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高松城 (備中国)
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{{日本の城郭概要表| img = 画像:Bitchu Takamatsu castle ruins.jpg| img_capt = 本丸址公園| img_width =260px| name = 高松城| pref = 岡山県| ar_called = | struct = 梯郭式平城| tower_struct = なし| builders = [[石川氏]]| build_y = ''不明''| revamp = | rulers = [[石川氏]]、[[清水氏]]、[[花房氏]]| reject_y = [[江戸時代]]初期| remains = 水攻め堰堤の一部、石積みの一部| cultural asset = 国の史跡| location = {{ウィキ座標2段度分秒|34|41|34.8|N|133|49|19.36|E|region:JP-33_scale:10000}}| }} [[画像:Kawazugahana Embankment site.jpg|right|thumbnail|200px|水攻め堰堤址(蛙ヶ鼻)]] [[File:takamatsumizuseme.jpg|right|thumbnail|200px|高松城水攻め([[明治]]時代、[[月岡芳年]]画)]] '''高松城'''(たかまつじょう)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、[[備中国]]高松(現・[[岡山県]][[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]高松)に存在した[[城]]。[[高松城 (讃岐国)|讃岐高松城]]と区別して'''備中高松城'''とも呼ばれる。[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]による'''水攻め'''で有名である(詳細は「[[備中高松城の戦い]]」参照)。 == 概要 == 城の形式は梯郭式平城で、石垣は築かれず土塁によって築城されていた。城の周囲は低湿地帯でこれらが天然の堀を形成していた。 築城時期ははっきりしないが、[[松山城 (備中国)|松山城]]主・[[三村氏]]の命により、備中守護代で三村氏の有力家臣でもあった[[石川氏]]が築いた城である。[[天正]]3年([[1575年]])の[[備中兵乱]]で石川氏が主家三村氏とともに[[毛利氏]]に滅ぼされた後は、[[清水宗治]]が城主となった。清水宗治は備中兵乱の際、石川氏の娘婿・重臣でありながら主家を離れて毛利氏に加担したが、清水宗治が城主となった経緯は不詳である。石川氏滅亡以前より宗治が城主であったともいわれる。 天正10年([[1582年]])、[[織田信長]]の家臣・羽柴秀吉は[[中国攻め]]の先鋒を任され、4月、[[備中高松城の戦い|高松城攻め(備中高松城の戦い)]]にかかった。高松城の周囲は沼地に囲まれ難攻不落を誇っていたため、[[攻城戦]]は持久戦となった。[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]([[5月29日]])に入り軍師・[[黒田孝高]]の献策により城を[[ダム|堰堤]]で囲むという、攻城というよりむしろ土木工事といえるものが開始された。これにより低湿地にあった高松城を水没させようというものである。世に言う「'''高松城水攻め'''」である。人夫に過分な金子を与え突貫工事で11日後に[[堤防]]が完成。折しも[[梅雨]]時で堰堤内には水が溢れ城は見事に水没した。 ここに信長を招く準備をしていたが、[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[6月21日]])、[[本能寺の変]]が起こり計画は頓挫した。翌日、光秀の毛利軍への密使を秀吉軍が拘束。密書で信長の死を知った秀吉軍は毛利軍に知られぬよう密使を暗殺してこれを秘匿し毛利方の外交官・[[安国寺恵瓊]]を仲介役に和議を成立させた。城兵の命と引き替えに[[6月4日 (旧暦)|4日]]([[6月23日|23日]])、宗治は切腹。秀吉は主君の仇敵・[[明智光秀]]と対決すべく「'''中国の大返し'''」を行い、強行軍で[[近畿]]に引き返した その後、高松城は宇喜多領となり、[[花房正成]]が城主として入城。そして[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]の後、宇喜多氏の旧臣であった[[花房職秀]](職之)が城主となり、高松城に入城した。この時期に城域も整備されたが、職秀の死後、一国一城令で廃城となったと思われる。 現在は秀吉が築いた堰堤や、城の石積みの一部が僅かにあるのみで、城の痕跡はほとんど残っていない。城跡には宗治自刃の碑、宗治首塚・胴塚があり、公園として整備されており資料館が開館している。堰堤跡は高松城水攻め史跡公園として整備され、発掘調査により土杭等が確認されている。城跡と堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」の名称で国の[[史跡]]に指定されている。 == 現地情報 == === 所在地 === * 岡山県岡山市北区高松558-2 === 交通アクセス === * [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[吉備線]][[備中高松駅]]下車、徒歩10分。 == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会|title=新版 岡山県の歴史散歩|series=新全国歴史散歩シリーズ|publisher=[[山川出版社]]|year=1991|pages=114-115|isbn=4-634-29330-4}} * {{Cite book|和書|editor=西ヶ谷恭弘|title=定本 日本城郭事典|publisher=[[秋田書店]]|year=2000|page=309|isbn=4-253-00375-3}} * {{Cite book|和書|author=[[野中信二]]|title=[[武士の宴]]}}(小説、短編集『[[西国城主]]』に収録) * {{Cite book|和書|editor=[[林信男]]|title=備中高松城水攻の検証|year=1999}} * {{Cite book|和書|author=[[渡邊大門]]|title=戦国の交渉人―外交僧安国寺恵瓊の知られざる生涯―|publisher=[[洋泉社]]|year=2011|series=歴史新書|isbn=978-4-86248-784-1}} == 関連項目 == * [[備中高松城の戦い]] * [[日本の城一覧]] * [[中国地方の史跡一覧]] * [[太田城 (紀伊国)]]、[[忍城]](他の[[攻城戦|日本三大水攻め]]の城) * [[日本のダムの歴史]] - [[日本ダム史年表]] == 外部リンク == {{Commons|Category:Takamatsu Castle (Bitchu)}} {{Wikisource|ひとさしの舞}} * [http://web.archive.org/web/20090412155523/http://www2.sanmedia.or.jp/xplus/kensyou/bittyu.htm 実地検証〜高松城水攻め〜](2009年4月12日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]]) * [http://www.bitchu.jp/index.html 清水宗治Web] * [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース] {{DEFAULTSORT:たかまつしよう ひつちゆうのくに}} [[Category:岡山県の城]] [[Category:岡山県にある国指定の史跡]] [[Category:安土桃山時代]] [[Category:石川氏|城城 たかまつしよう ひつちゆうのくに]] [[Category:清水氏|城 たかまつしよう ひつちゆうのくに]] [[Category:宇喜多氏|城 たかまつしよう ひつちゆうのくに]] [[Category:花房氏|城 たかまつしよう ひつちゆうのくに]] [[Category:岡山市の建築物]] [[Category:岡山市北区の歴史]] [[Category:日本のダム]]
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