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'''通道観'''('''つうどうかん''')とは、[[中国]]・[[北周]]の[[武帝 (北周)|武帝]]が、[[仏教]]および[[道教]]を廃毀した後に設置した国立宗教研究機関的な施設である。 [[574年]]([[建徳]]3年)5月に「仏道二教を断ずるの詔」を発した後、6月になって、「通道観設置の詔」が発令された。その詔勅の文章によれば、仏道二教廃毀以前に武帝が盛んに行わせていた[[儒教]]・仏教・道教の三教に関する優劣論争の後を受けて、「'''至道'''」の名の下に、三教の教理を研究したい旧僧道の中で優秀な者を、公費の研修員として収容するための機関であったようである。通道観には、120名(一説に300名)の'''学士'''が置かれ、儒教・仏教・道教の研究に従事した。 120人が選抜されたとされる通道観学士であるが、実際に学士に選ばれた人名は、殆ど残っていない。諸書に学士であったことが記されている人物は、 * [[長孫熾]] * 張嵩之 * 普曠 * [[彦琮]] ら数名に過ぎない。時代が隔たった[[北宋|宋]]代の道教史書には、北周の通道観に住した「十老」という人々の記録が見えるが、ここで言う通道観が、武帝が創設した施設なのか、或いは別に道教の道観としての通道観があって、そこに住した道士たちのことなのかが判然とせず、意見の分かれる所となっている。 また、現代に伝世する道教の大蔵経である[[道蔵]]に収録されている、道教では初の[[類書]]とされる『[[無上秘要]]』は、北周・武帝撰とされており、武帝が通道観で学士たちに命じて編纂させたものとされている。 == 関連項目 == * [[三教]] * [[三武一宗の廃仏]] * [[菩薩僧]] * [[大興善寺]] == 参考文献 == * [[窪徳忠]]「北朝における道仏二教の関係」(『北魏仏教の研究』、[[1970年]]) * [[山崎宏]]「北周の通道観について」(『東方宗教』54、[[1979年]]) * 窪徳忠「二つの通道観:山崎宏博士の批判に答う」(『東方宗教』55、[[1980年]]) {{DEFAULTSORT:つうとうかん}} [[Category:魏晋南北朝]] [[category:宗教施設]] [[category:中国の宗教]]
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