コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
釈老志のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
釈老志
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
「'''釈老志'''」(しゃくろうし)は、[[中国]][[北魏]]の[[正史]]『[[魏書]]』に立てられた[[志]]の名称で、北魏までの[[仏教]]「釈」と[[道教]]「老」の[[歴史]]が記されている。この種の仏教道教関係の篇目が立てられるのは、[[儒教]]を正統としてきた「中国[[正史]]」においては、極めて異例のことである。 正史での同種の篇目には、『[[元史]] 釈老伝』が在るのみである。 == 内容 == === 仏教部分 === 「釈老志」では、中国への仏教の初伝を、[[漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]の[[元狩]]年間([[紀元前122年|前122年]] - [[紀元前117年|前117年]])に[[匈奴]]の討伐に向かった[[霍去病]]が、5万の民と共に降伏してきた[[昆邪]]王によって「'''金人'''」を獲得し、甘泉宮で祀ったという記述に求めている。続いて[[大月氏]]国に派遣された[[張騫]]が「'''浮屠の教'''」の話を聞いたこと、[[哀帝 (漢)|哀帝]]の[[元寿 (漢)|元寿]]元年([[紀元前2年|前2年]])に大月氏の使者である伊存から「'''浮屠経'''」の口授を受けたことを記す。その後、[[後漢]]の[[明帝 (漢)|明帝]]代の[[白馬寺]]、『[[四十二章経]]』の事が続いている。 次に仏教に関する概説や仏伝、[[アショカ王]]の[[ストゥーパ]]、[[経典]]・論部などに関する記述が続く。 その次は、[[劉英 (後漢)|楚王英]]の「'''浮屠の仁祠'''」に対する信仰のさまを述べ、[[魏晋南北朝|魏晋]]の時代の[[竺法護]]らの外国僧を中心とした活動について記している。その後、[[釈道安]]・[[慧遠 (東晋)|慧遠]]と[[鳩摩羅什]]、[[北魏]]の[[道武帝 (北魏)|道武帝]]時代の[[竺僧朗]]教団などについて述べた後、[[明元帝 (北魏)|明元帝]]代の趙郡の[[法果]]が皇帝の尊崇を受けたさま、法果が「'''皇帝'''こそ現今の'''如来'''だ。僧徒はみな皇帝に対して礼敬を尽くすのが当然だ」という北朝仏教の特色を現す言葉を述べたという事実を記している。 更に鳩摩羅什の一門の活動、[[法顕]]の求法などを記し、[[太武帝 (北魏)|太武帝]]の廃仏([[三武一宗の廃仏]]の第一)に関わる内容へと続いている。その後は、[[沙門統]]の[[曇曜]]を中心とした[[雲岡石窟]]などの仏教復興のさまが描かれ、[[孝文帝 (北魏)|孝文帝]]時代の仏教、[[霊太后]]の仏教統制や[[龍門洞窟|龍門石窟]]、[[永寧寺]]の事に及ぶ。 撰者である[[魏収]]の立場を反映して、記述は[[東魏]]の仏教の様で終るが、その最後が避役を目的とした偽濫僧や私度僧の弊害に関する記述で締めくくられているところにも、その当時の仏教に関する問題点が表れており、本書が単なる仏教を賛美する内容に終始していないことを示している。 === 道教部分 === ==参考文献== *『魏書釈老志』 [[魏収]]、[[塚本善隆]]訳注、[[平凡社]][[東洋文庫 (平凡社)| 東洋文庫]]、1990年。ISBN 4582805159 *『塚本善隆著作集.1巻 魏書釈老志の研究』 [[大東出版社]]、1974年 {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:しやくろうし}} [[Category:二十四史|きしよ しやくろうし]] [[Category:魏晋南北朝]] [[Category:中国の宗教]] [[Category:中国の歴史書]] [[category:仏教史書]] [[Category:6世紀の書籍]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Buddhism-stub
(
ソースを閲覧
)
釈老志
に戻る。
検索
検索
釈老志のソースを表示
話題を追加