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轟夕起子
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{{ActorActress | 芸名 = 轟 夕起子 | ふりがな = とどろき ゆきこ | 画像ファイル = Yukiko Todoroki by Masashi Matsuda Scan10028-2.JPG | 画像サイズ = 300px | 画像コメント = タイ向けの雑誌の表紙用写真<br>1942年11月、松田正志撮影 | 本名 = 西山 都留子<br/>にしやま つるこ | 別名 = | 出生地 = {{JPN}}・[[東京府]][[東京市]][[麻布区]]新堀町 | 死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[北多摩郡]]狛江町(現:[[狛江市]]) | 国籍 = | 血液型 = | 生年 = 1917 | 生月 = 9 | 生日 = 11 | 没年 = 1967 | 没月 = 5 | 没日 = 11 | 職業 = [[俳優|女優]] | ジャンル = [[映画]] | 活動期間 = [[1937年]] - [[1967年]] | 活動内容 = | 配偶者 = | 家族 = 長男:[[マキノ正幸]]<br/>孫:[[牧野アンナ]] | 公式サイト = | 主な作品 = | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''轟 夕起子'''(とどろき ゆきこ、大正6年([[1917年]])[[9月11日]] - 昭和42年([[1967年]])[[5月11日]])は日本の女優。本名は西山 都留子(にしやま つるこ)。芸名は「轟夕紀子」とも。[[宝塚少女歌劇団]]の娘役としても活躍。宝塚歌劇団時代の愛称は本名の都留子より、'''トルコ'''。 == 来歴 == 昭和6年([[1931年]])に[[京都府立朱雀高等学校|京都府立第二高等女学校]]を中退後に[[宝塚音楽歌劇学校]]に入学して、[[宝塚少女歌劇団]]に入団。[[宝塚歌劇団21期生]]。[[作曲家]]の[[山田耕作]]が名付け親となって、娘役として活躍する。同期生に初代・[[糸井しだれ]]、水間扶美子(退団後は[[服部富子]])、[[打吹美砂]](入団時は打吹たもと)らがいる。日本的な美しさが人気を集めて、主演娘役となる。 昭和12年([[1937年]])、[[日活]]が映画『宮本武蔵 地の巻』([[尾崎純]]監督)の主演女優選びに難航。プロデューサーを務めた[[稲垣浩]]は[[タカラジェンヌ]]から選ぶこととして、轟に着目した。宝塚少女歌劇団を退団させて、お通役で映画デビューさせた。この電撃的な引き抜きは世間を驚かせ、大事件となった<ref>『日本映画の若き日々』([[稲垣浩]]、毎日新聞社刊)</ref>。 同年10月、日活映画『江戸の荒鷲』の撮影中に失明騒ぎを起こしたことがきっかけで、監督の[[マキノ正博]]と懇意となる。 昭和15年([[1940年]])、マキノ監督と結婚、長男正幸誕生。 昭和17年([[1942年]])、映画統制により、日活の製作部門は[[大映]]に統合されるが、轟は大映には加わらず、夫・マキノ正博の所属する東宝へ移籍する。 昭和18年([[1943年]])、[[黒澤明]]の監督デビュー作『姿三四郎』のヒロイン小夜役で人気を集める。同年、映画『ハナ子さん』主題歌、「お使ひは自轉車に乗つて」がヒット。 戦後フリーとなるが、加齢によって肥満するなど容姿に変化が出てきたことや、時代の流れで新しいスターが次々に出て来たこともあり、脇役に転身。昭和30年以降は日活と専属契約を結び、40本を超える映画へ出演。シリアスからコメディまでこなせる性格俳優として活躍し、晩年は[[男の紋章]]シリーズ(昭和38年-41年)で[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]の母親役を演じ、当たり役となった。 昭和42年(1967年)5月11日午後5時15分、閉塞性黄疸のため、東京都[[北多摩郡]]狛江町(現・東京都[[狛江市]])の[[東京慈恵会医科大学附属第三病院]]で逝去。享年49。佳人薄命そのものの人生であった。 == 人物 == [[東京市]][[麻布区]]新堀町出身。映画監督の[[マキノ雅弘]]、[[島耕二]]は元夫。[[沖縄アクターズスクール]]校長 [[マキノ正幸]]は息子。[[牧野アンナ]](元[[スーパーモンキーズ]])は孫。 身長160cm。現代的な風貌で、[[時代劇]]・[[現代劇]]両方で絶賛される輝きを放つ。 マキノとの離婚(昭和25年)、[[島耕二]]との再婚(昭和28年)、離婚(昭和40年)を繰り返すなど私生活は波乱万丈だった。 昭和12年の日活による轟の引き抜きには、同年[[ピー・シー・エル映画製作所|P.C.L]](配給[[東宝]])、[[新興キネマ]]、日活三社で競作となった『美しき鷹』で、東宝が金の力で[[原節子]]を引き抜いたことに対するしっぺ返しの意味合いがあった。これには当時、世間が拍手喝采した<ref>『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)</ref>。 昭和12年の『江戸の荒鷲』で、主人公の轟が雨の中に立って捕らわれて行く父親を見送る最後の場面があったが、宝塚出である轟に本物の涙を要求することは無理、ということで、目薬となったが、この場面は川の水をホースで上げて雨を降らせており<ref>『平凡』1951年7月号、P39</ref>、水と眼薬では雨か涙か見分けがつかない。そこで「油、油、油を持って来い!」と例によってせっかちなマキノ監督が怒鳴った。すると気の利いたのが結髪部から油を持ってきて、「ヘイ、油」と差し出したのを小指につけて轟の顔一面に塗り、この場面の撮影は成功をおさめた。 [[稲垣浩]]監督はよく涙の代わりに椿油を使っていて、マキノ監督もこれに倣ったのだが、ところがこの油は移動撮影用のトロッコの車輪に塗る機械油だった。その油が水に打たれて眼に入ったために、轟はあわや失明という大事件となってしまった。このとき看病につとめたのがマキノ監督で、これが縁で両人は結婚することとなった<ref>『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)</ref>。 == エピソード == *轟が在籍した1930年代前半の宝塚少女歌劇団は女性の軍隊みたいな所であり、下級生は必ず上級生からいじめられるというのが、この社会の掟の様であった<ref name="heibon">『平凡』1951年7月号、P37</ref>。轟も下級生の[[月丘夢路]]と同様に他の[[タカラジェンヌ]]達から深刻ないじめに何度もあった<ref name="1951heibon">『平凡』1951年7月号、P38</ref>。轟が声楽専科に属していた時も、少女歌劇団からある舞台において、上級生の代役を命ぜられて舞台の真ん中で凄い衣装を着て唄う役を演じることになったが、怖い上級生の役を代わるなど恐れ多いために、平身低頭断ったが、少女歌劇団側は聞き入れてくれなかったという<ref name="heibon">『平凡』1951年7月号、P37</ref>。そして、当時の少女歌劇団は役の交代を轟に命令するだけで、轟に代役用の楽譜を用意しなかった<ref name="heibon">『平凡』1951年7月号、P37</ref>。そのため、ソロで唄う楽譜は上級生の本人しか持っていないために、代役を引き受けるとなれば、直接上級生に借りに行く必要があった。轟は意を決して、別室の上級生の所へ恐る恐る楽譜を借りに行ったが、上級生は轟の前でただ1冊の楽譜を突然引き裂いて、「いくら先生の命令だからといって、そんなことを引き受ける人がありますか!」と言い放ったという<ref name="heibon">『平凡』1951年7月号、P37</ref>。その後、その舞台が開幕されたが、楽譜を入手出来なかった轟は衣裳を着用して公演に出演したものの、歌を唄うことが出来ずに舞台の上から観客に対してただ黙ってお辞儀をするしかなかった。女性だけの世界が如何に住みにくいかが、身に沁みて分かったと語っている<ref name="1951heibon">『平凡』1951年7月号、P38</ref>。 == 主な出演 == ===宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演=== *『巴里ニューヨーク』(月組)(1933年2月1日 - 2月28日、[[宝塚大劇場]]、[[白井鐵造]]・作) *『ロマンス・オリエンタル』(雪組)(1933年8月1日 - 8月20日、[[中劇場]]、[[小西昌三]]・作) *『古城の鐘』(月組)(1934年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場、[[宇津秀男]]・作) *『青春』(月組)(1934年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場、[[堀正旗]]、[[吉富一朗]]・作) *『モオンブルウメン』(月組)(1935年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場、堀正旗・吉富一朗・作) *『七日公爵/宝塚むすめ祭』(月組)(1935年9月25日 - 10月31日、宝塚大劇場) **『七日公爵』([[小林恒夫 (映画監督)|小林恒夫]]・作。[[内村縁哉]]・[[吉富一朗]]・演出) **『宝塚むすめ祭』([[水田茂]]、[[吉富一朗]]・作) *『ミュージック・アルバム』(1936年、宝塚大劇場、白井鐵造・作) *『気まぐれジュリア』(月組)(1936年3月10日 - 3月25日、中劇場、[[東郷静男]]・作) *『になひ文』(月組)(1936年、[[水田茂]]・作) *『モンテクリスト伯爵』(月組)(1936年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場、[[中西武夫]]・作) *『牡丹書譜/若き日のハイネ』(月組)(1936年7月10日 - 7月26日、中劇場) **『牡丹書譜』([[小野晴通]]・作) **『若き日のハイネ』([[加藤忠松]]・作) *『プリマ・ドンナ』(花組)(1937年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場、堀正旗・作) *『シャンソン・ド・パリ/チョコレート中尉』(花組)(1937年3月7日 - 3月21日、中劇場) **『シャンソン・ド・パリ』([[東郷晴男]]・作) **『チョコレート中尉』([[岡田恵吉]]・作) === 映画 === [[画像:Sayo and sugata.png|thumb|『姿三四郎』で[[藤田進]]と]] *「宮本武蔵 地の巻」(1937年、尾崎純監督) *「[[限りなき前進]]」(1937年、[[内田吐夢]]監督) *「爆音」(1939年、[[田坂具隆]]監督) *「[[続清水港]]」(1940年、[[マキノ正博]]監督) *「[[次郎物語]]」(1941年、[[島耕二]]監督) *「[[ハナ子さん]]」(1943年、マキノ正博監督) *「[[姿三四郎 (映画)|姿三四郎]]」(1943年、[[黒澤明]]監督) *「[[續姿三四郎]]」(1945年、黒澤明監督) *「七つの顔」(1946年、[[松田定次]]監督):[[多羅尾伴内]]シリーズ *「[[金色夜叉|金色夜叉 前編・後編]]」(1948年、マキノ正博監督) *「[[肉体の門 (1948年の映画)|肉体の門]]」(1948年、マキノ正博監督) *「[[森の石松 (1949年の映画)|森の石松]]」(1949年、監督、[[吉村公三郎]]監督) *「[[窓から飛び出せ]]」(1950年、島耕二監督) *「[[東京のヒロイン]]」(1950年、島耕二監督) *「[[細雪]]」(1950年、監督、[[阿部豊]]監督) *「[[武蔵野夫人]]」(1951年、[[溝口健二]]監督) * [[箱根風雲録]] 新星映画=前進座 1952.03.14 *「曲馬団の魔王」(1954年、[[佐々木康]]監督):多羅尾伴内シリーズ *「青春怪談」(1955年、[[市川崑]]監督) *「[[洲崎パラダイス赤信号]]」(1956年、[[川島雄三]]監督) *「[[陽のあたる坂道 (小説)|陽のあたる坂道]]」(1956年、田坂具隆監督) *「赤い波止場」(1958年、[[舛田利雄]]監督) *「[[細雪]]」(1959年、島耕二監督) *「[[花の大障碍]]」(1959年、島耕二監督) *「グラマ島の誘惑」(1959年、川島雄三監督) *「[[あいつと私]]」(1961年、[[中平康]]監督) === バラエティー番組 === *[[ジェスチャー (テレビ番組)|ジェスチャー]](NHK) *[[それは私です]](NHK) == NHK紅白歌合戦出場歴 == *第2回(1952年1月3日、NHK東京放送会館第一スタジオ)『お使ひは自轉車に乗つて』(『腰抜け二挺拳銃』の説もあり) == 脚注 == <references /> ==関連項目== *[[東京都出身の人物一覧]] *[[天津乙女]](轟入団時の月組トップスター。[[1918年]] - [[1980年]]) ==外部リンク== *[http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=by_name&id=108841 キネマ旬報データベース「轟夕起子」] *[http://www.jmdb.ne.jp/person/p0119200.htm 日本映画データベース「轟夕紀子(轟夕起子)」] *[http://www.uwajima-cci.or.jp/watch/index.html 宇和島ゆかりの有名人たち 天才女優 轟 夕起子」 ] {{デフォルトソート:ととろき ゆきこ}} [[Category:日本の俳優]] [[Category:ヤクザ映画の俳優]] [[Category:1917年生]] [[Category:1967年没]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:宝塚歌劇団卒業生]] [[Category:宝塚歌劇団21期生]] [[Category:娘役]] [[Category:馬主]] [[Category:マキノ一家]] [[Category:NHK紅白歌合戦出演者]] {{宝塚歌劇団}} {{宝塚歌劇団月組主演娘役}}
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