コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
鍋島清房のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
鍋島清房
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
'''鍋島 清房'''(なべしま きよふさ、[[永正]]10年([[1513年]])<ref>吉永正春著 『九州戦国の女たち』 (海鳥社 、[[2010年]] ISBN 978-4-87415-794-7) の「慶誾」の項目内の記述より逆算</ref> - 没年不詳)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将。[[肥前国|肥前]][[龍造寺氏]]の家臣。[[鍋島清久]]の次男。[[鍋島清泰]]の弟。[[鍋島信房]]・[[鍋島直茂|直茂]]・[[小河信俊]]の父。孫四郎。駿河守。出家し剛意と号する<ref name="北肥">『北肥戦誌(九州治乱記)』の記述</ref>。 早くから[[龍造寺家兼]]に仕え、父や兄とともに、家兼の重臣として活躍した。 [[享禄]]3年([[1530年]])の[[田手畷の戦い]]にて父・清久や[[野田清孝]]と共に赤熊武者を率いて[[大内氏]]を破る事に貢献した。その功により清房は、家兼の嫡男・[[龍造寺家純]]の娘婿となることを許される。 家兼の信任も厚く、特に家兼が[[馬場頼周]]に追われて[[筑後国|筑後]]の[[蒲池鑑盛]]のもとへ逃げ、その後に挙兵したとき、清房は[[少弐氏]]が頼周を助けられないように一揆を煽動すると言う知略を見せている。 [[天文 (元号)|天文]]15年([[1546年]])に[[龍造寺隆信]]が還俗し水ヶ江龍造寺家の当主となったが、清房はこの相続に反対であったようで、相続後もなお難色を示したため龍造寺本家の家老・[[龍造寺家宗]]により諭されている<ref name="川副">川副 博著 日本の武将45 『龍造寺隆信』([[人物往来社]] 、[[1967年]])</ref>。だが隆信が、天文17年([[1548年]])に龍造寺本家を継ぐ際にはその後見役となった<ref name="川副"/>。 天文17年([[1548年]])8月11日に家純の娘である正室が死去するが<ref name="北肥"/>、[[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])に隆信の母・[[慶誾尼]]が押し掛ける形で後室に入っている。 後に子の直茂に家督を譲り隠居。[[沖田畷の戦い]]の際には[[佐賀城]]の留守を守り、子の直茂の生還を知りひそかに喜んだとされる。 天文21年([[1552年]])、[[高伝寺]]を創建。ここはのちに鍋島氏の菩提寺となる。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[鍋島氏]] {{デフォルトソート:なへしまきよふさ}} [[category:戦国武将]] [[category:鍋島氏|きよふさ]] [[Category:1513年生]] [[Category:肥前国の人物]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
鍋島清房
に戻る。
検索
検索
鍋島清房のソースを表示
話題を追加