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'''関 興'''(かん こう、生没年不詳)は、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の官僚・軍人。[[蜀漢]]に仕えた。字は'''安国'''。父は[[関羽]]。兄弟は[[関平]]。子は[[関統]]・[[関彝]]。少なくとも妻が2人いた。 == 概要 == [[三国志 (歴史書)|正史]]では、関羽伝にて僅かに触れられている。そこでは、関羽が死ぬとその跡を継いだこと、そして[[諸葛亮]]からも将来を嘱望された人物であり、[[馬良]]の後任として20歳で[[侍中]]・中監軍に任じられる異例の大抜擢を受けたが、数年後に没した事が記されているのみである。 == 三国志演義 == 小説『[[三国志演義]]』では弟に[[関索]]がいる他、関平は関羽の[[養子]]で、関興の義兄となっている。 父とともに[[樊城]]攻めに出陣していたが、戦果を報告するために戦列を離れていたので難を逃れる。[[劉備]]が関羽の弔い合戦として[[呉 (三国)|呉]]征伐の軍を挙げる際、その先鋒を[[張飛]]の子[[張苞]]と武芸比べで争う。勝負は互角であったため、劉備の采配で一年年長の張苞を兄、関興を弟として義兄弟の契りを結ぶ事になる。関羽の弔い合戦では全身に白い鎧をまとって出陣。そこで亡き父の霊に助けられ、父の仇の一人である[[潘璋]]を斬り[[青龍偃月刀]]を取り返している。呉征伐の終盤、[[夷陵の戦い]]においては劉備を庇い重傷を負うことになる。しかし以後も蜀の将軍として度重なる[[北伐]]に参加し、張苞と同じく武器は父の形見である青龍偃月刀を用い、何度か関羽の霊に助けられつつ活躍する。第4次北伐には病のため参加できず、程なく病没することになっており、諸葛亮はこの訃報を[[漢中]]で受け、悲しみのあまり倒れてしまうという描写である。 == 民間伝承・逸話 == 一説<ref>在關羽家鄉解縣,傳說關羽本名馮賢,生在有文化教養的農家,青少年時期在家習文練武兼作農事,娶胡氏為妻,更在178年五月十三生了關興。大約在關羽24歲的時候年,即183,因斬殺惡豪呂熊而逃離家鄉至幽州涿郡,並改姓為關。中国語版ウィキペディアより。</ref>によると、関羽の本当の名前は馮賢(ふう けん)で、解県の教養ある農家に生まれた。青少年時代に農作業をしながら文武に励み、成人すると妻の胡氏を娶ったという。[[178年]][[5月13日]]、馮興(後の関興)が生まれたとある。 == 血縁 == ・妻子 * [[関統]](異母兄、母の名は不明) * [[関彝]](異母弟、母の名は不明) ・父 * [[関羽]] ・兄弟 * [[関平]](兄) == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * [[三国志]] * [[三国志演義]] * [[花関索伝]] * [[江陵県志]] {{DEFAULTSORT:かん こう}} [[Category:関氏 (中国)|こう]] [[Category:三国志の登場人物|かん こう]] [[Category:蜀漢の人物]]
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