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高橋国光
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{{F1ドライバー | 氏名= 高橋 国光 | 国籍= {{JPN}} | 出身地 = [[東京都]][[北多摩郡]]小金井町 | 生年月日= {{生年月日と年齢|1940|1|29}} | 所属チーム= [[ティレル]] | 活動時期= 1977 | 出走回数= 1 | 優勝回数= 0 | 通算獲得ポイント= 0 | 表彰台(3位以内)回数= 0 | ポールポジション= 0 | ファステストラップ= 0 | F1デビュー戦= [[1977年日本グランプリ (4輪)|1977年日本GP]] | 初勝利= - | 最終勝利= - | 最終戦= 1977年日本GP }} '''高橋 国光'''(たかはし くにみつ、[[1940年]][[1月29日]] - )は、日本の元レーシングドライバー、オートバイ評論家。[[東京都]][[北多摩郡]]小金井町(現・[[小金井市]])出身。[[血液型]]:B型。愛称は'''国さん'''。 二輪・四輪合わせて489レースに出場、通算71勝を挙げている。二輪では世界グランプリを転戦したが、四輪のレース活動は日本国内を主戦場とした。 華麗な[[ドリフト走行|ドリフト]]走法で知られ、[[黒澤元治]]に代表されるグリップ走法派のドライバーが台頭した後も、レースでドリフトを多用したことで知られる。そのためドリキン(ドリフト・キング)こと[[土屋圭市]]達から、師匠的な扱いを受けている<ref>土屋が台頭するまでは高橋がドリフトキングと呼ばれていた。近年は、マシンやタイヤの進化に合わせ、以前ほど派手なドリフトは見せなくなった</ref>。 [[1999年]]に59歳で現役を引退。[[2000年]]以降は自らのレーシングチームである[[チーム国光]]の監督を務める。以前は[[SUPER GT]]を運営するGTアソシエイションの会長も務めていた。 [[日本カーオブザイヤー]]選考委員(09-10等)。 == 経歴 == === 2輪レーサー時代 === [[1958年]]、2輪の[[全日本オートバイ耐久ロードレース#第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース大会|第1回全日本クラブマンレース]]・ジュニア(350cc)クラスに[[バーミンガム・スモール・アームズ|BSA]]ゴールドスターで出場し、セニア(350cc超)クラスを上回る平均速度で優勝。[[1959年]]の[[全日本オートバイ耐久ロードレース#第3回耐久ロードレース / 第2回クラブマンレース|第2回全日本クラブマンレース]]のセニアクラスにBSAゴールドスター(500cc)で出場し、500cc以下クラス優勝。同レースと併催の第3回[[全日本オートバイ耐久ロードレース]](第3回浅間火山レース)のセニアクラスに招待されて出場し、[[BMW]]に乗る[[伊藤史朗]]に続いて2位を獲得。10代の若さで日本を代表するライダーの一人になる。 これをきっかけに[[本田技研工業|ホンダ]]の[[ワークス・チーム|ワークス]]ライダーとなり、[[1960年]]から[[ロードレース世界選手権]](世界GP)に出場した。 [[1961年]]には西ドイツGP(当時)の250ccクラスで、日本人として初めての世界GPレース優勝を遂げる。当時開園したばかりの[[多摩テック]]の初代所長も務めた(ただし実務は行わない名誉職)。 [[1962年]]は世界GPの125ccクラスで初戦と2戦で連勝と波に乗る。第3戦である[[マン島TTレース]]でも好調を持続していたが、決勝をスタートして間もなく激しく転倒し、意識不明の[[重体]]に陥り一時は生命も危ぶまれた。高橋は事故前後の記憶がないほどだというが、「誰も全開にできないようなコーナーを予選で全開で走れた。世界チャンピオンクラスのライバルから危ないと心配されたのが逆に嬉しくて、マシンも身体も暖まっていない1周目から全開にしたのがいけなかった」と反省している。マン島での事故の後、2輪ライダーとしては以前ほどの速さを取り戻すことはできなかった。 === 4輪レーサー時代 === [[1964年]]、ホンダワークスの先輩格である[[田中健二郎]]に導かれる形で、同僚の[[北野元]]とともに四輪に転向した。[[日産自動車|日産]]のワークスチームである[[追浜ワークス]]に加入する。[[プリンス・R380|R380]]などの[[プロトタイプレーシングカー]]から、市販車改造マシンまで幅広く乗りこなした。[[日産・スカイライン|スカイラインGT-R]](C10型、愛称「箱スカ」)が50勝の記録を達成した時のドライバーでもある。北野元、黒澤元治と並び「追浜ワークス三羽ガラス」と呼ばれ、名実共に日本のトップドライバーと目されていた。 [[1973年]]の第1次[[オイルショック]]でワークスチームの活動が縮小された後は、[[富士グランチャンピオンレース]](富士GC)、[[全日本F2選手権]]→[[全日本F3000選手権]]などで活躍。[[1977年]]には[[ティレル]]の中古マシンで[[1977年日本グランプリ (4輪)|F1日本GP]]にスポット参戦したこともある。 1970年代後半までは長らく「[[無冠の帝王]]」と呼ばれていた。[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]などのビッグレースでたびたびポールポジションを獲得し、実力ナンバーワンと目されながら、決勝ではマシントラブルなどでなかなか優勝できなかったためである。特に[[1967年]]の[[1967年日本グランプリ (4輪)|第4回日本グランプリ]]で日産・R380に乗り、[[生沢徹]]の[[ポルシェ・906]]を徹底的に追い詰めながら、生沢のスピンに巻き込まれて優勝を逃したことは有名<ref>優勝した生沢より、追い上げていた高橋の方が、明らかに速かった。</ref>である。 1977年3月6日。[[鈴鹿サーキット]]にて開催された[[全日本F2000選手権]]の開幕戦。高橋がトップで残り2周の段階に差し掛かった際、周回遅れにしようとしていた[[竹下憲一]]がバックストレートで大クラッシュし、ガードレールに完全に突き刺さり、動けなくなった。高橋は優勝目前だったにもかかわらずマシンを急停止させ、竹下の救出に向かった。この姿を見た後続のドライバーも次々にマシンを停止させて高橋に続いた。結局レースは赤旗で終了となり、その直前の順位が正式なレース結果になったため、高橋は他に例を見ない形で優勝した。主催者側とライバルのドライバー全員が、高橋の献身的な行為を高く評価したためと言われ、現在まで語り継がれる美談になっている。 [[1978年]]に鈴鹿で開催された[[JAFグランプリ]](F2)では、F1ドライバーの[[リカルド・パトレーゼ]]らと競り合った末に優勝、38歳にしてビッグタイトルを獲得し「無冠の帝王」の名を返上した。 [[File:Kremer 962CK6.jpg|right|220px|thumb|クレマーのポルシェ・962C]] [[1983年]]以降は[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|全日本耐久選手権]]に活動の場を移し、[[1985年の全日本耐久選手権|1985年]]から[[1987年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|1987年]]まで、[[ポルシェ・956]]および[[ポルシェ・962|962C]]で選手権3連覇を果たし、[[1989年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|1989年]]では4度目の年間タイトルを49歳にして獲得している。またクレマーチームより[[ル・マン24時間レース]]にも参戦した。 後年は、自らの名前を冠したチーム国光を立ち上げ、[[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権]](JTC)では土屋圭市と組み[[日産・スカイライン|スカイラインGT-R]](R32型)で活躍し、1勝している。[[1994年]]より、長年にわたりドライバーとして参加してきた[[ル・マン24時間レース]]に自チームを率い[[土屋圭市]]、[[飯田章]]と[[ホンダ・NSX]]でGT2クラスに参戦、55歳となった[[1995年]]にはついにクラス優勝(総合8位)を達成した。また[[全日本GT選手権]]にも参戦、キャリア晩年は飯田章と組んで[[チーム国光#全日本GT選手権・SUPER GT参戦歴|RAYBRIG NSX]]を駆り、通算2勝を挙げている。そのうちの1勝は現役最終年の[[1999年]]、実に59歳の時であった。 == 引退後 == [[1999年]]にレーシングドライバーとしての引退を表明したが、チーム国光の監督として全日本GT選手権、SUPER GTに参戦を継続しており、2005年[[ツインリンクもてぎ]]で現役引退以来6年ぶりの優勝を監督として果たした。 1998年には[[ツインリンクもてぎ]]で開催された第1回[[もて耐]](2輪のアマチュアレース)に[[長谷見昌弘]]、[[飯田章]]と組んで出場し、往年の世界GPライダーの腕を披露。各種イベントで2輪と4輪のヒストリックマシンを走らせている。 第一線を退いたとはいえドライバーの活動も継続しており、ツインリンクもてぎで行なわれる[[JOY耐]]や[[セパンサーキット]]で行われる12時間耐久レースなどに参戦している。また、2010年より行われている[[JAFグランプリ|富士スプリントカップ]]の「レジェンドカップ」では年齢ハンディの加算もあり3年連続ポールポジションを獲得し、2011年には終盤に[[中嶋悟]]をオーバーテイクし長谷見昌弘に次ぐ2位で, 2012年は関谷正徳に次ぐ2位でゴールするなど、70歳代という年齢を感じさせない快走を見せた。 == 評価 == モータージャーナリストの[[熊倉重春]]は1993年[[インターTEC]]のテレビ解説にて「日本のレーサーで職人といえば[[中子修]]、天才といえば高橋国光」と高橋国光の実力を高く評価している。 == 人物 == *ベストレースは、GT2クラス優勝した1995年のル・マン24時間レースと述べている。ル・マン挑戦7回目にして初のドライバー、マシン、スタッフ、メカニック全てにおいてのオール・ジャパン体制での参戦に誇りを持っている<ref>オートスポーツNO.789 2000年2/3号 62頁「my best race 第3回・高橋国光」より</ref>。 == JGTC年度別での成績 == 色の意味はこちらを参照→[[Template:F1 driver results legend 2|key]] {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:85%" |- ! 年 ! 所属チーム ! 使用車両 ! クラス ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 順位 ! ポイント |- | [[1994年の全日本GT選手権|1994]] ![[チーム国光]] ![[ポルシェ・911|ポルシェ・911 GT2]] !GT1 |[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small></small> |[[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small></small> |bgcolor="#EFCFFF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>Ret</small> |bgcolor="#FFFFBF"|[[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>1</small> |bgcolor="#DFDFDF"|[[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>2</small> | | !7位 !35 |- | [[1995年の全日本GT選手権|1995]] ![[チーム国光]] ![[ポルシェ・911|ポルシェ・911 GT2]] !GT1 |bgcolor="#CFCFFF"|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>14</small> |bgcolor="#FFDF9F"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>3</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>4</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>8</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>8</small> |bgcolor="#EFCFFF"|[[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>Ret</small> | !10位 !28 |- | [[1996年の全日本GT選手権|1996]] ![[チーム国光]] ![[ホンダ・NSX]] !GT500 |bgcolor="#EFCFFF"|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>8</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>12</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[富士スピードウェイ|MIN]]<br /><small>7</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>10</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>11</small> | !17位 !8 |- | [[1997年の全日本GT選手権|1997]] ![[チーム国光|チーム国光 with MOON CRAFT]] ![[ホンダ・NSX]] !GT500 |[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small></small> |bgcolor="#EFCFFF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>Ret</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>16</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>11</small> |bgcolor="#DFDFDF"|''[[MINEサーキット|MIN]]''<br /><small>2</small> |bgcolor="#DFDFDF"|'''[[スポーツランドSUGO|SUG]]'''<br /><small>2</small> | !9位 !30 |- | [[1998年の全日本GT選手権|1998]] ![[チーム国光|チーム国光 with MOON CRAFT]] ![[ホンダ・NSX]] !GT500 |bgcolor="#DFFFDF"|'''[[鈴鹿サーキット|SUZ]]'''<br /><small>10</small> |bgcolor="#FFFFFF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>C</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>12</small> |bgcolor="#EFCFFF"|'''''[[富士スピードウェイ|FUJ]]'''''<br /><small>Ret</small> |bgcolor="#DFFFDF"|''[[ツインリンクもてぎ|MOT]]''<br /><small>7</small> |bgcolor="#FFFFBF"|'''[[MINEサーキット|MIN]]'''<br /><small>1</small> |bgcolor="#EFCFFF"|[[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>Ret</small> !10位 !25 |- | [[1999年の全日本GT選手権|1999]] ![[チーム国光|チーム国光 with MOON CRAFT]] ![[ホンダ・NSX]] !GT500 |bgcolor="#EFCFFF"|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small> |bgcolor="#FFFFBF"|''[[富士スピードウェイ|FUJ]]''<br /><small>1</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>13</small> |bgcolor="#CFCFFF"|[[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>15</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[富士スピードウェイ|FUJ]]<br /><small>7</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[岡山国際サーキット|TAI]]<br /><small>5</small> |bgcolor="#DFFFDF"|[[ツインリンクもてぎ|MOT]]<br /><small>9</small> !11位 !34 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[モータースポーツ]] * [[日本人ドライバー一覧]] * [[F1ドライバーの一覧]] == 外部リンク == * [http://www.teamkunimitsu.net/ Team Kunimitsu Net] *[http://www.mondotv.jp/entertainment/tansha 高橋国光と伝説の単車達 - MONDO TV] {{全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権歴代チャンピオン}} {{DEFAULTSORT:たかはし くにみつ}} [[Category:日本のライダー]] [[Category:日本のドライバー]] [[Category:日本のF1ドライバー]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1940年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本の自動車評論家]] {{sportspeople-stub}}
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