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'''赤道ギニア亡命政府'''(せきどうギニアぼうめいせいふ、[[スペイン語]]:''Gobierno de Guinea Ecuatorial en el exilio'')は、[[赤道ギニア]]の最大野党勢力[[赤道ギニア進歩党]] ('''PPGE''') が[[2003年]]、[[スペイン]]の[[マドリード]]に樹立した[[亡命政府]]。 ==設立背景== 赤道ギニアは[[中部アフリカ]]の西部に位置する小国だが、[[1968年]]の独立以来絶えず[[独裁政治|独裁体制]]が敷かれてきた。[[1987年]]には独裁政党[[赤道ギニア民主党]] ('''PDGE''') が結成され、現在に至るまで[[テオドロ・オビアン・ンゲマ]]を[[大統領]]とするPDGE政権が続いている。PDGEは[[1990年代]]前半、形式的に[[一党独裁制|一党独裁]]を放棄。それを受け、[[セベロ・モトヌサ]]を党首とする'''赤道ギニア進歩党''' ('''PPGE''') が結成された。だがPDGEの[[権威主義]]的支配体制は変わらず、野党勢力にはPDGE政権と妥協するか、そうでなければ弾圧されるかという2つの選択肢しか残されていなかった。 [[市場経済]]・[[民主主義]]を党の2大柱とするPPGEは常に最大野党として、PDGE政権を批判する立場にあったが、これにより弾圧対象として政府側に認知され、PPGEは活動停止、党首モトヌサは武器密輸容疑をかけられスペインに[[亡命]]した。モトヌサは赤道ギニア国内に残る大半のPPGE幹部を指揮しながら、政権奪取の機会をうかがうこととなった。そして遂に2003年、PPGEは亡命先のスペインにおいて「赤道ギニア亡命政府」の樹立を宣言、モトヌサが亡命政府大統領に就任したのである。 ==現況== 赤道ギニアのPDGE政権は亡命政府を陰ながら攻撃し、亡命政府の勢力拡大を防いだ。モトヌサ自身、[[2005年]][[3月19日]]から[[4月30日]]までの約1ヶ月半、[[クロアチア]]の首都・[[ザグレブ]]で行方不明となっていた。これにはPDGE政権に雇われた[[クロアチア|クロアチア人]]暗殺者の存在が指摘されているが、暗殺者とモトヌサが共に[[カトリック教会|カトリック]]信者であり、「私がカトリック信者であったから、暗殺者は私を見逃した」とモトヌサは語っている。 このように、亡命政府の勢力はPDGE政権に比べると脆弱で、政権交代の可能性は、現状ではほぼ無いと見られている。だが同時に、PDGE政権が国際的に独裁政権と見なされていることからすると、亡命政府が他国の支援を取り付ける可能性も無いわけではなく、勢力が弱いとはいえ、PDGE政権にとって脅威であることに変わりはない。 ==亡命政府幹部== * 大統領:セベロ・モトヌサ * 副大統領:アルメンゴル・エンゴンガ・オンド * 外相:ドナト・ヌドンゴ・ビヨゴ * 内相:パブロ・ヌドング・エンセマ * 大統領府相:ガブリエル・モトヌサ {{デフォルトソート:せきとうきにあほうめいしふ}} [[Category:赤道ギニアの政治]] [[Category:亡命政府]]
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