させる。 * 1680年 - [[徳川綱吉]]が江戸幕府第5代将軍となる。 * 1682年 ** [[ヴェルサイユ宮殿|宮殿]]の完成に伴いフランスの宮廷と政府がヴェルサイユに移動する( - [[1789年]])。 ** [[ストレリツィ]](銃兵隊)の蜂起により[[ソフィア・アレクセーエヴナ]]がロシアの摂政となる。 * 1683年 ** [[第二次ウィーン包囲]]。 ** 清が[[鄭氏政権]]を降伏させ、台湾を占領。 * 1684年 - 江戸城内で[[大老]][[堀田正俊]]が[[若年寄]][[稲葉正休]]に刺殺される。 * 1685年 ** フランスで[[ナントの勅令]]廃止(フォンテーヌブロー勅令)。 ** ブランデンブルクで亡命フランス人プロテスタントを受け入れる[[ポツダム勅令]]が出される。 ** イングランド王チャールズ2世の死去、弟のジェームズ2世が即位。[[モンマスの反乱|モンマス公の反乱]]が起こる。 * 1686年 - [[服忌令]]を改訂( - 1693年)。 * 1687年 ** [[生類憐れみの令]](この後、1708年まで繰り返し出される)が出され、[[田畑永代売買禁止令]]も再び出される。 ** 後西天皇が譲位し、第113代[[東山天皇]]が即位。 ** アイザック・ニュートン、『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』にて[[ニュートン力学]]を発表。 ** [[シャルル・ペロー]]の頌詩「ルイ大王の世紀」をきっかけに「[[新旧論争]]」が始まる。 * 1688年 ** イングランド国王ジェームズ2世が逃亡、オラニエ公ウィレムが招かれ国王ウィリアム3世として即位([[名誉革命]])。 ** [[大同盟戦争]](ファルツ継承戦争)が起こる( - 1697年) * 1689年 ** イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が「権利の宣言」に署名。これをもとに「[[権利章典]]」が発布される。 ** 清と[[ロシア]]の国境が[[ネルチンスク条約]]で定まる。 ** ロシアの摂政[[ソフィア・アレクセーエヴナ]]が失脚する。 * 1690年 - この頃、[[浮世草子]]盛行する。 * 1692年 - [[セイラム魔女裁判]]。 * 1693年 - ポルトガル領ブラジルの[[ミナス・ジェライス]]で金鉱が発見され、[[ゴールド・ラッシュ]]が起こる。 * 1694年 - [[イングランド銀行]]設立。 * 1695年 - [[北京]][[紫禁城]][[太和殿]]が再建される。 * 1696年 ** [[イヴァン5世]]の死により[[ピョートル1世]]が単独のロシア皇帝となる。 ** ロシアのピョートル1世がオスマン朝から[[アゾフ海]]を獲得。 ** ジョーン・モドの戦いで清の康熙帝が[[ジュンガル部]]の[[ガルダン・ハーン]]を敗走させる。 * 1697年 ** ピョートル1世によりヨーロッパに向けてのロシア大使節団が派遣される( - 1698年)。 ** ザクセン選帝侯[[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]が[[ポーランド王]]に選出される。 * 1699年 ** 長崎奉行を4名に増員する。 ** [[カルロヴィッツ条約]]でによりオスマン朝がハンガリーを放棄。 * 1700年 ** 金銀銭三貨の比価([[小判|金]]一両=[[丁銀|銀]]六十[[匁]]=[[銭]]四[[貫文]])を定める。 ** [[大北方戦争]]で、スウェーデンとロシアが戦う( - [[1721年]])。 == 人物 == === ヨーロッパ世界 === ==== スペイン・ポルトガル ==== * [[ミゲル・デ・セルバンテス]]([[1547年]] - [[1616年]]) - [[スペイン黄金世紀|スペインの黄金世紀]]の作家・『[[ドン・キホーテ]]』を著す * [[ルイス・デ・ゴンゴラ]]([[1561年]] - [[1627年]]) - スペイン黄金世紀の詩人・難解な修辞による「ゴンゴリスモ」の作風で知られる * [[ロペ・デ・ベガ]]([[1562年]] - [[1635年]]) - スペインの黄金世紀の劇作家・詩人・『[[バレンシアの寡婦]]』『オルメードの騎士』がある * [[フランシスコ・デ・ケベード]]([[1580年]] - [[1645年]]) - スペインの黄金世紀の作家・『ぺてん師 ドン・パブロスの生涯』などを著す * オリバレス伯爵[[ガスパール・デ・グスマン]]([[1587年]] - [[1645年]]) - スペインの首席大臣・国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の治世下でスペインの再建に努力 * [[ホセ・デ・リベーラ]]([[1591年]] - [[1652年]]) - スペイン出身でナポリで活躍した画家・厳格な写実の「えび足の少年」「聖バルトロマイの殉教」がある * [[フランシスコ・デ・スルバラン]]([[1598年]] - [[1664年]]) - スペインのバロックの画家・[[セビリア]]を中心に活躍し聖人画や静物画に優れる * [[ディエゴ・ベラスケス]]([[1599年]] - [[1660年]]) - スペインのバロックの宮廷画家・国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の宮廷を描く・代表作に「[[ラス・メニーナス]]」 * [[ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ]]([[1600年]] - [[1681年]]) - スペインの黄金世紀の劇作家・修辞を駆使した作風で『人生は夢』などを著す * [[バルタサル・グラシアン|バルタサール・グラシアン]]([[1601年]] - [[1658年]]) - スペインの黄金世紀の哲学者・神学者・イエズス会士・主著に『エル・クリティコン』がある * [[ジョアン4世 (ポルトガル王)|ジョアン4世]](再興王)([[1604年]] - [[1656年]]) - [[ブラガンサ王朝|ブラガンサ朝]]の初代 [[ポルトガル]]王(在位[[1640年]] - [[1656年]])・[[ポルトガル王政復古戦争|王政復古戦争]]で勝利 * [[バルトロメ・エステバン・ムリーリョ]]([[1617年]] - [[1682年]]) - スペインのバロックの画家・[[セビリャ]]で活躍し「無原罪の御宿り」などを描く * [[カルロス2世 (スペイン王)|カルロス2世]]([[1661年]] - [[1700年]]) - スペインの[[ハプスブルク|アブスブルゴ家]]最後の国王(在位[[1665年]] - [[1700年]])・その死で[[スペイン継承戦争]]勃発 ==== イングランド・スコットランド ==== * [[ジョン・ネイピア]]([[1550年]] - [[1617年]]) - [[スコットランド]]の数学者・[[対数]]の概念を発見し「対数表」を作成・「[[ネイピアの骨]]」でも知られる * [[エドワード・コーク]]([[1552年]] - [[1634年]]) - [[イングランド]]の法律家・政治家・「[[権利の請願]]」の起草者の一人 * [[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]([[1561年]] - [[1626年]]) - イングランドの政治家(国璽尚書・大法官)・哲学者([[経験論]])として『学問の進歩』がある * [[ウィリアム・シェイクスピア]]([[1564年]] - [[1616年]]) - イングランドの劇作家・詩人・エリザベス時代に続いてジェームズ時代でも活躍 * [[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]([[1566年]] - [[1625年]]) - [[スコットランド]]王・[[スチュアート朝]]の初代イングランド王(在位[[1603年]] - [[1625年]]) * [[ガイ・フォークス]]([[1570年]] - [[1606年]]) - イングランドでの国王暗殺の[[火薬陰謀事件]]の計画犯 * [[トーマス・マン (経済学者)|トーマス・マン]]([[1571年]] - [[1641年]]) - イングランドの実業家・経済学者([[重商主義]])・『外国貿易によるイングランドの財宝』を執筆 * [[ジョン・ダン]]([[1572年]] - [[1631年]]) - イングランドの聖職者([[セントポール大聖堂]]首席司祭)・詩人([[形而上詩人]])として「日の出」「蚤」がある * [[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]([[1572年]] - [[1637年]]) - イングランドの劇作家・代表作に『錬金術師』『エピシーン』がある・[[桂冠詩人]]でもある * ロバート・フラッド([[1574年]] - [[1637年]]) - イングランドの神秘主義者・[[薔薇十字団]]や[[錬金術]]を擁護しメルセンヌと対立・著作に『両世界誌』がある * ロバート・バートン([[1577年]] - [[1640年]]) - イングランドの聖職者・著述家・古典文学と医学に通じ『憂鬱の解剖学』を執筆する * [[ウイリアム・ハーベー|ウィリアム・ハーヴェー]]([[1578年]] - [[1657年]]) - イングランドの解剖学者・国王チャールズ1世の侍医・[[血液循環説]]を唱える * [[ジョン・ウェブスター]]([[1580年]]? - [[1634年]]?) - イングランドの劇作家・代表作に『[[白い悪魔]]』『アマルフィ侯爵夫人』がある * [[トマス・ホッブズ]]([[1588年]] - [[1679年]]) - イングランドの哲学者(経験論)・主著『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』で[[社会契約|社会契約説]]を唱える * [[アイザック・ウォルトン]]([[1593年]] - [[1683年]]) - イングランドの文筆家・伝記として『ジョン・ダン伝』、随筆として『釣魚大全』がある * [[オリバー・クロムウェル]]([[1599年]] - [[1658年]]) - イングランドの軍人・政治家・[[清教徒革命]]で国王勢力を倒し[[護国卿]]となる * [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]([[1600年]] - [[1649年]]) - イングランド王(在位[[1625年]] - [[1649年]])・清教徒革命で処刑される * [[トーマス・ブラウン (作家)|トマス・ブラウン]]([[1605年]] - [[1682年]]) - イングランドの医師・『俗信論』で迷信的医療を批判・『医師の宗教』『骨葬論』などの著作がある * [[ジョン・ミルトン]]([[1608年]] - [[1674年]]) - イングランドの詩人・清教徒革命を支持・[[王政復古]]で不遇となり『[[失楽園]]』を執筆 * [[ジョージ・フォックス]]([[1624年]] - [[1691年]]) - イングランドの宗教家・[[クエーカー]]の名で知られる「キリスト友会」の創始者 * [[ロバート・ボイル]]([[1627年]] - [[1691年]]) - アイルランド出身の化学者・王立協会協議員・[[ボイルの法則]]で知られる * [[ジョン・バニヤン]]([[1628年]] - [[1688年]]) - イングランドのバプテスト教会の執事・文学者としては『[[天路歴程]]』の著者として知られる * [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]([[1630年]] - [[1685年]]) - [[ステュアート朝]]のイングランド王(在位[[1660年]] - [[1685年]])・王政復古を果たす * [[ジョン・ドライデン]]([[1631年]] - [[1700年]]) - イングランドの[[桂冠詩人]]・文芸評論家・劇作家・「驚異の年」などの作品がある * [[ジョン・ロック]]([[1632年]] - [[1704年]]) - イングランドの哲学者(経験論)・医者・『[[統治二論]]』の[[社会契約論]]で[[名誉革命]]に影響する * [[クリストファー・レン]]([[1632年]] - [[1723年]]) - イングランドの建築家・[[ロンドン大火]]の後の復興建築を行う・代表作は[[セント・ポール大聖堂]] * [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]([[1633年]] - [[1701年]]) - ステュアート朝のイングランド王(在位[[1685年]] - [[1688年]])・名誉革命で国を追われる * [[サミュエル・ピープス]]([[1633年]] - [[1703年]]) - イングランドの政治家・平民から海軍の実力者になり「海軍の父」と称される・日記も有名 * [[ロバート・フック]]([[1635年]] - [[1703年]]) - イングランドの科学者・『[[顕微鏡図譜]]』で細胞の概念をまとめる・[[王立協会]]の実験監督でもある * [[アイザック・ニュートン]]([[1642年]] - [[1727年]]) - イングランドの[[物理学者]]・数学者・『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』で[[ニュートン力学]]を体系化 * [[ジョン・ウィルモット (第2代ロチェスター伯)|ロチェスター伯ジョン・ウィルモット]]([[1647年]] - [[1660年]]) - イングランドの詩人・「人類に対する風刺」「チャールズ2世の風刺」がある * [[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]([[1650年]] - [[1702年]]) - [[オラニエ=ナッサウ家|オラニエ公]]・オランダ共和国統領・[[名誉革命]]でイングランド王(在位[[1689年]] - [[1702年]])になる * [[ヘンリー・パーセル]]([[1659年]] - [[1695年]]) - イングランドの作曲家・宮廷音楽家・代表作に[[歌劇]]「[[ディドとエネアス]]」がある ==== イタリア ==== * [[アンニーバレ・カラッチ]]([[1560年]] - [[1609年]]) - [[イタリア]]の初期[[バロック]]の画家・カラッチ一族の中心として古典主義を復権する * [[ガリレオ・ガリレイ]]([[1564年]] - [[1642年]]) - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで[[地動説]]を擁護し[[宗教裁判]]を受ける * [[クラウディオ・モンテヴェルディ]]([[1567年]] - [[1643年]]) - イタリアの初期バロックの作曲家・[[オペラ]]の発展に寄与し「オルフェオ」を作曲 * [[ウルバヌス8世 (ローマ教皇)|ウルバヌス8世]]([[1568年]] - [[1644年]]) - ローマ教皇(在位[[1623年]] - [[1644年]])・[[サン・ピエトロ大聖堂]]の献堂式を行う・ガリレイ裁判でも知られる * [[トンマーゾ・カンパネッラ]] ([[1568年]] - [[1639年]]) - イタリアの[[ドミニコ会]]士・教皇庁から異端とされ牢獄生活を送る・主著は『太陽の都』 * [[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ]]([[1571年]] - [[1610年]]) - イタリアの初期バロックの画家・代表作に「聖マタイの召命」がある * [[ピエトロ・ダ・コルトーナ]]([[1596年]] - [[1669年]]) - イタリアの盛期バロックの画家・建築家・代表作にローマの[[バルベリーニ宮殿]]天井壁画がある * [[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ]]([[1598年]] - [[1680年]]) - イタリアの盛期バロックの彫刻家・建築家・代表作は[[サン・ピエトロ広場]] * [[フランチェスコ・ボッロミーニ]]([[1599年]] - [[1667年]]) - イタリアの盛期バロックの建築家・同時代の建築家ベルニーニのライバル * [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ]]([[1608年]] - [[1647年]]) - イタリアの物理学者・ガリレイの弟子・[[水銀]]柱を用いて[[真空]]を発見(トリチェリの真空) * ジョヴァンニ・ピエトロ・ベローリ([[1613年]] - [[1696年]]) - イタリアの美術評論家・マニエリスムを否定・『現代画家・彫刻家・建築家列伝』がある * [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]([[1625年]] - [[1712年]]) - イタリアの天文学者・木星の4つの衛星を発見・後に[[パリ天文台]]の初代台長ともなった * [[マルチェロ・マルピーギ]]([[1628年]] - [[1694年]]) - イタリアの解剖学者・生理学者・解剖に顕微鏡用いて「[[マルピーギ小体]]」「[[マルピーギ管]]」を発見 * [[ルカ・ジョルダーノ]]([[1634年]] - [[1705年]]) - イタリアの後期バロックの画家(ナポリ派)・スペインのマドリード王宮ほか各地の宮殿壁画を制作 * アンドレア・ポッツォ([[1642年]] - [[1709年]]) - イタリアの後期バロックの画家・イエズス会士・ローマのサン・ティニャーツィオ聖堂壁画を制作 * [[アレッサンドロ・スカルラッティ]]([[1660年]] - [[1725年]]) - イタリアのバロックの作曲家・[[オペラ]]の発展に尽くし[[ナポリ楽派]]の祖となる ==== 神聖ローマ帝国とドイツ領邦 ==== * [[ティリー伯ヨハン・セルクラエス]]([[1559年]] - [[1632年]]) - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・[[マクデブルク]]劫掠などで活躍 * [[ヨハネス・ケプラー]]([[1571年]] - [[1630年]]) -[[ドイツ]]の天文学者・天体の運行法則に関する「[[ケプラーの法則]]」を発見 * [[マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン1世]]([[1573年]] - [[1651年]]) - 初代バイエルン選帝侯・三十年戦争でカトリック連盟を率いて奮戦し[[選帝侯]]位を獲得 * [[ヤーコプ・ベーメ]]([[1575年]] - [[1624年]]) - ドイツの[[ルター派]]の神秘主義者・もとは靴職人・主著は『[[アウローラ]]』『キリストへの道』 * [[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]([[1578年]] - [[1637年]]) - [[ハプスブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]](在位[[1619年]] - [[1637年]])・[[三十年戦争]]を引き起こす * [[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]([[1583年]] - [[1634年]]) - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・戦功を誇るが後に暗殺される * [[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]([[1596年]] - [[1632年]]) - プファルツ選帝侯・ボヘミア王に選出されるが[[白山の戦い]]で敗北し廃位される・「冬の王」と呼ばれた * [[アタナシウス・キルヒャー]]([[1601年]] - [[1680年]]) - ドイツ出身のイエズス会士・博識多才を誇り「遅れてきたルネサンス人」と称される * [[オットー・フォン・ゲーリケ]]([[1602年]] - [[1686年]]) - ドイツの科学者・「[[マクデブルクの半球]]」実験で[[真空]]の存在を証明・同市の市長でもあった * [[フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]([[1620年]] - [[1688年]]) - [[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]]・[[プロイセン統治者の一覧|プロイセン公]]として[[ポーランド]]から自立・大選帝侯と呼ぶ * [[ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン]]([[1621年]]/[[1622年]] - [[1676年]]) - ドイツの作家・『[[阿呆物語]]』を書く * アンゲルス・シレジウス([[1624年]] - [[1677年]]) - ドイツの神秘主義詩人・[[ヴュルテンベルク]]公の侍医・詩集に『ケルビムのような巡礼者』がある * [[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]]([[1629年]] - [[1698年]]) - 初代[[ハノーファー王国|ハノーファー選帝侯]]・息子ゲオルク・ルートヴィヒ(ジョージ1世)はイングランド王になる * [[ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ]]([[1632年]] - [[1694年]])・ドイツの法学者・[[ハイデルベルク大学]]教授・三十年戦争後の[[自然法論]]の世俗化を推進 * [[フィリップ・シュペーナー]]([[1635年]] - [[1705年]]) - [[ルター派]]の牧師・ドイツ[[敬虔主義]]の創始者・[[ハレ大学]]を中心に教会刷新を行う * [[レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト1世]]([[1640年]] - [[1705年]]) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位[[1658年]] - [[1705年]])・[[ハンガリー]]を[[トルコ]]から奪還 * [[ゴットフリート・ライプニッツ]]([[1646年]] - [[1710年]]) - ドイツの哲学者(合理論)・数学者・万学に通じ[[プロイセン科学アカデミー|ベルリン科学アカデミー]]を創設・主著は『[[モナド論]]』 * [[ヨハン・パッヘルベル]]([[1653年]] - [[1706年]]) - ドイツの作曲家・オルガン楽派の最盛期を現出・「[[パッヘルベルのカノン]]」他を作曲する * [[クリスティアン・トマジウス]]([[1655年]] - [[1728年]]) - ドイツの法学者・『神法学提要』が代表作・[[ハレ大学]]を創設し「ドイツ啓蒙主義の父」と呼ばれる ==== フランス ==== * シュリー公マクシミリアン・ド・ベテュヌ([[1559年]] - [[1641年]]) - フランス宰相・国王アンリ4世を補佐し宗教戦争後のフランス産業を復興させる * [[フランシスコ・サレジオ|フランソワ・ド・サール]]([[1567年]] - [[1622年]]) - フランス出身の[[ジュネーヴ]]司教・カトリック改革の旗手・[[教会博士]]・『信仰生活入門』がある * [[マリー・ド・メディシス]]([[1575年]] - [[1642年]]) - フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の2番目の王妃・[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の母后として[[摂政]]となる * [[リシュリュー]]([[1585年]] - [[1642年]]) - [[枢機卿]]・フランス宰相・[[ハプスブルク家]]打倒のために三十年戦争に参加 * [[マラン・メルセンヌ]]([[1588年]] - [[1648年]]) - フランスの神学者・数学では「[[メルセンヌ数]]」を発見し音楽では[[12平均律]]を確立 * [[ピエール・ガッサンディ]]([[1592年]] - [[1655年]]) - フランスの物理学者・哲学者・[[エピクロス]]の[[唯物論]]を復権しデカルト哲学と対決 * [[ジョルジュ・ド・ラ・トゥール]]([[1593年]] - [[1652年]]) - フランスの画家・明暗表現と静謐な画面構成が特徴・「大工の聖ヨセフ」などがある * [[ニコラ・プッサン]]([[1594年]] - [[1665年]]) - イタリアで活躍したフランス人[[画家]]・その端整で荘重な様式は[[古典主義]]と呼ばれる * [[ルネ・デカルト]]([[1596年]] - [[1650年]]) - フランスの[[哲学者]]([[合理論]])・[[数学者]]・『[[方法序説]]』で近代哲学の基礎を築く * [[クロード・ロラン]]([[1600年]]頃 - [[1682年]]) - イタリアで活躍したフランス人[[画家]]・理想風景を追求する画風で知られる * [[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]([[1601年]] - [[1643年]]) - フランス王(在位[[1610年]] - [[1643年]])・宰相[[リシュリュー]]を重用して王権の強化を進める * [[アンヌ・ドートリッシュ]]([[1601年]] - [[1666年]]) - フランス王ルイ13世の王妃・ルイ14世の母・夫君の死後に摂政となりマザランを抜擢する * [[ジュール・マザラン]]([[1602年]] - [[1661年]]) - イタリア出身の枢機卿・フランス宰相・[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]を支え[[フロンドの乱]]を鎮圧する * [[ピエール・コルネイユ]]([[1606年]] - [[1684年]]) - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『ル・シッド』『オラース』で知られる * [[ピエール・ド・フェルマー]]([[1607年]]/[[1608年]] - [[1665年]]) - フランスの数学者・「数論の父」とも呼ばれ「[[フェルマーの最終定理]]」で有名 * [[アントワーヌ・アルノー]]([[1612年]] - [[1694年]]) - フランスの神学者でジャンセニズムの中心人物・哲学者・数学者としてデカルトと交流 * [[フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー]]([[1613年]] - [[1680年]]) - フランスの貴族・[[モラリスト]]文学者・辛辣で機知に富んだ『箴言集』を執筆 * ルイ・ル・ヴォー([[1612年]] - [[1670年]]) - フランスの建築家・画家[[シャルル・ルブラン]]や庭師[[アンドレ・ル・ノートル]]と協力し[[ヴェルサイユ宮殿]]の中核を建設 * [[ジャン=バティスト・コルベール]]([[1619年]] - [[1683年]]) - フランスの[[財務総監]]・ルイ14世に仕え[[重商主義]]の立場から産業育成を行う * [[シラノ・ド・ベルジュラック]] ([[1619年]] - [[1655年]]) - フランスの作家・『日月両世界旅行記』を執筆・[[エドモン・ロスタン|ロスタン]]の戯曲の主人公でもある * [[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]]([[1621年]] - [[1695年]]) - フランスの作家・[[イソップ寓話]]をもとにした「寓話詩」で知られる * [[モリエール]]([[1622年]] - [[1673年]]) - フランスの喜劇作家・古典主義の三大作家の一人・『人間嫌い』『[[タルチェフ]]』などで知られる * [[ブレーズ・パスカル]]([[1623年]] - [[1662年]]) - フランスの哲学者・数学者・物理学者・[[ジャンセニスム]]を支持し『[[パンセ]]』を執筆 * [[ジャック=ベニーニュ・ボシュエ|ジャック・ベニーニュ・ボシュエ]]([[1627年]] - [[1704年]]) - フランスのキリスト教聖職者・神学者・著書『世界史叙説』で[[王権神授説]]を擁護 * [[シャルル・ペロー]]([[1628年]] - [[1703年]])・フランスの詩人・新旧論争では近代派につき[[ニコラ・ボアロー=デプレオー|ボワロー]]と対決・『ペロー童話集』がある * [[ジャン=バティスト・リュリ]]([[1632年]] - [[1687年]]) - フランスで活躍した盛期バロックの作曲家・ルイ14世の[[宮廷楽長]]および寵臣 * [[ラファイエット夫人|ラ・ファイエット伯爵夫人]]([[1634年]] - [[1693年]]) - フランスの女流作家・[[サロン]]で活躍し『[[クレーヴの奥方]]』を執筆 * [[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ|マントノン侯爵夫人]]([[1635年]] - [[1719年]]) - フランス王ルイ14世の晩年の妻・秘密結婚のため王妃ではないが王に影響力があった * [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]](太陽王)([[1638年]] - [[1715年]]) - フランス王(在位[[1643年]] - [[1715年]])・[[ブルボン朝]]の[[絶対王政]]の最盛期を実現 * [[ニコラ・ド・マルブランシュ]]([[1638年]] - [[1715年]]) - フランスの哲学者・オラトリオ会士・『真理の探究』でデカルト哲学と神学を総合 * [[ジャン・ラシーヌ]]([[1639年]] - [[1699年]]) - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『アンドロマック』『ベレニス』で知られる * [[フランソワ=ミシェル・ル・テリエ]]([[1641年]] - [[1691年]]) - フランスの政治家・[[ルイ14世]]のもとで陸軍大臣となり欧州随一の[[常備軍]]を育成 * [[ジュール・アルドゥアン=マンサール]]([[1646年]] - [[1708年]]) - フランスの建築家・ヴェルサイユ宮殿を増築し「鏡の間」を建設 * [[ピエール・ベール]]([[1647年]] - [[1706年]]) - フランスの哲学者・思想家・『歴史批評辞典』などを著し[[啓蒙思想]]の先駆けとなる * [[ギュイヨン夫人]]([[1648年]] - [[1717年]]) - フランスの神秘主義者・[[キエティスム]](静寂主義)の一人・カトリック教会により異端とされ投獄される * フランソワ・フェヌロン([[1651年]] - [[1715年]]) - フランスの聖職者・ルイ14世の孫の教育係・『テレマックの冒険』を執筆・[[ジャック=ベニーニュ・ボシュエ]]は論敵 ==== フランドル・オランダ ==== * [[ヤーコブス・アルミニウス]]([[1560年]] - [[1609年]]) - オランダの神学者・従来のカルヴァン説よりも自由意志を重視した[[アルミニウス主義|アルミニウス説]]を唱える * [[ピーテル・パウル・ルーベンス]]([[1577年]] - [[1640年]]) - [[フランドル]]のバロックの画家・代表作に「[[マリー・ド・メディシス]]の生涯」 * [[フランス・ハルス]]([[1581年]]/[[1585年]]頃 - [[1666年]]) - [[オランダ黄金時代の絵画|オランダ絵画の黄金時代]]の画家・「陽気な酒飲み」など軽妙な写実的肖像画に優れる * [[フーゴー・グローティウス]]([[1583年]] - [[1645年]]) - [[オランダ]]の法学者・[[自然法]]に基づく[[国際法]]の基礎を定め「国際法の父」と称される * [[コルネリウス・ヤンセン]]([[1585年]] - [[1638年]]) - フランドルの[[イーペル]]司教・『アウグスティヌス』で神の恩寵を重視しジャンセニスムの嚆矢となる * [[アンソニー・ヴァン・ダイク]]([[1599年]] - [[1641年]]) - フランドルのバロックの画家・ルーベンスの協力者で後にイングランドで活躍 * [[レンブラント・ファン・レイン]]([[1606年]] - [[1669年]]) - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・「[[夜警 (絵画)|夜警]]」など光と闇の表現に優れる * [[ヨハン・デ・ウィット]]([[1625年]] - [[1672年]]) - オランダ共和政の指導者・[[英蘭戦争]]を指揮するが[[オランダ侵略戦争]]で追い詰められオランダ市民に虐殺される * [[クリスティアーン・ホイヘンス]]([[1629年]] - [[1695年]]) - オランダの物理学者・天文学者・「[[土星の環]]」の発見や[[振り子時計]]の発明で有名 * [[ヨハネス・フェルメール]]([[1632年]] - [[1675年]]) - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・市井の人々の生活を精妙な光で描いた * [[バールーフ・デ・スピノザ]]([[1632年]] - [[1677年]]) - オランダの哲学者(合理論)・[[ユダヤ人]]共同体から[[破門]]される・主著は『[[エチカ (スピノザ) |エチカ]]』 * [[アントニ・ファン・レーウェンフック]]([[1632年]] - [[1723年]]) - オランダの科学者・顕微鏡で微生物の観察を行い「微生物学の父」と呼ばれる ==== 北欧 ==== * [[クリスチャン4世 (デンマーク王)|クリスチャン4世]]([[1578年]] - [[1648年]]) - [[デンマーク]]王・三十年戦争に参加・[[スウェーデン]]との戦いで敗北 * [[アクセル・オクセンシェルナ]]([[1585年]] - [[1654年]]) - スウェーデン宰相・[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世]]から[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ女王]]までの国王を補佐 * [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]] (獅子王)([[1594年]] - [[1632年]]) - スウェーデン王(在位[[1611年]] - [[1632年]])・[[リュッツェンの戦い (1632年) |リュッツェンの戦い]]で戦死 * [[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]([[1609年]] - [[1670年]]) - デンマーク王([[1648年]] - [[1670年]])・[[カール・グスタフ戦争]]で多くの領土を喪失する * [[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]([[1626年]] - [[1689年]]) - スウェーデン女王(在位[[1632年]] - [[1654年]])・[[ルネ・デカルト|デカルト]]を招聘・後に[[カトリック教会|カトリック]]に改宗 * [[カール10世 (スウェーデン王)|カール10世]]([[1622年]] - [[1660年]]) - スウェーデン王(在位[[1654年]] - [[1660年]])・[[北方戦争]]に勝利し「[[バルト帝国]]」を建設 * [[オーレ・レーマー]]([[1644年]] – [[1710年]]) - デンマークの天文学者・[[コペンハーゲン大学]]教授・[[光速度]]の値を世界で初めて算出した * [[クリスチャン5世 (デンマーク王)|クリスチャン5世]]([[1646年]] - [[1699年]]) - デンマーク王(在位[[1670年]] - [[1699年]])・法典整備や税制の改革を行う * [[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]([[1655年]] - [[1697年]]) - スウェーデン王(在位[[1660年]] - [[1697年]])・オランダ侵略戦争や[[スコーネ戦争]]に介入 ==== 東欧 ==== * [[コメニウス]]([[1592年]] - [[1670年]]) - モラヴィア出身の教育思想家・三十年戦争の混乱で諸国を遍歴し百科事典『[[世界図絵]]』などを残す * [[ボフダン・フメリニツキー]]([[1595年]] - [[1657年]]) - ポーランドの貴族・[[ウクライナ・コサック]]の[[ヘーチマン]]・[[フメリニツキーの乱]]を起こす * [[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]] ([[1629年]] - [[1696年]]) - ポーランド王(在位[[1674年]] - [[1696年]])・[[大洪水時代]]後の混乱を収拾・[[第二次ウィーン包囲]]に勝利 ==== ロシア ==== * [[ボリス・ゴドゥノフ]]([[1551年]] - [[1605年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1598年]] - [[1605年]])・リューリク朝断絶に伴う[[動乱時代]]を招来 * [[偽ドミトリー1世]]([[1581年]] - [[1606年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1605年]] - [[1606年]])・動乱時代に相次いで出現した帝位僭称者の最初 * [[クジマ・ミーニン]](16世紀後半 - [[1616年]]) - ロシアのニジニ・ノヴゴロドの商人・ポジャルスキー公とともに義勇軍を結成しモスクワを解放する * [[ミハイル・ロマノフ]]([[1596年]] - [[1645年]]) - [[ロシア]]の[[ツァーリ]]で[[ロマノフ朝]]最初の君主(在位[[1613年]] - [[1645年]])・[[ゼムスキー・ソボル]]にて選出 * ニーコン([[1605年]] - [[1681年]]) - [[モスクワ総主教]]・[[ロシア正教会]]の典礼改革を行う・これにより[[古儀式派]]が正教会から離脱 * [[セミョン・デジニョフ]]([[1605年]]頃 - [[1673年]]) - ロシアの探検家・[[ユーラシア大陸]]の最東端を回航しアメリカ大陸とは陸続きでないことを発見 * [[アヴァクーム]]([[1620年]]/[[1621年]] - [[1682年]]) - ロシアの司祭・古儀式派の最初期の指導者・ニーコンの改革に反対し追放され焚刑にされる * [[アレクセイ (モスクワ大公)|アレクセイ]]([[1629年]] - [[1676年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1645年]] - [[1676年]])・[[ウクライナ]]東部を獲得し[[ヘーチマン国家]]を併合 * [[スチェパン・ラージン]]([[1630年]] - [[1671年]]) - ロシアの[[ドン・コサック軍]]の指導者・政府に対して反乱を起こすが敗北し処刑される * フェオドシア・モロゾーヴァ([[1632年]] - [[1675年]]) - ロシア貴族の女性・ニーコンの改革に反対し古儀式派の中心となるが捕縛され餓死する * [[ソフィア・アレクセーエヴナ]]([[1657年]] - [[1704年]]) - イヴァン5世とピョートル1世の姉・摂政(在任[[1682年]] - [[1689年]])・事実上の女性君主 * [[ピョートル1世]]([[1671年]] - [[1725年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1682年]] - [[1725年]])・西欧大使節団を派遣・[[大北方戦争]]でスウェーデンに勝利 === 南北アメリカ === * [[インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ]]([[1539年]] - [[1616年]]) - ペルー出身の歴史家・母はインカ皇女・『{{仮リンク|インカ皇統記|es|Comentarios reales de los incas|en|Comentarios Reales de los Incas}}』『ペルー征服史』がある * [[ワマン・ポマ|グァマン・ポマ]]([[1550年]]? - [[1616年]]?) - ペルー出身の原住民の記録者・多くの挿絵を含む『新しい記録と良き統治』を執筆 * [[ウォルター・ローリー]]([[1552年]]/[[1554年]] - [[1618年]]) - イングランドの探検家・[[アメリカ大陸]]で最初のイングランド植民地を築くが失敗 * [[ヘンリー・ハドソン]]([[1560年]]-[[1570年|70年]]代 - [[1611年]]?) - イングランドの探検家・[[北アメリカ]]を探検し[[ハドソン湾]]や[[ハドソン川]]に名を残す * [[サミュエル・ド・シャンプラン]]([[1567年]]/[[1570年]] - [[1635年]]) - フランスの探検家・地理学者・[[ケベック州|ケベック]]植民地を築く * [[ジョン・スミス (探検家)|ジョン・スミス]]([[1580年]] - [[1631年]]) - イングランドの軍人・探検家・植民者・永住植民地[[ヴァージニア]]を築く * ウィリアム・ブラッドフォード([[1590年]] - [[1657年]]) - イングランド出身の[[ピルグリム・ファーザーズ]]の指導者・[[プリマス]]植民地を築く * [[アン・ハッチンソン]]([[1591年]] - [[1643年]]) - イングランド出身の女性の聖書研究者・[[マサチューセッツ]]の[[ピューリタン]]と対立し追放される * [[ポカホンタス]]([[1595年]]頃 - [[1617年]]) - アメリカ[[インディアン]]・[[ポウハタン|ポウハタン族]]の女性・[[大西洋]]を越えてイングランドに招かれる * [[ピーター・ストイフェサント]]([[1612年]] - [[1672年]]) - オランダの最後の[[ニューネーデルラント]]植民地総督・[[英蘭戦争]]後にここを放棄 * [[メタコメット]]([[1639年]] - [[1676年]]) - アメリカインディアンの[[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の酋長・フィリップ王とも呼ばれ[[フィリップ王戦争]]を起こす * [[ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール]]([[1643年]] - [[1687年]]) - フランスの探検家・[[ミシシッピ川]]流域をフランス領とし[[ルイジアナ]]と名付ける * [[ウィリアム・ペン]]([[1644年]] - [[1718年]]) - イングランド出身の[[クエーカー教]]徒・[[フィラデルフィア]]市を建設し[[ペンシルベニア州]]を整備 * [[ウィリアム・キッド]]([[1645年]] - [[1701年]]) - スコットランド出身の[[海賊]]船船長・「キャプテン・キッド」の名で知られている === 北アフリカ・西アジア・中央アジア世界 === * リザー・アッバーシー([[1565年]]頃 - [[1635年]]) - サファビー朝の画家・アッバース1世の宮廷工房で活躍しイスファハーン画派を大成する * [[アッバース1世]]([[1571年]] - [[1629年]]) - サファヴィー朝第5代シャー(在位[[1588年]] - [[1629年]])・最盛期のシャー・オスマン帝国から[[イラク]]奪還 * [[モッラー・サドラー]]([[1572年]] - [[1640年]]) - サファヴィー朝のシーア派のイスラム哲学者・実存を重視した超越論的神智学を提唱 * キョプリュリュ・メフメト・パシャ([[1583年]] - [[1661年]]) - [[オスマン帝国]]大宰相・[[キョプリュリュ家|キョプリュリュ]]時代の基礎を築く * キョセム・スルタン([[1590年]] - [[1651年]]) - オスマン帝国カリフの[[アフメト1世]]の后・[[ムラト4世]]および[[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]の母后 * [[キャーティプ・チェレビー|キャーティプ・チェレビ]]([[1609年]] - [[1657年]]) - オスマン帝国最大の博物学者・書誌学の『書誌総覧』や地理学の『世界の鏡』がある * [[ヘザルフェン・アフメト・チェレビ]]([[1609年]] - [[1640年]]) - オスマン帝国の発明家・[[イスタンブル]]で人力飛行(グライダー)に成功した? * [[ラガリ・ハサン・チェレビ]](? - [[1640年]]頃) - オスマン帝国の発明家・[[ヘザルフェン・アフメト・チェレビ|ヘザルフェン]]の兄弟・火薬を用いたロケット飛行に成功? * [[エヴリヤ・チェレビ]]([[1611年]]? - [[1682年]]) - オスマン帝国の旅行家・40年間にわたって帝国内を記録し『旅行記』10巻を執筆 * [[シャブタイ・ツヴィ|サバタイ・ツヴィ]]([[1626年]] - [[1676年]]) - オスマン帝国[[イズミル]]出身のユダヤ教の宗教家・人々を熱狂させた偽メシアとして知られる * セリム・ギレイ1世([[1631年]] - [[1704年]]) - [[クリミア・ハン国]]の君主(在位[[1671年]] - [[1704年]]で断続的に4度)・オスマンに与し西欧と戦う * [[キョプリュリュ・アフメト・パシャ]]([[1635年]] - [[1676年]]) - オスマン帝国大宰相・父のメフメトを継いでオスマン帝国最大領土を保持 * [[カラ・ムスタファ・パシャ]]([[1635年]]? - [[1683年]]) - オスマン帝国大宰相・キョプリュリュ家の娘婿・第二次ウィーン包囲を敢行 * [[キョプリュリュ・ムスタファ・パシャ]]([[1637年]] - [[1691年]]) - オスマン帝国大宰相・第二次ウィーン包囲後の混乱を収拾する * [[ジャン・シャルダン]]([[1643年]] - [[1713年]]) - フランス出身の商人・サファヴィー朝で貿易に従事し『ペルシア紀行』を出版・後にイギリスへ亡命 * キョプリュリュ・ヒュセイン・パシャ([[1644年]] - [[1702年]]) - オスマン帝国大宰相・カルロヴィッツ条約を締結しハンガリーを放棄 * [[ムーレイ・イスマーイール]]([[1645年]] - [[1727年]]) - アラウィー朝[[モロッコ]]の君主(在位[[1672年]] - [[1727年]])・半世紀の治世でメクネス宮殿を建設 === インド・東南アジア世界 === * [[ヤン・ピーテルスゾーン・クーン]] ([[1587年]] - [[1629年]]) - [[オランダ東インド会社]]第4代総督・[[バタヴィア]]を築き[[アンボイナ事件]]を起こす * [[ジャハーンギール]]([[1569年]] - [[1627年]]) - [[ムガル帝国]]第4代皇帝(在位[[1605年]] - [[1627年]])・[[アクバル]]に続き寛容政策を行う * [[シャー・ジャハーン]]([[1592年]] - [[1666年]]) - ムガル帝国第5代皇帝(在位[[1628年]] - [[1658年]])・愛妃を偲んで[[タージ・マハル]]を建立 * [[ムムターズ・マハル]]([[1595年]] - [[1631年]]) - ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]の第1皇妃・その死後[[タージ・マハル]]霊廟に葬られる * [[フランソワ・カロン]]([[1600年]] - [[1673年]]) - オランダ東インド会社のもと日本ほかで勤務・後年[[フランス東インド会社]]長官に転じる * [[ダーラー・シコー]]([[1615年]] - [[1658年]]) - ムガル帝国の皇族・哲学者として「[[ウパニシャッド]]」の翻訳を行う・弟アウラングゼーブに処刑される * [[アウラングゼーブ]]([[1618年]] - [[1707年]]) - ムガル帝国第6代皇帝(在位[[1658年]] - [[1707年]])・ムガル帝国の最大領土を実現 * フランソワ・ベルニエ([[1620年]] - [[1688年]]) - フランス出身の医師・旅行家・ムガル帝国を旅行し『ムガル帝国誌』を執筆 * [[シヴァージー]]([[1627年]] - [[1680年]]) - [[インド]]の[[マラータ王国]]の建国者・マラータ族を糾合しムガル帝国[[アウラングゼーブ]]に敵対 * [[ナーラーイ]]([[1633年]] - [[1688年]]) - アユタヤ朝タイ王国国王(在位[[1656年]] - [[1688年]])・フランスと外交関係を結ぶ・文芸も奨励 * フランソワ・マルタン([[1634年]] - [[1706年]]) - フランス東インド会社長官・[[フランソワ・カロン]]に続き[[ポンディシェリ]]に商館を設置 * [[グル・ゴービンド・シング]]([[1666年]] - [[1708年]]) - [[シク教]]第10代教主(グル)(在位[[1675年]] - [[1708年]])・以後は経典が教主とされる === オセアニア === * [[アベル・タスマン]]([[1603年]] - [[1659年]]) - オランダの探検家・オランダ東インド会社のもとで太平洋各地を探検・[[タスマニア島]]に名がつく * [[ウィリアム・ダンピア]]([[1651年]] - [[1715年]]) - イギリスの探検家・[[海賊]]([[バッカニア]])・オーストラリア他を調査し『最新世界周航記』を残す === 東アジア === ==== 明・清 ==== * [[顧憲成]]([[1550年]] - [[1612年]]) - [[明]]の官僚・儒学者として故郷の[[無錫市|無錫]]に[[東林学院|東林書院]]を再興・この学派が明末に[[東林党]]に成長する * [[マテオ・リッチ]](利瑪竇)([[1552年]] - [[1610年]]) - イタリア人の[[イエズス会]]士・明の官僚である[[徐光啓]]らに洗礼を授け宣教につとめる * [[董其昌]]([[1555年]] - [[1636年]]) - 明の官僚・文人・書画に優れ[[文人画]](南宗画)の優位を説く・明末の「邢張米董」の一人 * 鄭貴妃(? - [[1630年]]) - 明の[[万暦帝]]の妃で福王の母・帝位継承をめぐる疑獄事件の「三案(梃撃・紅丸・移宮)」の黒幕か? * [[ヌルハチ]]([[1559年]] - [[1626年]]) - [[清]]の初代皇帝(太祖)(在位[[1616年]] - [[1626年]])・[[サルフの戦い]]で明に勝利 * [[徐光啓]]([[1562年]] - [[1633年]]) - 明の官僚・暦数学者・[[マテオ・リッチ]]の影響でキリスト教徒となり『[[農政全書]]』『崇禎暦書』を残す * [[魏忠賢]]([[1568年]] - [[1627年]]) - 明末の[[宦官]]で[[東廠]]の長官・東林党を弾圧するなど専横を極める・[[崇禎帝]]に死を命じられる * [[馮夢竜]]([[1574年]] - [[1646年]]) - 明末の官僚・陽明学者として『王陽明靖乱録』を、著述家として『[[平妖伝]]』『[[笑府]]』などを残す * [[袁崇煥]]([[1584年]] - [[1630年]]) - 明末の武官・寧遠城の戦いでは大砲を用いてヌルハチを退ける・後に謀反の疑いにより処刑される * 黄道周([[1585年]] - [[1646年]]) - 明末の官僚・北京陥落後も[[南明]]政権を支える・書家として「明末三大家」の一人とされる * [[宋応星]]([[1590年]]頃 - [[1650年]]頃) - 明末清初に活躍した地方官吏・技術者・『[[天工開物]]』の著者として知られる * [[アダム・シャール]](湯若望)([[1591年]] - [[1666年]]) - ドイツ人のイエズス会士・天文学に優れ明では『崇禎暦書』を清では「時憲暦」を作成 * [[ホンタイジ]]([[1592年]] - [[1643年]]) - 清の第2代皇帝(太宗)(在位[[1626年]] - [[1643年]])・国号を[[後金]]から清とし国家体制を整える * [[隠元隆き|隠元隆琦]]([[1592年]] - [[1673年]]) - 明末清初の禅僧・中国の動乱を避けて日本に渡来し[[黄檗宗]]を伝える・[[宇治]]の黄檗山[[萬福寺]]開山 * [[王鐸]]([[1592年]] - [[1652年]]) - 明末清初の官僚・黄道周や倪元璐と異なり国に殉ぜず・書家として「明末三大家」の一人とされる * 倪元璐([[1593年]] - [[1644年]]) - 明末の官僚・北京陥落に合わせて殉死・書家として「明末三大家」の一人とされる * 張岱([[1597年]] - [[1684年]]) - 明末清初の文人・江南の風俗や人物を回顧的に語る随筆集『陶庵夢憶』を著す * [[朱舜水]]([[1600年]] - [[1682年]]) - 明末清初の儒学者・反清復明運動に参加するが成功せず日本に亡命・[[徳川光圀]]の庇護を受ける * [[李自成]]([[1606年]] - [[1645年]]) - 明末の農民反乱指導者・明の崇禎帝を倒し[[北京]]を奪取・皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる * [[張献忠]]([[1606年]] - [[1646年]]) - 明末の農民反乱指導者・[[四川]]の[[成都]]で皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる * [[黄宗羲]]([[1610年]] - [[1695年]]) - 明末清初の儒学者([[考証学]])で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『明夷待訪録』の著者 * [[オボイ]]([[1610年]]? - [[1669年]]) - 清の軍人・政治家・ホンタイジ以後の諸帝に仕えるがやがて独裁化・康熙帝に失脚させられる * [[崇禎帝]]([[1611年]] - [[1644年]]) - 明の最後の第17代皇帝(在位[[1628年]] - [[1644年]])・[[李自成]]の乱で北京を包囲され縊死する * [[李漁]]([[1611年]] - [[1680年]]) - 明末清初の劇作家・著作家・戯曲『笠翁十種曲』や小説『十二楼』を書く・好色文学『[[肉蒲団]]』の作者とも * [[呉三桂]]([[1612年]] - [[1678年]]) - 明末清初の軍人・北京陥落の報を聞き清軍に投降・[[雲南省|雲南]]を支配するが清に背き[[三藩の乱]]を起こす * [[ドルゴン]]([[1612年]] - [[1650年]]) - 清の皇族・幼い[[順治帝]]の叔父として摂政となり北京入城後の清軍を指揮 * [[顧炎武]]([[1613年]] - [[1682年]]) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『[[日知録]]』の著者 * [[王夫之]]([[1619年]] - [[1692年]]) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『読通鑑論』の著者 * [[永暦帝]]([[1623年]] - [[1662年]]) - [[南明]]政権の最後の皇帝・崇禎帝の従弟・[[ビルマ]]まで落ち延びて抗戦するが[[呉三桂]]に殺害される * [[フェルディナント・フェルビースト]](南懐仁)([[1623年]] - [[1688年]]) - フランドル人のイエズス会士・アダム・シャールを補佐して宣教する * [[鄭成功]]([[1624年]] - [[1662年]]) - 明末清初の政治家・明の亡命政権を支援し[[台湾]]で抵抗運動を続ける・[[鄭氏政権]]の祖・俗称は国姓爺 * [[八大山人]]([[1626年]]? - [[1705年]]?) - 明末清初の画家・書家・詩人・明の皇族の一人だが明滅亡後は世間を避けて生活する * [[順治帝]]([[1638年]] - [[1661年]]) - 清の第3代皇帝(在位[[1643年]] - [[1661年]])・[[山海関]]を越えて[[北京]]に入城・中国支配を始める * [[蒲松齢]]([[1640年]] - [[1715年]]) - 清の文学者・官僚にはなれず家塾などを営む・[[志怪小説]]『[[聊斎志異]]』の作者 * [[石濤]]([[1642年]] - [[1707年]]) - 清の画家・明の皇族の末裔で同じ境遇の八大山人とも交流する・黄山派に属す * 洪昇([[1645年]] - [[1704年]]) - 清の劇作家・戯曲「長生殿」の作者・孔尚任とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される * 孔尚任([[1648年]] - [[1718年]]) - 清の劇作家・戯曲「桃花扇」の作者・洪昇とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される * [[康熙帝]]([[1654年]] - [[1722年]]) - 清の第4代皇帝(在位[[1661年]] - [[1722年]])・中国屈指の名君・在位60年で「三世の春」時代を迎える ==== ジュンガル ==== * [[ガルダン・ハーン]]([[1644年]] - [[1697年]])・オイラト系[[ジュンガル部]]の第4代部族長(在位[[1671年]] - [[1697年]])・清の康熙帝と対決 ==== チベット ==== * [[ダライ・ラマ5世]]([[1617年]] - [[1682年]]) - チベット仏教の教主(在位[[1642年]] - [[1682年]])・[[ラサ]]に遷都し[[ポタラ宮殿]]を営む === 日本 === * [[天海]]([[1536年]]? - [[1643年]]) - [[比叡山]]探題の僧・[[江戸]]の[[上野]][[寛永寺]]開山・[[徳川家康]]の側近・諡号は慈眼大師 * [[本多正信]]([[1538年]] - [[1616年]]) -[[大名]]([[相模国|相模]][[玉縄藩]]藩主)・[[老中]]・徳川家康の重臣として幕政を牛耳る * [[徳川家康]]([[1543年]] - [[1616年]]) - [[江戸幕府]]初代[[征夷大将軍]](在任[[1603年]] - [[1605年]]) ・[[大阪の陣|大阪夏の陣]]で[[豊臣氏]]を滅ぼす * [[大久保長安]]([[1545年]] - [[1613年]]) - [[勘定奉行]]として全国の金銀山を統轄・その死後は不正の疑いで子弟は処刑される([[大久保長安事件]]) * [[高山右近]]([[1552年]] - [[1615年]]) - [[キリシタン大名]]・キリスト教禁令で領地を放棄・キリシタン国外追放令により[[マニラ]]で死去 * [[安楽庵策伝]]([[1554年]] - [[1642年]]) - [[浄土宗]]西山深草派の僧・説教に優れた才を生かし[[笑話集]]『[[醒睡笑]]』をまとめ[[落語]]の祖と呼ばれる * [[片桐且元]]([[1556年]] - [[1615年]]) - 大名([[摂津国|摂津]][[茨木藩]]藩主)・[[賤ヶ岳の戦い#賤ヶ岳の七本槍|賤ヶ岳の七本槍]]の一人・豊臣と徳川の和平に尽くす * [[藤堂高虎]]([[1556年]] - [[1630年]]) - 大名([[伊勢国|伊勢]][[津藩]]藩主)・徳川家康に[[外様大名|外様]]でありながら[[譜代大名|譜代]]格として重用される * [[ヤン・ヨーステン|ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン]]([[1556年]]? - [[1623年]]) - オランダ人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は耶楊子 * [[本阿弥光悦]]([[1558年]] - [[1637年]]) - 刀剣鑑定家・陶芸家・漆芸家・書家としては「[[三筆|寛永の三筆]]」の一人と称される * [[俵屋宗達]](生没年不詳) - 画家・[[本阿弥光悦]]の協力者でいわゆる[[琳派]]の祖・「[[風神雷神図屏風]]」ほかがある * [[藤原惺窩]]([[1561年]] - [[1619年]]) - 儒学者([[朱子学]])・[[朝鮮]]人[[姜コウ|姜沆]]との交流を経て儒学を体系化・[[林羅山]]や[[松永尺五]]は弟子 * [[ウィリアム・アダムス]]([[1564年]] - [[1620年]]) - イギリス人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は三浦按針 * [[ハビアン|不干斎ハビアン]]([[1565年]] - [[1621年]]) - イエズス会士として護教論『妙貞問答』を執筆・後に棄教して反キリスト教論『破提宇子』を執筆 * [[坂崎直盛]]([[1565年]]? - [[1616年]]) - 大名([[石見国|石見]][[津和野藩]]藩主)・大阪落城の際に[[千姫]]を救出・千姫再婚で事件を起こす * [[真田信繁]](幸村)([[1567年]] - [[1615年]]) - [[信濃国]]の武将・[[関ヶ原の戦い]]で浪人・[[豊臣秀頼]]に招かれ大阪夏の陣で奮戦するも戦死 * [[淀殿]]([[1567年]]? - [[1615年]]) - [[豊臣秀吉]]側室で豊臣秀頼の母・[[浅井三姉妹]]の長女・大阪夏の陣に敗北し自殺 * [[伊達政宗]]([[1567年]] - [[1636年]]) - 大名([[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]藩主)・徳川家康から[[徳川家光]]までの将軍に仕える・[[慶長遣欧使節団]]を送る * [[崇伝]]([[1569年]] - [[1633年]]) - [[南禅寺]]([[金地院]])住持・寺社行政に携わり[[キリスト教]]の禁止や寺社諸法度ほかの法制を整備 * [[柳生宗矩]]([[1571年]] - [[1646年]]) - 大名([[大和国|大和]][[柳生藩]]藩主)・[[柳生新陰流]](江戸柳生)の剣術家で徳川将軍家の剣術師範 * [[支倉常長]]([[1571年]] - [[1622年]]) - 仙台藩士・[[伊達政宗]]の家臣・慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航 * [[松永貞徳]]([[1571年]] - [[1654年]]) - 俳人・歌人・歌学者・[[貞門派]][[俳諧]]の祖として『新増犬筑波集』『俳諧御傘』を残す * [[沢庵宗彭]]([[1573年]] - [[1645年]]) - [[大徳寺]]住持・[[紫衣事件]]で流罪となるが後に将軍[[徳川家光]]の帰依を受ける・江戸の[[東海寺]]開山 * [[岩佐又兵衛]]([[1578年]] - [[1650年]]) - 画家・「浮世又兵衛」とも呼ばれる[[浮世絵]]の遠祖・[[荒木村重]]の遺児 * [[徳川秀忠]]([[1579年]] - [[1632年]]) -江戸幕府2代征夷大将軍(在任[[1605年]] - [[1623年]])・大名統制を強化し幕府の体制を固める * [[八条宮智仁親王]]([[1579年]] - [[1629年]]) - 皇族(八条宮初代)・[[後陽成天皇]]の弟で後水尾天皇の叔父・[[桂離宮]]の造営で知られる * [[春日局]]([[1579年]] - [[1643年]]) - 江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母・[[江戸城]][[大奥]]の礎を築く * [[小堀遠州]]([[1579年]] - [[1647年]]) - 大名([[近江国|近江]][[小室藩]]藩主)・茶人([[遠州流]])・建築家・作庭家として知られる * [[林羅山]]([[1583年]] - [[1657年]]) - 儒学者([[朱子学]])・後に幕府の学問を司ることになる[[大学頭]]の林家の祖 * [[宮本武蔵]]([[1584年]] - [[1645年]]) - 剣豪・兵法者([[二天一流]]兵法の祖)としては『[[五輪書]]』を著す・書画にも優れる * [[豊臣秀頼]]([[1593年]] - [[1615年]]) - 豊臣秀吉の嫡男・[[右大臣]]・大阪夏の陣で敗北し母の[[淀殿]]とともに自殺 * [[後水尾天皇]]([[1596年]] - [[1680年]]) - 第108代天皇(在位[[1611年]] - [[1629年]])・中宮は[[徳川秀忠]]の娘[[東福門院]]・[[寛永文化]]の中心 * [[松平信綱]]([[1596年]] - [[1662年]]) - 大名([[武蔵国|武蔵]][[川越藩]]藩主)・老中・官職名の伊豆守から「知恵伊豆」と呼ばれ将軍[[徳川家綱]]を補佐 * [[酒井田柿右衛門|初代酒井田柿右衛門]]([[1596年]] - [[1666年]]) - [[肥前国]][[有田]]の陶工・赤絵[[磁器]]の焼成に成功・「柿右衛門様式」は[[マイセン]]磁器などにも影響 * [[千姫]]([[1597年]] - [[1666年]]) - 徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室・大阪夏の陣では落城間際に脱出・後に[[本多忠刻]]に嫁す * 徳川[[御三家]]の祖 ** [[徳川義直]]([[1600年]] - [[1650年]]) - [[尾張徳川家]]初代藩主・徳川家康の九男 ** [[徳川頼宣]]([[1602年]] - [[1671年]]) - [[紀州徳川家]]初代藩主・徳川家康の十男 ** [[徳川頼房]]([[1603年]] - [[1661年]]) - [[水戸徳川家]]初代藩主・徳川家康の十一男 * [[狩野探幽]]([[1602年]] - [[1674年]]) - [[狩野派]]の画家・[[狩野永徳]]の孫・江戸鍛冶橋狩野家の祖・江戸城や諸寺の障壁画を担当 * [[徳川家光]]([[1604年]] - [[1651年]]) - 江戸幕府3代征夷大将軍(在任[[1623年]] - [[1651年]])・[[鎖国]]や[[キリスト教]]禁令などを行う * [[由井正雪]]([[1605年]] - [[1651年]]) - 軍学者・[[浪人]]らを募り[[丸橋忠弥]]らとともに反乱を計画するが発覚し自決([[慶安の変]]) * [[西山宗因]]([[1605年]] - [[1682年]]) - 俳人・連歌師・[[談林派]][[俳諧]]の祖・大坂天満宮の連歌所宗匠となり『蚊柱百句』などを残す * [[中江藤樹]]([[1608年]] - [[1648年]]) - 儒学者([[陽明学]])・[[伊予国|伊予]][[大洲藩]]藩士であったが脱藩・母に孝養を尽くし「近江聖人」と称えられた * [[保科正之]]([[1611年]] - [[1673年]]) - 大名([[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]藩主)・将軍徳川家光の異母弟・兄家光と甥の家綱を補佐し幕閣に重きをなす * [[河村瑞賢]]([[1617年]]? - [[1699年]]) - 豪商・材木商として幕府の公共事業を請け負う・[[東廻海運]]や[[西廻海運]]の開発でも知られる * [[菱川師宣]]([[1618年]] - [[1694年]]) - 画家・浮世絵の創始者・肉筆浮世絵「[[見返り美人図]]」で知られる * [[熊沢蕃山]]([[1619年]] - [[1691年]]) - 儒学者(陽明学)・[[中江藤樹]]の弟子・[[岡山藩]]藩主[[池田光政]]の藩政改革を促す * [[山崎闇斎]]([[1619年]] - [[1682年]]) - 儒学者(朱子学)・[[垂加神道]]を体系化し[[会津藩]]藩主[[保科正之]]の藩政改革を促す * [[木下順庵]]([[1621年]] - [[1699年]]) - 儒学者(朱子学)・木門十哲([[新井白石]]・[[室鳩巣]]・[[雨森芳洲]]ら)ほか優れた弟子を育てる * [[天草四郎]]([[1621年]] - [[1638年]]) - [[島原の乱]]の指導者・[[松平信綱]]率いる幕府軍に徹底的に鎮圧され討ち取られる * [[山鹿素行]]([[1622年]] - [[1685年]]) - 儒学者([[古学派]]の祖)・軍学者([[山鹿流]]兵法の祖)・[[赤穂藩]][[家老]]の[[大石良雄]]は門弟 * [[三井高利]]([[1622年]] - [[1694年]]) - 商人・呉服商から両替商まで事業を拡大・[[三井家]](のちの[[三井財閥]])の基礎を築く * [[酒井忠清]]([[1624年]] - [[1681年]]) - 大名([[上野国|上野]][[厩橋藩]]藩主)・[[大老]]・将軍[[徳川家綱|家綱]]のもと権力を握るが続く将軍[[徳川綱吉|綱吉]]に解任される * [[北村季吟]]([[1625年]] - [[1705年]]) - 歌人・俳人・古典研究者として『[[源氏物語湖月抄]]』『[[伊勢物語拾穂抄]]』を著し古典注釈学を大成する * [[伊藤仁斎]]([[1627年]] - [[1705年]]) - 儒学者(古義学派の祖)・[[京都]][[堀川通|堀川]]で私塾[[古義堂]]を開く・息子[[伊藤東涯]]らも学者となる * [[徳川光圀]]([[1628年]] - [[1701年]]) - 水戸徳川家第2代藩主・[[彰考館]]を開き『[[大日本史]]』の編纂を開始・[[水戸黄門]]としても知られる * [[貝原益軒]]([[1630年]] - [[1714年]]) - 福岡藩士・[[本草学者]]として『[[大和本草]]』を、教育者として『[[養生訓]]』を著す * [[円空]]([[1632年]] - [[1695年]]) - [[天台宗]]の僧侶・[[仏師]]として日本各地に「円空仏」と呼ばれる木造仏を残す * [[堀田正俊]]([[1634年]] - [[1684年]]) - 大名([[下総国|下総]][[古河藩]]藩主)・大老・将軍家綱から[[徳川綱吉|綱吉]]まで仕える・江戸城で暗殺される * [[渋川春海]]([[1639年]] - [[1715年]]) - 天文暦学者・800年近く用いられてきた[[宣明暦]]に代わる[[貞享暦]]を作成 * [[契沖]]([[1640年]] - [[1701年]]) - 真言宗の僧・古典学者([[国学者]])・『[[万葉代匠記]]』などで優れた実証主義的研究を行う * [[徳川家綱]]([[1641年]] - [[1680年]]) - 江戸幕府4代征夷大将軍(在任[[1651年]] - [[1680年]])・[[武断政治]]から[[文治政治]]へ政策が転換される * [[関孝和]]([[1642年]] - [[1708年]]) - 数学者([[和算]]家)・著書『発微算法』で筆算による代数計算法(点竄術)を開拓し和算の基礎を築く * [[井原西鶴]]([[1642年]] - [[1693年]]) - 俳諧師・[[浮世草子]]作者・『[[好色一代男]]』『世間胸算用』『[[日本永代蔵]]』の著者 * [[松尾芭蕉]]([[1644年]] - [[1694年]]) - 俳諧師・『[[奥の細道]]』の著者・「俳聖」とも呼ばれ俳句を芸術の域まで高める * [[徳川綱吉]]([[1646年]] - [[1709年]]) - 江戸幕府5代征夷大将軍(在任[[1680年]] - [[1709年]])・[[元禄時代]]の文治政治を推進 * [[エンゲルベルト・ケンペル]]([[1651年]] - [[1716年]]) - ドイツ人医師・博物学者・将軍綱吉に謁見・日本を紹介した『[[日本誌]]』をまとめる * [[尾形光琳]]([[1658年]] - [[1716年]]) - 琳派の画家・「紅白梅図屏風」や「燕子図屏風」などの作品で知られる・陶芸家[[尾形乾山]]は弟 * [[市川團十郎 (初代)|初代市川團十郎]]([[1660年]] - [[1704年]]) - 役者・[[元禄]]の[[江戸]][[歌舞伎]]を代表し荒事芸を歌舞伎に導入した == 10年紀と各年 == <tr><td>'''[[1600年代]]'''</td> <td>[[1600年|1600]]</td><td>[[1601年|1601]]</td><td>[[1602年|1602]]</td><td>[[1603年|1603]]</td><td>[[1604年|1604]]</td><td>[[1605年|1605]]</td><td>[[1606年|1606]]</td><td>[[1607年|1607]]</td><td>[[1608年|1608]]</td><td>[[1609年|1609]]</td></tr> <tr><td>'''[[1610年代]]'''</td> <td>[[1610年|1610]]</td><td>[[1611年|1611]]</td><td>[[1612年|1612]]</td><td>[[1613年|1613]]</td><td>[[1614年|1614]]</td><td>[[1615年|1615]]</td><td>[[1616年|1616]]</td><td>[[1617年|1617]]</td><td>[[1618年|1618]]</td><td>[[1619年|1619]]</td></tr> <tr><td>'''[[1620年代]]'''</td> <td>[[1620年|1620]]</td><td>[[1621年|1621]]</td><td>[[1622年|1622]]</td><td>[[1623年|1623]]</td><td>[[1624年|1624]]</td><td>[[1625年|1625]]</td><td>[[1626年|1626]]</td><td>[[1627年|1627]]</td><td>[[1628年|1628]]</td><td>[[1629年|1629]]</td></tr> <tr><td>'''[[1630年代]]'''</td> <td>[[1630年|1630]]</td><td>[[1631年|1631]]</td><td>[[1632年|1632]]</td><td>[[1633年|1633]]</td><td>[[1634年|1634]]</td><td>[[1635年|1635]]</td><td>[[1636年|1636]]</td><td>[[1637年|1637]]</td><td>[[1638年|1638]]</td><td>[[1639年|1639]]</td></tr> <tr><td>'''[[1640年代]]'''</td> <td>[[1640年|1640]]</td><td>[[1641年|1641]]</td><td>[[1642年|1642]]</td><td>[[1643年|1643]]</td><td>[[1644年|1644]]</td><td>[[1645年|1645]]</td><td>[[1646年|1646]]</td><td>[[1647年|1647]]</td><td>[[1648年|1648]]</td><td>[[1649年|1649]]</td></tr> <tr><td>'''[[1650年代]]'''</td> <td>[[1650年|1650]]</td><td>[[1651年|1651]]</td><td>[[1652年|1652]]</td><td>[[1653年|1653]]</td><td>[[1654年|1654]]</td><td>[[1655年|1655]]</td><td>[[1656年|1656]]</td><td>[[1657年|1657]]</td><td>[[1658年|1658]]</td><td>[[1659年|1659]]</td></tr> <tr><td>'''[[1660年代]]'''</td> <td>[[1660年|1660]]</td><td>[[1661年|1661]]</td><td>[[1662年|1662]]</td><td>[[1663年|1663]]</td><td>[[1664年|1664]]</td><td>[[1665年|1665]]</td><td>[[1666年|1666]]</td><td>[[1667年|1667]]</td><td>[[1668年|1668]]</td><td>[[1669年|1669]]</td></tr> <tr><td>'''[[1670年代]]'''</td> <td>[[1670年|1670]]</td><td>[[1671年|1671]]</td><td>[[1672年|1672]]</td><td>[[1673年|1673]]</td><td>[[1674年|1674]]</td><td>[[1675年|1675]]</td><td>[[1676年|1676]]</td><td>[[1677年|1677]]</td><td>[[1678年|1678]]</td><td>[[1679年|1679]]</td></tr> <tr><td>'''[[1680年代]]'''</td> <td>[[1680年|1680]]</td><td>[[1681年|1681]]</td><td>[[1682年|1682]]</td><td>[[1683年|1683]]</td><td>[[1684年|1684]]</td><td>[[1685年|1685]]</td><td>[[1686年|1686]]</td><td>[[1687年|1687]]</td><td>[[1688年|1688]]</td><td>[[1689年|1689]]</td></tr> <tr><td>'''[[1690年代]]'''</td> <td>[[1690年|1690]]</td><td>[[1691年|1691]]</td><td>[[1692年|1692]]</td><td>[[1693年|1693]]</td><td>[[1694年|1694]]</td><td>[[1695年|1695]]</td><td>[[1696年|1696]]</td><td>[[1697年|1697]]</td><td>[[1698年|1698]]</td><td>[[1699年|1699]]</td></tr> <tr><td>'''[[1700年代]]'''</td> <td>[[1700年|1700]]</td><td>[[1701年|1701]]</td><td>[[1702年|1702]]</td><td>[[1703年|1703]]</td><td>[[1704年|1704]]</td><td>[[1705年|1705]]</td><td>[[1706年|1706]]</td><td>[[1707年|1707]]</td><td>[[1708年|1708]]</td><td>[[1709年|1709]]</td></tr> [[Category:17世紀|*]]
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