コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
鶴岡八幡宮のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
鶴岡八幡宮
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{神社 |名称 = 鶴岡八幡宮 |画像 = [[ファイル:TsurugaokaHachiman-M8867.jpg|280px]]<br />本宮へと続く参道 |所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]]雪ノ下2丁目1番31号 |ISO = JP-14 |緯度度 = 35|緯度分 = 19|緯度秒 = 33.91 |経度度 =139|経度分 = 33|経度秒 = 23.17 |祭神 = [[応神天皇]]<br />[[比売神]]</br>[[神功皇后]] |社格 = 旧[[国幣中社]]<br />[[別表神社]] |創建 = [[康平]]6年([[1063年]]) |本殿 = |別名 = |札所等 = [[八幡神#三大八幡|三大八幡]]<br >[[鎌倉江の島七福神]](弁財天) |例祭 = [[9月15日]] |神事 = |地図 = Japan Kanagawa}} '''鶴岡八幡宮'''(つるがおか はちまんぐう)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]]にある[[神社]]。[[近代社格制度|旧社格]]は[[国幣中社]]で、現在は[[神社本庁]]の[[別表神社]]。 別称として'''鎌倉八幡宮'''とも呼ばれる。[[河内源氏|武家源氏]]、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍[[源頼朝]]ゆかりの神社として全国の八幡社の中では知名度が高く、近年では'''[[八幡神#三大八幡|三大八幡宮]]'''の一社に入ることがある<ref group="注釈" >俗に三大八幡とは「大分の[[宇佐神宮]]・京都の[[石清水八幡宮]]」に「福岡の[[筥崎宮]]」または当社のいずれかを合わせた三社を指す。幕末から明治期の資料では、[[1868年]]([[慶応]]4年)[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]付け太政官達に示す八幡宮の例示3社(田中恆清『謎多き神 八幡神のすべて』 p.198 新人物往来社、2010年、ISBN 4404038291。[http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/s_tatu.htm 神仏分離令])として官幣大社に列せられている3社は「宇佐・石清水・筥崎」であるが、近年発行された書籍中では「宇佐・石清水・鶴岡」を八幡神社の代表例としている(『全国八幡神社名鑑(別冊歴史読本―神社シリーズ (99))』新人物往来社、2004年、ISBN 4404030991。白井永二、土岐昌訓『神社辞典』東京堂出版、1997年、ISBN 449010474X。)</ref>。境内は国の[[史跡]]に指定されている。 == 祭神 == 現在の祭神は以下の3柱。「[[八幡神]]」と総称される。 * '''[[応神天皇]]''' (おうじんてんのう) - 第15代天皇 * '''[[比売神]]''' (ひめがみ) * '''[[神功皇后]]''' (じんぐうこうごう) - 第14代[[仲哀天皇]]の妃、応神天皇の母 == 歴史 == === 概史 === [[File:Daitō.jpg|thumb|[[廃仏毀釈]]で撤去された大塔]] [[File:Tsurugaokahachimanguu Great Kanto earthquake of 1923.jpg|thumb|[[関東大震災]]で倒壊した舞殿]] [[康平]]6年([[1063年]])8月に[[河内国]]([[大阪府]][[羽曳野市]])を本拠地とする[[河内源氏]]2代目の[[源頼義]]が、[[前九年の役]]での戦勝を祈願した[[京都]]の[[石清水八幡宮]]護国寺(あるいは河内源氏氏神の[[壺井八幡宮]])を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に'''鶴岡若宮'''として[[勧請]]したのが始まりである。[[永保]]元年([[1081年]])2月には河内源氏3代目の[[源義家]](八幡太郎義家)が修復を加えた。 [[治承]]4年([[1180年]])10月、[[平家]]打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の[[源頼朝]]は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、[[幕府]]の中枢となる施設を整備していった。[[建久]]2年([[1191年]])に、社殿の焼失を機に、上宮と下宮の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。[[承元]]2年([[1208年]])には神宮寺が創建される。 [[源頼朝]]が[[鎌倉幕府]]を開いた後は、源義家が勧請した経緯もあり、武家の崇敬を集めた。鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退する。戦国時代には[[里見氏]]により焼き討ちにあうも([[鶴岡八幡宮の戦い]])、[[北条氏綱]]が再建を果たす。[[江戸時代]]に入ると[[江戸幕府]]の庇護を受け大規模化が進み、[[仁王]]門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、[[観音]]堂 法華堂、弁天堂等を建築し、[[徳川家光]]の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在した。 [[江戸幕府]]崩壊後、[[慶応]]4年([[1868年]])3月13日に「[[神主]]を兼帯していた[[僧侶]]に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、また明治3年([[1870年]])に[[大教宣布]]<ref>安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』431ページ</ref>がなされると、鶴岡八幡宮においてもいわゆる[[廃仏毀釈]]の動きが始まった。同年中に多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚した。ただし一部は現存し、鎌倉[[寿福寺]]、[[浅草寺]]、[[普門院]]、[[五島美術館]]、[[東京国立博物館]]に保管されている。鶴岡八幡宮の場合、これらは[[神主]]に改名した十二院の[[社僧]]が中心となって行った。また、一部残存していた仏堂も、その後の火事で焼失したが、外国人観光客等が撮影した写真やスケッチが残されている。 明治の[[近代社格制度]]では[[国幣中社]]に列し、戦後は[[神社本庁]]の[[別表神社]]に列している。近年は全国一の宮会に加盟しており、[[相模国]]の[[一宮]]と扱われることもある(ただし歴史的には一宮は[[寒川神社]]とされる)。 === 年表 === * [[康平]]6年([[1063年]])8月、[[源頼義]]が[[河内源氏]]氏神の[[壷井八幡宮]]あるいは[[京都]]の[[石清水八幡宮]]を勧請(鶴岡若宮) * [[永保]]元年([[1081年]])2月、[[源義家]]が修復 * [[治承]]4年([[1180年]])10月12日、[[源頼朝]]が現在の小林郷北山に遷座 * [[建久]]3年([[1192年]])、[[源頼朝]]が[[征夷大将軍]]に就任 * [[承元]]2年([[1208年]])、神宮寺創建 * [[建保]]7年([[1219年]])、[[源実朝]]が甥の[[公暁]]に襲われ落命 * [[文明 (日本)|文明]]10年([[1479年]])1月27日、江戸城西方の守護として[[太田道灌]]が鶴岡八幡を江戸番町に勧請 * [[大永]]6年([[1526年]])11月12日、[[里見義豊]]・[[里見実堯|実堯]]と[[北条氏綱]]の間の合戦で社殿が焼失([[鶴岡八幡宮の戦い]]) * [[天文 (日本)|天文]]9年([[1540年]])、大永の戦乱で焼失にした社殿を北条氏綱が再建 * [[文政]]11年([[1828年]])、江戸幕府11代将軍、徳川家斉の命により本殿等が造営 * [[明治]]元年([[1868年]])3月、[[神仏分離令]]により廃仏毀釈開始 * [[明治]]元年([[1868年]])4月24日、仏教的神号の八幡大菩薩が明治政府により廃止 * [[明治]]元年([[1868年]])7月19日、[[石清水八幡宮]]以下、鶴岡八幡宮などの[[放生会]]は[[中秋祭]]に変更 * [[明治]]4年([[1871年]])5月14日、[[社格]]制度制定 == 境内 == [[File:Tsurugaoka Hachimangu honden.jpg|thumb|150px|right|本宮(上宮)]] [[File:Kaguraden-Hachimangu Kamakura.jpg|thumb|200px|right|舞殿]] '''本宮'''(上宮)は[[文政]]11年([[1828年]])に[[徳川家斉]]が再建した流権現造で、国の[[重要文化財]]に指定されている。本宮は大石段上にある。大石段は61段あり、登りきると桜門、その奥に拝殿とつながった本宮がある。石段下にある'''舞殿'''は、「下拝殿」ともいう。前面にある建築物は21世紀に入ってから増築されたもので、当初は朱塗りではなく白木造りであった<ref>バンダイビジュアル『[[うた∽かた]]』DVDBOX1、特典映像にて確認(2005年秋撮影)より。</ref>。 また境内には「'''源平池'''」として、北条政子が掘らせたと伝わる池がある。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産と死を表すという。源氏池の島には旗上弁天社がある。源平池には横切るように石造の橋が架けられ「'''太鼓橋'''」と称される。創建当時は木造で、朱塗りだったため「赤橋」と呼ばれた。[[北条氏]]の[[庶流]]・[[北条氏 (赤橋流)|赤橋家]]の苗字はこの橋の名称に由来する。現在は柵で締め切られているが[[昭和]]時代までは自由に通行可能で、橋上は記念撮影のスポットとして良く使われていた<ref>[[久美沙織]][[コバルト文庫]]『ミッキーのおしゃれ読本』(1987年12月15日初版発行)より。</ref>。 なお、[[源頼朝]]の求めに応じて舞った[[静御前]]が[[源義経]]を慕う次の歌を詠んだとされるが、当時はまだ舞殿は建立されておらず、若宮社殿の回廊で舞ったとされている。 {{Cquote|吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき<br />しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな|言った人|(引用文の出所)}} <gallery> File:Tsurugaoka Hachiman Shrine View.jpg|大石段 File:Tsurugaoka Hachiman-gu Shrine Arched Bridge.jpg|太鼓橋 File:genpeiike20120716.jpg|源平池 </gallery> === 大銀杏の倒伏 === {{Wikinews|鶴岡八幡宮の大銀杏倒れる 回復も不可能に}} [[建保]]7年([[1219年]])1月27日、[[源頼家]]の子で八幡宮の[[別当]]を務めていた[[公暁]]がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、[[源実朝]]を殺害したという[[伝説]]があり、隠れ銀杏という別名がある。しかし、当時の樹齢を考えると、人が隠れることのできる太さにはまだ成長していなかったという説もあるため真偽は不明。伝説を疑問視する説もあれば、公暁が身を隠したのは先代の樹であり現在の樹は2代目であるとする説もある<ref name="asahi20100310" />。[[昭和]]30年([[1955年]])より神奈川県の[[天然記念物]]に指定され、鶴岡八幡宮のシンボル<ref name="asahi20100310" />として親しまれていた。樹齢800年とも1000年余ともいわれていた<ref name="asahi20100310">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY201003100130.html|title=鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れる 「実朝暗殺の舞台」|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=2010年3月10日|accessdate=2010-03-11}}</ref>。 [[平成]]22年([[2010年]])[[3月10日]]4時40分頃に、強風のために大銀杏は根元から倒れた。倒れた大銀杏は3つに切断され、[[3月15日]]、根元から高さ4メートルまでが、7メートル離れた場所に移植された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100315/trd1003151701008-n1.htm 産経ニュース「鶴岡八幡宮の大銀杏、7メートル脇に移植完了「再生を期待」」2010.3.15 16:59]</ref>。残る2つは境内に保存される。倒壊から約1ヶ月たち、再生への努力が実を結び、若芽(ひこばえ)が確認された<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/national/update/0401/TKY201004010484.html|title=倒壊の大イチョウ、根元から若芽 鎌倉・鶴岡八幡宮|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=2010年4月2日|accessdate=2010-04-11}}</ref>。 <gallery> ファイル:Giant_Ginkgo_in_Tsurugaoka_Hachiman_Shrine.jpg|大銀杏(倒れる前) ファイル:Death_of_a_tree.jpg|倒れた大銀杏 ファイル:IMG 4700.JPG|移植後の大銀杏<br />画像左が元地点に残った根から生えた[[蘖]]、右が移植された幹。 </gallery> == 摂末社 == * 旗上弁天社 *: 源氏池の島に鎮座。周囲には源氏の二引きの白旗が多く見られる。明治の[[神仏分離令]]で一度は廃れたが、昭和55年([[1980年]])に文政年間の古図を元とし復元された。 * [[白旗神社#白旗神社(神奈川県鎌倉市・鶴岡八幡宮境内社)|白旗神社]] ** 祭神:[[源頼朝]]、[[源実朝]] *: 逸話として、[[豊臣秀吉]]が[[小田原征伐]]の後に参拝したが、その際に祀られていた頼朝像を見て「我と御身は共に微小の身から天下を平らげた。しかし御身は天皇の後胤であり、父祖は関東を従えていた。故に流人の身から挙兵しても多く者が従った。我は氏も系図も無いが天下を取った。御身より我の勝ちなり。しかし御身と我は天下友達なり。」と言うと、笑いながら頼朝像の背中をポンポンと叩いたという。 * 丸山稲荷社 *: 本殿は重要文化財に指定。 * 若宮(下宮) ** 祭神:[[仁徳天皇]]など3柱 * 祖霊社 *: 終戦後、氏子崇敬者の「おみたま」(祖霊)と護国の霊を祀る為に、昭和24年に創建。祖霊社の運営は、遺族を会員とする「祖霊社維持会」による。 * 今宮 ** 祭神:[[後鳥羽天皇]]、[[土御門天皇]]、[[順徳天皇]] - いずれも[[承久の乱]]で流された天皇 * 由比若宮(元八幡) <gallery> ファイル:旗上弁天社.JPG|旗上弁天社 ファイル:Shirahata-Jinja Tsurugaoka Hachimangu.jpg|白旗神社 ファイル:Lisy przed chramem shintoistycznym.JPG|丸山稲荷社 File:Junior-shrine Tsurugaoka Hachimangu.jpg|若宮(下宮) File:Sorei Jinja- Tsurugaoka Hachimangu.jpg|祖霊社 File:Motohachiman.JPG|由比若宮(元八幡) </gallery> == 参道 == 鶴岡八幡宮の参道は[[若宮大路]]と呼ばれる。[[由比ヶ浜]]から八幡宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、[[京都|京]]の[[朱雀大路]]を模して[[源頼朝]]が自らも加わり築いた。二の鳥居からは[[段葛]](だんかずら)と呼ばれる車道より一段高い歩道がある。そこを抜けると三の鳥居があり、境内へと到る。 この参道は、二の鳥居の辺りでは幅4[[メートル]]ほどだが、三の鳥居では幅が約3メートル程度となっており、先に進むほど徐々に細くなっている。人間の目の[[錯覚]]を利用し、参道を実際より長く見せ、奥の本殿を厳かに見せるための設計との説がある<ref>{{cite news |title=不思議な「錯覚」アート展覧会 東京 |newspaper=[[NHK]]|date=2013-11-17|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131117/k10013124561000.html | accessdate=2013-11-17}}</ref>。 <gallery> ファイル:TsurugaokaHachimangu Second Torii 2.JPG|三の鳥居 ファイル:Road to TsurugaokaHachimangu.JPG|[[段葛]] ファイル:TsurugaokaHachimangu Second Torii 1.JPG|二の鳥居 ファイル:若宮大路_一の鳥居.jpg|一の鳥居 </gallery> == 祭事 == <div class="NavFrame" style="width:100%;"> <div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">鶴岡八幡宮 年間祭事一覧</div> <div class="NavContent" style="text-align:left;"> {| |- | valign="top" width="25%" | {|class="wikitable" |- |1月1日 |[[歳旦祭]] |- |1月3日 |[[元始祭]] |- |1月4日 |手斧始式 |- |1月5日 |除魔神事 |- |1月15日 |[[左義長]]神事 |- |2月3日 |[[節分|節分祭]] |- |2月初午 |丸山稲荷社初午祭 |- |2月11日 |[[紀元節|紀元祭]] |- |2月17日 |[[祈年祭]] |- |3月18日 |[[宇佐神宮]]遙拝式 |- |[[春分]] |祖霊社春季例祭 |- |3月26日 |献詠披講式 |} | valign="top" width="25%" | {|class="wikitable" |4月2日 |由比若宮例祭 |- |4月3日 |若宮例祭 |- |4月9日 |丸山稲荷社例祭 |- |4月初巳 |旗上弁財天社例祭 |- |4月13日 |[[源頼朝]]公墓前祭 |- |4月21日 |武内社例祭 |- |5月5日 |[[端午|菖蒲祭]] |- |5月28日 |白旗神社例祭 |- |6月7日 |今宮例祭 |- |6月10日 |蛍放生祭 |- |6月30日 |[[大祓]] |- |6月30日 |古神札焼納祭 |} | valign="top" width="25%" | {|class="wikitable" |- |7月7日 |[[七夕|七夕祭]] |- |立秋の前日 |夏越祭 |- |[[立秋]] |立秋祭 |- |8月9日 |[[源実朝|実朝祭]] |- |9月14日 |宵宮祭 |- |9月15日 |例大祭 |- |9月15日 |神幸祭 |- |9月16日 |[[流鏑馬|流鏑馬神事]] |- |[[秋分の日]] |祖霊社秋季例祭 |} | valign="top" width="25%"| {|class="wikitable" |- |10月17日 |神嘗祭当日祭 |- |10月20日 |[[地久節|地久祭]] |- |10月28日 |白旗神社文墨祭 |- |11月3日 |[[明治節|明治祭]] |- |11月8日 |丸山稲荷社火焚祭 |- |11月15日 |[[七五三]]祈請祭 |- |11月23日 |[[新嘗祭]] |- |12月16日 |御鎮座記念祭 |- |12月23日 |[[天長節|天長祭]] |- |12月31日 |[[大祓]] |- |12月31日 |古神札焼納祭 |- |12月31日 |除夜祭 |} |} </div> </div> == 文化財 == [[ファイル:Efu no Tachi.jpg|thumb|250px|沃懸地杏葉螺鈿太刀/『集古十種』より]] === 国宝 === '''工芸品''' * 古神宝類(神服類)<ref name="kokuji40">1956年(昭和31年)6月28日文化財保護委員会告示第40号「重要文化財紙本著色地獄草紙等を国宝に指定する件」</ref> ** 袿 白小葵地鳳凰文二重織(うちき しろこあおいじ ほうおうもん ふたえおり) ** 袿 紫地向鶴三盛丸文唐織(うちき むらさきじ むかいつるみつもりまるもん からおり) ** 袿 紫地向鶴三盛丸文唐織 ** 袿 淡香地幸菱文綾織(うちき うすこうじ さいわいびしもん あやおり) ** 袿 黄地窠霰文二重織(うちき きじ かにあられもん ふたえおり) * 古神宝類(刀剣武具類)<ref name="kokuji40"/> ** 朱漆弓 1張 ** 黒漆矢(うち篦一筋欠) 30隻 ** 沃懸地杏葉螺鈿平胡籙(いかけじ ぎょうようらでん ひらやなぐい) 1腰 ** 沃懸地杏葉螺鈿太刀(いかけじ ぎょうようらでん たち) 1口 ** 沃懸地杏葉螺鈿平胡籙 1腰 ** 沃懸地杏葉螺鈿太刀(鐔欠) 1口 * 籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがきにきくらでんまきえ すずりばこ)<ref>1952年(昭和27年)1月12日文化財保護委員会告示第2号「文化財保護法により重要文化財を国宝に指定」</ref> * 太刀 銘正恒 === 重要文化財(国指定) === '''建造物''' * 大鳥居(一の鳥居)<ref>1904年(明治37年)8月29日内務省告示第57号「特別保護建造物ノ資格アルモノ」にて「鶴岡八幡宮大鳥居(一ノ鳥居)」として指定。1957年(昭和32年)2月19日文化財保護委員会告示第7号「重要文化財の名称又は構造及び形式についての記載事項を改める件」にて名称変更。</ref> - [[徳川家慶]]建立 * 末社丸山稲荷社本殿<ref>1967年(昭和42年)6月15日文化財保護委員会告示第34号「文化財を重要文化財に指定する件」</ref> * 摂社若宮<ref name="kokuji134">1996年(平成8年)7月9日文部省告示第134号「有形文化財を重要文化財に指定する件」</ref> * 上宮 本殿、幣殿及び拝殿<ref name="kokuji134"/> * 上宮 回廊<ref name="kokuji134"/> * 上宮 末社武内社本殿<ref name="kokuji134"/> '''工芸品''' * 太刀 3口(各銘相州住綱広、綱家作、康国作)・桐鳳凰蒔絵糸巻太刀拵(たちごしらえ)3口<ref>1984年(昭和59年)6月6日文部省告示第85号「文化財を重要文化財に指定する件」</ref> * 太刀 金銘国吉 * 太刀 銘長光 '''彫刻''' * 木造舞楽面 5面(陵王、散手、貴徳鯉口、貴徳番子、二ノ舞) * 木造弁才天坐像 * 木造菩薩面 '''古文書''' * 紙本墨書鶴岡社務記録 * 鶴岡八幡宮文書(二百二十四通)<ref>1983年(昭和58年)6月6日文部省告示第84号「文化財を重要文化財に指定する件」</ref> '''歴史資料''' * 鶴岡八幡宮指図 天正十九年五月十四日<ref>1905年(明治38年)4月4日内務省告示第58号「国宝ノ資格アル物件」にて「紙本墨書鶴岡八幡宮修営目論見絵図」として指定。2012年(平成24年)9月6日文部科学省告示第140号「重要文化財の名称を改める件」にて名称変更。</ref> 以上の国宝・重要文化財のうち建造物以外の大部分は[[鎌倉国宝館]]に寄託されている<ref>『鎌倉国宝館収蔵名品目録』、鎌倉国宝館編集・発行、2011</ref>。 === 国の史跡 === * 鶴岡八幡宮境内<ref>1967年(昭和42年)4月24日文化財保護委員会告示第13号「史跡鶴岡八幡宮境内を指定する件」</ref> *: 史跡指定範囲には、若宮大路の参道(段葛)、供僧坊跡(本殿北側)、元八幡(鎌倉市材木座)を含む<ref>『図説日本の史跡 6 中世』(同朋舎出版、1991)、p.210</ref>。 == 現地情報 == '''所在地''' * [[神奈川県]][[鎌倉市]]雪ノ下2丁目1番31号 '''交通アクセス''' * 鉄道 ** 最寄駅:[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[横須賀線]]または[[江ノ島電鉄線|江ノ島電鉄]] [[鎌倉駅]] (東口から徒歩10分) ** JR東日本横須賀線 [[北鎌倉駅]] (徒歩約15分) - 駅を降りると[[円覚寺]]があり、途中には[[建長寺]]も所在 * バス ** [[江ノ島電鉄]]で「鎌倉八幡宮前」または「八幡宮裏」バス停下車 (徒歩すぐ) ** [[京浜急行バス]]で「八幡宮」バス停下車 (徒歩すぐ) * 車 ** [[横浜横須賀道路]][[朝比奈インターチェンジ|朝比奈IC]]から、町道で約20分 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈" /> === 脚注 === {{reflist|2}} == 関連項目 == <!--当社から勧請された神社に関しては、ここには記載せず[[八幡宮]]項にその旨を記載するに留めてください(数が多すぎるので)。--Saigen Jiro(平成24年11月2日)--> * [[荏柄天神社]] - 現社殿として鶴岡八幡宮旧社殿が移築され現存している。 * [[八幡神]] * [[鎌倉幕府]] * [[鶴岡二十五坊]] * [[鶴岡八幡宮寺大塔]] * [[宇佐神宮]]、[[石清水八幡宮]] - 日本三大八幡宮 * [[富岡八幡宮]]、[[白岡八幡宮]] - 日本三岡八幡宮 == 外部リンク == {{Commonscat|Tsurugaoka Hachiman-gū}} * [http://www.hachimangu.or.jp/ 鶴岡八幡宮](公式サイト) * [http://www.google.co.jp/maps?f=q&source=embed&hl=ja&geocode=&q=%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&aq=&sll=35.316631,139.535208&sspn=0.001289,0.002832&brcurrent=3,0x601845c79f0aa91d:0x9b6ee58ff20a7c94,0&ie=UTF8&hq=&hnear=%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&layer=c&cbll=35.32564,139.556144&panoid=GTfs3nHrMBEVIKYYY0E7NQ&cbp=13,23.79,,0,-23.85&ll=35.325547,139.556094&spn=0.001453,0.00317&z=14&utm_campaign=en&utm_medium=et&utm_source=en-et-na-us-gns-svn 鶴岡八幡宮ストリートビュー] {{神道 横}} {{DEFAULTSORT:つるかおかはちまんくう}} [[Category:神奈川県の神社]] [[Category:鎌倉市の歴史]] [[Category:鎌倉市の建築物]] [[Category:国幣中社]] [[Category:別表神社]] [[Category:八幡宮]] [[Category:日本の国宝 (工芸品)]] [[Category:神奈川県の重要文化財]] [[Category:神奈川県にある国指定の史跡]] [[Category:鎌倉時代]] [[Category:河内源氏|社]] [[Category:室町時代の建築]] [[Category:江戸時代の建築]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Cite news
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Commonscat
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Cquote
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Wikinews
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:神社
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:神道 横
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:脚注ヘルプ
(
ソースを閲覧
)
鶴岡八幡宮
に戻る。
検索
検索
鶴岡八幡宮のソースを表示
話題を追加