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鉢形城
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{{日本の城郭概要表 |name = 鉢形城 |pref = 埼玉県 |img = ファイル:Hatigatajou_Honmaru.JPG |img_capt = 本丸跡 |img_width =260px |struct = 連郭式平山城 |tower_struct = ''なし'' |builders = 長尾景春 |build_y = [[1476年]](文明8年) |revamp = 田丸直昌、森忠政 |rulers = [[長尾景春]]、[[上杉顕定]]、[[北条氏邦]] |reject_y = [[1590年]](天正18年) |remains = 土塁、堀 |cultural asset = 国の史跡 |location = {{ウィキ座標2段度分秒|36|6|35.04|N|139|11|45.54|E|region:JP-11_scale:20000}} }} [[ファイル:Hatigatajou_Arakawa.JPG|thumb|250px|本丸跡から見た[[荒川 (関東)|荒川]]と寄居町]] [[ファイル:Hatigatajou_TayamaKatai.JPG|thumb|250px|本丸跡にある[[田山花袋]]漢詩碑]] '''鉢形城'''(はちがたじょう)は、[[埼玉県]][[大里郡]][[寄居町]]大字鉢形にある[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[日本の城]]跡である。構造は連郭式[[平山城]]。 == 概要 == 鉢形城は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[城]]跡である。現在は[[日本国|国]]の[[史跡]]に指定され、'''鉢形城公園'''(はちがたじょうこうえん)として整備されている。園内には'''鉢形城歴史館'''(はちがたじょうれきしかん)が建てられ、往時の鉢形城の姿を紹介している。 鉢形城は、[[深沢川]]が[[荒川 (関東)|荒川]]に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の[[天然]]の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三ノ丸)の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪(二ノ丸)、本曲輪(本丸)、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっている。搦手、[[本丸]]、二ノ丸、三ノ丸および諏訪曲輪には塹壕をともない、また北西側の荒川沿岸は断崖に面する。 初めて築城したのは[[関東管領]][[山内上杉氏]]の[[家臣]]である[[長尾景春]]と伝えられている。その後、[[小田原城|小田原]]の[[後北条氏]]時代に[[北条氏邦]]によって整備拡張され、後北条氏の[[上野国]]支配の拠点となった。その後、[[下野国]]遠征の足がかりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。 [[関東地方]]に所在する戦国時代の城郭としては比較的きれいに残された城のひとつと云われ、[[1932年]](昭和7年)、国の[[史跡]]に指定された。[[1984年]](昭和59年)からは寄居町による保存事業が開始された。現在は鉢形城公園として整備され、鉢形城歴史館が設置されている。 == 歴史・沿革 == *[[1473年]]([[文明]]5年)6月、[[山内上杉家|山内上杉氏]]の[[家宰]]であり、同家の実権をふるった[[長尾景信]]が[[古河公方]][[足利成氏]]を攻める途中、戦闘は優位に進めたものの景信自身は[[五十子陣|五十子]]において陣没した。長尾家の[[家督]]を継いだのは景信の嫡男[[長尾景春]]ではなく弟[[長尾忠景]]であり、山内上杉家の当主[[上杉顕定]]も景春を登用せず忠景を家宰とした。長尾景春はこれに怒り、[[1476年]](文明8年)、[[武蔵国]]鉢形の地に城を築城し、成氏側に立って顕定に復讐を繰り返すこととなる。これが鉢形城の始まりである。 *[[1478年]](文明10年) [[扇谷上杉家|扇谷上杉氏]]の家宰[[太田道灌]]が鉢形城を攻め、ようやく上杉顕定が入城した。 *[[1488年]]([[長享]]2年) 扇谷の[[上杉定正]]が鉢形城の上杉顕定を攻めるため兵をおこし、城の近くで両軍が遭遇して[[高見原の戦い]]が起こった。このとき、定正は戦闘には勝利したものの鉢形城は落とすことができず撤退した。 *[[1494年]]([[明応]]3年) 上杉定正は再度鉢形城の顕定を攻めようと伊勢盛時([[北条早雲]])とともに高見原に打って出たが、定正はこのとき荒川渡河中に[[落馬]]して死去した。以後、上杉顕定の存命中、鉢形城はその手にあり、顕定の後を継いだ養子の[[上杉顕実]](実父は古河公方足利成氏)も鉢形城を拠点とした。 *[[1512年]]([[永正]]9年) 上杉顕実は同じ顕定の養子であった[[上杉憲房 (戦国時代)|上杉憲房]]<ref>実父は[[上杉憲実]]の子で僧籍にあった[[周晟]]。</ref>の軍に包囲されて鉢形城は落城、顕実は命を助けられたものの山内上杉家当主の座を失った。 *[[1515年]](永正12年) 憲房は山内上杉氏の家督を継ぎ、同年に顕実が死ぬと関東管領職をも継いだ。しかし、家臣として仕えていた長尾景春が離反し、扇谷上杉家の[[上杉朝興]]、[[相模国|相模]]の[[後北条氏]]2代[[北条氏綱]]、[[甲斐国|甲斐]]の[[武田信虎]]などとの長年にわたる抗争のなか、[[1525年]](大永5年)3月に病没した。後を養子の[[上杉憲寛]]<ref>実父は3代古河公方の[[足利高基]]。</ref>が継いだが、のちに争いの末、実子の[[上杉憲政]]が継いだ。 *[[1546年]]([[天文]]15年) 北条氏3代[[北条氏康]]が[[上杉朝定 (扇谷上杉家)|上杉朝定]]・上杉憲政の拠る[[川越城]]を攻略する[[河越夜戦]]が起き、それに勝利して北条氏が[[武蔵国]]における覇権を確立した。 *[[1564年]]([[永禄]]7年) 氏康四男[[北条氏邦]]が鉢形城へ入城した<ref>永禄12年とする説もあり、有力である(浅倉直美『後北条領国の地域的展開』104-105頁、黒田基樹『上里町史 通史編上』452頁)。なお、[http://www.water.sannet.ne.jp/u-takuo/kawahakukiyou6.htm 「北条氏邦の鉢形城入城をめぐって」『さいたま川の博物館紀要』第6号]では永禄7年説を採用している。</ref>。以後、鉢形城は北条氏の[[北関東]]支配の拠点となった。その後も戦略上の重要性から、各地の戦国大名の攻防の場となっており、[[1569年]](永禄12年)には[[武田信玄]]による攻撃を受け、[[1574年]](天正2年)には、[[上杉謙信]]が城下に火を放っている。 *[[1590年]]([[天正]]18年) [[豊臣秀吉]]による[[小田原征伐]]がはじまり、鉢形城は[[前田利家]]・[[上杉景勝]]・[[島田利正]]・[[真田昌幸]]、[[徳川家康]]麾下の[[浅野長政|浅野長吉]]、[[本多忠勝]]、[[鳥居元忠]] らの連合軍 (35000) に包囲され、北条氏邦の老臣黒澤上野介ら (3000) が約1か月の籠城戦を戦ったのち、開城した。その後、徳川家康の関東討入にともない、[[成瀬正一 (戦国武将)|成瀬正一]]、[[日下部定好]]が代官となって周辺の統治を行った。 === 現代 === *[[1932年]]([[昭和]]7年)[[4月19日]] [[遺構]]の残存状況がきわめて良好な[[考古資料]]であり、関東地方の戦国時代の状況を示す[[文献資料 (歴史学)|文献資料]]も豊富に残されていることから、「'''鉢形城跡'''」として国の史跡に指定された。 *[[2006年]]([[平成]]18年)[[4月6日]] [[日本100名城]](18番)に選定された。 == 鉢形城の桜 == [[ファイル:Hachigatajo-Edohigan.JPG|thumb|250px|鉢形城にあるエドヒガン]] 城跡内には町天然記念物に指定されている[[バラ科]][[サクラ属]]の植物の一種「[[エドヒガン]]」が生存している。このエドヒガンは、一旦伐採され2本幹の株元から12本の芽が成長した珍しいものである。 [[2009年]](平成21年)現在で樹齢は約150年。高さは18m、枝張りは、東西23.5m/南北21.8mで、根回りは6.5mほどもある。 [[ソメイヨシノ]]の片親である「エドヒガン」であるが、名前のとおり関東ではソメイヨシノよりやや早めの[[彼岸]]のころ満開となり、満開の時期には多くの[[写真家]]や[[画家]]が訪れる。 == 現地情報 == === 所在地 === * 埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2 === 交通アクセス === ;鉄道・バス * JR[[八高線]]・[[秩父鉄道秩父本線|秩父鉄道線]]・[[東武東上本線|東武東上線]] [[寄居駅]]下車。徒歩では約25分。[[東秩父村]]営バス「和紙の里行き」では約5分「鉢形城歴史館前」下車、徒歩約5分 ;自動車 *[[関越自動車道]][[花園インターチェンジ|花園IC]]から[[国道140号バイパス]]で秩父・長瀞方面へ約6km/15分 == 脚注 == <references/> == 参考文献 == *浅倉直美『後北条領国の地域的展開』岩田書院、1997年。 *黒田基樹「第三編第四章二 後北条・上杉・武田三氏の攻防と加美郡」『上里町史』通史編上、1996年。 == 関連項目 == * [[日本の城一覧#埼玉県|日本の城一覧]] * [[日本100名城]] * [[関東の史跡一覧#埼玉県|関東の史跡一覧]] * [[長尾景春の乱]] ==外部リンク== *[http://www.town.yorii.saitama.jp/site/rekishikan/ 鉢形城歴史館] * [http://www.town.yorii.saitama.jp/modules/mxdirectory/singlelink.php?cid=11&lid=14 鉢形城歴史館・寄居町埋蔵文化財センター] * [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース] * [http://www.water.sannet.ne.jp/u-takuo/kawahakukiyou6.htm 「北条氏邦の鉢形城入城をめぐって」『さいたま川の博物館紀要』第6号] {{日本100名城}} {{DEFAULTSORT:はちかたしよう}} [[Category:埼玉県の城]] [[Category:埼玉県にある国指定の史跡]] [[Category:寄居町の歴史]] [[Category:白井長尾氏|城はちかた]] [[Category:山内上杉氏|城はちかた]] [[Category:扇谷上杉氏|城はちかた]] [[Category:後北条氏|城はちかた]] [[Category:戦国時代 (日本)]] [[Category:日本100名城]]
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