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11世紀
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{{centurybox| 前世紀=10 | 世紀=11 | 次世紀=12 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | 前世紀=10 | }} [[ファイル:Hugo-v-cluny heinrich-iv mathilde-v-tuszien cod-vat-lat-4922 1115ad.jpg|220px|right|thumb|[[カノッサの屈辱]]。ハインリヒ4世(中央)、[[マティルデ・ディ・カノッサ|トスカーナ女伯マティルデ]](右)、[[クリュニー修道院]]長(左)。]] [[ファイル:Bayeux Tapestry scene57 Harold death.jpg|220px|right|thumb|[[バイユーのタペストリー]]に描かれた[[ヘイスティングズの戦い]]におけるイングランド王[[ハロルド2世]]の死。この戦いに勝利した[[ノルマンディー公]]ギョーム2世がイングランド王[[ウィリアム1世]]になる。]] [[ファイル:Byodoin Phoenix Hall Uji 2009.jpg|270px|right|thumb|[[宇治]]の[[平等院鳳凰堂]]。[[阿弥陀仏]]の[[極楽浄土]]に往生すること([[浄土思想]])を願う[[関白]][[藤原頼通]]によって建てられた。]] [[ファイル:The Fugong Temple Wooden Pagoda.jpg|thumb|right|180px|山西省応県の仏宮寺釈迦塔(応県木塔)。遼の章聖皇太后の弟蕭孝穆により建立された中国最古の木造の塔。]] [[ファイル:Wang Anshi.jpg|thumb|right|180px|北宋の宰相・[[王安石]]。慢性的な財政難を克服するため神宗皇帝の熙寧年間に大改革を行った王安石だったが、[[司馬光]]らとの党争を惹起し、国内を混乱させることともなった。]] [[ファイル:Khajuraho5.jpg|200px|right|thumb|[[カジュラーホー]]のパールシュバナータ寺院の塔(シカラ)。[[チャンデーラ朝]]のダンガ王と続く歴代の王によって建立された。]] [[ファイル:Shahnameh3-1.jpg|200px|right|thumb|サファヴィー朝時代の『[[シャー・ナーメ]]』の写本。11世紀初めに[[フェルドウスィー]]によってまとめられた長大なペルシア民族叙事詩。]] [[ファイル:Empress_Zoe_mosaic_Hagia_Sophia.jpg|thumb|300px|キリストと東ローマ皇帝コンスタンティノス9世と皇后ゾエの肖像。この皇帝の時代に東西教会分裂につながる相互破門事件が発生した。画像は[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]内の[[モザイク]]画。]] [[ファイル:Telamones Tula.jpg|thumb|right|230px|[[トゥーラ=シココティトラン]]。10世紀から11世紀に栄えた[[メキシコ]]の[[後古典期]]の遺跡で、伝承では[[トルテカ帝国]]の都だとされている。]] '''11世紀'''(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、[[西暦]][[1001年]]から西暦[[1100年]]までの100年間を指す。[[2千年紀]]における最初の世紀である。 == 11世紀の歴史 == === イスラム圏 === 11世紀は、[[西アジア]]で'''[[チュルク|トルコ]]系のイスラム王朝'''の[[ガズニ朝]]や[[セルジューク朝]]の台頭が著しく、前者は[[北インド]]に侵入し'''インドのイスラム化'''の契機をつくり、後者は[[東ローマ帝国]]を打ち破って、小アジアにまで勢力を伸ばした。北[[アフリカ]]の[[モロッコ]]近辺では[[ムラービト朝]]など[[ベルベル人]]のイスラム王朝の台頭が始まって、[[レコンキスタ]]を停滞させる一方、[[サハラ交易]]で繁栄した[[ガーナ王国]]を滅ぼした。 === ヨーロッパ === 東ヨーロッパでは東ローマ帝国が[[第一次ブルガリア帝国]]を征服してバルカン半島全土を回復して最盛期を迎えるが、11世紀後半に入ると衰退に転じ、国内の反乱やセルジューク朝、[[ノルマン人]]などの外敵に悩まされることになる。西ヨーロッパでは'''教皇権が伸長'''する一方、'''[[東西教会の分裂]]'''が起こっている。また、東ローマ帝国皇帝[[アレクシオス1世コムネノス]]が[[ローマ教皇]][[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]に救援を依頼したことが発端で、'''[[十字軍の遠征]]'''が開始された。 === 東アジア・東南アジア === [[東南アジア]]、[[南インド]]では、1025年を境に[[シュリーヴィジャヤ]]の衰退と、[[チョーラ朝]]、[[クディリ王国]]が全盛を極めた。[[東アジア]]では、[[北宋]]の経済的繁栄は続くものの、[[遼]]や[[西夏]]への歳幣の負担と社会的格差の進行が重くのしかかり、[[王安石]]の改革が始まった。 日本では[[平安時代]]中期から後期の初めにあたる。[[院政]]の開始以降を[[中世]]に区分する場合がある。11世紀の前半から中葉にかけては、藤原北家による'''[[摂関政治]]'''が全盛を極めたが、地方では国司苛政上訴が行なわれ、小領主の有力[[武士]]が台頭していた。名目的な寄進[[荘園]]に課税するなど税の公平さを保つために[[荘園整理令]]が行なわれた。11世紀の後半になると藤原氏の力が及ばない[[後三条天皇]]の親政が契機となり、'''院政'''がはじまった(院政時代)。[[荘園公領制]]はこの院政期を通じて発展していくことになる。 == できごと == * [[東ローマ帝国]]の全盛期。 * [[セルジューク朝]]トルコの成立と拡張、東ローマ帝国の衰退始まる。 * [[東西教会の分裂]]と西方での[[ローマ教皇]]権の全盛。 * [[十字軍]]遠征の開始。 * [[ノルマン人]]の勢力拡大続く。 * [[北インド]]に[[ガズニ朝]]侵攻、以後北インド[[イスラム教|イスラム]]化へ。[[南インド]]、[[チョーラ朝]]の全盛。 * [[北アフリカ]]の[[ムラービト朝]]台頭。 * 日本では[[院政]]の開始。[[荘園]]の新立を制止。 * 英語圏最古の大学である[[オックスフォード大学]]創立。 ---- * [[1002年]] - この頃、[[紫式部]]の『[[源氏物語]]』が成立。 * [[1002年]] - イングランド王[[エゼルレッド2世 (イングランド王)|エゼルレッド2世]]無思慮王が国内のデーン人を虐殺。 * [[1004年]] - [[セン淵の盟|澶淵の盟]]。 * [[1005年]] - [[ファーティマ朝]]カリフの[[ハーキム]]が[[カイロ]]に「知恵の家(ダール・アル・イルム)」を設置。 * [[1006年]] - [[おおかみ座]]に[[超新星]](SN1006)出現。明るさは太陽と月を除いて史上最高の-9等級と推定される。後世、[[藤原定家]]が『[[明月記]]』に記録。他各国で記録あり。 * [[1008年]] - 北宋皇帝[[真宗]]が[[泰山]]で[[封禅]]の儀を行う。 * [[1009年]] - ファーティマ朝カリフのハーキムの命令で[[エルサレム]]の[[聖墳墓教会]]が破壊される。 * [[1011年]] - 一条天皇が譲位し[[三条天皇]]が即位する。 * [[1013年]] - デンマーク王[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン1世]]双叉髭王がエゼルレッド2世に勝利してイングランド王になる。 * [[1016年]] - [[ジャワ]]のクディリ王[[ダルマヴァンシャ王|ダルマヴァンシャ]]が殺害される。 * [[1016年]] - 三条天皇が譲位し[[後一条天皇]]が即位。外祖父の[[藤原道長]]が摂政となる。 * [[1017年]] - [[チョーラ朝]]の[[ラージェンドラ1世]]が[[シュリーヴィジャヤ]]征討の艦隊を派遣。 * [[1018年]] - [[ダンカン1世 (スコットランド王)|ダンカン1世]]が[[ストラスクライド王国]]の王位を継承し、[[スコットランド]]のほぼ全域を支配。 * [[1018年]] - [[バシレイオス2世]]が第1次[[ブルガリア]]帝国を滅ぼし、東ローマ帝国が[[バルカン半島]]のほぼ全域を奪回。 * [[1018年]] - [[ガズニ朝]]のマフムードがインド遠征で[[プラティハーラ朝]]を滅ぼす。 * [[1018年]] - 藤原道長の娘威子が後一条天皇の后となり、祝宴にて「望月の歌」が詠まれる。 * [[1019年]] - [[刀伊の入寇]]。 * [[1020年]] - 遼と高麗が和平を結び、高麗は遼の服属国となる。 * [[1021年]] - ファーティマ朝カリフのハーキムが消息不明となる。 * [[1025年]] - チョーラ朝のラージェンドラ1世が再びシュリーヴィジャヤ征討の艦隊を派遣。 * [[1027年]] - [[エルヌ]]教会会議(トゥールージュ会議)で「神の休戦(トレグア・デイ)」が布告される。 * [[1028年]] - イングランド王でデンマーク王でもあるクヌートがノルウェーの王位も兼任する([[北海帝国]]の成立)。 * [[1028年]] - [[平忠常の乱]]( - [[1031年]])。 * [[1031年]] - [[コルドバ]]の[[カリフ]]、[[ヒシャーム3世]]が死亡し、[[後ウマイヤ朝]]滅亡。 * [[1032年]] - チベット系[[タングート]]族の西平王[[李徳明]]の死により[[李元昊]]が後を継ぐ。 * [[1032年]] - ブルグンド王家が断絶し、神聖ローマ皇帝コンラート2世がブルグンドを併合。 ** 神聖ローマ皇帝はイタリア王・ドイツ王・ブルグンド王を兼任することになる。 * [[1035年]] - クヌート王の死により北海帝国が崩壊する。 * [[1037年]] - トルコ人[[トゥグリル・ベク]]、セルジューク朝を興す。 * [[1037年]] - クディリのアイルランガ王が東部ジャワ再統一を完成し、カマラギャンに遷都。 * [[1038年]] - チベット系タングート族による[[西夏]]が建国され、李元昊が帝号を名乗る。 * [[1042年]] - 東ローマ皇帝[[ミカエル5世]]が政変で廃位され、ゾエと[[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]]の姉妹の皇女が共同女帝に立てられる。 * [[1044年]] - 慶暦の和約。 * [[1046年]] - スートリ教会会議で神聖ローマ皇帝[[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]が三教皇の鼎立を終わらせる。 * [[1047年]] - 遼の[[欽哀蕭皇后|章聖皇太后]]により内モンゴル自治区慶州の白塔(遼釈迦仏舎利塔)が建立される。 * [[1051年]] - [[前九年の役]]( - [[1062年]])。 * [[1052年]] - 日本ではこの年(永承7年)が[[末法]]元年とされた。 * [[1053年]] - [[藤原頼通]]により[[宇治]]の[[平等院]]鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立される。 * [[1054年]] - [[正教会]]の[[コンスタンディヌーポリ総主教]]と[[カトリック教会]]の[[教皇]]が相互破門。[[東西教会の分裂]]の目安となる事件(大シスマ)。 * [[1054年]] - [[7月4日]]超新星爆発。後の[[おうし座]]の「[[かに星雲]](M1)」。 * [[1055年]] - セルジューク朝軍が、[[バグダード]]に入城し、[[ブワイフ朝]]の勢力を追い払う。 * [[1056年]] - ムラービト朝のアブー・バクル・イブン・ウマルが指導者となる(王朝としての成立年代。宗教勢力としては1038年成立とされる)。 * [[1056年]] - 遼の章聖皇太后の弟[[蕭孝穆]]により山西省応県の仏宮寺釈迦塔([[応県木塔]])が建立される。 * [[1058年]] - トゥグリル・ベク、[[スルタン]]を称す。 * [[1066年]] - [[ノルマンディー]]公ギヨームが[[イングランド]]を制圧し、[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]として即位([[ノルマン・コンクエスト]])。[[ハレー彗星]]接近。 * [[1069年]] - [[北宋]]で[[王安石]]の改革が始まる(熙寧新法)。 * [[1070年]] - [[東チャールキヤ朝|東チャールキヤ王]]クロトゥンガがクロトゥンガ・チョーラ1世として即位、東チャールキヤ朝が[[チョーラ朝]]を継ぐ形で合併される。 * [[1071年]] - 東ローマ帝国のイタリア最後の拠点[[バーリ]]がノルマン人に征服される。 * [[1071年]] - 東ローマ帝国、[[マンツィケルトの戦い]]でセルジューク朝に大敗、[[小アジア]]に[[トルコ人]]が侵入。 * [[1071年]] - ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンが新都[[マラケシュ]]を建設。 * [[1077年]] - [[カノッサの屈辱]]。 * [[1077年]] - [[ルーム・セルジューク朝]]が成立。 * [[1077年]] - ムラービト朝が[[ガーナ王国]]を滅ぼす。 * [[1077年]] - [[アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ6世]]による[[サンチアゴ・デ・コンポステーラ]]大聖堂建設が始まる( - [[1211年]])。 * [[1078年]] - 東ローマ皇帝[[ミカエル7世ドゥーカス|ミカエル7世]]が政変で退位し、[[ニケフォロス3世ボタネイアテス|ニケフォロス3世]]が即位。 * [[1080年]] - 北宋の神宗による[[元豊の改革]]。 * [[1081年]] - 北宋に[[拂菻]]国王滅力伊霊改撒の使者が到着する。滅力伊霊改撒は東ローマ皇帝ミカエル7世かニケフォロス3世を指すと考えられる。 * [[1081年]] - 東ローマ帝国でアレクシオス・コムネノスが反乱を起こし、皇帝に即位([[アレクシオス1世コムネノス]])。[[コムネノス王朝]]の開始。 * [[1082年]] - 東ローマ皇帝アレクシオス1世が[[金印勅書]]で[[ヴェネツィア]]への免税特権を認める。 * [[1083年]] - [[後三年の役]]( - [[1087年]])。 * [[1084年]] - 神聖ローマ皇帝のローマ包囲から脱出した教皇グレゴリウス7世が南イタリアのサレルノに亡命。翌1085年にその地で客死。 * [[1085年]] - [[カスティーリャ王国|カスティリア王]][[アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ6世]]による[[トレド]]征服。 * [[1085年]] - 北宋で神宗の死去により哲宗即位。宣仁太后が摂政となり旧法党が復権(元祐更化 - 1093年)。 * [[1086年]] - [[白河天皇]]が第73代[[堀河天皇]]に譲位し、上皇として[[院政]]を開始。 * [[1086年]] - [[サグラハスの戦い]]でムラービト軍が[[カスティーリャ王国|カスティリア王]][[アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ6世]]を破る。 * [[1087年]] - [[ジェノヴァ]]と[[ピサ]]の艦隊が[[ズィール朝]]の都[[マフディーヤ]]を占領。 * [[1092年]] - セルジューク朝宰相ニザーム・アル・ムルクが暗殺される。セルジューク朝スルタンの[[マリク・シャー]]が病没。 * [[1093年]] - 北宋で宣仁太后の死去により哲宗の親政が始まり、新法党が復権(紹聖の紹述 - 1100年)。 * [[1095年]] - セルジューク朝の攻撃を受けていた東ローマ皇帝[[アレクシオス1世コムネノス]]の救援要請を受け、ローマ教皇[[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]がクレルモン教会会議において対イスラム教徒戦への参加を呼びかける。 * [[1096年]] - [[第1回十字軍]]出発。 * [[1096年]] - ドイツ・[[ラインラント]]で[[反ユダヤ主義|ユダヤ人虐殺]]が発生。逃亡したユダヤ人の多くは[[ポーランド]]の[[ヴワディスワフ1世ヘルマン|ヴワディスワフ1世]]に庇護される。 * [[1096年]] - [[永長の大田楽]]。 * [[1099年]] - エルサレム攻囲戦で十字軍が勝利。[[エルサレム王国]]成立。 * [[1100年]] - 北宋で哲宗の死去により徽宗即位。向太后が摂政となり新法・旧法両党から登用し融和を促す( - 1101年)。 == 人物 == === キリスト教世界 === ==== 神聖ローマ帝国 ==== * ベルンヴァルト([[960年]] - [[1022年]]) - [[ヒルデスハイム]]司教・聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会を造営・「聖ベルンヴァルトの青銅扉」でも有名 * [[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]](黒王)([[1017年]] - [[1056年]]) - ドイツ王で神聖ローマ皇帝(在位[[1039年]] - [[1056年]])・スートリ教会会議で三教皇を罷免 * [[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]([[1050年]] - [[1106年]]) - ドイツ王で神聖ローマ皇帝(在位[[1056年]] - [[1105年]])・[[カノッサの屈辱]]で教皇グレゴリウス7世に敗北 * [[ヘルマヌス・コントラクトゥス]]([[1013年]] - [[1054年]]) - 音楽理論家・作曲家・天文学者・歴史家・肢体不自由だったがライヒェナウ修道院で活躍 ==== イタリア ==== * [[レオ9世 (ローマ教皇)|レオ9世]]([[1002年]] - [[1054年]]) - ローマ教皇(在位[[1049年]] - [[1054年]])・フンベルトゥスを東ローマ帝国に特使として派遣 * [[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]([[1020年]] - [[1085年]]) - ローマ教皇(在位[[1073年]] - [[1085年]])・グレゴリウス改革を推進し[[カノッサの屈辱]]に勝利 * [[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]([[1035年]] - [[1099年]]) - ローマ教皇(在位[[1088年]] - [[1099年]])・[[クレルモン教会会議]]で[[十字軍]]を勧請する * [[フンベルトゥス]]([[1000年]]頃 - [[1061年]]) - 枢機卿・ベネディクト会士・教皇特使として東ローマ帝国に派遣されて相互破門事件を起こす * [[ペトルス・ダミアニ]]([[1007年]] - [[1072年]]) - 枢機卿・ベネディクト会士・グレゴリウス改革の中心人物・著作に『ゴモラの書』『秘蹟論』がある * [[グイード・ダレッツォ]]([[991年]]/[[992年]] - [[1050年]]) - 修道士・音楽教師・現在につながる[[楽譜]][[記譜法]]を発明する * [[ロベルト・イル・グイスカルド]]([[1015年]] - [[1085年]]) - ノルマン人傭兵で後に中世[[シチリア王国]]を建てる[[オートヴィル家]]の首領 * [[コンスタンティヌス・アフリカヌス]]([[1017年]] - [[1087年]]) - 北アフリカ出身の修道士・アラビア医学を翻訳紹介し[[サレルノ大学]]を基礎づける * [[マティルデ・ディ・カノッサ]]([[1046年]]? - [[1115年]]) - トスカーナ女伯・叙任権闘争では教皇派・「カノッサの屈辱」のカノッサ城の所有者 ==== フランス ==== * [[アダルベロン (ラン司教)|アダルベロン]]([[947年]] - [[1030年]]) - [[ラン (フランス)|ラン]]司教・「[[ロベール2世 (フランス王)|ロベール王]]に捧げる歌」で中世社会の「祈る人」「戦う人」「働く人」の三身分を定式化 * ラウル・グラベール([[985年]] - [[1047年]]) - ブルゴーニュ地方の修道士・年代記作者・著作『歴史』では紀元千年の社会が活写されている * [[モレームのロベール]]([[1029年]]頃 - [[1111年]]) - シャンパーニュ地方出身の修道士・[[アルベリック]]、[[ステファン・ハーディング]]らと[[シトー会]]を設立 * [[ケルンのブルーノ]]([[1030年]]頃 - [[1101年]]) - ドイツ出身の修道士・[[ランス大聖堂]]付属学校校長・[[カルトジオ会]]の創設者・教皇ウルバヌス2世の助言者 * [[コンピエーニュのロスケリヌス]]([[1050年]]頃 - [[1125年]]頃) - フランスの哲学者・神学者・[[唯名論]]の創始者とされ弟子[[アベラルドゥス]]にも影響 ==== イングランド・スコットランド ==== * [[クヌーズ1世 (デンマーク王)|クヌート]](クヌーズ1世)([[995年]] - [[1035年]]) - [[イングランド]]王・[[デンマーク]]王・[[ノルウェー]]王を兼ねた[[北海帝国]]の君主 * [[エドワード懺悔王]](証聖王)([[1004年]]頃 - [[1066年]]) - イングランドのアングロ・サクソン系国王(在位[[1042年]] - [[1066年]]) * [[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]]([[1022年]] - [[1066年]]) - イングランド最後のアングロ・サクソン系国王(在位[[1066年]])・[[ヘイスティングズの戦い]]で敗死 * [[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]] ([[1027年]] - [[1087年]]) - [[ノルマンディー公]]・イングランド王(在位[[1035年]] - [[1087年]])・[[ノルマン朝]]の祖 * [[ダンカン1世 (スコットランド王)|ダンカン1世]]([[1001年]] - [[1040年]]) - スコットランド王(在位[[1031年]] - [[1040年]])・王国の領土を拡大するがマクベスに殺害される * [[マクベス (スコットランド王)|マクベス]]([[1005年]] - [[1057年]]) - スコットランド王(在位[[1040年]] - [[1057年]])・ダンカン1世を殺害・シェークスピアの悲劇で有名 * [[アンセルムス]]([[1033年]] - [[1109年]]) - [[カンタベリー大司教]]・神学者・哲学者であり「[[スコラ学]]の父」・著作に『モノロギオン』がある ==== 北欧 ==== * [[オーロフ (スウェーデン王)|オーロフ]](? - [[1022年]]?) - スウェーデン王(在位[[994年]]? - [[1022年]]?)・キリスト教(カトリック教会)を受容 ==== 東ローマ帝国 ==== * [[バシレイオス2世]](ブルガロクトノス)([[958年]] - [[1025年]]) - 東ローマ帝国マケドニア朝最盛期の皇帝(在位[[976年]] - [[1025年]]) * ゾエ([[978年]]頃 - [[1050年]]) - 東ローマ帝国マケドニア朝の女帝(在位[[1042年]])・三代の皇帝の皇后ともなる([[1028年]] - [[1050年]]) * [[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]]([[995年]] - [[1056年]]) - 東ローマ帝国マケドニア朝の女帝(在位[[1042年]]、[[1055年]] - [[1056年]])・ゾエと一時共同統治 * [[コンスタンティノス9世モノマコス]]([[1000年]] - [[1055年]]) - 東ローマ帝国マケドニア朝の皇帝(在位[[1042年]] - [[1055年]])・ゾエの三人目の夫 * [[ロマノス4世ディオゲネス]](? - [[1072年]]) - 東ローマ帝国ドゥーカス朝の皇帝(在位[[1068年]] - [[1071年]])・マンツィケルトの戦いで敗北 * [[アレクシオス1世コムネノス|アレクシオス1世]]([[1048年]] - [[1118年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1081年]] - [[1118年]])・[[コムネノス]]朝の祖・十字軍対策に苦慮しつつ帝国を再建 * [[新神学者シメオン]]([[949年]] - [[1022年]]) - 聖ママス修道院長・神学者・二度の追放を受けながら復権・『神の愛への讃歌』ほかの著作がある * [[ミハイル1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ミカエル1世]] ([[1000年]]頃 - [[1059年]]) - [[コンスタンティノポリス総主教]](在位[[1043年]] - [[1059年]])・教皇特使と対立し相互破門事件起こす * [[ミカエル・プセルロス]]([[1018年]]頃 - [[1078年]]頃) - 東ローマ帝国マケドニア朝の政治家・哲学者・歴史家として『年代記』を記録 ==== 東欧 ==== * [[サムイル (ブルガリア皇帝)|サムイル]]([[958年]] - [[1014年]]) - 第一次ブルガリア帝国の皇帝(在位[[997年]] - [[1014年]])・クリディオン峠の戦いで東ローマ軍に敗北 * [[ボレスワフ1世 (ポーランド王)|ボレスワフ1世]](勇敢王)([[966年]]/[[967年]] - [[1025年]]) - [[ピャスト朝]]のポーランド国王(在位[[992年]] - [[1025年]])・[[ベーメン]]や[[マイセン]]に領土拡大 * [[イシュトヴァーン1世]]([[975年]] - [[1038年]]) - [[ハンガリー]]の建国者(在位[[997年]] - [[1038年]])・ハンガリーのキリスト教化を進める * [[ヤロスラフ1世]](賢公)([[978年]]頃 - [[1054年]]) - [[キエフ大公]](在位[[1016年]] - [[1054年]])・『ルースカヤ・プラウダ』(ルーシ法典)を整備 ==== 十字軍国家 ==== * [[隠者ピエール]](? - [[1115年]]) - フランス出身の聖職者・十字軍本隊に先立ち[[民衆十字軍]]を率いてエルサレムを目指すが失敗する * [[ゴドフロワ・ド・ブイヨン]]([[1060年]]頃 - [[1100年]]) - 第1回十字軍の指導者の一人で[[エルサレム]]の初代聖墓守護者 ==== イベリア半島 ==== * [[サンチョ3世 (ナバラ王)|サンチョ3世ガルセス]](大王)([[10世紀]] - [[1035年]]) - [[ナバラ王国|ナバラ国王]](在位[[1004年]] - [[1035年]])・婚姻政策でイベリア半島北部の諸国の祖となる * [[アルフォンソ6世]]([[1040年]]以前 - [[1109年]]) - [[レオン王国|レオン国王]](在位[[1065年]] - [[1109年]])・[[カスティーリャ王国|カスティーリャ国王]](在位[[1072年]] - [[1109年]]) * [[エル・シッド]](ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール)([[1045年]]? - [[1099年]]) - [[レコンキスタ]]で活躍したカスティーリャの騎士 === イスラム世界 === * [[フェルドウスィー]]([[934年]] - [[1025年]]) - [[サーマーン朝]]・[[ガズナ朝]]時代に活躍した[[ペルシャ語]]詩人・『[[シャー・ナーメ]]』を書く * [[アブー・ライハーン・アル・ビールーニー|アル・ビールーニー]]([[973年]] - [[1048年]]) - [[ホラズム]]出身の著述家・天文書『マスウード宝典』や地理書『インド誌』など多方面で活躍 * [[イブン・アル=ハイサム|イブン・アル・ハイサム]]([[965年]] - [[1040年]]) - [[バスラ]]出身の数学者・天文学者・物理学者・『光学の書』を著し「[[光学]]の父」と呼ばれる * [[アル・ハマザーニー]]([[969年]] - [[1007年]]) - [[ハマダーン]]出身の詩人・著作家・[[マカーマ]](語り物)の創始者・「時代の驚異」と呼ばれる * [[マフムード (ガズナ朝)|マフムード]]([[971年]] - [[1030年]]) - [[ガズナ朝]]の[[スルタン]](在位[[997年]] - [[1030年]])・インド遠征でプラティハーラ朝を滅ぼす * [[イブン・スィーナー]]([[980年]] - [[1037年]]) - [[ブハラ]]出身の学者・[[哲学者]]としては『治癒の書』、[[医師]]としては『医学典範』がある * [[ハーキム]]([[985年]] - [[1021年]]) - [[ファーティマ朝]]第6代カリフ(在位[[996年]] - [[1021年]])・残酷さと奇矯さで有名・[[ドゥルーズ派]]では救世主 * [[トゥグリル・ベク]]([[993年]] - [[1063年]]) - セルジューク朝初代[[スルタン]](在位[[1038年]] - [[1063年]])・[[ニーシャプール]]を都とする * [[イブン・ハズム]]([[994年]] - [[1064年]]) - 後ウマイヤ朝時代の法学者・文学者・『諸宗派に関する書』『鳩の頚飾り』の著作がある * [[イブン・ザイドゥーン]]([[1003年]] - [[1071年]]) - 後ウマイヤ朝の政治家・詩人としてザジャル形式をまとめる・王女[[ワッラーダ]]との相聞歌も有名 * マフムード・カーシュガリー([[1005年]]? - [[1102年]]?) - カラハン朝の王族・アッバース朝に逃れ『テュルク語辞典』をカリフに献呈する * アブー・バクル・イブン・ウマル(? - [[1087年]]) - ムラービト朝第4代[[アミール]](在位[[1056年]] - [[1087年]])・[[ガーナ王国]]征服 * ユースフ・イブン・ターシュフィーン([[1009年]]? - [[1106年]]) - ムラービト朝第5代アミール(在位[[1061年]] - [[1106年]])・[[イベリア半島]]制圧 * [[ニザーム・アル・ムルク]]([[1017年]] - [[1092年]]) - セルジューク朝全盛期の宰相・マリク・シャーを補佐し[[ニザーミーヤ学院]]を創設 * [[ユースフ・ハーッス・ハージブ]]([[1018年]]/[[1019年]]頃 - [[1092年]]) - カラハン朝の大侍従・『クタドゥグ・ビリグ(幸福に関する知恵)』を著す * [[ソロモン・イブン・ガビーロール]]([[1021年]]/[[1022年]]頃 - [[1058年]]/[[1070年]]頃) - スペインのユダヤ教徒の哲学者・主著は『生命の源』 * [[アルプ・アルスラーン]]([[1029年]] - [[1072年]]) - セルジューク朝第2代スルタン(在位[[1064年]] - [[1072年]])・[[マンツィケルトの戦い]]で勝利 * [[スライマーン・イブン・クタルミシュ]](? - [[1086年]]) - [[ルーム・セルジューク朝]]の始祖(在位[[1077年]] - [[1086年]])・小アジア各地を占領 * [[ウマル・ハイヤーム]] ([[1048年]]? - [[1131年]]?) - セルジューク朝時代のペルシアの天文学者・『[[ルバイヤート]]』の詩人 * [[マリク・シャー]]([[1055年]] - [[1092年]]) - セルジューク朝第3代スルタン(在位[[1072年]] - [[1092年]])・王朝の全盛期を現出 * [[クルチ・アルスラーン1世]](? - [[1107年]]) - ルーム・セルジューク朝の第2代スルタン(在位[[1092年]] - [[1107年]])・第1回十字軍の急襲に苦慮する * [[ハサン・サッバーフ]](? - [[1124年]]) - [[イスマーイール派]]・[[ニザール派]]開祖でいわゆる[[暗殺教団]]の最初の指導者 === 南アジア・チベット === * ダンガ(? - [[1008年]]頃) - [[インド]]の[[チャンデーラ朝]]の君主(在位[[950年]]頃 - [[1008年]]頃)・[[カジュラーホー]]寺院を建立 * [[ラージェンドラ1世]](? - [[1044年]]) - 南インドの[[チョーラ朝]]の王(在位[[1016年]] - [[1044年]])・マレー半島やスマトラ島を征服 * [[アティーシャ]]([[982年]] - [[1054年]]) - インドの[[ヴィクラマシーラ大学|ヴィクラマシーラ寺院]]の学頭・[[チベット]]に招かれ[[チベット仏教]]中興の祖となる * ドルジェタク(11世紀) - [[チベット仏教|チベット]]の僧侶・インドの[[ナーランダ大学|ナーランダ寺院]]で学び仏典のチベット語訳を行う・呪術に長けた異能の人物とされる * [[ソーマデーヴァ]](11世紀) - [[カシミール]]出身の詩人・『[[ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー|屍鬼二十五話]]』を含む説話集『カター・サリット・サーガラ』を編纂 * [[ビルハナ]](11世紀) - カシミール出身で[[後期チャールキヤ朝|チャールキヤ朝]]に仕えた詩人・戯曲『カルナスンダリー』や詩集 『チャウラ・パンチャーシカ』がある * クリシュナ・ミシュラ(11世紀) - [[チャンデーラ朝]]の詩人・[[サンスクリット語]]劇『プラボーダチャンドローダヤ(悟りの月の出)』で知られる === 東南アジア === * [[ダルマヴァンシャ王|ダルマヴァンシャ]](? - [[1016年]]) - [[ジャワ]]・[[クディリ朝]]の王(在位[[991年]] - [[1016年]])・領土拡大するが反乱で殺される・アイルランガは娘婿 * [[アイルランガ王|アイルランガ]](? - [[1052年]]?) - ジャワ・クディリ朝の王(在位[[1019年]] - [[1052年]]?)・東部ジャワを統一し王国を再建 * [[アノーヤター]]([[1015年]] - [[1078年]]) - [[パガン朝]]の初代の王(在位[[1044年]] - [[1078年]])・[[モン族]]を押さえ[[ビルマ族]]を統一・[[上座部仏教]]を導入 === 東アジア === ==== 北宋 ==== * [[寇準]]([[961年]] - [[1023年]]) - 北宋の宰相・南遷を拒絶して真宗皇帝の契丹親征を主張し[[セン淵の盟|澶淵の盟]]にもちこむ * [[王欽若]]([[962年]] - [[1025年]]) - 北宋の宰相・遼の南進に際しては南遷を主張・真宗に[[封禅]]を勧め『[[冊府元亀]]』の編纂も行う * [[林逋]]([[967年]] - [[1028年]]) - 北宋の詩人・西湖中の孤山に隠棲し詩作した・『林和靖先生詩集』がある * [[真宗 (宋)|真宗]]([[968年]] - [[1022年]]) - 北宋の第3代皇帝(在位[[997年]] - [[1022年]])・遼と澶淵の盟を結ぶ * 范寬(活躍時期11世紀前半) - 北宋の山水画家・代表作に「谿山行旅図」がある * [[畢昇]](? - [[1052年]]頃) - 北宋の技術者で膠泥[[活字]]を用いて印刷を行ったとされる * [[欧陽脩]]([[1007年]] - [[1072年]]) - 北宋の政治家・詩人・文学者・歴史学者・[[唐宋八大家]]の一人・『[[新五代史]]』『[[新唐書]]』を編纂 * [[蘇洵]]([[1009年]] - [[1066年]]) - 北宋の文人で唐宋八大家の一人・[[蘇軾]]と[[蘇轍]]兄弟の父・著作に『蘇老泉全集』がある * [[周敦頤]]([[1017年]] - [[1073年]]) - 北宋の儒学者・[[宋学]]の祖とされる・『[[太極図説]]』の著者 * [[曾鞏]]([[1019年]] - [[1083年]]) - 北宋の政治家・散文家・唐宋八大家の一人・著作に『元豊類藁』がある・[[曾布]]は異母弟 * [[司馬光]]([[1019年]] - [[1086年]]) - 北宋の政治家([[旧法党]])・元祐更化で新法を廃止・歴史学者として『[[資治通鑑]]』がある * [[張載]]([[1020年]] - [[1077年]]) - 北宋の儒学者・宋学の「周程張朱」の一人として名を成す * [[王安石]]([[1021年]] - [[1086年]]) - 北宋の政治家([[新法党]])・神宗のもとで熙寧新法を実施・唐宋八大家の一人 * [[郭煕]]([[1023年]]頃 - [[1085年]]頃) - 北宋の山水画家・李成と並んで「[[李郭派|李郭]]」と呼ばれる・代表作に「早春図」がある * [[沈括]]([[1030年]] - [[1094年]]) - 北宋の政治家・学者・『夢渓筆談』は[[中国の科学技術史]]の記録として重要 * 呂恵卿([[1032年]] - [[1111年]]) - 北宋の政治家・司農寺長官として王安石の改革を支えるがのちに反目する * 宣仁太后([[1032年]] - [[1093年]]) - 北宋の英宗の皇后・息子神宗の死後に孫哲宗の[[摂政]]となり旧法党の元祐更化を支持 * [[程コウ|程顥]]([[1032年]] - [[1085年]]) - 北宋の政治家・儒学者・弟の[[程頤]]とともに「二程子」と称される * [[程頤]]([[1033年]] - [[1107年]]) - 北宋の政治家・儒学者・兄の[[程コウ|程顥]]とともに「二程子」と称される * [[章惇]]([[1035年]] - [[1105年]]) - 北宋の政治家・哲宗の親政(紹聖の紹述)とともに新法を復活し旧法党を弾圧する * [[曾布]]([[1036年]] - [[1107年]]) - 北宋の政治家・曾鞏の異母弟・章惇失脚後の新法党の中心となり向太后政権を支える * [[蘇軾]]([[1036年]] - [[1101年]]) - 北宋の政治家・文人として唐宋八大家の一人・書家として[[宋の四大家]]の一人・代表作に「赤壁賦」がある * [[蘇轍]]([[1039年]] - [[1112年]]) - 北宋の政治家・文人として唐宋八大家の一人・蘇軾の弟・『欒城集』ほかの著作がある * [[黄庭堅]]([[1045年]] - [[1105年]]) - 北宋の文学者・書家・画家・書家・宋の四大家の一人・代表作に「[[伏波神祠詩巻]]」がある * [[神宗 (宋)|神宗]]([[1048年]] - [[1085年]]) - 北宋の第6代皇帝(在位[[1067年]] - [[1085年]]) ・王安石の新法を支持し元豊の改革を推進 * [[米芾]]([[1051年]] - [[1107年]]) - 北宋の文学者・書家・画家・収蔵家・宋の四大家の一人・代表作に「蜀素帖」がある ==== 遼 ==== * [[聖宗 (遼)|聖宗]]([[971年]] - [[1031年]]) - [[遼]]の第6代皇帝(在位[[982年]] - [[1031年]])・北宋と澶淵の盟を結ぶ ==== 西夏 ==== * [[李元昊]]([[1003年]] - [[1048年]]) - [[西夏]]の初代皇帝(景宗)(在位[[1032年]] - [[1048年]]) ==== 大越 ==== * [[李公蘊]]([[974年]] - [[1028年]]) - [[李朝 (ベトナム)|李朝]]大越国の初代国王(太祖)(在位[[1010年]] - [[1028年]]) === 日本 === * [[赤染衛門]]([[956年]]頃? - [[1041年]]以後) - 一条天皇の中宮[[藤原彰子|彰子]]の[[女房]]・歌人・『[[栄花物語]]』の作者か? * [[藤原実資]]([[957年]] - [[1046年]]) - 公卿・右大臣(賢人右府)・日記『[[小右記]]』はこの時代の重要資料 * [[寂照]]([[962年]]頃? - [[1034年]]) - 天台宗の僧・円通大師・渡宋してその地で客死・能「[[石橋 (能)|石橋]]」でも知られる * [[藤原道長]]([[966年]] - [[1027年]]) - 公卿・[[摂政]]・[[内覧]]・通称は御堂[[関白]]・[[摂関政治]]の最盛期 * [[藤原公任]]([[966年]] - [[1041年]]) - 公卿・[[四納言|寛弘の四納言]]の一人・『[[和漢朗詠集]]』の選者 * [[平忠常]]([[967年]]?/[[975年]]? - [[1031年]]) - 武将・[[房総平氏]]の祖・[[受領]]との対立から反乱を起こす([[平忠常の乱]]) * [[藤原行成]]([[972年]] - [[1027年]]) - 公卿・寛弘の四納言の一人・書家で「[[三蹟]]」の一人・「白氏詩巻」などが残る * [[紫式部]]([[973年]]? - [[1016年]]) - 一条天皇の中宮彰子の女房・『源氏物語』作者・『[[紫式部日記]]』がある * [[藤原伊周]]([[974年]] - [[1010年]]) - 公卿・[[内大臣]]・[[長徳の変]]を起こす・定子や隆家の同母兄 * [[和泉式部]]([[978年]]頃 - ?) - 一条天皇の中宮彰子の女房・家集『和泉式部正集』『和泉式部続集』がある * [[藤原隆家]]([[979年]] - [[1044年]]) - 公卿・[[中納言]]・[[大宰権帥]]となり[[刀伊の入寇]]を撃退 * [[定朝]](? - [[1057年]]) - [[仏師]]・[[宇治]]の[[平等院鳳凰堂]][[阿弥陀如来]]像を造る・[[寄木造]]技法の完成者とされる * [[源頼義]]([[988年]] - [[1075年]]) - 武将・[[河内源氏]]棟梁・[[平忠常の乱|長元の乱]]や[[前九年の役]]を平定 * [[藤原明衡]]([[989年]]? - [[1066年]]) - 儒学者・文人・詩文では『[[本朝文粋]]』『本朝秀句』を編修・『[[新猿楽記]]』などもある * [[藤原頼通]]([[992年]] - [[1074年]]) - 公卿・摂政・関白・[[藤原道長]]の長男・[[宇治]]の[[平等院鳳凰堂]]を建立 * [[源隆国]]([[1004年]] - [[1077年]]) - 公卿・[[大納言]](宇治大納言)・『[[今昔物語集]]』などの編纂に関与? * [[菅原孝標女]]([[1008年]] - [[1059年]]以降?) - 受領の娘・宮中の女房・『[[更級日記]]』の作者・『浜松中納言物語』の作者か? * [[成尋]]([[1011年]] - [[1081年]]) - 天台宗の僧・善慧大師・[[阿闍梨]]・渡宋してその地で客死・『[[参天台五台山記]]』を残す・[[成尋阿闍梨母|その母]]も歌人で有名 * [[安倍貞任]]([[1019年]]? - [[1062年]]) - 武将・[[陸奥国]][[安倍氏]]の棟梁・[[前九年の役]]を起こす * [[藤原経清]](? - [[1062年]]) - 豪族・陸奥国亘理郡の在庁官人(亘理権大夫)・藤原清衡の父 * [[永観 (僧)|永観]]([[1033年]] - [[1111年]]) - [[三論宗]]の僧・[[東大寺]]別当・京都[[禅林寺 (京都市)|禅林寺]]中興の祖となり[[専修念仏]]の先駆者となる * [[後三条天皇]]([[1034年]] - [[1073年]]) - 第71代天皇(在位[[1068年]] - [[1072年]])・摂関家を押さえ「延久の善政」を行う * [[源義家]]([[1039年]] - [[1106年]]) - 武将・河内源氏棟梁・源頼義の長男・[[後三年の役]]を平定 * [[大江匡房]]([[1041年]] - [[1111年]])- 公卿・儒学者・『江家次第』『遊女記』『傀儡子記』『[[洛陽田楽記]]』の著者 * [[白河天皇]]([[1053年]] - [[1129年]]) - 第72代天皇(在位[[1072年]] - [[1086年]])・[[太上天皇|上皇]]([[法皇]])として[[院政]]を開始 * 戒覚(生没年不詳)- 天台宗の僧・渡宋してその地で客死か・宋の神宗皇帝に謁見しその旅程を『渡宋記』に書き残す * [[清原家衡]](? - [[1106年]]) - 武将・[[出羽国]][[清原氏]]の棟梁・後三年の役を起こし源義家に討たれる * [[藤原清衡]]([[1056年]] - [[1128年]]) - 武将・[[奥州藤原氏]]の祖・清原家衡は異父弟・[[平泉]]に居を構え[[中尊寺]]を建立 == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[1000年代]]''' || [[1000年|1000]] || [[1001年|1001]] | [[1002年|1002]] || [[1003年|1003]] | [[1004年|1004]] || [[1005年|1005]] || [[1006年|1006]] | [[1007年|1007]] || [[1008年|1008]] || [[1009年|1009]] |- | '''[[1010年代]]''' || [[1010年|1010]] || [[1011年|1011]] | [[1012年|1012]] || [[1013年|1013]] | [[1014年|1014]] || [[1015年|1015]] || [[1016年|1016]] | [[1017年|1017]] || [[1018年|1018]] || [[1019年|1019]] |- | '''[[1020年代]]''' || [[1020年|1020]] || [[1021年|1021]] | [[1022年|1022]] || [[1023年|1023]] | [[1024年|1024]] || [[1025年|1025]] || [[1026年|1026]] | [[1027年|1027]] || [[1028年|1028]] || [[1029年|1029]] |- | '''[[1030年代]]''' || [[1030年|1030]] || [[1031年|1031]] | [[1032年|1032]] || [[1033年|1033]] | [[1034年|1034]] || [[1035年|1035]] || [[1036年|1036]] | [[1037年|1037]] || [[1038年|1038]] || [[1039年|1039]] |- | '''[[1040年代]]''' || [[1040年|1040]] || [[1041年|1041]] | [[1042年|1042]] || [[1043年|1043]] | [[1044年|1044]] || [[1045年|1045]] || [[1046年|1046]] | [[1047年|1047]] || [[1048年|1048]] || [[1049年|1049]] |- | '''[[1050年代]]''' || [[1050年|1050]] || [[1051年|1051]] | [[1052年|1052]] || [[1053年|1053]] | [[1054年|1054]] || [[1055年|1055]] || [[1056年|1056]] | [[1057年|1057]] || [[1058年|1058]] || [[1059年|1059]] |- | '''[[1060年代]]''' || [[1060年|1060]] || [[1061年|1061]] | [[1062年|1062]] || [[1063年|1063]] | [[1064年|1064]] || [[1065年|1065]] || [[1066年|1066]] | [[1067年|1067]] || [[1068年|1068]] || [[1069年|1069]] |- | '''[[1070年代]]''' || [[1070年|1070]] || [[1071年|1071]] | [[1072年|1072]] || [[1073年|1073]] | [[1074年|1074]] || [[1075年|1075]] || [[1076年|1076]] | [[1077年|1077]] || [[1078年|1078]] || [[1079年|1079]] |- | '''[[1080年代]]''' || [[1080年|1080]] || [[1081年|1081]] | [[1082年|1082]] || [[1083年|1083]] | [[1084年|1084]] || [[1085年|1085]] || [[1086年|1086]] | [[1087年|1087]] || [[1088年|1088]] || [[1089年|1089]] |- | '''[[1090年代]]''' || [[1090年|1090]] || [[1091年|1091]] | [[1092年|1092]] || [[1093年|1093]] | [[1094年|1094]] || [[1095年|1095]] || [[1096年|1096]] | [[1097年|1097]] || [[1098年|1098]] || [[1099年|1099]] |- | '''[[1100年代]]''' || [[1100年|1100]] || [[1101年|1101]] | [[1102年|1102]] || [[1103年|1103]] | [[1104年|1104]] || [[1105年|1105]] || [[1106年|1106]] | [[1107年|1107]] || [[1108年|1108]] || [[1109年|1109]] |} [[Category:11世紀|*]]
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