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露の五郎
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'''露の 五郎'''(つゆの ごろう)は、[[上方落語]]の[[名跡]]。現在は空き名跡となっている。 == 初代 == '''初代 露の五郎''' ([[1893年]][[4月8日]] - [[1936年]][[2月19日]]) は、本名: 簱野米三郎。[[享年]]44。 父は「羅山」を名乗る[[冠句]]の宗匠で、息子に[[茶道]]など上品な芸事を習わせようとしたが、幼い時から[[寄席]]や[[芝居]]に興味を持つのを見て、結局その道を歩ませることになった。 初め[[林家正三#5代目|5代目林家正三]]の門下で[[子役]]として[[林家三平|三平]]を名乗る。[[1900年]]1月、7歳の時に大阪文芸館で初高座。色白の美男子であったため、17歳の時、[[歌舞伎]]の4代目[[中村芝雀]](後の[[中村雀右衛門 (3代目)|3代目中村雀右衛門]])の門末に加わった。後、再び落語界に復帰し、[[上方落語]]の祖である[[露の五郎兵衛#初代|露の五郎兵衛]]にあやかり、初代露の五郎を名乗る。 その経歴から[[芝居噺]]や[[山村流]]、[[若柳流]]の[[踊り]]を得意とし、殊に「槍さび」の地に乗せて舞う「丸橋忠彌」は絶品だったと言う。歌舞伎、踊りの世界にいただけに[[鹿芝居]]でも活躍。[[1936年]]、[[京都]][[富貴 (寄席)|富貴]]席に出演中、急性[[肺炎]]により若くして死去。 SP[[レコード]]には『質屋芝居』『仇討曽我』『座頭殺し』『芝居噺し』があり、いずれも得意の芝居噺ばかりである。 == 2代目 == '''2代目 露の五郎''' ([[1932年]][[3月5日]] - [[2009年]][[3月30日]]) は、[[1968年]]に2代目[[桂小春団治]]が襲名。[[2005年]]に[[露の五郎兵衛#2代目|2代目露の五郎兵衛]]襲名に伴い、以後空き名跡となっている。本名: 明田川一郎。満77歳没。[[上方落語協会]]会長を務めた。廓ばなし、艶ばなしを得意とした。「露乃五郎」としたこともある。 ==出典== *『落語系圖』([[月亭春松]]編) *『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年) *『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年) [[Category:落語の名跡|つゆの ころう]] [[Category:落語家|つゆの ころう]]
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