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[[File:Site of Nagoya Castle.jpg|thumb|240px|名古屋城二之丸にある那古野城跡]] '''那古野城'''(なごやじょう)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[尾張国]][[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]那古野(現[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]])にあった[[城]]。[[今川氏親]]([[今川義元]]の父)築城。[[織田信長]]生誕の城とされる。 [[16世紀]]前半に30年ほど存続した後に廃城となるが、旧城地は廃城から半世紀ほど後に再び城地に取り立てられ、[[名古屋城]]になった。 == 歴史 == 那古野は、元々[[駿河国|駿河]]の[[今川氏]]が一時尾張[[守護]]を兼ねていた時期に庶流の[[那古野氏]]が領有し、[[斯波氏]]が尾張を領有した後もこの地に留まっていた。[[大永]]年間に今川氏親が尾張進出の拠点として、現在の名古屋市中心部が広がる熱田台地(名古屋台地)の西北端に築城した「柳ノ丸」を起源とする。[[今川氏]]の時代、この城の城主は氏親の一族で一説には那古野氏の家督を継いだともいわれている[[今川氏豊]]という人物であったと伝えられている。 [[1532年]]、[[勝幡城]]([[稲沢市]])の[[織田信秀]]が計略により今川氏豊を追放して城を奪い、拠点を置いた。那古野城という城名はこのとき付けられたともいわれる。 [[1534年]]生まれの信秀の嫡男、織田信長は那古野城で生まれた可能性が高いとされている。信秀は那古野城を幼い信長に譲り、自身は同じ台地の東南方を固めるために現在の[[真宗大谷派名古屋別院|真宗大谷派 名古屋別院]](名古屋市中区)の地に[[古渡城]]を築いてそこに移った。なお那古野城奪取は[[1538年]]説もあり、勝幡城で誕生ともいわれる。 [[1555年]]、信秀の後を継いでいた織田信長は、一族の[[織田信友]]を滅ぼして[[清洲城|清須城]]([[清須市]])に移った。信長が離れた後の那古野城は信長の叔父[[織田信光|信光]]、信長の重臣[[林秀貞]]らが一時入ったが、やがて廃城となった。 50年後の[[1609年]]、[[徳川家康]]がこの城の故地に目をつけ、名古屋城の築城に着手する直前には、[[鷹狩]]に使われるような荒れ野になっていたと伝えられている。 == 遺構 == [[中世]]城郭の那古野城は完全に[[近世]]城郭の名古屋城の郭内に取り込まれたため、中世の那古野城を直接に偲ばせる遺構はほとんど存在しない。ただ、名古屋城二之丸は那古野城の故地であるとされており、現在、二之丸内に那古野城址の碑が建っている。 また、[[那古野]]の地名は名古屋城の西南に残っている。ただしこちらは“なごの”と読む。 == 所在地 == 愛知県名古屋市中区二の丸1 == 交通アクセス == [[名古屋城#交通アクセス]]を参照。 == 関連項目 == * [[那古野神社]] == 外部リンク == * [http://www.aichi-kanko.jp/search/detail.asp?id=512&kwd=%8F%E9%A5%8F%E9%90%D5&ktype=1&gnrcd=&actcd=&cikcd=&ctvcd=&cpg=1 那古野城跡] 愛知県観光協会 {{DEFAULTSORT:なこやしよう}} [[Category:愛知県の城]] [[Category:名古屋市中区の歴史]] [[Category:今川氏|城なこやしよう]] [[Category:勝幡織田氏|城なこやしよう]] [[Category:織田信長|城なこや]]
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