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諏訪氏
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{{日本の氏族 |家名= 諏訪氏 |家紋= Japanese crest Suwa Kajinoha(White background).svg|thumb|130px|諏訪梶の葉 |家紋名称= 諏訪梶の葉 |本姓= [[神氏]]([[金刺氏]])<br/>[[清和源氏]][[源満快|満快]]流<br/>[[桓武天皇]]後胤? |家祖= [[建御名方神]]? |種別= [[社家]]<br/>[[武家]] |出身地= [[信濃国]][[諏訪郡]] |根拠地= [[信濃国]][[諏訪郡]] |人物= [[諏訪頼重 (戦国時代)|諏訪頼重]]<br/>[[武田勝頼|諏訪勝頼]] |支流= [[高遠氏]]([[武家]])<br/>[[保科氏]]([[武家]]) }} '''諏訪氏'''(すわし)は、[[日本]]の[[氏族]]の一つ。[[信濃国]][[諏訪地方]]の[[領主]]。[[諏訪大社|諏訪神社]]上社[[大祝]](おおほうり)を司った家柄でもある。中世以降の[[通字]]は「'''頼'''」(より)。但し、[[江戸時代]]以降の[[諏訪藩|諏訪]][[藩主]]家は「'''忠'''」(ただ)を通字としている。 == 概説 == 諏訪氏は代々、[[諏訪大社]]の[[大祝]]を務めてきた一族である。その血筋は「神氏」といい、[[欽明天皇|欽明朝]]や[[推古朝]]の頃から[[平安時代]]初期に信濃国地方政治で活動した[[金刺部氏|金刺氏]]や[[他田氏]]の名が諏訪社の[[神官]]として続いて来た。[[出雲神話]]の神・[[建御名方神]](タケノミナカタヌシ)に始まるともいう。後世には[[桓武天皇]]を祖とするとも[[清和源氏]]の[[源満快]]を祖とするとも称したが、皇胤や[[摂家|摂関家]]をはじめとする[[公卿]]の末裔を称する[[武家]]が多い中で祭神・[[建御名方命]]の血筋を称しながら極めて尊貴な血筋としてとらえられた特異な家系といえる。 諏訪氏は[[武士]]と[[神官]]双方の性格を合わせ持ち、[[武士]]としては[[源氏]]、[[執権]][[北条氏]]の[[御内人]]、[[南朝 (日本)|南朝]]方の武将、[[足利将軍家]]の[[奉公衆]]を務めるなど、ごく一般的[[国人]]領主である。しかし、[[神官]]としては[[信濃国]]及び[[諏訪神社]]を観請した地においては絶対的神秘性をもってとらえられた。[[信濃国]]一宮として[[朝廷]]からも重んじられたこともあるが、祭神の[[諏訪明神]]が軍神であることから、古くから武人の尊崇を受けていたことも大きく影響している。 故に[[諏訪神社]]の祭神の系譜を称し、[[諏訪神社]]最高の神職たる大祝を継承し、大祝をして自身の肉体を祭神に供する体裁をとることで、諏訪氏は絶対的な神秘性を備えるようになったといえる。代々の諏訪氏当主は[[安芸国|安芸守]]などの受領名を称したが、大祝の身体をもって諏訪の祭神の肉体とされることで[[正一位]]の神階を有し、高い権威を誇示した。 宗旨は[[曹洞宗]]。[[菩提寺]]は[[温泉寺_(諏訪市)|温泉寺]] ([[長野県]][[諏訪市]])、[[宗湖寺]]([[長野県]][[茅野市]])、[[頼岳寺]]([[長野県]][[茅野市]])、[[吉祥寺 (文京区)|吉祥寺]]([[東京都]][[文京区]])など。 === 平安時代 === 神官であると同時に武士としても活躍し、[[源義家]](八幡太郎義家)が[[出羽国|出羽]]の[[出羽清原氏|清原氏]]討伐のため[[後三年の役]]に介入すると、大祝[[諏訪為信|為信]]の子である神太[[神為仲|為仲]](諏訪為仲)が源氏軍に加わったという。大祝は祭神の神託により身体に神が宿るとされ、代々[[正一位]]の[[神階]]を継承する。 [[治承・寿永の乱]](源平合戦)の折に、大祝がどちらに味方するか考えていたところ、祭神が夢に現れて手に持っていた[[梶]]の葉の軍配を白旗のある方向へと振り下ろしたことから、諏訪氏は[[源頼朝]]に味方する。以来、諏訪氏及び諏訪大社を尊崇する氏子は梶の葉を家紋にしたという逸話がある。 === 鎌倉・南北朝時代 === [[鎌倉時代]]の当初は[[幕府]][[御家人]]だった諏訪氏も幕府の実権を握った北条[[得宗家]]の[[被官]]となり、全国に諏訪神社が建立されることとなった。幕府滅亡後の[[1335年]]には、[[諏訪頼重 (南北朝時代)|諏訪頼重]]・[[諏訪時継]]が、[[北条氏]]の残党が[[北条時行]]を奉じて挙兵した[[中先代の乱]]に加担したが、[[足利尊氏]]の軍に敗れて自害した。 [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の頃から武力を持つようになり、庶流・小坂家出身の[[諏訪円忠]](小坂円忠、[[諏訪敦忠]]の曾孫とされる)は[[後醍醐天皇]]の[[建武の新政]]で[[雑訴決断所]]の成員を務め、その後建武政権から離反した足利尊氏に従い[[室町幕府|足利幕府]](室町幕府)の[[評定衆]]や[[引付衆]]などを務め信濃国に住する将軍直属の[[奉公衆]]としても活躍した。 幕府の奉行人としての立場を活用した円忠の嘆願が受け入れられ、幕府より存続を許された諏訪氏であったが、大祝職を継いでいた時継の子・[[諏訪頼継]]も引き続き足利氏に対抗する立場をとり、[[南朝 (日本)|南朝]]方に与するが敗れて没落。その後は頼継の弟・[[諏訪信継|信継]]が継ぎ、信継の子の[[諏訪直頼]]も同じく南朝に属した。やがて足利氏が足利尊氏派と[[足利直義]]派に分裂して[[観応の擾乱]]が起こり直義が南朝に降ると、直頼もこれを支援し、信濃国内における直義党の主将として[[高師冬]]を自害に追い込むなど尊氏派の勢力と戦った。しかし、直義の死や[[桔梗ヶ原の戦い]]([[1355年]]、[[桔梗ヶ原]]にて)での敗北を経て信濃国内における南朝勢力の衰退を悟り、同じく諏訪円忠の勧告もあって[[北朝 (日本)|北朝]]および幕府(2代将軍[[足利義詮]])方へ降った。 以上のように諏訪円忠は、庶流出身でありながら、この時期の足利幕府と諏訪氏の間を取り持つ重要なパイプ役であったとも言える。また『[[諏方大明神画詞]]』は円忠による著作物である。 === 室町・戦国時代 === [[室町時代]]に入ると、[[諏訪信満]]・[[諏訪頼満 (伊予守)]]兄弟による抗争が起こり、諏訪氏は[[嫡流]]の「惣領家」と祭祀を司る「大祝家」とに分裂した。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に入ると中興の名君・[[諏訪頼満 (安芸守)]]の時代に南信濃屈指の[[大身]]となり、大祝家を滅ぼし惣領家が大祝をも務め祭政一致の下、武力と権威を強めていった。諏訪郡を巡って[[甲斐国]]守護の[[武田氏]]と争い、享禄元年(1528年)には頼満・[[諏訪頼隆|頼隆]]は甲信国境の神戸境川において[[武田信虎]]勢を撃破し、享禄4年([[1531年]])には甲斐[[国人]]らを後援して出兵するが、このときは河原部合戦において敗北する<ref>『[[勝山記]]』、「神使御頭之日記」『[[山梨県史]]』資料編6下(県外資料)</ref>。 天文4年([[1535年]])9月17日には、佐久郡侵攻を行う[[武田氏]]と和睦し<ref>「神使御頭之日記」</ref>、天文9年([[1540年]])11月には信虎三女が[[諏訪頼重 (戦国時代)|諏訪頼重]]に嫁して同盟関係が強化され<ref>「神使御頭之日記」</ref>、天文10年(1541年)5月には[[武田氏]]や[[村上氏]]と[[海野平合戦]]において[[滋野氏|滋野一族]]を撃破する<ref>『[[高白斎記]]』、「蓮華定院文書」『[[信濃史料]]』2</ref>。[[武田信玄|晴信]](信玄)期には同盟関係が破綻し、翌天文11年に7月には晴信が[[高遠城|高遠城主]]の[[高遠頼継]]と結んで頼重を攻め、頼重は甲府へ連行されて自害する<ref>『高白斎記』、「[[守矢頼真書留]]」『山梨県資』6下</ref>。 頼重には遺児の[[長岌|寅王]]がいるが消息が不明で、戦国大名家としての諏訪氏は滅亡している。諏訪地方は武田氏の信濃侵攻において直轄領化され、頼重の弟[[諏訪頼高|頼高]]、[[諏訪満隣|満隣]]の子頼忠が諏訪大祝となっている。 武田氏は諏訪氏の他にも征服した信濃名族の名跡を一族に継承させる方策を行っているが、諏訪氏においても頼重の娘[[諏訪御料人]]は信玄の側室となり、天文15年([[1546年]])に四男四郎([[武田勝頼]])が生まれた。勝頼は諏訪氏の通字である「頼」字を冠し、永禄5年に諏訪氏を継ぎ伊那高遠城に配置されている。なお、勝頼が継承したのは従来諏訪惣領家であったと考えられていたが、近年は高野山成慶院に伝来する『甲斐国過去帳』が勝頼を[[高遠頼継]]の高遠諏訪氏の後継として記していることから、勝頼が継承したのは高遠諏訪氏であったと考えられている。 === 安土桃山時代 === 天正10年([[1582年]])、頼重の従兄弟に当たる[[諏訪頼忠]]は、[[甲州征伐|武田氏滅亡]]と[[織田信長]]の[[横死]]([[本能寺の変]])を経て武田遺領を巡る[[天正壬午の乱]]において[[木曾義昌]]の支援を得て高島城を奪還している。さらに頼忠は越後上杉氏の侵攻により木曾氏の勢力が弱まると自立する。[[徳川家康]]と相模後北条氏との争いでは、はじめ徳川方、のち後北条方に転じた。 頼忠は諏訪氏を再興し、頼忠の息子[[諏訪頼水]]が[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]での功によって[[諏訪藩|高島藩]]に封じられた。 === 江戸時代 === 江戸時代には大名家と大祝家とに分かれ隆盛し、大名家は[[明治維新]]後、[[子爵]]となり[[華族]]に叙された。 ==系譜== <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: center;"></div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> ;太字は当主、実線は実子、点線は養子。''斜体''は諏訪神社上社大祝継承者。<!--構成の都合で出生順より組み替え--> {{familytree/start|style="font-size:85%"}} {{familytree |border=0|01||||| 01=['''[[多氏]]後裔説''']<br/>[[神武天皇]]}} {{familytree |border=0| |!||||||}} {{familytree |border=0|01||||| 01=(6代略)}} {{familytree |border=0| |!||||||}} {{familytree |border=0|01||||| 01=[[[金刺部氏|金刺氏]]]<br/>[[建稲背命]]}} {{familytree |border=0| |!||||||}} {{familytree |border=0|01||||||| 01=(6代略)|}} {{familytree |border=0| |!||||||}} {{familytree |border=0|01||||02| 01=[[金刺麻背]]|02=['''建御名方神後裔説''']<br/>[[建御名方神]]}} {{familytree |border=0| |)|-|-|.|||!|||}} {{familytree |border=0|01|02|03||| 01=倉足<br/>[下諏訪大祝家]<ref>以降の系図は[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kanazasi.html 武家家伝_金刺氏]を参照。[[金刺盛澄]]や、[[室町幕府]]第12代将軍[[足利義晴]]から[[偏諱]]の授与を受けた[[諏訪晴長]]はこの系統の出身者である。</ref>|02=''[[神人部乙穎]]''<br/>[上諏訪大祝家]|03=(5代略)}} {{familytree |border=0| ||||!|||!|||}} {{familytree |border=0||||01|02|||| 01=(5代略)|02=豊麿}} {{familytree |border=0| ||||)|-|-|'|||}} {{familytree |border=0||||01||||| 01=''[[神人部繁魚|繁魚]]''|}} {{familytree |border=0| ||||!|||}} {{familytree |border=0||||01||||| 01=(7代略)||}} {{familytree |border=0| ||||!|||}} {{familytree |border=0||||01||||| 01='''''[[諏訪有信|有信]]'''''}} {{familytree |border=0| ||||!|||}} {{familytree |border=0||||01||||| 01='''''[[諏訪為信|為信]]'''''}} {{familytree |border=0| |,|-|-|+|-|-|v|-|-|.|||}} {{familytree |border=0|01|04|02|03|| 01=''[[神為仲|為仲]]''|02=''為綱''|03=''為次''|04='''''[[諏訪為貞|為貞]]'''''}} {{familytree |border=0| |,|-|-|(|||}} {{familytree |border=0|03|01|||||||02|||| 01='''''[[諏訪敦貞|敦貞]]'''''|02=['''清和源氏満快流説''']<br/>[[源為公]]|03=為貞}} {{familytree |border=0| |!|||)|-|-|v|-|-|.|||!}} {{familytree |border=0|03|01|04|05|02|||| 01='''''[[諏訪貞方|貞方]]'''''|02=為実|03=(10代略)|04=敦真|05=敦家}} {{familytree |border=0| |!|||!|||!|||!|||!}} {{familytree |border=0|03|01|04|05|02|||| 01='''''[[諏訪貞光|貞光]]'''''|02=[[依田実信]]|03=[上井氏]<br/>[[上井覚兼]]|04=光親|05=[上原氏]<br/>上原敦成}} {{familytree |border=0| |!|||!|||!|||!|||!}} {{familytree |border=0|03|01|04|05|02|||| 01='''''[[諏訪敦光|敦光]]'''''|02=[[依田信行|信行]]|03=諏訪経兼|04=[藤沢氏]<br/>藤沢清定|05=(略)}} {{familytree |border=0| |,|-|-|(|||!|||!|||!}} {{familytree |border=0|05|01|03|04|02|||| 01='''''[[諏訪敦忠|敦忠]]'''''|02=[[手塚信澄]]|03=(略)|04=[[上原元秀|元秀]]|05=[[[知久氏]]]<br/>知久敦俊}} {{familytree |border=0| |,|-|-|(|||!||||||!}} {{familytree |border=0|01|02|04||||03|||| 01=''敦信''|02='''[[諏訪盛信|盛信]]'''|03=[[諏訪信綱|信綱]]|04=[[藤沢頼親|頼親]]}} {{familytree |border=0| ||||)|-|-|-|-|-|-|-|-|'}} {{familytree |border=0||||01||||| 01='''''[[諏訪盛重]]'''''}} {{familytree |border=0| ||||)|-|-|.}} {{familytree |border=0||||01|02|||| 01=[[諏訪盛経|盛経(真性)]]|02='''''[[諏訪頼重 (南北朝時代)|<small>三河守</small>頼重]]'''''}} {{familytree |border=0| ||||!|||!}} {{familytree |border=0||||01|02|||| 01=[[諏訪直性|直性(宗経)]]|02=''[[諏訪時継|時継]]''}} {{familytree |border=0| ||||,|-|-|+|-|-|.}} {{familytree |border=0||||01|02|03||| 01='''''頼継'''''|02=[[[高遠氏]]]<br/>''継宗''|03='''''[[諏訪信継|信継]]'''''}} {{familytree |border=0| ||||||||||!}} {{familytree |border=0||||||||||01|||| 01='''''[[諏訪直頼|直頼]]'''''}} {{familytree |border=0| ||||||||||)|-|-|.}} {{familytree |border=0||||||||||01|02||| 01='''''[[諏訪信有|信有]]'''''|02=頼貞}} {{familytree |border=0| 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||||!||||||!}} {{familytree |border=0||||01|~|y|~|02| 01=女|02=[[諏訪忠久]]}} {{familytree |border=0| |||||||!|||}} {{familytree |border=0|||||||01|| 01='''[[諏訪忠弘|忠弘]]'''}} {{familytree |border=0| |||||||!|||}} {{familytree |border=0|||||||01|| 01='''[[諏訪忠則|忠則]]'''}} {{familytree/end}} <!--系譜参考 *[http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02120.htm#001 日本の名字七千傑] *[http://www.geocities.jp/okugesan_com/mitsumasa.htm#suwa 公卿類別譜] *[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html 武家家伝] *[http://keizudou.web.fc2.com/daimyou/suwa.html 近世系図堂]--> </div></div> ==諏訪神族== 諏訪氏の係累にあたる血族を諏訪神族([[諏訪神党]]とも)といい、[[信濃国]]には一門が多い。さらに鎌倉時代に諏訪氏が北条氏の御内人となったことから全国に社領を拡大し、多くの一族が全国に拡散していった。地方の領主としては[[駿河国]]の[[安部氏]]、[[丹波国]]の[[上原氏]]、[[出雲国]]の[[牛尾氏]]、[[薩摩国]]の[[上井氏]]なども諏訪氏の一門に該当する<ref>太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』([[角川書店]]、[[1934年]])3099頁参照。</ref>。 ===神家一党33氏=== 以下の氏族は諏訪氏の一族であるという。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]は宗家の諏訪氏ともども南朝方となる。 [[関屋氏]]、[[深澤氏]]、[[皆野氏]]、[[三塚氏]]、[[四宮氏]]、[[若尾氏]]、[[不覚氏]]、[[保科氏]]、[[神野氏]]、[[笠原氏]]、[[千野氏]]、[[松島氏]]、[[座光寺氏]]、[[栗原氏]]、[[上原氏]]、[[栗林氏]]、[[矢崎氏]]、[[風間氏]]、[[平島氏]]、[[平方氏]]、[[栗澤氏]]、[[遠山氏]]、[[向山氏]]、[[中村氏]]、[[西保氏]]、[[真志野氏]]、[[真野氏]]、[[脇間氏]]、[[繭屋氏]]、[[大妻氏]]、[[小島氏]]、[[中野氏]]、[[禰津氏]]、[[浦野氏]]、[[大垣氏]]、[[有賀氏]]、[[平井氏]]、[[神田氏]]、[[神内氏]]、[[知久氏]]、[[桓原氏]]、[[宮所氏]]、[[小坂氏]]、[[安倍氏]]、[[元澤氏]]、[[高遠氏]]、[[原氏]]、[[安部氏]] ===その他の諏訪氏一族=== [[岡屋氏]]、[[栗田氏]]、[[三輪氏]]、[[箕輪氏]]、[[埴原田氏]]、[[一瀬氏]]、[[武井氏]]、[[安宿氏]]、[[足羽氏]]、[[桑原氏]]、[[山井氏]]、[[花岡氏]]、[[関氏]]、[[大平氏]]、[[大島氏]]、[[小野氏]]、[[小林氏]]、[[平林氏]]、[[周防氏]]、[[片倉氏]]、[[藤森氏]]、[[原氏]]、矢澤氏、[[宮下氏]]、[[宮崎氏]]、[[金山氏]]、[[津波木氏]]、[[岩波氏]]、[[高木氏]]、[[横田氏]]、[[海口氏]]、[[西條氏]]、[[櫻井氏]]、[[栗澤氏]]、[[福島氏]]、[[春日氏]]、[[大藍氏]]、[[宮坂氏]]、[[吉田氏]]、[[小井弖氏]]、[[平栗氏]]、[[早出氏]]、[[濱氏]]、[[中尾氏]]、[[波間氏]]、[[吉田氏]]、[[木村氏]]、[[大木氏]]、[[米澤氏]]、[[沖氏]]、[[杵淵氏]]、[[寺尾氏]]、[[保坂氏]] ===「澤」のつく庶族=== [[栗澤氏]]、[[藍澤氏]]、[[宮澤氏]]、[[中澤氏]]、[[元澤氏]]、[[唐澤氏]]、[[福澤氏]]、藤澤氏、[[松澤氏]]、[[大澤氏]]、[[増澤氏]]、[[谷澤氏]]、[[吉澤氏]]、[[金澤氏]]、[[柴澤氏]]、[[平澤氏]]、[[米澤氏]]、[[蕗澤氏]]、[[胡桃澤氏]]、[[神澤氏]]、[[大澤氏]]、[[能澤氏]]、[[粟澤氏]]、[[駒澤氏]]、[[西澤氏]]、[[北澤氏]]、[[奥澤氏]]、[[前澤氏]]、[[横澤氏]]、[[赤澤氏]]、[[蘆澤氏]]、[[白澤氏]]、[[樋澤氏]]、[[戸澤氏]]、[[立澤氏]]、[[三澤氏]]、[[石澤氏]]、[[廣澤氏]]、[[岡澤氏]]、[[柿澤氏]]、[[長澤氏]]、[[尾澤氏]]、[[鳴澤氏]]、[[柳澤氏]]、[[瀬澤氏]]、[[古澤氏]]、[[金澤氏]]、[[澤氏]]、[[鮎澤氏]]、[[入澤氏]]、[[木澤氏]]、[[笹澤氏]]、[[田澤氏]]、[[野澤氏]]、[[小澤氏]]、[[菅澤氏]]、[[増澤氏]]、[[二澤氏]]、[[桜澤氏]]、[[有澤氏]]、[[黒澤氏]]、[[味澤氏]]、[[矢澤氏]] ==諸国の諏訪氏== ===常陸の諏訪氏=== [[久慈郡]][[長幡部神社]]の神職は諏訪氏であるという<ref>前掲太田亮著『姓氏家系大辞典 第1巻』3099頁参照。</ref>。 ===駿河の諏訪氏=== [[諏訪長宗]]の次男 [[諏訪長満|長満]]は駿河守護 [[今川氏]]に仕えるという<ref>前掲太田亮著『姓氏家系大辞典 第1巻』3099頁参照。</ref>。 == 脚注 == <references /> ==参照文献== * 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』([[角川書店]]、[[1934年]]) ==関連項目== * [[手塚氏]] * [[藤沢氏]] * [[高遠氏]] * [[有賀氏]] * [[花岡氏]] * [[高島藩]] {{DEFAULTSORT:すわし}} [[Category:日本の氏族]] [[Category:社家]] [[Category:諏訪氏|*]] [[Category:御内人]] [[Category:長野県の歴史]]
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