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野村秋介
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{{Infobox 人物 |氏名 = 野村 秋介 |ふりがな = のむら しゅうすけ |画像 = |画像サイズ = |画像説明 = |出生名 = |生年月日 = [[1935年]][[2月14日]] |生誕地 = [[東京都]] |失踪年月日 = |失踪地 = |現況 = |没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1935|2|14|1993|10|20}} |死没地 = 東京都[[中央区 (東京都)|中央区]][[築地]] |死因 = [[自殺]] |遺体発見 = |墓地 = |記念碑 = |住居 = |国籍 = {{JPN}} |別名 = |民族 = |市民権 = |教育 = |出身校 = |職業 = [[右翼]]活動家 |活動期間 = |雇用者 = |団体 = |代理人 = |著名な実績 = |業績 = |流派 = |影響を受けたもの = |影響を与えたもの = |活動拠点 = |給料 = |純資産 = |身長 = |体重 = |テレビ番組 = |肩書き = |任期 = |前任者 = |後任者 = |政党 = |政治活動 = |敵対者 = |取締役会 = |宗教 = |宗派 = |罪名 = |有罪判決 = |犯罪者現況 = |配偶者 = |非婚配偶者 = |子供 = |親 = |親戚 = |コールサイン = |受賞 = |署名 = |署名サイズ = |公式サイト = |補足 = }} '''野村 秋介'''('''のむら しゅうすけ'''、[[1935年]][[2月14日]] - [[1993年]][[10月20日]])は、[[日本]]の[[右翼]]活動家・運動家。戦後[[新右翼]]の代表的な論客として知られた。 == 来歴・人物 == 東京生まれ、[[横浜市|横浜]]育ち。[[神奈川県立神奈川工業高等学校|神奈川工業高校]]中退後、[[愚連隊]]に入り、若年の頃は、[[出口辰夫]]の舎弟だった。[[網走刑務所]]で服役中、[[五・一五事件]]の[[三上卓]]の門下生と出会ったことを機に[[民族主義]]者となり、自らも三上の弟子となる。 [[1961年]]に[[憂国道志会]]を結成し、大悲会会長に就任した( 「[[大悲]]」とは、[[仏]]・[[菩薩]]が、[[森羅万象|万物]]に灌ぐ宇宙的な悲しみ([[慈悲]])のこと)。 [[1963年]]7月15日、[[河野一郎邸焼き討ち事件]]を起こす。[[懲役]]12年の実刑判決を受けた。 出所後の[[1977年]]3月3日、元[[楯の会]]会員[[西尾俊一]]、元実動部隊班長・[[伊藤好雄]]、元[[大東塾]]構成員[[森田忠明]]とともに、[[経団連襲撃事件]]を起こす。懲役6年の実刑判決を受け服役。 「[[YP体制]]打倒」と「日米安保条約破棄」を軸に、反権力の右翼としての思想を強く主張した。その批判対象は政界・財界からマスコミにも向けられた。 [[1983年]]、[[第37回衆議院議員総選挙]]東京都第2区から[[新井将敬]]が出馬したが、同選挙区[[石原慎太郎]]候補の秘書により、『北朝鮮から帰化』という中傷シールが選挙ポスターに貼られた('''[[黒シール事件]]''')。その際、石原事務所に猛抗議を行った。 [[1985年]]3月から、[[静岡県]][[浜松市]]で、[[一力一家組事務所撤去活動]]が起ると、「一力一家問題を考える会」を立ち上げ、[[暴力団]]・四代目[[山口組]][[一力一家]]を擁護した<ref>[[山平重樹]]、[[天龍寺弦]]、[[木村栄志]]『実録 憂国のカリスマ 野村秋介』[[竹書房]]、2007年、ISBN 978-4-8124-6642-1</ref>。 [[1986年]]、[[フィリピン]]で[[モロ民族解放戦線]]に拉致されたカメラマンの石川重弘を、[[遠藤誠 (弁護士)|遠藤誠]]弁護士、黒沢明らと協力して救出。この件で野村は、[[マニラ]]の[[日本大使館]]の対応に「無名のカメラマンという理由で見捨てた」と激しく批判した。 [[1992年]]、[[第16回参議院議員通常選挙]]に際して、[[日本青年社]]等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から[[横山やすし]]らと共に比例区で立候補した。その際、『[[週刊朝日]]』で[[風刺]][[イラスト]]の連載ページ「ブラック・アングル」を持つ[[イラストレーター]]の[[山藤章二]]が、これを「'''虱'''の党」と揶揄した作品を発表した。マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。 選挙後、[[藤本敏夫]]らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除する[[報道機関|マスコミ]]の選挙報道を[[公職選挙法]]違反として[[刑事]]告訴した。[[民事]]裁判も起こしたがいずれも認められなかった。 翌年の1993年10月20日、東京・[[築地]]の[[朝日新聞東京本社]]を、社長・[[中江利忠]]に謝罪させるために訪れ、中江ら首脳と話し合いの後「皇尊弥栄(すめらみこと いやさか)」(=[[天皇]]陛下万歳)と三度言い残し、拳銃自殺した。58歳没。 命日は一周忌である[[1994年]]から『'''群青忌'''』(ぐんじょうき)と呼ばれており、毎年、有志らによる追悼集会や講演会などが行われている。 == 参考文献 == * [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0526/04602180526002c.html 「国会会議録・第46回国会予算委員会第4分科会第2号」] * [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/080/0380/08003050380020c.html 「国会会議録・第80回国会予算委員会第20号」] * 『愚連隊伝説』[[洋泉社]] 1999年 ISBN 4-89691-408-2 *『代議士の自決ー新井将敬の真実』(河信基・三一書房) == 逸話 == * [[韓国統監府]]初代統監[[伊藤博文]]の暗殺者[[安重根]]を「憂国の志士」と称えていた{{要出典|date=2014年2月}}。 * 河野一郎邸焼き討ち事件で[[千葉刑務所]]に入獄していた際に、寡黙で朴訥、勤勉な「獄中左翼」の[[朴判岩]]([[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]])が無事故、無欠勤で勤勉に働いていたが、それにも関わらず看守に虐待されているのを見かねて、野村が横田秀雄管理部長に朴の勤勉さ、良識ある行動を報告した。すると1ヶ月もしないうちに、朴に仮釈放面接が下った。朴判岩は野村にお礼を言ったが、野村は「僕の力ではない。君自身の生きざまというか姿勢が、僕を感動させて、管理部長も感動させたんだ」と、答えた<ref>野村秋介『汚れた顔の天使たち』二十一世紀書院、1992年。</ref>。 * 昭和維新運動の先輩であり、戦後民族運動の重鎮である[[葦津珍彦]]、[[中村武彦 (政治活動家)|中村武彦]]に私淑し師事していた<ref>葦津からはかなり厳しく叱責されたことが幾度もあるが、終始師として謙虚に相対した。</ref>。また、この二人も風変わりな野村をとても可愛がり、高齢をおして野村の主催する集会等へ出かけた。一面識もなかった大東塾塾長の[[影山正治]]も獄中の野村に手紙を書いている。しかし、野村が出獄して手紙を見たときには、影山は元号法制化実現を願い割腹自決を遂げた後であった。野村は直ちに、東京青梅の大東農場内にある影山塾長の墓所に詣でている。 * マスコミは、野村のことを「新右翼」と呼んだが、平成に入って以降当人はこれを好まず「新浪漫派」(文学運動の[[新浪漫派]]とは異なる)と自ら名乗り、独自の運動を展開しようとした{{要出典|date=2014年2月}}。 * [[一水会]]に所属した[[見沢知廉]]とは獄の外での面識はなかったが、見沢が千葉刑務所へ入所した後に見沢の母から相談を受けたこともあり、度々励ましの手紙を送った。見沢の母に対しても度々相談に乗るなど献身的な支援を行ったという。見沢は自書「母と息子の囚人狂時代」(新潮文庫)にて感謝の意を評している。 * [[筑紫哲也]]と生前交流があった。筑紫が亡くなった後、[[週刊文春]]の特集で[[阿川佐和子]]が述べている。思想的立場は両極に位置していたが、尊敬しあっていた。 * 俳優の[[菅原文太]]と晩年交流があり、下記のドキュメント・ビデオでも証言している{{要出典|date=2014年2月}}。 * 朝日新聞社で自決した際、同行した当時18歳だった息子に「いままではお母さんがお前を守った。これからはお前がお母さんを守れ」と言い残した{{要出典|date=2014年2月}}。 * 自決の動機とも言われる揶揄イラストを書いた[[山藤章二]]はそのショックから[[1993年]][[11月5日]]号での執筆を停止。結果当該号での「ブラック・アングル」は白紙掲載という異常事態となった。ちなみに、同連載の1993年ダイジェストには、その分は掲載されていない。 * 自決した翌日、[[テレビ朝日]]の[[徹子の部屋]]のゲストは新聞のTV欄では[[山藤章二]]であったが、実際の放送では[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]に急遽変更されている。山藤出演回は事件から約1ヶ月後に放送した。 == 脚注 == {{Reflist}} == 著書 == * さらば群青 回想は逆光の中にあり([[二十一世紀書院]]) * 時代に反逆する-面白く生きようぜ!([[河出書房新社]]) * 塵中(じんちゅう)に人あり-右翼、任侠、浪漫([[太田出版]]) * 美は一度限り-落日の美学 闘いの美学(二十一世紀書院) * 獄中18年 右翼武闘派の回想(二十一世紀書院) * 野村秋介 獄中句集 銀河蒼茫(二十一世紀書院) * 友よ荒野を渡れ(二十一世紀書院) * 行動右翼入門([[猪野健治]][[衛藤豊久]]共著)(二十一世紀書院) * 汚れた顔の天使たち(二十一世紀書院) * 友よ山河を亡ぼすなかれ(マルコーシュ・パブリケーション) ==野村秋介関連の書籍== *[[山平重樹]]、[[天龍寺弦]]、[[木村栄志]]『実録 憂国のカリスマ 野村秋介』[[竹書房]]、2007年、ISBN 978-4-8124-6642-1 *[[河信基]]『代議士の自決ー新井将敬の真実』[[三一書房]]、1999年11月、ISBN 4-380-99233-0 ==野村秋介関連の映画・オリジナルビデオ== *『[[ドキュメント 風と拳銃〜野村秋介の荒野〜]]』([[2008年]]、[[GPミュージアムソフト]]) == 外部リンク == * [http://shinkoku.exblog.jp/11019076/ 経団連を襲撃したときの檄文] {{DEFAULTSORT:のむらしゆうすけ}} [[Category:日本の政治運動家]] [[Category:1935年生]] [[Category:1993年没]] [[Category:日本の右翼活動家]] [[Category:日本の国政選挙の立候補経験者]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:自殺した人物]]
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