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里見成義
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 里見成義 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[室町時代]]後期 | 生誕 = [[1448年]]([[文安]]5年) | 死没 = [[1505年]][[5月18日]]([[永正]]2年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) | 改名 = | 別名 = | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = | 幕府 = | 主君 = | 藩 = | 氏族 = [[里見氏]] | 父母 = 父:[[里見義実]] | 兄弟 = | 妻 = [[土岐頼元 (上総国)|土岐頼元]]女 | 子 = [[里見義通]]、[[里見実堯]]、[[正木通綱|正木時綱]]妻 | 特記事項 = 上記記述は系譜による。史料的には架空説が有力である。 }} '''里見 成義'''(さとみ しげよし)は、[[室町時代]]後期の[[武将]]。[[里見氏|安房里見氏]]2代目当主とされる人物。名前は'''義成'''(よししげ)とも記される。後世に編纂された系譜や軍記物にその名が見られるが、史料上で実在したという裏づけが取れないため、系譜に付け加えられた架空の人物とする説が主流となっている。 == 系譜上の里見成義 == 系譜上の'''里見 成義'''は、安房里見氏2代当主。[[里見義実]]の長男である。諱の「成」の字は[[古河公方]][[足利成氏]]から拝領したものとされている。 [[稲村城]]を築城、[[上総国]]への進出をおこなった。また娘を[[正木通綱|正木時綱]]に嫁がせ、[[安房正木氏|正木氏]]と縁戚関係を結んだ。 男子には[[里見義通]](長男)、[[里見実堯]](次男)がいる。成義が没すると、義通が第3代当主となった。 == 里見成義の実在に対する疑義 == 里見成義が発給した文書は存在せず、伝えられる事跡についても裏づけを取ることができるものはない。 「成」の字が足利成氏の[[偏諱|片諱]]とする見方について[[佐藤博信]]は、里見氏歴代当主が名乗った「義」が里見氏を含めた新田・足利一族の[[通字]]であることから、更なる片諱の拝領の可能性を疑問視している。名前(ひいては人物そのもの)の創作である証拠とする<ref>佐藤博信『中世東国政治史論』(塙書房、2006年)ISBN 4827312079 第2部 第2章 「里見義通試論」</ref>。 近年では、成義は何らかの必要性があって加えられた作為的な架空の人物とし、義通・実堯兄弟は初代・義実の実子であったとする見方が有力である。 == 里見成義を題材とした作品 == [[曲亭馬琴]]の読本『[[南総里見八犬伝]]』には、「[[南総里見八犬伝の登場人物#里見義成|里見義成]]」として登場する。 == 脚注 == {{Reflist}} {{安房里見氏当主}} {{Japanese-history-stub}} {{people-stub}} {{DEFAULTSORT:さとみ しけよし}} [[Category:里見氏|しけよし]] [[Category:戦国大名]] [[Category:安房国の人物]] [[Category:1448年生]] [[Category:1505年没]]
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