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鰻丼
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[[ファイル:Tokyo Chikuyotei Unadon01s2100.jpg|240px|thumb|鰻丼]] '''鰻丼'''(うなどん、うなぎどんぶり)は、[[丼]]に入れた[[飯|御飯]]の上に[[ウナギ|鰻]]の[[蒲焼]]を乗せた[[日本]]の[[丼物]]で、[[江戸]]の[[郷土料理]]とされる[[日本料理]]の一つ。 ==概要== [[タレ]]は、[[醤油]]と[[砂糖]]を主として作られるが、各店は[[門外不出]]の秘伝のタレとして作り方に工夫を凝らしている。鰻を焼くときにもタレが使用されて蒲焼となるが、このタレは御飯に掛け、鰻の蒲焼を乗せた後に再度掛けるのが一般的である。[[山椒]]の粉は最後に振り掛ける。山椒は、[[消化]]を助ける効果があるとされ、[[泥]]臭さを消し、[[脂]]の多い[[鰻]]をさっぱりと食べる為の工夫である。 鰻の焼き方詳細は「[[蒲焼#鰻屋]]」を参照。 鱗のない[[魚]]は総じて皮が厚く、鰻も例外ではない(ナマズなどとは違いきわめて小さな[[鱗]]があるが皮膚に埋没している)。[[川]]や[[沼]]等に生息する天然産のウナギは養殖や輸入した物に比べて蒸した後に蒲焼にしても弾力があり、噛むほどに滋味を愉しめるほどの歯ごたえがある。その一方で一般に出回っている養殖ウナギのように箸先でほぐすことを期待しても切れないことがあり、直接蒲焼を口に運んで食いちぎらなければならないほどである。 香りが特徴的で鰻屋の店先まで漂うことから、「[[始末の極意|鰻屋の前で毎日香りをおかずに飯を食う男性が居て、腹を立てた鰻屋が香りの嗅ぎ代を請求すると、銭をジャラジャラ鳴らして『嗅ぎ代だから音だけで十分だろう』とやり返した」という小咄]]がある。また、[[1914年]]に次期首相に指名されながら[[組閣]]に失敗して[[大命降下|大命]]を拝辞した[[清浦奎吾]]は、組閣難航中に「鰻屋で待たされているようなもので匂いはするが御膳はなかなか出て来ない」とぼやいたことがあり、この時のいきさつは「[[鰻香内閣]]」と呼ばれている(なお清浦は10年後の[[1924年]]に首相に就任、「御膳」にありついた)。 ==歴史== [[宮川政運]]の「[[俗事百工起源]]」によると、堺町(現在の[[東京]][[人形町]])で[[大久保今助]]がこの鰻丼を考え出したとされている。一説には所用で水戸方面へ向かっていた今助が[[牛久沼]]のほとりの茶店で鰻の蒲焼で飯を食べようとしたところ、渡し舟が出そうになったため、今助は蒲焼を飯の上に乗せて皿をふた代わりにして渡し舟に飛び乗った。渡し舟が対岸に着き舟を降りた今助は蒲焼を食べようとしたら蒲焼は飯の蒸気と熱でよい香りになり、味も今まで食べたどの鰻の蒲焼よりも一番美味しい味だった。江戸へ戻った今助は丼に飯を入れてその上に蒲焼を載せ「鰻丼」として売り出すようになった<ref>http://www.pref.ibaraki.jp/hakase/info/12/ いばらきもの知り博士:茨城で生まれた日本伝統の味「うな丼」</ref><ref>http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/article/2013081500954/ うな丼発祥の地牛久沼(市内うなぎ専門店一覧)|龍ヶ崎市公式ホームページ</ref>。この御飯にタレが染込んだ味はこの[[芝居]]町で大人気となり、[[葺屋町]](堺町の隣町)にある<ref name="mori">{{Cite book|和書|ref=harv|last=森|first=銑三|title=明治東京逸聞史|volume=2|publisher=平凡社|year=1969|url=http://books.google.co.jp/books?id=y2UfAQAAMAAJ}}、p.270 "鰻丼を始めたのは日本橘葺屋町の大野屋で、天保の飢饉当時に、大丼の鰻飯を天保銭一枚で売ったのが当って"</ref>[[大野屋]]が「元祖鰻めし」という看板で売り出したのが最初だと言う。売り出しを開始した年代は特定されていないが、[[中村座]]や[[市村座]]が[[1841年]]に焼失して移転した経緯から、その前の頃に売り出したと推定される。ともあれ、天保の飢饉([[1844年]])に、[[天保通宝]]一枚で売り出したのが評判を呼んだという<ref name="mori"/>。 近世風俗史の基本文献とされている[[守貞謾稿]]によると、鰻飯は「'''鰻丼飯'''」の略。明治に入る頃まで京阪では「まぶし」、江戸では「'''[[丼|どんぶり]]'''」と言えば、この「鰻丼」を指した<ref>『[[守貞漫稿]]』「京坂にてまぶし、江戸にて、どんぶりと云ふ。鰻丼飯の略なり」</ref>。また、このときに[[割り箸]]が登場した。現在も「鰻飯」という言葉を使う地域や店舗がある。 ==鰻重との違い== [[画像:unajuu.jpg|thumb|150px|[[鰻重]]]] 用いる[[食器]]が[[重箱]]なら'''[[鰻重]]'''になる。鰻重には、鰻の[[肝]]の入った[[肝吸い]]が付く事が多い。鰻重は、一説では、[[山谷 (東京都)|山谷]]にあった川魚料理屋「鮒儀」<ref name="mori"/>(のちの「重箱」で、のれんを引き継ぐ店は今は赤坂にある)の初代、大谷儀兵衛が始めたといい、江戸後期にはあったとされるが、これについては誤謬説もある<ref>{{Cite book|和書|ref=harv|last=多田|first=鉄之助|title=たべもの日本史|volume=1|publisher=新人物往来社|year=1972|url=http://books.google.co.jp/books?id=LIMVAAAAMAAJ}}、p.? この店がウナギを重箱に入れたり、ウナ重を作った元祖ではなく、浅草山谷にあった鮒儀という店の格好が重箱に似ているので、愛称につけられたのだと、先代「重箱」の主人から直接に聞いた..」</ref>。異説では、重箱を使うものは大正時代に登場し、漆器を使うなど高級な印象を与えることを狙ったようで、現在でも鰻丼と比べると価格が高い傾向がある<ref>[http://www.excite.co.jp/News/bit/00091184601035.html うな重とうな丼、違いは名前と器だけ?](エキサイトニュース [[2007年]][[7月22日]]。執筆:田幸和歌子)</ref>。また、鰻と御飯が二重になっている物をそう呼ぶ事がある(器の底から「御飯-鰻-御飯-鰻」と「重」ねる意味から)。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== {{Commonscat|Unadon}} *[[大久保今助]] *[[ウナギ]] *[[蒲焼]] *[[丼物]] *[[鰻重]] {{DEFAULTSORT:うなとん}} [[Category:鰻料理|とんふり]] [[Category:東京都の食文化]] [[Category:丼物]] [[Category:日本の魚介料理]]
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