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15世紀
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{{centurybox| 前世紀=14 | 世紀=15 | 次世紀=16 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | 前世紀=14 | }} [[ファイル:Columbus_Taking_Possession.jpg|right|thumb|250px|'''大航海時代'''。[[新世界]]を発見したコロンブス。]] [[ファイル:80 - Machu Picchu - Juin 2009 - edit.jpg|right|thumb|220px|[[マチュ・ピチュ]]の遺跡。15世紀に建造された[[インカ帝国]]の技術の高さを反映している。]] [[ファイル:Sun stone detail.JPG|right|thumb|220px|[[太陽の石]]。1476年に[[アステカ帝国]]皇帝[[アシャヤカトル]]が現[[メキシコシティ]]の中央広場の位置に奉献したもの。]] [[File:Ulugh Beg observatory 3.JPG|right|thumb|220px|サマルカンド近郊の[[ウルグ・ベク天文台]]。ティムール朝君主ウルグ・ベクは天文学に造詣が深く「ズィージ・スルターニー」のような精緻な天文表も作成させた。]] [[ファイル:Benjamin-Constant-The Entry of Mahomet II into Constantinople-1876.jpg|right|thumb|210px|[[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノポリスの陥落]]。オスマン帝国の[[メフメト2世]]の占領により、1000年以上続いてきた[[東ローマ帝国]]はここに滅亡した。]] [[File:Joan of arc miniature graded.jpg|thumb|right|210px|オルレアンの乙女[[ジャンヌ・ダルク]]。劣勢のフランス軍を鼓舞し百年戦争の終結に大きな役割を果たしたが[[魔女裁判]]で火刑に処せられた。]] [[File:Eyck madonna rolin.jpg|thumb|right|210px|『中世の秋』。歴史家[[ホイジンガ]]はこの題名でこの時代の[[ブルゴーニュ公国]]の歴史を描いた。画像はヤン・ファン・エイクの「[[宰相ロランの聖母]]」。ロランはこの国の宰相で、背後にはブルゴーニュの[[オータン]]の風景が広がる。]] [[ファイル:Botticelli-primavera.jpg|260px|right|thumb|[[ボッティチェリ]]の「春([[プリマヴェーラ]])」。[[メディチ家]]などの文化支援活動により[[フィレンツェ]]の[[ルネサンス]]文化が花開いた。]] [[File:Detail of The Emperor's Approach, Xuande period.jpg|220px|right|thumb|明の宣宗宣徳帝の入城を描いた絵画。明はこの時代に「仁宣の治」と呼ばれる安定期を迎えた。]] [[File:Ginkakuji-M1981.jpg|220px|right|thumb|慈照寺銀閣。室町将軍足利義政は[[応仁の乱]]を引き起こすなど政治的才覚に欠けたが、東山山荘に隠棲してわびさびの[[東山文化|文化]]を極めた。]] '''15世紀'''(じゅうごせいき)とは、[[西暦]][[1401年]]から西暦[[1500年]]までの100年間を指す。 == 15世紀の歴史 == === 世界 === ヨーロッパでは1453年、[[オスマン帝国]]により[[東ローマ帝国]]が滅ぼされ、[[古代]]から続いてきた[[ローマ帝国]]は完全に滅亡した(これを以て、「[[中世]]の終わり」とする場合がある)。オスマン帝国の勢力が拡大し[[地中海]]の交易を支配すると、15世紀中頃から新たな交易ルートの開拓を目指して、[[ポルトガル]]・[[スペイン]]を中心に[[航海]]ブームが起き、'''[[大航海時代]]'''に突入した。1492年、[[クリストファー・コロンブス]]が[[アメリカ大陸]]に到達すると大きな転機となり、ヨーロッパ諸国はしのぎを削って[[新大陸]]への進出を開始することとなる。 また、[[イタリア]]で始まった[[文化]]、[[哲学]]、[[科学]]、[[芸術]]などにおける[[ルネサンス]]が、[[アルプス山脈|アルプス]]以北の[[西ヨーロッパ]]諸国にも波及する('''[[北方ルネサンス]]''')。 [[石炭]]がエネルギー源、暖房用として大変重要になった<ref>サイモン・ウィンチェスター著、野中邦子訳『世界を変えた地図 -ウィリアム・スミスと地質学の誕生-』早川書房 2004年 65ページ</ref>。 === 日本 === [[室町時代]]の中期にあたる。[[応仁の乱]](1467年)、または[[明応の政変]](1493年)以後は'''[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]'''に区分される場合もある。戦国時代には[[室町幕府]]権力の著しい低下、幕府と[[守護]]の体制の崩壊などにより、[[戦国大名]]の乱立が起き全国動乱の時代に突入した。この動乱は約1世紀に渡り続くことになる。 == できごと == * 1401年 ** [[足利義満]]、[[肥富|肥富某]]・[[祖阿|僧祖阿]]らを[[明]]に派遣する。 ** 土御門内裏の修繕が始まり、諸国に造内裏段銭を課する。 ** 足利義満、[[李氏朝鮮]]に使いを派遣する。 ** 李氏朝鮮の[[太宗 (朝鮮王)|太宗]]が中国の[[明]]朝より[[封号|朝鮮国王]]として[[冊封]]を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。 ** [[フィレンツェ]]の[[サン・ジョヴァンニ洗礼堂]]青銅扉の作成競技で[[ロレンツォ・ギベルティ|ギベルティ]]が優勝する。 * 1402年 **[[アンカラの戦い]]で[[ティムール]]が[[オスマン帝国]]を破る。 **明の燕王が[[建文帝]]を倒して第3代[[皇帝]]に即位([[永楽帝|成祖永楽帝]])。 **足利義満が中国の明朝より[[日本国王]]として[[冊封]]を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。 ** [[スマトラ島]]の[[シュリーヴィジャヤ王国|シュリーヴィジャヤ]]王室の[[パラメスワラ (マラッカ王)|パラメスワラ]]王子が[[マラッカ王国]]を建国。 * 1403年 - 明が首都・北平を[[北京市|北京]]と改名。 * 1404年 - [[冊封使]]が初めて[[琉球]]へ来琉。[[日明貿易]]([[勘合貿易]])始まる。 *1405年 ** 明への遠征途上の[[オトラル]]で[[ティムール]]が病没。 ** 明の成祖永楽帝が[[鄭和]]を南海遠征に派遣( - 1433年)。 * 1406年 ** [[ベトナム]]の[[胡朝]]が崩壊し明へ下る。 ** [[紫禁城]]の建設始まる。 * 1407年 ** [[フランス王国|フランス]]にて[[ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|オルレアン公ルイ]]が[[ブルゴーニュ公]][[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン(無畏公)]]の配下によって[[暗殺]]される。 ** 朝鮮で[[太宗 (朝鮮王)|太宗]]の仏教弾圧。 * 1408年 - 足利義満死去。 * 1409年 - [[ピサ公会議]]。 * 1410年 ** [[タンネンベルクの戦い (1410年)|グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い]]、[[ポーランド王国]]が[[ドイツ騎士団]]を破る。 ** 鄭和の艦隊と[[セイロン]]のライガマ王国軍が交戦、鄭和は国王アラカイスワラらを捕虜とする。 ** [[周文]]の「[[芭蕉夜雨図]]」。 * 1411年 - 明使の入京拒否による国交断絶( - 1432年)。 * 1412年 - [[後小松天皇]]が譲位し、第101代[[称光天皇]]が即位。 * 1414年 - [[コンスタンツ公会議]]( - 1418年)。 * 1415年 ** [[アジャンクールの戦い]]。 ** ポルトガルの[[セウタ]]攻略。 ** 宗教改革者[[ヤン・フス]]の火刑。 * 1418年 ** 鄭和の艦隊の分団が東アフリカの[[マリンディ]]に到達。 * 1419年 ** [[応永の外寇]]。 ** ポルトガルの[[マデイラ諸島]]発見。 ** モントロー会議で、ブルゴーニュ公ジャンが暗殺される。 * 1420年 ** [[トロワ条約]]でイギリス王ヘンリ5世がフランス王位継承権を認められる。 ** 明で宦官による特務警察の[[東廠]]が設置される。 * 1421年 - 明の永楽帝が首都を南京から北京に遷す。 * 1422年 - [[雲南]]地方で麓川の乱。 * 1423年 - [[足利義量]]が[[室町幕府]]第5代[[征夷大将軍|将軍]]となる。 * 1424年 ** 明の[[洪熙帝]]が第4代皇帝に即位。 ** 朝鮮で[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]の仏教弾圧。 * 1425年 - 明の[[宣徳帝]]が第5代皇帝に即位。 * 1428年 ** 称光天皇が没し、第102代[[後花園天皇]]が即位。 ** [[正長の土一揆]]。 ** ベトナムで[[黎朝]]成立。 * 1429年 ** [[足利義教]]が室町幕府第6代将軍となる。 ** ティムール朝君主[[ウルグ・ベク]]が[[サマルカンド]]に天文台を建設。 ** [[ジャンヌ・ダルク]]が[[オルレアン]]を解放。フランス王[[シャルル7世]]の戴冠。 * 1430年 ** [[コンピエーニュ]]の戦いで、ジャンヌ・ダルクが捕虜となる。 ** ブルゴーニュ公フィリップにより[[金羊毛騎士団]]が設立される。 * 1431年 ** [[バーゼル公会議]]。 ** [[アゾレス諸島]]発見。 ** [[ルーアン]]にてジャンヌ・ダルクが処刑される。 ** [[アユタヤ朝]]により[[クメール王朝|クメール朝]]の都[[アンコール遺跡|アンコール]]が陥落する。 * 1434年 ** [[コジモ・デ・メディチ]]が[[フィレンツェ]]における支配権を確立( - 1494年)。 ** ポルトガル艦隊がボジャドル岬(ボハドル岬)を通過。 * 1435年 ** [[スウェーデン]]、一時的に[[カルマル同盟]]を脱する([[議会]]の開始)。 ** [[アラス]]の和約でフランス王とブルゴーニュ公が和解。 ** 明の[[英宗 (明)|英宗正統帝]]が第6代皇帝に即位。 * 1437年 - [[フィレンツェ公会議|フェラーラ公会議]]。 * 1438年 - パチャクテク即位によって[[インカ帝国]]は国家として再編する。 * 1439年 ** [[フィレンツェ公会議]]。 ** フランス議会、[[ブールジュ]]の[[国本勅諚]]を採択。 * 1441年 - [[嘉吉の乱]]。 * 1442年 - [[足利義勝]]が室町幕府第7代将軍となる。 * 1443年 - [[禁闕の変]]。 * 1444年 - [[ヴァルナの戦い]]。 * 1446年 - 朝鮮の世宗のもとで「[[訓民正音]]」が公布される。 * 1448年 - 鄧茂七の乱。 * 1449年 ** 明で[[土木の変]]。皇帝[[英宗 (明)|英宗正統帝]]が[[オイラート]]の[[エセン・ハーン]]の捕虜となる。[[景泰帝]]が第7代皇帝に即位。 ** ティムール朝の君主[[ウルグ・ベク]]が暗殺される。 ** [[足利義政]]が室町幕府第8代将軍となる。 * 1450年 - [[フランチェスコ・スフォルツァ]]がミラノ公となる。 * 1453年 ** オスマン帝国が[[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノポリスを陥落]]させ、[[東ローマ帝国]]滅亡。 ** [[カスティヨンの戦い]]により[[百年戦争|英仏百年戦争]]が終結。 ** エセン・ハーンがモンゴルのハーンとして即位するが、反発が強く翌1454年に殺害される。 * 1454年 ** [[享禄の土一揆]]が徳政を要求する。 ** [[ローディの和]]で、[[イタリア]]の五[[大国]]による和平協定が結ばれる。 ** ブルゴーニュ公フィリップが[[リール (フランス)|リール]]にて「雉の誓いの祝宴」を行う。 * 1455年 ** [[イングランド]]で、ヨーク家とランカスター家による王位争い([[薔薇戦争]])始まる。 ** [[ヨハネス・グーテンベルク]]が[[活版印刷]]で[[聖書]]を印刷([[グーテンベルク聖書]])。 * 1457年 - 明で[[奪門の変]]により、[[英宗 (明)|英宗天順帝]]が第8代皇帝に[[重祚]]。 * 1461年 ** [[曹欽]]の乱が鎮圧され、[[曹吉祥]]が自殺する。 ** [[長禄・寛正の飢饉|寛正の大飢饉]]。 * 1464年 ** 後花園天皇が譲位し、第103代[[後土御門天皇]]が即位。 ** 明の[[成化帝]]が第9代皇帝に即位。 * 1467年 - [[応仁の乱]](-1477年)。室町幕府が衰退し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]へ。 * 1469年 - ティムール朝がサマルカンド政権とヘラート政権に分裂する。 * 1471年 ** [[黎聖宗]]が[[チャンパ王国]]の[[ヴィジャヤ王朝]]を滅ぼし領土を併合する。 ** チャンパ王国の王子シャー・パウ・リン(後のアリ・ムハヤット・シャー)が亡命し[[スマトラ島]]に[[アチェ王国]]を建国。 * 1472年 - モスクワ大公[[イヴァン3世]]が東ローマ帝国の皇女[[ゾイ・パレオロギナ|ソフィヤ]]と結婚。 * 1473年 - [[足利義尚]]が室町幕府第9代将軍となる。 * 1474年 - [[越前一向一揆]]。 * 1476年 - [[青松寺]]開創。 * 1477年 ** [[ナンシーの戦い]]でブルゴーニュ公シャルル(突進公)がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。 *** ブルゴーニュ公国のうちネーデルラントは娘のマリー女公とその夫君であるマクシミリアン1世(のちの神聖ローマ皇帝)が継承。 * 1478年 ** [[パッツィ家の陰謀]]事件。 ** モスクワ大公[[イヴァン3世]]が[[ノヴゴロド公国]]を併合。 * 1479年 ** [[スペイン|スペイン王国]]成立。 ** アルカソヴァス条約。 ** [[オロモウツの和約]]で[[ハプスブルク家]]は[[オーストリア]]の支配権を失う( - 1490年)。 * 1480年 ** [[モスクワ大公国]]の[[イヴァン3世]]、[[キプチャク・ハン国]]から自立。[[ロシア帝国]]のおこり。 ** [[越中一向一揆]]。 * 1483年 ** イングランド王エドワード4世が急死。息子のエドワード5世が即位するも、叔父グロスター公により退位させられる。 ** グロスター公が[[リチャード3世]]として即位する。 * 1484年 ** バニョーロの和議。 * 1485年 ** [[ボズワースの戦い]]でヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒す。 ** ヘンリー・テューダーがイングランド王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]として即位。[[テューダー朝]]始まる。 ** [[山城国一揆]]。 * 1487年 ** 明の[[弘治帝]]が第10代皇帝に即位。 ** 六角征伐の[[長享・延徳の乱|鈎の陣]]( - [[1489年]])。 * 1488年 ** ポルトガル人[[バルトロメウ・ディアス]]が[[喜望峰]]に到達する。 ** [[加賀一向一揆]]。 * 1490年 - [[足利義稙|足利義材]]が室町幕府第10代将軍となる。 * 1492年 ** [[ナスル朝]]が滅亡し[[レコンキスタ]]完了。 ** [[クリストファー・コロンブス]]が[[カリブ海]]の島々に航海。いわゆる新大陸の発見。 ** スペインからのユダヤ教徒追放令。 * 1493年 ** [[明応の政変]]により足利義材が将軍職から追放される([[戦国時代 (日本)|日本の戦国時代]]の幕開けとされる)。 ** 教皇[[アレクサンデル6世]]により[[教皇子午線]]が決定される。 ** サンリスの和約により、ブルゴーニュ公遺領の正式分割が決定。 * 1494年 ** スペインとポルトガルが[[トルデシリャス条約]]を締結。 ** フランス王[[シャルル8世]]のイタリア遠征([[イタリア戦争]]の始まり)。その途上、[[フィレンツェ]]で[[メディチ家]]が追放される。 ** [[足利義澄]]が室町幕府第11代将軍となる。 * 1495年 ** 神聖ローマ帝国の[[ヴォルムス]]帝国議会。 *** 皇帝マクシミリアン1世による「帝国改造」として「永久[[ラント平和令]]」が布告され、帝国最高法院が設置される。 * 1498年 ** [[南アメリカ]]大陸発見。[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]が[[インド]]まで航海。 ** フィレンツェで[[サヴォナローラ]]が処刑される。 * 1499年 ** [[シュヴァーベン]]戦争での勝利によりスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取る。 * 1500年 ** [[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]が[[ブラジル]]に到着。 ** 神聖ローマ帝国の[[アウクスブルク]]帝国議会。 ** [[シャイバーニー朝]]によりティムール朝[[サマルカンド]]政権が崩壊。 ** 後土御門天皇が没し、第104代[[後柏原天皇]]が即位。 == 人物 == === キリスト教世界 === ==== フランス・フランドル ==== * [[ピエール・ダイイ]]([[1351年]] - [[1420年]]) - [[枢機卿]]・[[パリ大学]]総長・[[コンスタンツ公会議]]で主導的な役割を果たす・著作に『世界像』がある * [[ジャン・ジェルソン]]([[1363年]] - [[1429年]]) - パリ大学総長・ピエール・ダイイと並びコンスタンツ公会議を主導・著作に『神学の慰め』がある * ファン・エイク兄弟(兄[[フーベルト・ファン・エイク|フーベルト]]([[1366年]]頃 - [[1426年]])、弟[[ヤン・ファン・エイク|ヤン]]([[1395年]]頃 - [[1441年]])) - [[初期フランドル派]]の画家で油彩技法を大成 * [[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン1世]](無畏公)([[1371年]] - [[1419年]]) - [[ブルゴーニュ公]]・オルレアン公らアルマニャック派と対立・王太子シャルルによって暗殺される * [[ジャック・クール]]([[1395年]] - [[1456年]]) - フランスの財政家・シャルル7世の貨幣鋳造や戦費調達を担当・後年に不正が発覚し財産没収の上で亡命 * [[フィリップ3世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ3世]](善良公)([[1396年]] - [[1467年]]) - [[ブルゴーニュ公]]・百年戦争で[[イングランド王国|イングランド]]側に接近・[[北方ルネサンス]]のパトロン * [[ギヨーム・デュファイ]]([[1397年]] - [[1474年]]) - [[ブルゴーニュ楽派]]の作曲家・ミサ曲「アヴェ・レジーナ・チェロールム」他がある * [[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]](勝利王)([[1403年]] - [[1461年]]) - [[ヴァロワ朝]][[フランス王国|フランス]]の第5代国王(在位[[1422年]] - [[1461年]])・[[百年戦争]]で最終的に勝利 * [[ジル・ド・レ]]([[1404年]] - [[1440年]]) - フランスの貴族・百年戦争で活躍しフランス元帥となる・のちに多数の少年殺害の嫌疑で逮捕処刑される * [[ジャンヌ・ダルク]]([[1412年]] - [[1431年]]) - フランスの農民の娘・「オルレアンの乙女」・[[百年戦争]]でフランス軍を鼓舞・[[魔女裁判]]で火刑 * [[フランソワ・ヴィヨン]]([[1431年]]? - [[1463年]]以降) - フランスの詩人・放浪無頼の生活を送り「泥棒詩人」として有名・代表作に『遺言詩集』 * [[ジョスカン・デ・プレ]]([[1440年]]? - [[1521年]]) - フランスの作曲家・フランス王や教皇庁などに仕える・ミサ曲「めでたし海の星」などがある * [[ヒエロニムス・ボス]]([[1450年]]頃 - [[1516年]]) - 初期フランドル派の画家・寓意を暗示する幻想的な画風・代表作に「[[快楽の園]]」がある * [[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]](温厚王)([[1470年]] - [[1498年]]) - [[ヴァロワ朝]]フランスの第7代国王(在位[[1483年]] - [[1498年]])・[[イタリア戦争]]を始める ==== イングランド ==== * [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]([[1387年]] - [[1422年]]) - [[ランカスター朝]]の[[イングランド]]王(在位[[1413年]] - [[1422年]])・[[トロワ条約]]でフランス王位継承者となる * [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]([[1421年]] - [[1471年]]) - ランカスター朝のイングランド王(在位[[1422年]] - [[1461年]]、[[1470年]] - [[1471年]])・狂疾から[[薔薇戦争]]勃発 * [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]([[1442年]] - [[1483年]]) - ヨーク朝のイングランド王(在位[[1461年]] - [[1483年]])・[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]を退位させ[[ヨーク朝]]の祖となる * [[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]([[1452年]] - [[1485年]]) - ヨーク朝のイングランド王(在位[[1483年]] - [[1485年]])・[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]に敗北・[[シェークスピア]]劇では悪役 * [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]([[1457年]] - [[1509年]]) - イングランド王(在位[[1485年]] - [[1509年]])・[[薔薇戦争]]に勝利し[[テューダー朝]]を開く * [[エリザベス・オブ・ヨーク]]([[1466年]] - [[1503年]]) - [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の娘でヘンリー7世の妻・[[ランカスター家]]と[[ヨーク家]]を結びつける * [[トマス・マロリー]]([[1399年]]頃 - [[1471年]]) - イングランドの作家・伝説をもとに『[[アーサー王の死]]』をまとめる * [[ジョン・カボット]]([[1450年]]頃 - [[1498年]]) - イタリア出身の探検家・ヘンリー7世の特許状で大西洋を渡り[[北アメリカ大陸]]を発見 ==== 神聖ローマ帝国 ==== * [[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]([[1368年]] - [[1437年]]) - [[ルクセンブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]](在位[[1410年]] - [[1437年]])・コンスタンツ公会議を招集 * [[トマス・ア・ケンピス]]([[1380年]] - [[1471年]]) - ドイツ生まれの神秘思想家・聖書に次いで読まれた『[[キリストに倣いて]]』の著者 * ヨハネス・ニーダー([[1380年]]頃 - [[1438年]]) - ドイツのドミニコ会士・異端審問や教会刷新で活躍・著作『蟻塚』は魔術の研究としても重要 * [[ヨハネス・グーテンベルク]]([[1398年]]頃 - [[1468年]]) - [[ドイツ]]の[[マインツ]]出身の金属加工職人・[[活版印刷]]術を発明 * [[ニコラウス・クザーヌス]]([[1401年]] - [[1464年]]) - ドイツの枢機卿・神学者・哲学者・[[フィレンツェ公会議]]で東西教会合同を推進 * [[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]([[1415年]] - [[1493年]]) - [[ハプスブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]](在位[[1452年]] - [[1493年]])・婚姻政策で帝位を世襲化 * ハインリヒ・クランマー([[1430年]]頃 - [[1505年]]) - ドイツのドミニコ会士・異端審問官・『[[魔女に与える鉄槌]]』を執筆し[[魔女裁判]]に影響を与える * セバスチャン・ブラント([[1457年]] - [[1521年]]) - ドイツの風刺作家・[[バーゼル大学]]教授・この当時の世相を風刺した『[[阿呆船]]』で知られる * [[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]([[1459年]] - [[1519年]]) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位[[1493年]] - [[1519年]])・「中世最後の騎士」と呼ばれる ==== ローマ教皇・イタリア ==== * [[マルティヌス5世 (ローマ教皇)|マルティヌス5世]]([[1368年]] - [[1431年]]) - [[教皇|ローマ教皇]](在位[[1417年]] - [[1431年]])・コンスタンツ公会議で選出され[[教会大分裂]]は終結 * [[フィリッポ・ブルネッレスキ]]([[1377年]] - [[1436年]]) - [[フィレンツェ共和国|フィレンツェ]]の建築家・[[ルネサンス様式]]の[[フィレンツェ大聖堂]]を建立 * [[ポッジョ・ブラッチョリーニ]]([[1380年]] - [[1459年]]) - イタリアの人文主義者・[[ルクレティウス]]をはじめ古代ラテン語文献を発見したことで知られる * [[ロレンツォ・ギベルティ]]([[1381年]]頃 - [[1455年]]) - フィレンツェの彫刻家・金細工師・[[サン・ジョヴァンニ洗礼堂]]門扉の製作競技で優勝する * [[ドナテッロ]]([[1386年]] - [[1466年]]) - フィレンツェの彫刻家・代表作に「ダヴィデ像」「カントリア」「ガッタメラータ像」がある * [[コジモ・デ・メディチ]]([[1389年]] - [[1464年]]) - フィレンツェの銀行家・[[メディチ家]]のフィレンツェ支配を確立・パトロンとしても有名 * [[フラ・アンジェリコ]]([[1390年]]/[[1395年]]頃 - [[1455年]]) - フィレンツェの画家・ドミニコ会士でサン・マルコ修道院に所属・「[[受胎告知]]」などが有名 * [[パオロ・ウッチェロ]]([[1397年]] - [[1475年]]) - フィレンツェの画家・代表作に「サン・ロマーノの戦い」「ジョン・ホークウッド像」がある * [[パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ|トスカネリ]]([[1397年]] - [[1482年]]) - フィレンツェの地理学者・数学者・天文学者・実際よりも小さく[[地球]]の[[周長]]を見積りコロンブスに影響 * [[フランチェスコ・スフォルツァ]]([[1401年]] - [[1466年]]) - [[スフォルツァ家]]最初のミラノ公(在位[[1450年]] - [[1466年]])・ローディの和に協力 * [[マサッチオ]]([[1401年]] - [[1428年]]) - フィレンツェの画家・[[遠近法|透視遠近法]]を大成しブランカッチ礼拝堂フレスコ画などを手がける * [[レオン・バッティスタ・アルベルティ]]([[1404年]] - [[1472年]]) - フィレンツェの人文主義者・建築家・他の学芸にも秀で「万能人」の典型とされる * [[ピウス2世 (ローマ教皇)|ピウス2世]]([[1405年]] - [[1464年]]) - ローマ教皇(在位[[1458年]] - [[1464年]])・もとは[[人文主義者]]・オスマン朝に対する[[十字軍]]提唱 * [[ロレンツォ・ヴァッラ]]([[1407年]] - [[1457年]]) - ローマ出身の人文主義者・文献調査から『[[コンスタンティヌスの寄進状]]』を偽書と指摘 * [[ピエロ・デラ・フランチェスカ]]([[1412年]] - [[1492年]]) - [[ウルビーノ]]で活躍した画家・[[遠近法]]や[[幾何学]]に優れ代表作に「聖十字架伝説」がある * [[フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ]]([[1422年]] - [[1482年]]) - ウルビーノ公・傭兵隊長・パトロンとしてウルビーノ宮廷で文化を保護育成する * [[ジョヴァンニ・ベッリーニ]]([[1430年]]頃 - [[1516年]]) - [[ヴェネツィア派]]の画家・油彩技法をこの地で拡げる・「[[レオナルド・ロレダン]]の肖像」がある * [[アンドレア・マンテーニャ]]([[1431年]] - [[1506年]]) - [[マントヴァ]]で活躍した画家・遠近法や人体描写に優れ代表作に「死せるキリスト」がある * [[マルシリオ・フィチーノ]]([[1433年]] - [[1499年]]) - フィレンツェの人文主義者・哲学者・神学者・[[プラトン]]の著作を翻訳・代表作は『プラトン神学』 * [[アンドレア・デル・ヴェロッキオ]]([[1435年]]頃 - [[1488年]]) - フィレンツェの画家・彫刻家・建築家・[[レオナルド・ダ・ヴィンチ|レオナルド]]の師としても有名 * [[サンドロ・ボッティチェッリ]]([[1445年]]? - [[1510年]]) - フィレンツェ出身の画家でルネサンスを代表する「[[プリマヴェーラ|春]]」「[[ヴィーナスの誕生]]」を描く * [[ロレンツォ・デ・メディチ]](イル・マニフィコ)([[1449年]] - [[1492年]]) - フィレンツェの銀行家・[[コジモ・デ・メディチ|コジモ]]の孫・事実上のフィレンツェの[[僭主]] * [[ジロラモ・サヴォナローラ]]([[1452年]] - [[1498年]]) - フィレンツェの修道院長・メディチ家が失脚してフィレンツェを支配・火刑に処される * [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]([[1452年]] - [[1519年]]) - フィレンツェの画家・[[彫刻家]]・[[建築家]]など「万能の天才」・「[[モナリザ]]」他がある * [[ピコ・デラ・ミランドラ]]([[1463年]] - [[1494年]]) - フィレンツェの[[プラトン・アカデミー]]の中心人物・『人間の尊厳について』を著す * [[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]([[1475年]] - [[1564年]]) - フィレンツェの画家・彫刻家・「ダヴィデ像」「ピエタ」・「最後の審判」などの作品で知られる ==== イベリア半島 ==== * [[エンリケ航海王子]]([[1394年]] - [[1460年]]) - [[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]の王子・航海者の育成を支援し[[大航海時代]]を準備する * [[トマス・デ・トルケマダ]]([[1420年]] - [[1498年]]) - スペインの[[異端審問]]所長官・[[ドミニコ会]]士・[[カトリック両王]]に仕え激しい異端審問を行う * [[バルトロメウ・ディアス]]([[1450年]]頃 - [[1500年]]) - ポルトガルの航海者でヨーロッパ人として初めて[[喜望峰]]に到達した * [[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]([[1451年]] - [[1504年]]) - [[トラスタマラ家]]の[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王(在位[[1474年]] - [[1504年]])・夫[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド]]との結婚で[[スペイン王国]]成立 * [[クリストファー・コロンブス]]([[1451年]]頃 - [[1506年]]) - [[ジェノヴァ]]出身の探検家・[[スペイン]]王の支援でいわゆる「[[アメリカ大陸]]を発見」 * [[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]([[1452年]] - [[1516年]]) - [[トラスタマラ家]]の[[アラゴン王国|アラゴン王]](在位[[1479年]] - [[1516年]])・妻[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル]]との結婚で[[スペイン|スペイン王国]]成立 * [[ディオゴ・カン]]([[1452年]]頃 - [[1486年]]頃) - ポルトガルの航海者・コンゴ川を遡り[[コンゴ王国]]との通商を始める・現[[ナミビア]]にまで到達したか * [[ジョアン2世 (ポルトガル王)|ジョアン2世]](無欠王)([[1455年]] - [[1495年]]) - [[アヴィス王朝|アヴィス朝]]のポルトガル王(在位[[1481年]] -[[1495年]])・ポルトガル最盛期の王 * [[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]([[1467年]]/[[1468年]] - [[1520年]]) - ポルトガルの航海者・探検家・ヨーロッパ人で初めて[[ブラジル]]に到着 * [[ヴァスコ・ダ・ガマ]]([[1469年]]頃 - [[1524年]]) - ポルトガルの航海者・探検家・[[喜望峰]]を経て[[インド洋]]から[[インド]]([[カリカット]])に到着 ==== 東ローマ帝国 ==== * [[ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン]]([[1360年]]? - [[1452年]]) - 東ローマ帝国末期の[[プラトン]]学者・「[[パレオロゴス朝ルネサンス]]」を代表する * [[ヨハンネス・ベッサリオン]]([[1399年]]? - [[1472年]]) - 東ローマ帝国から亡命した[[人文主義者]]・[[正教会]]から[[カトリック教会|カトリック]]に転じ枢機卿となる * [[コンスタンティノス11世]]([[1409年]] - [[1453年]]) - [[東ローマ帝国]]最後の皇帝(在位[[1448年]] - [[1453年]])・オスマン朝との[[コンスタンティノープルの陥落|帝都攻防戦]]で戦死 * [[ゲンナディオス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ゲンナディオス2世]]([[1400年]] - [[1468年]]?) - 東ローマ帝国滅亡後で最初のコンスタンティノポリス総主教・東西教会合同には反対 ==== 東欧 ==== * [[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]([[1351年]] - [[1434年]]) - [[ヤギェウォ朝]]の君主・[[タンネンベルクの戦い (1410年)|タンネンベルクの戦い]]で[[ドイツ騎士団]]に勝利 * [[ヤン・フス]]([[1369年]] - [[1415年]]) - [[ベーメン]]の[[カレル大学]]学長・[[宗教改革]]の先駆者とされる・コンスタンツ公会議で火刑に処される * [[ヤン・ジシュカ]]([[1374年]] - [[1424年]]) - ベーメンの軍人・ターボル派(急進フス支持派)を率い[[フス戦争]]で活躍する * [[スカンデルベグ]]([[1405年]] - [[1468年]]) - [[アルバニア]]の君主・オスマン帝国に一時臣従するも反逆・アルバニアの民族的英雄 * [[フニャディ・ヤーノシュ]]([[1409年]]? - [[1456年]]) - [[ハンガリー]]の政治家(摂政)・オスマン帝国とたびたび交戦・[[ヴァルナの戦い]]では敗北 * [[ヴラド・ツェペシュ]]([[1431年]] - [[1476年]]) - [[ルーマニア]]の[[ワラキア]]公・通称ドラキュラ公または串刺し公・トルコから国を救った英雄 * [[マーチャーシュ1世]](正義王)([[1443年]] - [[1490年]]) - ハンガリー王(在位[[1458年]] - [[1490年]])・[[ルネサンス]]文化をハンガリーに広げる ==== ロシア ==== * [[アンドレイ・ルブリョフ]]([[1360年]]頃 - [[1430年]]) - ロシアの修道士・モスクワ派(ルブリョフ派)のイコン画家・代表作に「[[至聖三者]]」がある * イシドール([[1385年]]頃 - [[1464年]]) - モスクワ府主教・ギリシア人・フィレンツェ公会議に出席し東西教会合同宣言に署名・後に追放される * [[イヴァン3世]]([[1440年]] - [[1505年]]) - [[モスクワ大公]](在位[[1462年]] - [[1505年]])・[[ゾイ・パレオロギナ]]と結婚し「[[ツァーリ]]」の称号を用いる === イスラム世界 === * [[ティムール]]([[1336年]] - [[1405年]]) - 中央アジアの征服者で[[ティムール朝]]の建設者(在位[[1370年]] - [[1405年]])・[[アンカラの戦い]]で勝利 * [[ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホ]](? - [[1412年]]) - カスティリャ王エンリケ3世がティムール朝へ派遣した外交官・『ティムール帝国紀行』を残す * ムハンマド・イブン・ムハンマド・アル・ナフザウィ(活躍時期[[1410年]] - [[1434年]]) - [[ハフス朝]]に仕えた文筆家・性愛文学『[[匂える園]]』を残す * [[ヒズル・ハーン]](? - [[1421年]]) - [[サイイド朝]]の初代君主(在位[[1414年]] - [[1421年]])・もともとはティムール朝に仕えた軍人 * カラ・ユースフ(? - [[1420年]])- [[アナトリア半島|アナトリア]]の[[黒羊朝]](カラ・コユンル朝)の第3代君主(在位[[1389年]]/[[1390年]] - [[1400年]]、[[1406年]] - [[1420年]]) * [[カラ・ユルク・オスマン]](? - [[1435年]]) - アナトリアの[[白羊朝]](アク・コユンル朝)の初代君主(在位[[1378年]] - [[1435年]]) * [[アル=マクリーズィー]]([[1364年]]頃 - [[1435年]]) - マムルーク朝の地理歴史学者。『エジプト地誌』『エジプト社会救済の書』などがある * [[シャー・ルフ]]([[1377年]] - [[1447年]]) - ティムール朝の第3代君主(在位[[1409年]] - [[1447年]])・[[サマルカンド]]から[[ヘラート]]に都を遷す * ハーフェズ・アブルー(? - [[1430年]]) - ティムール朝の[[シャー・ルフ]]に命じられ『歴史集成』を撰述 * [[アシュラフ・バルスバーイ]](? - [[1438年]]) - [[マムルーク朝]]の[[スルターン]](在位[[1422年]] - [[1438年]])・マムルーク朝の中興の祖 * [[ウルグ・ベク]]([[1394年]] - [[1449年]]) - ティムール朝の第4代君主(在位[[1447年]] - [[1449年]])・天文学者・歴史家としても知られる * [[ムラト2世]]([[1404年]] - [[1451年]]) - [[オスマン帝国|オスマン朝]]の第6代スルタン(在位[[1421年]] - [[1444年]]、[[1446年]] - [[1451年]])・[[ヴァルナの戦い]]で勝利 * [[ジャーミー]]([[1414年]] - [[1492年]]) - ヘラートで活躍した神秘主義詩人・ペルシア語の恋愛詩「ユースフとズライハ」などの作品で知られる * [[ウズン・ハサン]]([[1423年]] - [[1478年]]) - 白羊朝の君主(在位[[1453年]] - [[1478年]])・黒羊朝を滅ぼしイラン西部まで領土を拡大 * [[アブー・サイード (ティムール朝)|アブー・サイード]]([[1424年]] - [[1469年]]) - ティムール朝の第7代君主(在位[[1451年]] - [[1469年]])・ティムール朝再統一・[[バーブル]]の祖父 * [[メフメト2世]](征服王)([[1432年]] - [[1481年]]) - オスマン朝のスルタン(在位[[1451年]] - [[1481年]])・[[東ローマ帝国]]を滅ぼしバルカンを平定 * [[バフルール・ローディー]](? - [[1489年]]) - [[ローディー朝]]の初代君主(在位[[1451年]] - [[1489年]])・アフガン系ローディー族の[[サルダール]](指導者) * ミールホーンド([[1433年]] - [[1498年]]) - ティムール朝の歴史家・天地創造からティムール朝までの歴史書『[[清浄の園]]』を著す * [[フサイン・バイカラ]]([[1438年]] - [[1506年]]) - ティムール朝[[ヘラート]]政権の君主(在位[[1470年]] - [[1506年]])・最盛期の君主 * [[ミール・アリー・シール・ナヴァーイー]]([[1441年]] - [[1501年]]) - ティムール朝の政治家・詩集『諸思想の宝庫』や思想書『敬虔な信者の困惑』がある * [[ボアブディル]](ムハンマド12世)([[1460年]]? - [[1527年]]) - [[ナスル朝]]([[グラナダ王国]])の最後の君主(在位[[1482年]] - [[1492年]]) === 南アジア === * [[ラーマーナンダ]]([[1400年]]頃 - [[1470年]]頃) - インドの宗教家・[[ワーラーナシー]]で活躍し[[カースト制度]]を否定・[[カビール]]に影響を与える === 東南アジア === * パラメスワラ(? - [[1414年]]) - マラッカ王国の初代国王(在位[[1402年]] - [[1414年]])・もとはシュリーヴィジャヤ王国の王子 * [[ボーロマトライローカナート]]([[1431年]] - [[1488年]]) - タイのアユタヤ朝の国王(在位[[1448年]] - [[1488年]])・[[サックディナー制度]]を完成させる === 東アジア === ==== 明 ==== * [[姚広孝]]([[1335年]] - [[1418年]]) - [[明]]の政治家・軍師・法名は道衍・[[靖難の変]]で永楽帝に挙兵を進言・第一の功臣とされる * [[永楽帝]]([[1360年]] - [[1424年]]) - 明の第3代皇帝(成祖)(在位[[1402年]] - [[1424年]])・靖難の変に勝利し[[北京]]に都を遷す * 楊士奇([[1365年]] - [[1444年]]) - 明の政治家・[[洪熙帝]]と[[宣徳帝]]の治世([[仁宣の治]])を支えた「三楊」の一人(他に楊栄・楊溥) * [[陳誠 (明朝)|陳誠]]([[1365年]] - [[1457年]]) - 明の外交官・探検家・陸路からティムール朝を訪れその記録を『[[西域番国志]]』に残す * [[鄭和]]([[1371年]] - [[1434年]]) - 明の[[宦官]](太監)・探検家・永楽帝の命で南海大遠征を指揮し東南アジア・インド・アラビアなどに赴く * 亦失哈(イシハ)(生没年不詳) - 明の宦官(女真族)・探検家・[[黒竜江]]流域に赴き奴児干都司を設置・石碑「奴児干永寧寺碑記」が残る * [[朱高煦]]([[1380年]] - [[1426年]]) - 明の皇族(漢王)・永楽帝の子で洪熙帝の弟・甥の宣徳帝から帝位簒奪を謀るが失敗し処刑される * [[宣徳帝]]([[1398年]] - [[1435年]]) - 明の第5代皇帝(在位[[1425年]] - [[1435年]])・その治世が[[仁宣の治]]・[[鄭和]]の最後の南海大遠征を派遣 * [[于謙]]([[1398年]] - [[1457年]]) - 明の政治家・[[土木の変]]で[[正統帝]]が捕虜になると弟の[[景泰帝]]を擁立し[[北京]]に迫った[[オイラト]]軍を撃退 * [[王振]](? - [[1449年]]) - 明の[[宦官]]・正統帝の教育係としてオイラト遠征を勧め土木の変にて戦死する * 鄧茂七(? - [[1449年]]) - 明の農民反乱指導者・[[福建省]]で小作料や徭役の減免を要求して蜂起(抗租)・[[曹吉祥]]の軍に鎮圧される * [[曹吉祥]](? - [[1461年]]) - 明の宦官・石亨と共謀して[[奪門の変]]を起こし天順帝を重祚させる・于謙らも粛清し権勢を誇るが処刑される * [[李賢 (明)|李賢]]([[1408年]] - [[1466年]]) - 明の政治家・奪門の変で権勢を振るった石亨や曹吉祥を倒し天順帝の信任を得る * [[英宗 (明)|正統・天順帝]]([[1427年]] - [[1464年]]) - 明の第6代・第8代皇帝(英宗)(在位[[1435年]] - [[1449年]]、[[1457年]] - [[1464年]]) * [[沈周]]([[1427年]] - [[1509年]]) - 明の[[文人]]・画家で[[呉派]]の中心人物・[[唐寅]]や[[祝允明]]や[[文徴明]]らは弟子 * [[万貴妃]]([[1430年]] - [[1487年]]) - 明の第9代皇帝[[成化帝]]の寵姫・後宮を支配し皇帝の後継者問題に容喙した * [[弘治帝]]([[1470年]] - [[1505年]]) - 明の第10代皇帝(在位[[1487年]] - [[1505年]])・先帝までの弊を改め明の[[中興の祖]]と呼ばれる ==== 大越 ==== * [[黎利]]([[1385年]] - [[1433年]]) - [[ベトナム]](大越国)の[[後黎朝]]の初代皇帝(太祖)(在位[[1428年]] - [[1433年]])・明から独立を果たす * [[黎聖宗]]([[1442年]] - [[1497年]]) - ベトナム(大越国)の後黎朝の第5代皇帝(在位[[1460年]] - [[1497年]])・[[チャンパ]]を屈服させ「光順中興」を現出 ==== モンゴル ==== * [[エセン・ハーン]](? - [[1454年]]) - [[オイラト]]部の部族長・土木の変で明の正統帝を捕虜とする・後にハーンとなるが反対が多く殺される * [[ダヤン・ハーン]]([[1464年]] - [[1524年]]) - [[モンゴル]]のハーン・長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一 ==== 朝鮮 ==== * 宋希璟([[1376年]] - [[1446年]]) - [[李氏朝鮮]]の官僚・[[応永の外寇]]の処理のため派遣され来日・『老松堂日本行録』がある * [[世宗 (朝鮮王)|世宗]](大王)([[1397年]] - [[1450年]]) - 李氏朝鮮の第4代国王(在位[[1418年]] - [[1450年]])・[[ハングル]]([[訓民正音]])を制定する * [[世祖 (朝鮮王)|世祖]]([[1417年]] - [[1468年]]) - 李氏朝鮮の第7代国王(在位[[1455年]] - [[1468年]])・[[癸酉靖難]]後に甥の[[端宗 (朝鮮王)|端宗]]を倒し即位する * [[申叔舟]]([[1417年]] - [[1475年]]) - 李氏朝鮮の官僚・癸酉靖難では首陽大君(世祖)に協力・来日した記録に『[[海東諸国紀]]』がある === 日本 === * [[満済]]([[1378年]] - [[1435年]]) - [[真言宗]]の僧・[[醍醐寺]]中興の祖・[[准后]]として将軍[[足利義教]]の選出に尽力 * [[赤松満祐]]([[1381年]]? - [[1441年]]) - [[守護大名]]・[[嘉吉の乱]]で将軍足利義教を暗殺・幕府軍に追討され自殺 * [[正徹]]([[1381年]] - [[1459年]]) - 臨済宗の僧・歌人であり古典学者・『[[正徹物語]]』がある * [[上杉禅秀]](? - [[1417年]]) - 室町時代[[関東管領]]・[[鎌倉公方]][[足利持氏]]と対立し反乱を起こすが鎮圧される([[上杉禅秀の乱]]) * [[足利義持]]([[1386年]] - [[1428年]]) - [[室町幕府]]第4代将軍(在任[[1394年]] - [[1423年]])・父の[[足利義満]]の政策を否定 * [[善阿弥]]([[1386年]]? - [[1482年]]?) - 庭師・[[河原者]]という身分ながら将軍[[足利義政]]に重用される・[[花の御所]]庭園などを造営 * [[瑞渓周鳳]]([[1392年]] - [[1473年]]) - 臨済宗五山派の禅僧・[[相国寺]]住持・外交に関与し日本初の外交資料集『[[善隣国宝記]]』を編纂 * [[足利義教]]([[1394年]] - [[1441年]]) - 室町幕府第6代将軍(在任[[1429年]] - [[1441年]])・「万人恐怖」と呼ばれる強権政治を行う * [[一休宗純]]([[1394年]] - [[1481年]]) - [[臨済宗]][[大徳寺]]派の禅僧・漢詩人として『[[狂雲集]]』がある・[[一休さん]]の[[頓智話|頓知話]]でも知られる * [[能阿弥]]([[1397年]] - [[1471年]]) - 室町幕府の同朋衆・水墨画家・鑑定家として[[東山御物]]を選定・子に芸阿弥・孫に相阿弥がいる * [[周文]](生没年不詳) - [[水墨画]]家・禅僧・「水色巒光図」「竹斎読書図」が残る * [[如拙]](生没年不詳) - 水墨画家・禅僧・将軍[[足利義持]]の命で書いた「[[瓢鮎図]]」が残る * [[足利持氏]]([[1398年]] - [[1439年]]) - 室町幕府の[[鎌倉公方]]・[[永享の乱]]で室町将軍と対立し滅ぼされる * [[一条兼良]]([[1402年]] - [[1481年]]) - [[公卿]]・[[摂政]]・[[関白]]・古典学者で『[[花鳥余情]]』などの著者 * [[結城氏朝]]([[1402年]] - [[1441年]]) - 守護大名・永享の乱後に足利持氏の遺児を擁して幕府と戦う([[結城合戦]]) * [[山名宗全]]([[1404年]] - [[1473年]]) - 室町幕府[[侍所]]頭人・守護大名・[[応仁の乱]]では西軍の総大将を務める * [[日親]]([[1407年]] - [[1488年]]) - 日蓮宗の僧・京都[[本法寺 (京都市)|本法寺]]開山・将軍足利義教に拷問を受けた「鍋かぶり日親」の話が有名 * [[足利義量]]([[1407年]] - [[1425年]]) - 室町幕府第5代将軍(在任[[1423年]] - [[1425年]]) * [[上杉憲実]]([[1410年]]? - [[1466年]]?) - 室町幕府[[関東管領]]・[[鎌倉公方]][[足利持氏]]と対立・[[足利学校]]を再興 * [[蓮如]]([[1415年]] - [[1499年]]) - [[本願寺]]第8世・北陸地方で信者を開拓し[[一向一揆]]を指導する * [[雪舟等楊]]([[1420年]] - [[1506年]]?) - 水墨画家・禅僧・渡明して技法を学ぶ・「秋冬山水図」や「天橋立図」で知られる * [[宗祇]]([[1421年]] - [[1502年]]) - [[連歌]]師・[[東常縁]]より[[古今伝授]]を受ける・『[[新撰菟玖波集]]』を撰集 * [[村田珠光]]([[1422年]]/[[1423年]] - [[1502年]]) - [[茶人]]・[[一休宗純]]に参禅・[[唐物]]を賞玩する茶を否定し[[わび茶]]を創始 * [[池坊専慶]](活躍時期[[1457年]]頃 - [[1466年]]頃) - 京都[[頂法寺]](六角堂)の僧・[[池坊]][[華道]]の元祖とされ『[[碧山日録]]』に記録が残る * [[朝倉孝景 (7代当主)|朝倉孝景]]([[1428年]] - [[1481年]]) - 守護大名・[[斯波義廉]]と組んで応仁の乱では西軍に属すが後に裏切る * [[日野勝光]]([[1429年]] - [[1476年]]) - 公卿(左大臣)・妹に日野富子がおり足利義尚は甥・「押大臣」と呼ばれ権勢を誇った * [[細川勝元]]([[1430年]] - [[1473年]]) - 室町幕府[[管領]]・守護大名・応仁の乱では東軍の総大将を務める * [[骨皮道賢]](? - [[1468年]]) - [[足軽]]大将・応仁の乱では[[細川勝元]]の東軍に属す・略奪放火を繰り返し乱の被害を拡大させる * [[太田道灌]]([[1432年]] - [[1486年]]) - 関東管領上杉氏の一族([[扇谷上杉家]])の家宰・[[江戸城]]を築く * [[足利義勝]]([[1434年]] - [[1443年]]) - 室町幕府第7代将軍(在任[[1442年]] - [[1443年]]) * [[狩野正信]]([[1434年]]? - [[1530年]]?) - 室町幕府[[御用絵師]]・[[狩野派]]の祖・「周茂叔愛蓮図」などがある * [[斯波義敏]]([[1435年]] - [[1508年]]) - 守護大名・[[武衛騒動]]で[[斯波義廉]]と家督を争う・後に応仁の乱では東軍に属す * [[吉田兼倶]]([[1435年]] - [[1511年]]) - 神道家・[[吉田神道]](唯一神道)の事実上の創始者として全国の神社を統括・著作に『[[神道大意]]』ほか * [[足利義政]]([[1436年]] - [[1490年]]) - 室町幕府第8代将軍(在任[[1449年]] - [[1473年]])・[[東山文化]]を代表する[[慈照寺]]銀閣を建てる * [[足利成氏]]([[1438年]] - [[1497年]]) - 室町幕府の[[鎌倉公方]]・足利持氏の遺児・[[享徳の乱]]で鎌倉を出奔し初代[[古河公方]]となる * [[足利義視]]([[1439年]] - [[1491年]]) - 足利義政の弟で将軍候補の一人・後に子の[[足利義稙]]が10代将軍となる * [[日野富子]]([[1440年]] - [[1496年]]) - 足利義政の正室・将軍後継をめぐり実子の[[足利義尚]]を推し応仁の乱の原因をなす * [[畠山政長]]([[1442年]] - [[1493年]]) - 守護大名・室町幕府管領・応仁の乱では東軍に属す・[[畠山義就]]との家督争いから[[山城国一揆]]を招く * [[真盛]]([[1443年]] - [[1495年]]) - 天台宗の僧・天台宗真盛派の祖・[[近江国|近江]][[西教寺]]を再興する・諡号は慈摂大師 * [[大内政弘]]([[1446年]] - [[1495年]]) - 守護大名・応仁の乱では西軍に属し動向を左右する・本拠地[[山口市|山口]]で[[大内文化]]を育む * [[三条西実隆]]([[1455年]] - [[1537年]]) - 公卿・[[内大臣]]・[[宗祇]]から[[古今伝授]]を受ける・『[[実隆公記]]』を残す * [[足利義尚]]([[1465年]] - [[1489年]]) - 室町幕府第9代将軍(在任[[1473年]] - [[1489年]])・[[六角征伐]]の[[鈎の陣]]で病没 * [[足利義稙]]([[1466年]] - [[1523年]]) - 室町幕府第10代将軍(在任[[1490年]] - [[1493年]]、[[1508年]] - [[1521年]])・通称「流れ公方」 * [[足利義澄]]([[1480年]] - [[1511年]]) - 室町幕府第11代将軍(在任[[1493年]] - [[1508年]])・[[明応の政変]]で擁立される == フィクションのできごと == * [[1482年]] - パリの[[ノートルダム大聖堂]][[助祭]]長フロロが[[ジプシー]]の踊り子エスメラルダを魔女裁判で処刑。大聖堂の鐘つきカジモドがそれに反発しフロロを殺害する([[ヴィクトル・ユーゴー]]『[[ノートルダム・ド・パリ]]』)。 == 脚注 == <references /> == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[1400年代]]''' || [[1400年|1400]] || [[1401年|1401]] | [[1402年|1402]] || [[1403年|1403]] | [[1404年|1404]] || [[1405年|1405]] || [[1406年|1406]] | [[1407年|1407]] || [[1408年|1408]] || [[1409年|1409]] |- | '''[[1410年代]]''' || [[1410年|1410]] || [[1411年|1411]] | [[1412年|1412]] || [[1413年|1413]] | [[1414年|1414]] || [[1415年|1415]] || [[1416年|1416]] | [[1417年|1417]] || [[1418年|1418]] || [[1419年|1419]] |- | '''[[1420年代]]''' || [[1420年|1420]] || [[1421年|1421]] | [[1422年|1422]] || [[1423年|1423]] | [[1424年|1424]] || [[1425年|1425]] || [[1426年|1426]] | [[1427年|1427]] || [[1428年|1428]] || [[1429年|1429]] |- | '''[[1430年代]]''' || [[1430年|1430]] || [[1431年|1431]] | [[1432年|1432]] || [[1433年|1433]] | [[1434年|1434]] || [[1435年|1435]] || [[1436年|1436]] | [[1437年|1437]] || [[1438年|1438]] || [[1439年|1439]] |- | '''[[1440年代]]''' || [[1440年|1440]] || [[1441年|1441]] | [[1442年|1442]] || [[1443年|1443]] | [[1444年|1444]] || [[1445年|1445]] || [[1446年|1446]] | [[1447年|1447]] || [[1448年|1448]] || [[1449年|1449]] |- | '''[[1450年代]]''' || [[1450年|1450]] || [[1451年|1451]] | [[1452年|1452]] || [[1453年|1453]] | [[1454年|1454]] || [[1455年|1455]] || [[1456年|1456]] | [[1457年|1457]] || [[1458年|1458]] || [[1459年|1459]] |- | '''[[1460年代]]''' || [[1460年|1460]] || [[1461年|1461]] | [[1462年|1462]] || [[1463年|1463]] | [[1464年|1464]] || [[1465年|1465]] || [[1466年|1466]] | [[1467年|1467]] || [[1468年|1468]] || [[1469年|1469]] |- | '''[[1470年代]]''' || [[1470年|1470]] || [[1471年|1471]] | [[1472年|1472]] || [[1473年|1473]] | [[1474年|1474]] || [[1475年|1475]] || [[1476年|1476]] | [[1477年|1477]] || [[1478年|1478]] || [[1479年|1479]] |- | '''[[1480年代]]''' || [[1480年|1480]] || [[1481年|1481]] | [[1482年|1482]] || [[1483年|1483]] | [[1484年|1484]] || [[1485年|1485]] || [[1486年|1486]] | [[1487年|1487]] || [[1488年|1488]] || [[1489年|1489]] |- | '''[[1490年代]]''' || [[1490年|1490]] || [[1491年|1491]] | [[1492年|1492]] || [[1493年|1493]] | [[1494年|1494]] || [[1495年|1495]] || [[1496年|1496]] | [[1497年|1497]] || [[1498年|1498]] || [[1499年|1499]] |- | '''[[1500年代]]''' || [[1500年|1500]] || [[1501年|1501]] | [[1502年|1502]] || [[1503年|1503]] | [[1504年|1504]] || [[1505年|1505]] || [[1506年|1506]] | [[1507年|1507]] || [[1508年|1508]] || [[1509年|1509]] |} [[Category:15世紀|*]]
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