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高木浩之
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{{Infobox baseball player |選手名 = 高木 浩之 |所属球団 = 埼玉西武ライオンズ |役職 = コーチ |背番号 = 75 |選手写真ファイル名 = |写真サイズ = |写真のコメント = |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[愛知県]][[稲沢市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1972|10|14}} |没年月日 = |身長 = 172 |体重 = 68 |利き腕 = 右 |打席 = 左 |守備位置 = [[二塁手]]、[[三塁手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1994}} |ドラフト順位 = ドラフト4位 |初出場 = 1995年6月17日 |最終出場 = 2008年9月28日(引退試合) |経歴 = <nowiki></nowiki> '''選手歴'''<br> * [[享栄高等学校]] * [[駒澤大学硬式野球部|駒澤大学]] * [[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ<br />埼玉西武ライオンズ]] (1995 - 2008) '''コーチ歴'''<br> * 埼玉西武ライオンズ(2013 - ) |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''高木 浩之'''(たかぎ ひろゆき、[[1972年]][[10月14日]] - )は、[[愛知県]][[稲沢市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])。[[2013年]]から[[埼玉西武ライオンズ]]の二軍打撃コーチを務める。 == 来歴 == === プロ入り前 === 1972年に愛知県で生まれる。享栄高等学校のエースとして1990年の[[第62回選抜高等学校野球大会]]に出場、1回戦(対[[福井県立福井商業高等学校]]戦)で1試合2本塁打を記録するなど活躍した。チームは2回戦で敗退したものの2回戦でも本塁打を放ち、選抜大会記録となる1大会3本塁打を放った。 卒業後は[[駒澤大学硬式野球部|駒沢大学]]へ進学した。高校時代に放った長打を買われて内野手として入学するも、2・3年時は投手として選手登録され、中継ぎを中心に通算6勝を挙げている。4年生では再び内野手登録となり、チームの主将として牽引した。 1994年のドラフト会議において、西武ライオンズから4巡目で指名され、入団。 === プロ入り後 === {{by|1995年}}は開幕を二軍で迎えるも、同年6月17日の対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]戦([[札幌市円山球場]])の8回表に[[二塁手]]としてプロ初出場を果たした。しばらくは途中出場や先発出場してもレベルの違いから安打が出なかったが、同年9月15日の対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]線([[藤井寺球場]])でプロ初安打を放った。この年は19試合に出場した。 {{by|1996年}}には開幕一軍を掴み取り、開幕戦では9番・二塁手として先発出場した。次第に調子を上げると9番・二塁手の定位置を確保し、{{by|1997年}}には初の100試合出場、打率.278で20犠打を記録するなど、細かい技術を駆使してチームに貢献した。 {{by|1998年}}には7番・二塁手として開幕を迎えるが打率.202と、同年6月4日の対日本ハムファイターズ戦([[西武ドーム]])でプロ初本塁打を放つも、前年より調子を大幅に落とした。 {{by|1999年}}は引き続き二塁手として打率.265を記録した。同年のオールスター戦にも初出場を果たし、本拠地開催となった第2戦では[[佐々木主浩]]から安打を放った。 {{by|2000年}}は再び調子を落として打率.165、出場試合数も61試合に留まり、二塁手のレギュラーを明け渡すことも多かった。{{by|2001年}}も65試合の出場に終わったが、打率.286と前年より調子を上げ、再び二塁手のレギュラーを獲得する足固めを作った。 {{by|2002年}}は開幕から一貫して9番・二塁手に固定され、自己最多となる130試合に出場して規定打席に初めて到達したほか、得点圏打率.374(リーグ2位)、三振も僅か26と、前年までの不振を全て払拭して復活を印象づけたシーズンとなった。初のタイトルとなる[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]・[[ゴールデングラブ賞]]を獲得するなど、自己最高のシーズンとなった。 {{by|2003年}}も二塁手として116試合に出場、打率.257を記録した。四球が36個と増え、出塁率.322を記録した一方、三振も前年より減らして20個と、打撃面での安定感や確実性が改善された。 {{by|2004年}}は3年連続の100試合出場を達成した。この年に先発出場した試合は全て9番で起用され、他の打順は一度も無いという珍しい記録を残した。 {{by|2005年}}から右目の視力障害・右膝痛による離脱が目立ち、48試合の出場に留まったものの打率.326を記録してチームに貢献した。同年に[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]権を取得したが、同年オフ、行使せずに西武へ残留することが決まった。 {{by|2006年}}は69試合に出場、打率.288で後半の打率は.340を記録した。前年限りで[[高木大成]]が引退したことに伴い、同年より新聞に表記される成績表などでは「高木」という表記となったが、スコアボード表示は「高木浩」、アナウンスは「たかぎひろゆき」、ユニフォームの背番号上のネームは「H.TAKAGI」と変わらなかった。 {{by|2007年}}5月17日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦(西武ドーム)で4年ぶりの本塁打を放つも、右目視力障害の影響は拭えず、自己最小の出場試合数に終わった。同年[[10月1日]]の対[[オリックス・バファローズ]]戦([[京セラドーム大阪]])に9番・二塁手で先発出場し、史上424人目・西武では9人目となる通算1000試合出場を達成した。 {{by|2008年}}に視力障害の再発によって、一軍はおろか[[イースタン・リーグ]]でも試合に十分出場することが出来ず、同年9月22日に現役引退を表明した。引退試合は同年9月28日に西武ドームで行われ、8回裏に代打(先頭打者・9番)で登場、二塁ゴロに終わった。9回表は慣れ親しんだ二塁の守備に就いたものの守備機会は巡ってこず、そのまま現役生活に別れを告げた。引退セレモニーでは西武での14年間を「悔いはありません」とコメントし、同期入団で同い年の[[西口文也]](セレモニー開始時にLビジョンで流された高木の足跡を振り返るVTRの最後にメッセージを贈った)から花束を贈られた後、二塁の守備位置で行われた[[胴上げ]]で4回宙を舞った。 同年10月27日、西武の編成部アマチュア担当に就任すると発表された。 === 現役引退後 === {{by|2009年}}から西武ライオンズの編成部として勤務した後、2012年10月26日に、来季から西武ライオンズの二軍打撃コーチへ就任することが発表された。指導者として、現役引退から5シーズン振りに現場へ復帰する。 2014年6月4日、[[伊原春樹]]監督の退任と[[田辺徳雄]]一軍打撃コーチの監督代行就任に伴い、一軍打撃コーチに昇格した。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align: center;"|{{by2|1995}} |rowspan="14" style="text-align: center;"|[[埼玉西武ライオンズ|西武]] |19||24||22||3||5||1||0||0||6||1||0||2||0||0||1||0||1||5||0||.227||.292||.273||.564 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1996}} |48||109||95||12||19||2||0||0||21||1||2||0||3||1||9||0||1||8||1||.200||.274||.221||.495 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1997}} |107||295||255||27||71||12||1||0||85||21||1||6||20||2||16||0||2||20||0||.278||.324||.333||.657 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1998}} |111||275||233||28||47||9||1||2||64||20||2||1||19||3||18||0||2||25||6||.202||.262||.275||.536 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1999}} |109||307||279||22||74||14||2||1||95||24||1||1||11||3||11||0||3||20||3||.265||.297||.341||.638 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2000}} |61||118||97||9||16||0||0||0||16||3||1||0||7||1||11||0||2||10||2||.165||.261||.165||.426 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2001}} |65||168||147||9||42||4||0||0||46||7||2||0||8||0||11||0||2||8||2||.286||.344||.313||.657 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2002}} |130||446||404||52||110||12||1||1||127||37||11||1||11||0||26||0||5||26||7||.272||.324||.314||.638 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2003}} |116||401||350||49||90||14||2||3||117||26||3||2||11||1||36||0||3||20||8||.257||.331||.334||.665 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2004}} |103||324||287||26||73||11||2||2||94||28||1||3||8||2||24||0||3||31||4||.254||.316||.328||.644 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2005}} |48||154||132||12||43||3||0||0||46||10||2||1||8||2||10||1||2||17||3||.326||.377||.348||.725 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2006}} |69||199||177||19||51||8||0||0||59||7||1||0||4||2||15||0||1||17||2||.288||.344||.333||.677 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2007}} |15||33||31||1||2||0||0||1||5||1||0||0||1||0||1||0||0||6||0||.065||.094||.161||.255 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2008}} |1||1||1||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||.000||.000||.000||.000 |- !colspan="2"|通算:14年 |1002||2854||2510||269||643||90||9||10||781||186||27||17||111||17||189||1||27||213||38||.256||.313||.311||.624 |} === 表彰 === * [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回(2002年※二塁手) * [[ゴールデングラブ賞]]:1回(2002年※二塁手) === 記録 === * 初出場:1995年6月17日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]11回戦([[札幌市円山球場]])、8回表に[[二塁手]]として出場 * 初先発出場:1995年6月23日、対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]10回戦([[西武ドーム|西武ライオンズ球場]])、9番・二塁手として先発出場 * 初安打:1995年9月15日、対近鉄バファローズ23回戦([[藤井寺球場]])、9回表に[[入来智]]から * 初打点:1995年9月28日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]26回戦(西武ライオンズ球場)、5回裏に[[小宮山悟]]から * 初盗塁:1996年5月2日、対日本ハムファイターズ5回戦([[東京ドーム]])、4回表に二盗(投手:[[岩本勉]]、捕手:[[田口昌徳]]) * 初本塁打:1998年6月4日、対日本ハムファイターズ9回戦(西武ドーム)、2回裏に岩本勉から右越ソロ * 1000試合出場:2007年10月1日、対[[オリックス・バファローズ]]24回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、9番・二塁手として先発出場 ※史上424人目 * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:2回(1999年、2003年) === 背番号 === * '''40''' (1995年 - 1999年) * '''4''' (2000年 - 2008年) * '''75''' (2013年 - ) == 関連項目 == * [[愛知県出身の人物一覧]] * [[駒澤大学の人物一覧]] * [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]] == 外部リンク == * [http://www.japanlittle.jp/bokuno/42_takagi.html JAPAN LITTLE LEAGUE公式サイト・僕のリトル時代] {{埼玉西武ライオンズ}} {{Navboxes|title=業績 |list1= </span> {{パシフィック・リーグ ベストナイン (二塁手)}} {{パシフィック・リーグ ゴールデングラブ (二塁手)}} }} {{西武ライオンズ1994年ドラフト指名選手}} {{DEFAULTSORT:たかき ひろゆき}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:駒澤大学硬式野球部の選手]] [[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:野球指導者]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1972年生]] [[Category:存命人物]]
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