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高木ブー
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{{Infobox お笑い芸人 | 名前 = 高木 ブー | 画像 = | キャプション = | 本名 = 高木 友之助(たかぎ とものすけ) | 別名 = | ニックネーム = ブーたん<br />ロクさん<br />友ちゃん<br />大ちゃん<br />シャーリング<br />おっつぁん<br />友之<br />ホアコクア | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1933|3|8}} | 没年月日 = | 出身地 ={{JPN}}[[東京府]][[東京市]][[豊島区]](現:[[東京都]]豊島区) | 血液型 =[[ABO式血液型|O型]] | 身長 = 160cm | 方言 = [[共通語]] | 最終学歴 = [[中央大学]][[経済学部]]卒 | 出身 = | コンビ名 = | トリオ名 = | グループ名 = [[ザ・ドリフターズ]] | 相方 = [[いかりや長介]]<br />[[加藤茶]]<br />[[仲本工事]]<br />[[荒井注]]<br />[[志村けん]] | 芸風 = [[コント]] | 立ち位置 = | 事務所 = [[渡辺プロダクション]]<br /> ↓ <br />[[イザワオフィス]] | 活動時期 = | 同期 = | 現在の代表番組= | 過去の代表番組= 『[[8時だョ!全員集合]]』<br />『[[ドリフ大爆笑]]』 | 作品 = | 他の活動 = [[ウクレレ]]奏者<br />[[俳優]] | 配偶者 = | 親族 = | 弟子 = | 公式サイト = | 受賞歴 = }} '''高木 ブー'''(たかぎ ブー、''Boo Takagi''<ref>『第5の男』の表紙と奥付にBoo takagiと記されている。</ref>、[[1933年]][[3月8日]]<ref>デビューから暫くの間公式発表していた年齢は6歳ほどサバを読んでおり、最近の文献やテレビ番組でも年齢に矛盾が見られる場合がある。高木がテレビで語ったところによるとサバを読んでいたのは[[荒井注]]が実年齢より6歳若く昭和9年生まれにして高木ブーより年下になってしまったため、メンバー間の序列のバランスを取るため年齢を変えさせられたとの事。</ref> - )は、[[日本]]の[[コメディアン]]、[[ミュージシャン]]、[[タレント]]であり、「[[ザ・ドリフターズ]]」、「[[こぶ茶バンド]]」のメンバーである。 本名:'''高木 友之助'''(たかぎ とものすけ)。身長160cm。[[血液型]]は[[ABO式血液型|O型]]。 芸名の由来となったのは若い頃からの[[肥満|肥満体型]]である。 == 来歴 == [[東京府]][[東京市]][[豊島区]][[巣鴨]](現:[[東京都]]豊島区巣鴨)に生まれ、戦災に遭って母方の郷里の[[千葉県]][[東葛飾郡]][[柏町 (千葉県)|柏町]](現:[[柏市]])で育つ。3人の兄と2人の姉を持つ末っ子だったため、6番目の子という意味で、近所では「ロクさん」または「友ちゃん」という愛称で親しまれていた<ref>[http://www.matsuyomi.co.jp/showashi_main_3.html 松戸よみうり〜私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(26)高木ブーさんの恋多き青春時代 根本圭助]</ref>。 [[学校法人京北学園|京北学園]]中学校3年の時、兄から[[ウクレレ]]を贈られた事がきっかけで夢中になる。[[中央大学]][[経済学部]]在学中は音楽研究会「ルナ・ハワイアン」に所属。この研究会の先輩に[[谷啓]]がいる。 1990年代後半からは、ウクレレ奏者としてクローズアップされているが、元々中央大学在籍中から[[ハワイの音楽|ハワイアン・ミュージック]]に造詣を持ち、[[音楽ユニット|ユニット]]を結成、当時都内の学生の間で名前が知れ渡る程の腕前を持っていた。 大学卒業後、[[東京ガス]]の採用内定を蹴ってプロのミュージシャンとなる。当時の芸名は高木智之で、「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」「ニュー・フレッシュメン」「[[ジェリー藤尾]]とパップ・コーンズ」「ロジェ滋野とシャドーズ」のバンドマンとして米軍キャンプ等で演奏。パップ・コーンズではバンジョーを、シャドーズではエレキギターを担当していたが、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」での演奏中に、[[桜井輝夫]]といかりや長介にスカウトされ、[[1964年]][[9月16日]]<ref>『第5の男』p.95</ref>、ピアニストの欠員補充として[[ザ・ドリフターズ]]に参加。[[いかりや長介]]の著書によると、外見が[[コミックバンド]]向きなので新生ドリフにスカウトしたと述べている。 ドリフ加入後もしばらくは「高木智之」を名乗っていたが、のち現在の芸名に変更<ref>昭和40〜50年代のプロフィールでは「本名:高木智之」と記載されたものもあった。</ref>。『高木ブー』という名前は、渡辺プロの先輩である「[[ハナ肇とクレージーキャッツ|クレージーキャッツ]]」のリーダー・[[ハナ肇]]が、「お前は太っているからブーでいいや」という一言で、本名の「高木」に「ブー」を組み合わせて付けられた<ref>『第5の男』p.106-107</ref>。 しかしいかりや説によれば、「ブーたん」と言うあだ名から、ハナ肇より「たんを取れ」と言われブーになったとのこと。[[加藤茶]]は「高木は見た目でブーなんだけど、ハナさんが『ブタ小屋はきれいに洗わないと』なんて」と、経緯を語っている<ref>[[朝日新聞]]夕刊「人生の贈りもの」[[2008年]][[12月3日]]掲載より</ref>。 [[1984年]][[9月14日]]、『[[8時だョ!全員集合]]』のリハーサル中に両足の[[アキレス腱]]を断裂し、約4ヵ月の間活動を離脱している。この間『全員集合』のオープニングクレジットでは括弧書きになっていた。 またこの時、本人は活動離脱を機に番組からフェードアウトすることも考えていたという。しかしそれを聞いたリーダーであるいかりやの粘り強い説得が高木本人の心を動かし、高木は翌年の放送から再び同番組へ復帰。 [[1985年]][[9月28日]]、『全員集合』が終了。その後、ドリフのメンバーとして初めて単独での活動を開始。[[別役実]]の芝居に複数出演し、将来は[[新劇]]の役者になるのかと思っていたこともある<ref>『第5の男』p.134-137</ref>。 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[火曜ワイドスペシャル]][[ドリフ大爆笑]]』の「長介・工事・ブー おなじみ雷様」コントでの「雷様(角付き・緑のアフロヘアーのかつらに緑色の全身タイツと虎柄ショートパンツ)」が特に有名で、1999年4月から6月に放送された[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]『[[趣味悠々]] 高木ブーの今すぐ始めるウクレレ』でも雷様の扮装だった。 [[1991年]]『[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門第20部]]』にゲスト出演している。前年の1990年には[[仲本工事]]が[[左甚五郎]]役でゲスト出演している。 [[2001年]]、[[東京]][[麻布十番]]にハワイアンバー「ブーズバー・ハロナ」を開店 (2006年7月まで)。また、[[カメハメハ大王]]の直系の子孫で[[ハワイ大学]][[教授]]の[[人間国宝]]ルビライト・カウエナ・ジョンソンからハワイ文化の普及に対する貢献を評価され、ハワイアンネーム「ホアコクア」を授かった。[[ハワイ語]]で「友達を助け支えになる。精霊を分け与える」の意味である<ref>『第5の男』p.170-171</ref>。 ハロナ・セレナーダス時代の仲間の青木健たちと共に「高木ブーとニュー・ハロナ」を結成するなど、ウクレレ奏者としての活動も盛んで、CDアルバム『LET IT BOO』をはじめ、2002年には[[モーニング娘。]]とのコラボレーションでハワイアン風のCD、2004年10月に『美女とYABOO!』をリリース発表している(詳細は[[高木ブー#CD]]参照)。 [[2002年]]、[[明治乳業]]・[[VAAM]]のCMに出演し、[[マラソン|マラソン選手]]の[[高橋尚子]]と共演した。 [[2003年]]6月から7月放送の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『連続ドラマ 女神の恋』で農場経営者の役を演じた。 [[2008年]]3月には、大好きなウクレレで、憧れのハワイにおいて最高の名誉といわれるワイコロア・ウクレレ・フェスティバルにプロ演奏者として始めて招聘された (ハワイで唯一の日本語専門ラジオ局[[KZOO]]の2008年3月10日付ニュースで紹介された)。また2009年3月にも同フェスティバルにプロ演奏者として30分間のソロ・ステージをこなした(KZOOのニュースで3月9日に紹介)。 [[2009年]]4月、長年の肥満と0脚が影響し、[[変形性膝関節症]]を患い、[[ヒアルロン酸]][[注射]]などの処置でしのいできたが、この年の舞台公演で悪化。右膝の[[人工関節]]置換術を受ける。6月、炎症が治まらず、細菌感染の影響である事が判明し、再手術<ref name = "hiza">{{cite web|url=http://hizanoitami.kinnikutore.com/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E3%83%96%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E5%A4%89%E5%BD%A2%E6%80%A7%E8%86%9D%E9%96%A2%E7%AF%80%E7%97%87%E3%81%A7%E3%80%81%E4%B8%89%E5%BA%A6%E3%82%82%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E9%96%A2.html|title=「高木ブーさん 変形性膝関節症で、三度も人工関節置換術を受ける」|publisher=膝の痛みをしっかり治したい|date=|accessdate=2013-04-10}}</ref>。この頃のTV出演では杖を使用し、歩行にも相当支障が出ていた([[TBSテレビ|TBS]]『ザ・ドリフターズ結成45周年記念!!8時だョ!全員集合SP』 - 4月1日放送、など)。 [[2011年]]3月、左膝も変形性膝関節症が進行している事がわかり、その影響で右膝が悪化する危険性が指摘され、左膝も人工関節置換術を受ける。その後、移動には手押し車を使用しているが、ダイエットとリハビリで以前よりも痛みが無くなり、歩行状態も改善してきているという<ref name = "hiza"/>。 [[2012年]]5月9日、同月6日夜、都内の自宅で気分が悪くなり、膝痛も悪化したことから自ら救急車を要請し、救急搬送されていた事が報じられた。大事には至らず翌7日には退院し、自宅療養となっている<ref>{{cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120510-OHT1T00002.htm|title=高木ブー、GWに救急搬送されていた…現在、自宅で療養中:芸能|publisher=[[スポーツ報知]]|date=2012-05-10|accessdate=2013-03-14}}</ref>。その後は同年、[[7月14日]]に行われた仲本工事と[[三代純歌]]の結婚披露宴など、元気な姿を見せている。 == エピソード == 愛校心が強いことで知られるが、高木が卒業した中央大学の第二十一代総長・学長は同姓同名の「[[高木友之助]]」(就任期間は[[1990年]]11月~[[1993年]]11月)<ref>高木友之助(1923 - 2000)は、中国哲学者。[[双葉山定次|双葉山]]在籍時の[[立浪部屋]]親方・四代目[[緑嶌友之助|立浪弥右衛門]]の長男(ちなみに立浪の本名も「高木友之助」である)。[[2000年]][[2月10日]]没。亨年76歳。</ref>で、この高木学長より「高木友之助様 ・・・高木友之助」という手紙を受け取ったことから、二人の間に親交が生まれたことがある<ref>『第5の男』p.171</ref>。 『全員集合』の冒頭コントで激しい体技が必要になる場面ではいつの間にか舞台袖に消えてしまうことが多く、それ以外でも体型や緩慢な動きを活かして笑いをとる場面以外で笑いの中心に居ることは少なかった。その結果、「何もしない、何もできない」「無能」の代名詞として扱われる事も多く、特に[[筋肉少女帯]]が失恋男の憂い・無念という重くありがちなテーマを、ドリフのコントにおける高木の役割に喩えて制作したシングル曲『[[元祖高木ブー伝説]]』をリリースしたことで話題となった。この時、いかりやを始めドリフの事務所側は厳しいクレームを付けた<ref>所属事務所に成りすましたファンによる抗議電話や投書も殺到した。</ref><ref>[[福山雅治]]も、自身のラジオ番組[[福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル魂のラジオ]]でよくないことだと苦言した。</ref>ものの、当の高木本人が「若い奴がバカやって頑張ってるんだから許してあげようよ」と[[和解|鷹揚な対応を見せたことで]]リリースが可能となり<ref>高木と大槻は面と向かって和解している。</ref>、更には筋肉少女帯のライブを訪れてセッションを行うなど自ら交流を行った。これに応え、当時の筋肉少女帯のリーダーであった[[大槻ケンヂ]]も高木経営のバーでのステージ等に自ら進んでゲスト出演している。 大槻は、後に[[徹子の部屋]]に出演した際、「この曲はとても誤解されている。表面的な部分を面白がるだけで終わらない人は、自分が考えていたよりもずっと少なかった」と話すと同時に、実際に接した際の高木の人柄を「芸能界に居るのが勿体無いような素晴らしい人」と絶賛した。上記の通り無能なイメージがあったが、ドリフのリーダーであったいかりやは生前、自分の方から高木を[[解雇|やめさせよう]]と思ったことは一度もないと自著『だめだこりゃ』の中で語っていた。 1995年8月、渋谷公会堂での前半のコントを[[SIAM SHADE]]と共演した。 プロフィールで「特技は居眠りで、どんな状況でも眠れる体質」と紹介されていた。ドリフの駆け出し時代の[[1965年]]には[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の番組『[[歌え!一億]]』のスポンサー<ref>この時のスポンサーは日本レイヨン株式会社(現・[[ユニチカ|ユニチカ株式会社]])だった。10か月後にはこの番組の出演者がそのまま移動する形で[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で『[[あなた出番です!]]』がスタートし、結果としてこの番組がドリフ人気のターニングポイントとなった。</ref>との会議中に大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、番組が[[打ち切り]]になったことがあり、その後もコントの打ち合わせなどで突然居眠りを始め、[[志村けん]]に眠気をこらえる様子をネタにされるなど、本人の大らかな性格によるエピソードとされていたが、後に「ピックウィック症候群」(肥満による重度の[[睡眠時無呼吸症候群]])が原因である事が判明している。 加藤によると、いかりやの死後は自分が最年長だから現ドリフのリーダーであると宣言しているという。但し、いかりやの葬儀の際にメンバーを代表して[[弔辞]]を読み上げたのは、いかりやと最も付き合いの長かった加藤であった。 いかりやによれば大学生の頃(本人の著書によると高校生の頃)に[[ボクシング]]をやっていた。日本テレビ系『[[ダウンタウンDX]]』で「殴られて鼻血でも出したら、カッコ悪いじゃない。だからやめた」と証言(「万一指をケガしたらウクレレがひけなくなるから」とコメントしたこともある)。また同番組では「いかりやから貰った弁当の海老フライをいかりやに取られ逆上した」「『俺の給料を上げろ!』といかりやの元に単身抗議しに行った」と、のんびりとしたイメージとは裏腹のエピソードを語っている。 趣味は[[クレー射撃]]。メンバー全員がクレー射撃の資格を持っていた(加藤は度重なる交通違反の前歴により取消処分を受けている)が、高木のみ趣味として継続している。これは、フジテレビ『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』でも紹介されている。高木いわく「最初に始めたのは長さん(いかりや)で、周りのメンバーも巻き込んでやらせたくせに、メンバーが上達して自分より上手くなると先にやめてしまった」とのこと。 高木ブーは射撃好きの芸能文化人で結成している『芸能文化人ガンクラブ』の第二代目理事長を、[[三橋達也]]から引き継いで務めている。現在では故人となった前会長の[[森繁久彌]]に代わって会長職も代行している。 また、絵を描くことも好きで、[[水墨画]]系の[[イラストレーション|イラスト]]もたしなむ。加藤の店がオープンした時、雷様などのイラストを展示していた。 大好物は[[焼肉]]、[[煎餅]]、[[太刀魚]]で焼き肉は生であっても網の上に並べたそばからすぐ食べる。じっくり焼いて食べるのが好きだったいかりやはその事に激怒してテーブルの鉄板に高木の顔を押し付けたという逸話がある。[[レバー (食材)|レバ]][[刺身|刺し]]が特に好きで、焼肉店では一度加熱用レバーをレバ刺しと間違えて平らげてしまったほどだが、近年医者から止められている。なお、嫌いな食べ物は[[うどん]]であると語っている。 東京都[[港区 (東京都)|港区]][[麻布十番]]で、バー “Boo's Bar HALONA” を営んでいた(2006年7月をもって閉店)。同店内で定期的にミニコンサートを行ったほか、ウクレレ教室も開きニューハロナのギタリスト・青木健と共にウクレレを指導した。また、前述の通り[[NHK教育テレビジョン]]の『[[趣味悠々]]』でもウクレレの講師を務めている。なお、愛用のウクレレはダブルネック(4弦+8弦)である。 高木は愛妻家としても有名であった。ドリフの既婚メンバーの中で、離婚歴がなく、1人の妻と添い遂げたのは高木だけである([[1962年]]に結婚)。[[1994年]]にその最愛の妻を[[脳腫瘍]]で亡くした時の高木の悲嘆は激しく、高木はそれ以来、妻を助けてくれなかった神を一切信じることができなくなったとまで語っている(自伝:『第5の男 -どこにでもいる僕-』より)。 妻を亡くして以来、寂しさから、残された一人娘が嫁いで家から出て行くことが耐えられず、娘の結婚相手は自分と一緒に住んでくれる男性で、転勤などのない職業であることが絶対条件だったという。その後、高木は実際に[[婿養子#マスオさん|娘一家と三世代同居している]]<ref>ただし娘夫婦はあくまで一般人であるため、高木姓か娘婿の姓かどうかは明らかではない。</ref>([[2002年]][[9月6日]]『[[徹子の部屋]]』放送分での話)。 [[新宿区]][[西早稲田]]には、散歩する高木にあやかった通称「ブー横丁(通り)」が存在する。[[早稲田通り]]の一本裏の道で、昔から[[高田馬場駅]]から[[早稲田大学]][[早稲田大学早稲田キャンパス|早稲田キャンパス]]への通学路として使われてきた。 他のドリフメンバーと共に[[ホノルルマラソン]]に出場したことがある。列の後ろの方からスタートしたが、スタート地点に達するまでに、わずか2kmでリタイアしてしまった。この事はトリビアの泉で「ある事情により取り上げられなかったトリビア」として放送されている。 [[中日ドラゴンズ]]の大ファンで、[[落合博満]]が中日に現役在籍時に、特番で落合家に[[仲本工事]]と訪問した時も嬉しそうな表情を見せた。 しかし、高木本人は[[名古屋圏|名古屋]]や[[東海地方]]と縁があるわけではなく、彼が中日のファンである理由は長らく不明であったが、本人が若い頃に12球団を見回したところ中日に高木姓の選手が3人もいた([[高木守道|守道]]・[[高木時夫|時夫]]・一巳)ために親しみを感じてファンになったことを2012年に告白した<ref>中日スポーツ2012年2月18日付2面</ref>。以来、中日の選手たちと親しくなり、[[2010年]]からは高木と体型が似ていて「ブーちゃん」の愛称を持つ[[中田亮二]]が中日に入団し、中日のキャンプ地である[[沖縄県]][[北谷町|北谷]]を訪れた際には、高木がキャンプ中の中田と絡んでいる写真や記事がスポーツ紙に掲載されるようになった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/02/20/kiji/K20120220002667310.html なんと三塁打2本!高木ブーの前で中日のブーちゃん爆発]</ref>。 過去に「[[クイズ・ドレミファドン!]]」「[[踊る!さんま御殿!!]]」など、[[バラエティ番組]]、[[トーク番組]]に娘と共に出演したことがある。 == 芸風 == <!--* 雷様 * [[ピップエレキバン]] * 「あった……! 一円玉があった……!」 * 「無い……! 俺の一円玉がない〜!」 * 「高木家家訓! 一円を笑う者は一円に泣く!」 * 「[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]だから、死んだ医者」 * 故人タクシー * 居眠り * 泣き虫(主に志村に泣かされる) * 3人ジィさん * 〈毒見役〉殿! 異常ございません ※居眠り、ピップエレキバン以外はすべて[[ドリフ大爆笑]]のもの --> 特徴としては、高木ブーのコントギャグは一発ネタ傾向が多いことが挙げられる。これには、「半ページの長介、3行の仲本、1行の加藤、感嘆詞のブー」と映画出演の際に揶揄されたほど、セリフ覚えが悪い事から。唯一饒舌気味の雷様・3人ジィさんも、ほとんどアドリブに近いノリで、実質高木のギャグは一発ネタ気味である。ドリフ大爆笑のサウナコントでは全身入れ墨メイクで登場し無言で他のメンバーを威圧する役もやったことがある。 しかし、時には周囲が唖然とし、場の空気を一変させてしまうほどのシュールな振る舞いやハイテンションな演技を見せ、どこまでが本気でどこからが冗談なのか判然としない天然な持ち味もあり、その芸風は単純にひと括りにはできない。 == 出演 == この節では高木自身の出演作品を記述する。 {{Main2|ザ・ドリフターズとしての出演は[[ザ・ドリフターズ]]を}} === CM === * [[明治乳業]] 『[[VAAM]]』 - [[マラソン|マラソン選手]]の[[高橋尚子]]と共演。 * [[KDDI]](旧DDI) 0078 - [[小錦八十吉 (6代)|小錦]]との共演。 * [[アリコジャパン]] - [[志村けん]]との共演。 * [[ケーズホールディングス|ケーズデンキ]] * [[春日井製菓]]『黒あめ』 - 2代目黒あめマンに扮して出演。高木が演奏するウクレレのサビの部分が流れている。 * [[ジョンソン (会社)|ジョンソン]] 『カビキラー』 - 湯船に浸かって「いい湯だな」と口ずさむ場面がある。 * [[アスキー (企業)|アスキー]]『[[ダービースタリオン|ダービースタリオン セガサターン版]]』 - (1999年) === テレビ番組 === <!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --> * [[花の女子校 聖カトレア学園|新・花の聖カトレア学園]] (1985年、[[テレビ東京]]) * [[時間ですよ|時間ですよ ふたたび]](1987年、TBS) * [[木曜ゴールデンドラマ]]([[讀賣テレビ放送|YTV]]) ** 「お墓やぁ〜い! 」(1989年) ** 「姑・嫁VS.嫁・姑」(1990年) * [[氷点]](1989年、[[テレビ朝日|ANB]]) * [[代表取締役刑事]] 第27話「愛情物語」(1991年、ANB) * [[まかせてダーリン (テレビドラマ)|まかせてダーリン]] 第7話「ゴミ調べの妻」(1998年、TBS) * [[踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル]](1998年、[[フジテレビジョン|CX]]) - [[りんかい線]]職員 役 * [[趣味悠々]] 高木ブーの今すぐ始めるウクレレ(1999年4月〜6月、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]) - <small>受講生として一緒に出演したのは[[加藤紀子]]だった。</small> * [[月曜ミステリー劇場]]「人情質屋の事件台帳シリーズ」(2001年、2002年、TBS) * [[女神の恋]](2003年、[[日本放送協会|NHK]]) * [[ガチバカ!]] 第4話「屋上の中心で愛を叫ぶ! 」(2006年、TBS) * [[加トちゃんケンちゃん光子ちゃん]]([[友情出演]])(CX) === 映画 === * ドリフターズですよ! * ドリフターズですよ! 前進前進また前進(1967年) * ドリフターズですよ! 全員突撃(1969年) * [[釣りバカ日誌10]](1998年) === PV === * [[fripSide]]「[[way to answer]]」(2011年) == CD == ===シングル=== *GOOD!(1997年8月1日、SRCL-3981) **[[ホフディラン]]が楽曲を提供。またコーラスにも参加している。 *僕の大好きな場所(1999年7月1日、SRCL-4538) **作曲:[[吉田拓郎]]・作詞:[[篠原ともえ]]。篠原はコーラスも参加。 *モーニング娘。シングルメドレー 〜ハワイアン〜(2002年6月26日、EPCE-5167) **高木ブーと[[モーニング娘。]]・[[ココナッツ娘。]]・[[藤本美貴]]・[[石井リカ]]名義。 **オリコンチャート最高順位9位を獲得。獲得当時はオリコンチャート10位以内での年長記録歴代2位(当時)の69歳4ヶ月だった。 ===アルバム=== *Hawaiian Christmas(1996年11月21日、SRCL-3727) *Vintage 〜BOO's Hawaiian Songs〜(1998年7月1日、SRCL-4322) *LET IT BOO(2000年1月21日、AICT-1166) *ハワイアンで聴くモーニング娘。シングルコレクション(2002年7月10日、EPCE-5167) **高木ブーとモーニング娘。・ココナッツ娘。・藤本美貴・石井リカ名義 *美女とYABOO! 〜ハワイアンサウンドによる昭和歌謡〜(2004年9月16日、UICZ-4102) **[[中澤裕子]]、酒匂ミユキ、[[サンディー]]、[[瀬戸早妃]]、[[森公美子]]、[[小池栄子]]、[[雛形あきこ]]、[[根本はるみ]]、[[山田まりや]]、[[小林恵美]]、五十嵐結花、[[MEGUMI]]、[[佐藤江梨子]]、かわいかおりが参加。 ===その他参加=== *「わかってますよ」 *『[[國府田マリ子]]・[[南かおり]]のSha-La-La 〜ふたり〜』 **「[[パフ|PUFF (THE MAGIC DRAGON)]]」でウクレレ演奏を担当 == 著書 == *月刊「ハワイアン・ウエーブ」誌定期連載(2008年4月号から2009年3月号まで)「高木ブーのハワイよもやま話」 *高木ブーの楽しくウクレレ(岩波アクティブ新書)([[2002年]] [[岩波書店]]) ISBN 4007000360 *第5の男〜どこにでもいる僕〜([[2003年]] [[朝日新聞社]]) ISBN 4022578408 == その他 == *高木ブーの楽しいウクレレ 通信講座(がくぶん総合教育センター) == 関連人物 == * [[ザ・ドリフターズ ]] ** [[いかりや長介]] ** [[加藤茶]] ** [[仲本工事]] ** [[志村けん]] ** [[荒井注]](元メンバー) ** [[すわ親治]](元準メンバー) == 関連項目 == <!-- * [[芸能文化人ガンクラブ]] --> * [[雷神|雷様]] == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * [http://blog.livedoor.jp/boo_takagi/ 高木ブー公式ブログ「TAKAGIのBoolog」] - 2010年3月15日にてブログ終了を表明<!--2013年1月確認--> * [http://www.gakubun.co.jp/aff_traffic/a21.html 高木ブーの楽しいウクレレ 通信講座] * [http://geibun.web.fc2.com/ 芸能文化人ガンクラブ] {{ザ・ドリフターズ}} {{ワタナベエンターテインメント}} {{DEFAULTSORT:たかき ふ}} [[Category:お笑い芸人]] [[Category:日本のコメディアン]] [[Category:日本の歌手]] [[Category:日本のギタリスト]] [[Category:ウクレレ奏者]] [[Category:ザ・ドリフターズ]] [[Category:中央大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1933年生]] [[Category:渡辺プロ系列所属者]] [[Category:存命人物]] {{Owarai-stub}} {{Singer-stub}}
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