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高橋卯之助
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'''高橋 卯之助'''(たかはし うのすけ、男性、[[1833年]]([[天保]]4年) - [[1902年]]([[明治]]35年))は、日本の[[数学者]]。明治6年の[[太陰暦]]の廃止、[[太陽暦]]への改暦の準備を行った。[[通称]]は卯之助だが、後に卯と改めた。本名は'''高橋義泰'''。 [[1833年]]([[天保]]4年)、[[下総国]][[佐倉藩]](現在の[[千葉県]][[佐倉市]])に佐倉藩士、高橋弥七の子として生まれる。佐倉藩の[[藩校]]、成徳書院(現在の[[千葉県立佐倉高等学校]]の前身)で関流和算を学び、「見題印可」「陰題印可」「伏題印可」の免許を受ける。後に[[香港]]へ[[留学]]。[[1870年]](明治3年)に[[政府]]が[[大学南校]](現在の[[東京大学]])に天文暦道局を設置したさい編暦の実際を担当。[[文部省]]十二等出仕となり太陽暦採用への準備を担当した。[[改暦]]後は[[東京大学]][[理学部]]星学科観象台(後の[[東京天文台]]、現在の[[国立天文台]])に勤務した。 また、[[1855年]]([[安政]]2年)には[[ビーポロ・ステエンストラ]]著で[[ヤコブ・フローリン]]補訂のオランダ語の航海術書第6版である「新訳弧三角術」を和訳し解説した。[[万延]]元年に「赤道測量表」、[[1866年]]([[慶応]]2年)に「測量枢要」を著すなど、[[関流和算]]だけではなく[[西洋数学]]にも熟達していた。 == 主な著書 == *「赤道測量表」 *「測量枢要」 *「太陽出没考艸」 *「自長崎至暹羅航海路推算」(編著) *「新訳弧三角術」(訳書) *「円理称平術」(校訂) == 関連事項 == *[[数学者]] *[[天文学者]] *[[太陰暦]] *[[太陽暦]] *[[国立天文台]] ==外部リンク== [http://www.nao.ac.jp/ 国立天文台] {{DEFAULTSORT:たかはし うのすけ}} [[Category:日本の数学者]] [[Category:和算家]] [[Category:19世紀の数学者|330000]] [[Category:20世紀の数学者|-330000]] <!--[[Category:国立天文台の人物]]1888年の東京天文台開設まで勤務したか?--> [[Category:幕末佐倉藩の人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:1833年生]] [[Category:1902年没]] [[Category:数学に関する記事]]
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