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高橋慶彦
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{{存命人物の出典明記|date=2014年2月}} {{記事名の制約|title=髙橋慶彦}} {{Infobox baseball player |選手名 = 髙橋 慶彦 |選手写真ファイル名 = 2011marines takahashi.jpg |写真サイズ = |写真のコメント = 千葉ロッテマリーンズコーチ時代 |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[北海道]][[芦別市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1957|3|13}} |没年月日 = |身長 = 176 |体重 = 75 |利き腕 = 右 |打席 = 両 |守備位置 = [[遊撃手]]、[[外野手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1974}} |ドラフト順位 = ドラフト3位 |初出場 = 1976年4月7日 |最終出場 = 1992年5月19日 |年俸 = |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西高等学校]] * [[広島東洋カープ]] (1975 - 1989) * [[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ・オリオンズ<!--球団名表記は、日本野球機構公式サイトやオフィシャルベースボールガイドに基づく。-->]] (1990) * [[阪神タイガース]] (1991 - 1992) |経歴補足題 = 監督・コーチ歴 |経歴補足 = <nowiki></nowiki> * [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]] (1995 - 1997) * 千葉ロッテマリーンズ (2004 - 2012) |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''髙橋 慶彦'''(たかはし よしひこ、[[1957年]][[3月13日]] - )は、日本の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])、野球指導者、[[野球解説者]]、[[野球評論家]]である。 == 経歴 == === プロ入り前 === [[1957年]]、北海道[[芦別市]]にあった[[三井グループ|旧三井鉱山]]の炭坑街で生まれた。父・慶喜は[[宮城県]][[鳴子町]](現:[[大崎市]][[鳴子温泉]])出身で、実業団の[[クロスカントリースキー]]選手であった<ref name="carp fun8005">『月刊カープファン』1980年5月号 </ref>。現役時代は[[全日本スキー選手権大会]]で入賞歴もある<ref name="carp fun8005"/>。慶喜の[[芝浦工業大学]]スキー部監督就任に伴い、4歳の時に、[[東京都]][[清瀬市]]に移り住んだ。 {{by|1974年}}、[[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西高]]のエース・4番として、3年時の[[第56回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]に東東京代表として出場した。この際に披露した走塁が、[[広島東洋カープ]]のスカウト・[[木庭教]]の目に留まることとなった。同年の[[1974年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]]で広島から3位指名を受け、入団。 === プロ入り後 === 入団後間もなく打者に転向、[[ジョー・ルーツ]]監督の指令で[[スイッチヒッター]]となるべく[[山本一義]]打撃コーチと共に猛特訓を開始。決して恵まれた体格ではなかったが、並外れた練習量とウエイトトレーニングで実力をつけ、{{by|1978年}}からレギュラーに定着した。 [[1970年代]]後半から[[1980年代]]の赤ヘル黄金時代に、1番打者として活躍した。ルーツの後を継いだ[[古葉竹識]]監督の下、「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の[[盗塁|盗塁王]]を獲得。{{by|1979年}}には'''33試合連続安打'''の日本記録を打ち立てると、[[1979年の日本シリーズ|同年の日本シリーズ]]では全7試合で安打し、打率.444を記録、[[最優秀選手 (野球)|MVP]]に輝いた。全盛期は[[福本豊]]の後継者とまで謳われ、その打撃・走塁スタイルは、[[山崎隆造]]や[[正田耕三]]ら後の広島を支えることになる後輩達にも強い影響を与えた。 山崎が頭角を現してからは主に1番高橋・2番山崎として、更に正田が台頭してからは自身の長打力も開花(後述参照)し、1番正田・2番山崎・3番高橋と俊足のスイッチヒッタートリオで上位打線を形成した。 {{by|1983年}}に更なる高みを目指し、広島に臨時コーチで来た[[山内一弘]]のレベルスイングを取り入れ[[本塁打]]を20本台へと増加させるが、一方で[[打率]]が下降し三振も増加した。これに関してはフォーム改造・本塁打増との因果関係も囁かれ(高橋本人は否定)、チームメイトの[[衣笠祥雄]]は安打だけを狙っていたら3000本安打を達成していたかもしれないと後年語っている。{{by|1987年}}には開幕2日前に催された激励会を「時期が悪い」とボイコットして球団との関係が悪化し、開幕から2週間の出場停止を言い渡される。そのため、続けていた連続試合出場も途絶えるが、同年は謹慎中の12試合以外は全試合に出場した。 また、同ポジションの[[野村謙二郎]]の入団・台頭もあって、{{by|1989年}}オフ、[[高沢秀昭]]・[[水上善雄]]との大型[[トレード]]で、[[白武佳久]]・[[杉本正志|杉本征使]]と共に[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ・オリオンズ]]<!--球団名表記は、日本野球機構公式サイトやオフィシャルベースボールガイドに基づく。-->へ移籍した。応援歌は、歌詞を広島時代の「行くぞ狙いは盗塁王」から「飛ばせロッテの核弾頭」などに変更しただけでほぼそのまま流用された。前奏も広島時代より『[[必殺仕事人]]のテーマ』が使用された<ref>高橋の阪神移籍後は[[平井光親]]のテーマに流用された。また、前奏を含めた応援歌自体も阪神移籍後に広島応援団へ返還され、[[緒方孝市]]のテーマとして流用された。</ref><ref>選手の応援歌が移籍先でも流用される事例は当時は極めて珍しいものであり、2010年代に入った現在でもこの事例は少ない。ただし、引退後に同じ球団の別の選手に流用される事例は多々ある。</ref>。ロッテでは[[マイク・ディアズ]]らと中軸を組んでいた。 ロッテでは[[金田正一]]監督の下、[[遊撃手]]より[[外野手]]として期待されていたが、既に全盛を過ぎており思うような成績を挙げることができなかった。{{by|1990年}}オフに[[遠山奬志]]とのトレードで[[阪神タイガース]]へ移籍。しかし成績は前年よりも悪化し、{{by|1992年}}には[[久慈照嘉]]の入団により出場の機会が激減、その年限りで現役[[引退]]した。 === 引退後 === 引退後は[[アール・エフ・ラジオ日本]](RFラジオ日本)解説者を経て、{{by|1995年}}から{{by|1997年}}まで[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]の打撃・走塁コーチを務めた。広島での現役時代から仲の悪かった[[達川光男]]バッテリーコーチと、ベンチ内の選手もいる前で2度も取っ組み合いのケンカをするなどしたが、[[村松有人]]や[[浜名千広]]ら、後のホークスを支える若手を育成した。 ダイエー退団後は、{{by|1999年}}から{{by|2001年}}までは[[九州朝日放送]](KBC)<ref>KBC野球解説者の在任時期については次の資料を参照。 * 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)…P217掲載のプロフィールに2年目との記述あり。 * 過去のKBCラジオプロ野球中継公式サイト(インターネット・アーカイブより) ** [http://web.archive.org/web/19991005170353/http://www.kbc.co.jp/radio/baseball/baseball.html 1999年(日本シリーズ開幕前)当時](1999年10月5日付保存キャッシュ) ** [http://web.archive.org/web/20020323052333/http://www.kbc.co.jp/radio/baseball/index.shtml 2001年9月当時(同月の日程が掲載)](2002年3月23日付保存キャッシュ) </ref>・{{by|2002年}}から{{by|2003年}}頃までは[[日本における衛星放送|CS系テレビ]]<ref>次の資料を参照。 * 『12球団全選手カラー百科名鑑2002』(『ホームラン』2002年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)…P239より、「フリーCS系」としてプロフィールが掲載。 * 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』(同2003年3月号増刊。同発行)…P238より、「フリー・CS系」としてプロフィールが掲載。 </ref>の解説者を務める傍ら、{{by|2000年}}から2003年まで[[スポーツニッポン]](福岡)[[野球評論家]]を務めた。その一方、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の番組『[[奇跡体験!アンビリバボー]]』にて、[[ガーナ]]での野球の普及活動に力を注いだ。 {{by|2004年}}シーズン途中に[[千葉ロッテマリーンズ]]の一・[[千葉ロッテマリーンズ (ファーム)|二軍]]巡回コーチへ招聘された。{{by|2005年}}より正式に一軍走塁コーチとなり、自身と同じスイッチヒッターの遊撃手である[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]を一人前に育てるなど、チームの日本一に貢献した。{{by|2008年}}から{{by|2009年}}は一軍打撃コーチを務め、{{by|2010年}}より[[二軍監督]]を務め同年[[イースタン・リーグ]]優勝(4年ぶり8度目)および二軍選手権優勝(二軍日本一)に導いた、{{by|2012年}}は一軍ヘッドコーチを務めたが、10月15日付で球団から退団を通知される<ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/10269.html コーチ契約に関するお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月15日</ref>。 {{by|2013年}}1月7日から3月7日まで[[東京スポーツ]]紙上で『赤ヘル機動力野球の申し子 高橋慶彦 赤い疾風伝説』(月曜日 - 木曜日発売分)を連載していた。 2013年には映画『[[ダイヤモンド (映画)|ダイヤモンド]](製作:[[オールインエンタテインメント]]、監督:[[本間利幸]])に主演した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/07/16/kiji/K20130716006229940.html 主演は高橋慶彦! 元プロ野球選手9人出演の任侠映画が完成] スポーツニッポン 2013年7月16日閲覧</ref>。同年9月22日に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放送された番組『[[有吉反省会]]』に出演した際「映画の主役に抜擢されたが、その演技がひどすぎる」と反省した<ref>[http://natalie.mu/owarai/news/99916 八幡が今度は大吉に告白、有吉衝撃の結末に] お笑いナタリー 2013年9月22日閲覧</ref>。 2012年、[[福島県]][[郡山市]]の宅建業者、[[ウェルズホーム]]に入社し、広報部長を務める<ref>[http://wellshome.blog38.fc2.com/blog-entry-532.html 高橋慶彦さん広報部長に就任] - ウェルズホーム社長日記、[[2012年]][[11月20日]]。</ref>。 また、2014年からテレビ新広島(TSS)・中国放送(RCC)などで野球解説者としての活動を再開したが(本数契約)、社業などのスケジュールの都合からTSSでの初回出演予定は[[金石昭人]]に変更となった。また、その他広島ホームテレビ(HOME)等在広局の番組にも時々出演している。 == プレースタイル == 高橋は、スイッチヒッターとして打率3割を5度、20本塁打以上を4度記録し、33試合連続安打という日本記録まで樹立した。この成功により、一躍日本球界にスイッチヒッターの有効性が知れ渡ることとなり、後進に計り知れない影響を及ぼした。スイッチヒッター転向時、山本一義打撃コーチと行った猛特訓では、朝から晩までバットを振り続け、食事時や寝る時もバットを手離さず、これで体を壊さないのが不思議なほどだと言われていた。その結果、まだ器具を使った[[筋力トレーニング]]が取り入りられていない時代に、野球の練習だけで[[ボディビル|ボディビルダー]]さながらの強靭な肉体を作り上げることに成功した。 1984年の日本シリーズでは1番打者として、打率.500(通算30打数15安打)、1本塁打、3打点、3盗塁(3試合連続盗塁のシリーズ記録)、8得点と自身がMVPを受賞した1979年の日本シリーズ以上の成績を残し、チームの日本一に貢献したが、[[長嶋清幸]]が打率.333、3本塁打、10打点という活躍を見せたため、惜しくも高橋はMVPには選ばれなかった(優秀選手賞には選出されている)。 通算477盗塁は歴代5位の記録だが、盗塁死も多く、通算206盗塁死は福本豊の299に次いで歴代2位であり、広島・阪神時代に記録した通算202盗塁死は[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]記録である。また、1983年には70盗塁を記録するものの、28盗塁死を喫しており、これがシーズン盗塁死のセ・リーグ記録となっている。 == 人物 == 広島においては数少ない、全国区の知名度を持った選手であった。[[小説家]]・[[村上龍]]が高橋をモデルに書いた『走れ!タカハシ』はベストセラーとなり<ref>後年、[[大森一樹]]監督によって映画化されたときにはすでに高橋が現役を引退していたため、人物を[[イチロー]]に変更し『[[走れ!イチロー]]』として制作された。</ref>、また自身の発売した『君の声がきこえる』『うわさのセクシークイーン』などのレコードは、5万枚の売り上げ記録している。 人なつっこく明るい性格で、交友範囲が広かった。[[秋野暢子]]が高橋を弟のように可愛がっていた(ただし秋野と高橋は同学年)。また[[ビートたけし]]や[[浜田省吾]]など、仕事で広島に訪れる有名人を「今日飲みましょう」と誘い、広島の歓楽街・[[流川]]で飲み歩く姿が度々目撃されていた。ビートたけしと[[島田洋七]]が[[漫才ブーム]]で儲けて、憧れの"[[銀座]]で飲む!"と初めて銀座に繰り出したが、どこの店に入ったらいいか分からないので、高橋に紹介してもらった店に行ったという(『俺の彼 がばいばあちゃんスペシャル劇場』島田洋七、[[徳間書店]]、2007年9月)。 昼は真っ赤な[[ポルシェ]]を乗り回し、遊び人としても有名で、[[叶和貴子]]など芸能人との噂も多かった。そのため「夜も盗塁王」などと揶揄されたこともある。また大の電話魔で、常に10円玉を大量に携帯し(まだ[[テレホンカード]]もなかった時代のため)、そのためポケットにしょっちゅう穴が空いていたという。板東英二の著書では、広島で1年間ヘッドコーチをした[[ドン・ブレイザー]]の娘に電話攻勢をかけたり、ハワイ・キャンプの間に電話代を200万円使ったこともあると記されている。しかし、2007年12月16日のRKBラジオ「[[池田親興のまんてんサンデー]]」に出演した際、番組内でこれが間違っていると指摘した。まず広島がハワイでキャンプをしていないことを挙げ、200万も否定。ハワイではなくフロリダ(当時の教育リーグにて)から、シンディではなく日本人の女の子に電話したとのことである。 その一方で、上記のスイッチヒッター転向のエピソードにもうかがえるように「練習の虫」と名づけられるほどの努力家でもあった。足を故障したときも、バッターボックスに椅子を置き、それに座ってフリーバッティングをしていた、付き合っている女性のマンションにバットを持ち込んで夜中に素振りを繰り返していた、など、枚挙に暇がない。 一言居士な気質で、若手の頃から首脳陣や先輩にも臆することしなく堂々と意見をぶつけていた。後年現役時代を振り返り、「自分は減らず口ばかり叩いてきたから、ベテランになれば出されるのは覚悟していた」と語っている。また、当時の[[大下剛史]]守備走塁コーチから一方的な誤解による鉄拳制裁を受けて(1983年ごろ)大下との関係が悪化し、それが1989年オフのロッテ移籍の要因のひとつになったとも言われている(高橋本人は否定)。この影響かどうかは不明だが、KBC解説者時代も、テレビ朝日系列全国中継への出演はなかった(当時キー局・テレビ朝日の解説者に大下がいた。但し、タレントとしてはテレビ朝日制作番組への出演はあった)<ref>後任の[[西村龍次]]はテレビ朝日にも出演している。</ref>。 江夏から若い時の自分に性格が似ていると言われたことがあり、「生意気で目上の人にも臆さずものを言うから(トレードに)出されたけど、なんでもハイハイ言うてる性格ならお互いプロでここまで活躍できてないのじゃないか」と言われたときはなるほどと納得したという。 阪神在籍時代の1991年3月28日<ref>ラジオ番組[[MBSヤングタウン]]木曜日1991年4月4日放送回より。インターネット上などでは翌1992年オープン戦での出来事と誤認されることも多く、高橋が同年限りで引退した直接の原因とされることもある。なお当時の木曜担当パーソナリティでこの出来事を番組内で取り上げた[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]は1991年10月で番組を降板している</ref>、[[藤井寺球場]]の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]との[[オープン戦]]で、[[始球式]]で[[山田雅人]]にボールをぶつけられてしまう。また同年5月に発表された前年の高額納税者リスト(長者番付)のプロ野球選手部門で上位にランク入りしたが、これは、広島で所有していた不動産をロッテ移籍によって売却して得られた収入の納税によるものが多かったためである(時あたかも[[バブル景気|バブル]]期であった)。 1995年9月16日の対日本ハム戦で死球に激怒し捕手の[[坊西浩嗣]]に殴りかかった[[ロブ・デューシー]]へ向かって飛び蹴りをしたことがある(しかし、狙いが外れ[[藤本博史 (内野手)|藤本博史]]に直撃した)。また2007年7月17日のロッテ対[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦でオリックスの[[タフィ・ローズ]]が[[里崎智也]]に暴行を加え乱闘になった際、オリックス打撃コーチの[[ジョン・ディーバス]]と激しくやり合い、退場処分を受けている。 従兄弟として、[[俳優]]で[[歌手]]の[[高橋良明]]と歌手・[[高橋知秀]]の兄弟がいる。しかしながら、高橋良明はバイク事故のために16歳で死亡、また高橋知秀も後年の交通事故によって芸能活動から退いている。 == 引退後のカープとの関係 == 広島での現役時代には様々な問題を抱えていたが、決して広島が嫌いなわけではなく、トレードが確定的になった時期も、知人に「出来れば広島に骨を埋めたい」と洩らしていたといわれる。また、コーチ就任後は、広島市民球場でのセ・パ交流戦試合終了後に、バスがホテルに向かう直前までバスの窓から広島ファンにひたすらサインを続けていた。また、解説者・タレント時代は在広放送局の番組(特に[[中国放送|RCC]]・[[テレビ新広島|tss]])への出演もあったほか、ホークス戦の解説でも「広島式の練習方法をホークスも取り入れてみてはどうか」と提案することもあった。本人は「広島に(コーチとして)復帰したい気持ちがあるが([[松田元]])オーナーと喧嘩をしたので無理でしょう」と語っている。2006年12月8日、[[二宮清純]]が主宰するシンポジウム「東京カープ会」にゲストとして参加。古葉監督時代の広島の様子や、遊撃手として居合わせた「[[江夏の21球]]」の裏話などを披露した。 2008年12月6日、同年度で閉鎖となる広島市民球場で行われた「カープOBオールスターゲーム」では久々に広島のユニフォーム<ref>入団時に着用していた紺色ロゴのデザインだが、背番号は当時の「40」ではなく、赤色ロゴに変更されてからの「2」だった。なお、これ以前も評論家時代には、OBオールスター戦への出場やテレビ番組への出演時に広島のユニフォームを時々着用している。</ref>に袖を通し、1番・遊撃手で先発出場して3安打1盗塁で最優秀選手に選ばれた。その際'''「僕は引退試合をしていない。ファンのみなさんのおかげで、今日は僕にとっての引退試合になった」'''とコメントした。スタンドから現役当時同様に「ヨシヒコ」コールを浴び、「帰って来い!」という声があちこちから聞こえた。打席では捕手の達川と笑顔で談笑する場面もあった。 2008年12月9日放送の「[[報道ステーション]]」では[[長嶋一茂]]と共に市民球場内を巡り、「この球場に育ててもらった」「古葉監督は優しかったけど怖い部分もあった」「江夏さんは優しかった」など思い出を語った。 == その他 == [[後楽園球場]]の電光掲示板では、選手名が「'''高橋ょ'''」と表示されていた。これは、当時の後楽園球場の掲示板はドットが粗く、画数の多い「慶」の字が表示できなかったための窮余の策であった(のちに「高橋慶」の表示が可能となった)。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|1976}} |rowspan="14" style="text-align:center;"|[[広島東洋カープ|広島]] |5||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||----||----||----||---- |- |style="text-align:center;"|{{by2|1977}} |58||141||130||23||38||6||2||0||48||6||14||2||2||0||7||0||2||33||3||.292||.338||.369||.707 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1978}} |110||472||427||72||129||19||'''10'''||7||189||47||15||'''20'''||1||1||32||0||'''11'''||46||3||.302||.365||.443||.808 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1979}} |120||535||490||86||149||22||'''7'''||5||200||33||'''55'''||'''16'''||1||1||32||3||11||56||3||.304||.360||.408||.768 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1980}} |'''130'''||'''590'''||'''550'''||68||'''169'''||24||'''11'''||5||230||33||'''38'''||'''20'''||3||1||28||1||8||51||3||.307||.349||.418||.767 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1981}} |111||490||460||72||133||23||4||5||179||31||14||11||3||2||19||0||6||38||3||.289||.324||.389||.714 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1982}} |'''130'''||589||'''546'''||75||147||20||5||6||195||27||43||'''24'''||7||0||29||1||7||66||3||.269||.314||.357||.672 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1983}} |124||531||465||91||142||23||3||24||243||58||70||'''28'''||5||3||54||1||3||64||1||.305||.379||.523||.902 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1984}} |126||556||495||'''97'''||150||23||4||23||250||71||30||9||10||4||44||2||3||79||5||.303||.361||.505||.866 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1985}} |'''130'''||601||'''533'''||96||147||10||2||24||233||68||'''73'''||18||7||4||54||0||3||89||4||.276||.343||.437||.781 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1986}} |'''130'''||'''583'''||'''552'''||88||157||33||2||21||257||55||39||15||4||1||20||0||4||91||8||.284||.314||.466||.779 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1987}} |118||521||462||65||130||21||2||11||188||53||28||8||9||5||40||2||2||61||4||.281||.338||.407||.745 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1988}} |127||546||499||58||119||24||3||11||182||43||32||13||9||4||33||2||1||54||5||.238||.285||.365||.650 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1989}} |127||540||491||63||131||21||0||12||188||47||13||15||5||2||37||0||3||59||12||.267||.321||.383||.704 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1990}} |style="text-align:center;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]] |100||294||261||33||54||6||2||9||91||28||7||4||7||2||23||0||0||41||1||.207||.269||.349||.618 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1991}} |style="text-align:center;" rowspan="2"|[[阪神タイガース|阪神]] |57||139||126||14||26||4||0||0||30||5||6||2||3||0||10||0||0||17||2||.206||.265||.238||.503 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1992}} |19||27||23||2||5||1||0||0||6||2||0||1||0||1||3||0||0||4||0||.217||.296||.261||.557 |- !colspan="2"|通算:17年 |1722||7146||6510||1003||1826||280||57||163||2709||607||477||206||76||31||465||12||64||849||60||.280||.333||.416||.749 |} * 各年度の'''太字'''はリーグ最高 === タイトル === * [[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]:3回 (1979年、1980年、1985年) * [[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]](当時連盟表彰なし):1回 (1980年) ※1994年より表彰 === 表彰 === * [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:5回 (1978年 - 1980年、1983年、1986年) * [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:1回 (1979年7月) * [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]MVP:1回 ([[1979年の日本シリーズ|1979年]]) * 日本シリーズ打撃賞:1回 ([[1979年の日本シリーズ|1979年]]) * 日本シリーズ優秀選手賞:1回 ([[1984年の日本シリーズ|1984年]]) === 記録 === ; 初記録 * 初出場:1976年4月7日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]1回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、2回裏に[[佐野嘉幸]]の代走として出場 * 初先発出場:1977年4月10日、対[[阪神タイガース]]2回戦([[阪神甲子園球場]])、1番・[[遊撃手]]として先発出場 * 初盗塁:同上、1回表に二盗(投手:[[江本孟紀]]、捕手:[[田淵幸一]]) * 初安打:1977年4月21日、対[[中日ドラゴンズ]]3回戦(広島市民球場)、5回裏に[[星野仙一]]から *初打点:1977年6月5日、対[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]9回戦([[札幌市円山球場]])、7回表に[[高橋重行]]から * 初本塁打:1978年6月27日、対横浜大洋ホエールズ12回戦(広島市民球場)、7回裏に[[斉藤明夫|斉藤明雄]]からソロ ;節目の記録 * 1000本安打:1984年8月7日、対[[読売ジャイアンツ]]15回戦([[後楽園球場]])、1回表に[[西本聖]]から右前安打 ※史上133人目 * 300盗塁:1985年7月6日、対[[阪神タイガース]]11回戦([[阪神甲子園球場]])、8回表に二盗(投手:[[池田親興]]、捕手:[[木戸克彦]]) ※史上16人目 * 1000試合出場:1985年8月20日、対ヤクルトスワローズ19回戦([[明治神宮野球場]])、2番・遊撃手として先発出場 ※史上257人目 * 350盗塁:1985年10月21日、対横浜大洋ホエールズ26回戦(広島市民球場)、8回裏に二盗(投手:斉藤明夫、捕手:[[小山昭晴]]) ※史上11人目 * 100本塁打:1986年4月8日、対読売ジャイアンツ1回戦(後楽園球場)、1回表に西本聖から先頭打者本塁打 * 400盗塁:1987年6月25日、対中日ドラゴンズ14回戦(広島市民球場)、5回裏に二盗(投手:[[小松辰雄]]、捕手:[[中村武志]]) ※史上6人目 * 1500本安打:1988年4月23日、対阪神タイガース5回戦(阪神甲子園球場)、7回表に[[中田良弘]]から中前安打 ※史上55人目(1304試合での達成は当時歴代6位の速度:現在は歴代9位) * 450盗塁:1988年10月18日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、5回表に本盗(投手:[[中本茂樹]]、捕手:[[秦真司]]) *150本塁打:1989年7月18日、対ヤクルトスワローズ13回戦(明治神宮野球場)、9回表に[[矢野和哉]]から左越逆転決勝2ラン ※史上88人目 * 1500試合出場:1989年8月8日、対読売ジャイアンツ18回戦([[東京ドーム]])、7回表に[[大野豊 (野球)|大野豊]]の代打として出場 ※史上94人目 *1000得点:1991年10月8日、対横浜大洋ホエールズ24回戦([[横浜スタジアム]])、6回表に[[トーマス・オマリー]]の犠飛で生還し達成 ※史上23人目 ; その他の記録 * 日本シリーズ3試合連続盗塁(1984年) ※シリーズ記録 * 33試合連続安打(1979年6月6日 - 7月31日) ※日本記録 * 11試合連続得点(1982年6月8日 - 6月22日) * 8試合連続盗塁(1983年5月26日 - 6月4日) * 6試合連続盗塁:2回 (1979年6月17日 - 6月23日、1986年10月5日 - 10月12日) * 1試合4盗塁:2回 (1982年5月30日、1983年4月30日) * 通算初回先頭打者本塁打34本(表13本、裏21本) ※歴代3位 * [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]通算初回先頭打者本塁打32本(表12本、裏20本) ※歴代2位 * 2試合連続初回先頭打者本塁打(1989年6月4日 - 6月6日) * 開幕戦初回先頭打者本塁打:1回 (1989年4月8日) * [[左右打席本塁打]]:1983年4月26日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、1回表に[[井本隆]]から(左打席)・4回表に[[梶間健一]]から(右打席) * シーズン20本塁打以上・70盗塁以上:2回 (1983年、1985年) ※2回達成者は史上唯一 * 初回先頭から3者連続本塁打:1989年6月4日、対横浜大洋ホエールズ9回戦([[秋田市営八橋球場]])、1回裏に1番・高橋、2番・[[正田耕三]]、3番・[[ウェイド・ロードン]]で[[木田勇]]から * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:6回 (1979年、1980年、1983年 - 1986年) === 背番号 === * '''40''' (1975年 - 1977年) * '''2''' (1978年 - 1989年、1991年 - 1992年) * '''5''' (1990年) * '''85''' (1995年 - 1996年) * '''72''' (1997年) * '''87''' (2004年 - 2012年) == 関連情報 == === 現在の出演番組 === * [[Enjoy! Baseball]](テレビ新広島) - [[達川光男]]の中日コーチ就任に伴い、本数契約で解説者として出演予定が発表されたが、初回は[[金石昭人]]に変更。その後は出演実績なし。 * [[侍プロ野球|RCCカープナイター/カープデーゲーム中継]]([[中国放送|RCCテレビ]]) - 本数契約でゲスト解説者として出演。 === 著書 === *赤い疾風 背番号2 - 熱球悲願(1983年、[[恒文社]]) *赤き哲学(2014年2月15日発売、[[ベストセラーズ]]) === ディスコグラフィ === ※いずれもシングル盤。 * 君の声が聞こえる/青春の1ページ(1980年発売) * うわさのセクシークイーン/ハッピーナイスデイ(1981年発売) * 僕の世界へ(1982年発売) * 鏡の中のメモリー(1982年発売) * ビクトリー(1984年4月1日発売。メインボーカルは[[細川たかし]]、高橋は[[原辰徳]]・[[岡田彰布]]・[[宇野勝]]・[[遠藤一彦]]・[[荒木大輔]]と共にコーラス参加。 === 過去の出演番組 === * [[東芝GOODDAY GOODMUSIC]]([[中国放送|RCCラジオ]]) * [[ラジオ日本ジャイアンツナイター]]([[アール・エフ・ラジオ日本|RFラジオ日本]]) * [[象印クイズ ヒントでピント]]([[テレビ朝日]]) * [[なるほど!ザ・ワールド]] ([[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 1986年プロ野球シーズンオフに[[秋野暢子]]と組んでパネラーで出演。解答する際に司会の[[愛川欽也]]からなぜか「広島くん!」と呼ばれていた。 * [[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|ゴールデンナイター・プロ野球中継]]([[九州朝日放送|KBCテレビ]]) * [[KBCホークスナイター|KBCジャンボナイター・KBCダイナミックホークス実況中継]]([[KBCラジオ]]) * [[夢空間スポーツ]]([[福岡放送|FBS福岡放送]]) * [[高橋慶彦のスポーツ一番]]([[KBCラジオ]]) * [[スーパーワイド]]([[TBSテレビ]]) * [[夢がMORIMORI]](フジテレビ) - 引退後。広島の後輩である[[佐々岡真司]]や[[町田公二郎]](共に同時在籍経験なし)と一緒に[[キックベース]]に挑戦し、見事番組レギュラー陣に勝利している。 * [[奇跡体験!アンビリバボー]](フジテレビ) * [[週刊パパたいむ]]([[中国放送|RCCテレビ]]) * [[報道ステーション]](テレビ朝日系列) * [[HOME Jステーション]]([[広島ホームテレビ]])- ロッテコーチ時代、2008年8月25日に放送された特集「赤ヘル黄金時代を支えた高橋慶彦さんの旧球場の思い」にVTR出演。 * [[森田一義アワー 笑っていいとも!]](フジテレビ)1983年、[[テレホンショッキング]]に出演。 * [[有吉反省会]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])自らが出演した「[[ダイヤモンド (映画)|ダイヤモンド]]」での演技を反省。 * [[イマなま3チャンネル]](RCCテレビ)- 野球中継のゲスト解説と自著『赤き哲学』の宣伝も兼ねて出演。 * [[情報チャージ 知りため!|知りため!プラス]](テレビ新広島)- 自著『赤き哲学』の宣伝も兼ねて出演。 * [[鯉のはなシアター]](広島ホームテレビ)- VTRを交え現役時代を回顧。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == * [[左右打席本塁打]] * [[東京都出身の人物一覧]] * [[広島東洋カープの選手一覧]] * [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]] * [[阪神タイガースの選手一覧]] == 外部リンク== *{{Twitter|yoshihiko_2}} *[http://www.windin-inc.com/talent04.html 株式会社ウインドイン プロフィール、テレビ出演等の問い合わせページ] *[http://www.wells-home.com/index.html ウェルズホーム] {{Navboxes|title=業績 |list1= </span> {{日本シリーズMVP}} {{日本シリーズ優秀選手}} {{日本シリーズ打撃賞}} {{セントラル・リーグ盗塁王}} {{セントラル・リーグ最多安打}} {{セントラル・リーグ ベストナイン (遊撃手)}} }} {{広島東洋カープ1974年ドラフト指名選手}} {{DEFAULTSORT:たかはし よしひこ}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:広島東洋カープ及び広島カープの選手]] [[Category:千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]] [[Category:盗塁王 (NPB)]] [[Category:野球監督]] [[Category:福岡ソフトバンクホークス関連人物]] [[Category:野球解説者]] [[Category:日本のタレント]] [[Category:日本の俳優]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]]
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高橋慶彦
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