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西夏
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{{ 出典の明記 |date = 2013年10月}} {{基礎情報 過去の国 |略名 =西夏 |日本語国名 =西夏 |公式国名 =大夏 |建国時期 =[[1038年]] |亡国時期 =[[1227年]] |位置画像 =China rel96.jpg |位置画像説明 =11世紀の西夏(赤) |公用語 = {{仮リンク|西夏語|zh|西夏语}} |首都 =興慶 |元首等肩書 =[[皇帝]] |元首等年代始1 =1038年 |元首等年代終1 =[[1048年]] |元首等氏名1 =[[李元昊]] |面積測定時期1 = |変遷1 =唐の節度使、宋の従属国から西夏へ |変遷年月日1 =1038年 |変遷2 =[[モンゴル帝国]]の[[チンギス・カン]]によって滅亡 |変遷年月日2 =1227年 |注記 = }} {{中国の歴史}} '''西夏'''(せいか、[[西夏文字]]:[[File:Western Xia 1.svg|90px]] {{IPA|*phiow¹-bjij²-lhjij-lhjij²}}、[[1038年]] - [[1227年]])は、[[タングート]]の首長[[李元昊]]が現在の[[中国]]西北部([[甘粛省]]・[[寧夏回族自治区]])に建国した[[王朝]]。国号は'''夏'''だが、中国最古の王朝[[夏 (三代)|夏]]などと区別するため、通例「西」の字を付して呼ぶ。[[首都]]は興慶(現在の[[銀川市|銀川]])。[[モンゴル帝国]]の[[チンギス・カン]]によって滅ぼされた。 == 歴史 == === 起源と成立 === 西夏の起源は[[唐]]初にまでさかのぼる事ができる。この時期、[[羌|羌族]]の中で[[タングート|タングート族]]がその勢力を拡大していった。その中、{{仮リンク|拓跋赤辞|zh|拓跋赤辭}}は唐に降り、李姓を下賜され、族人を引き連れて慶州(現在の[[寧夏回族自治区]]内)に移住し平西公に封じられた。唐末に発生した[[黄巣の乱]]ではその子孫である{{仮リンク|拓跋思恭|zh|李思恭|en|Li Sigong}}が反乱平定に大きな功績を残し、それ以降、夏国公・定難軍[[節度使]]として当地の有力な藩鎮勢力としての地位を確立した。 [[宋 (王朝)|宋]]初、[[趙匡胤]]は藩鎮の軍事権の弱体化政策を推進したが、これが夏国公の不満を引き起こした。当初は宋朝に恭順であった平西公であるが、次第に対立の溝を深め、[[1032年]]に[[李徳明]]の子である[[李元昊]]が夏国公の地位を継承すると、次第に宋の支配から離脱する行動を採るようになった。李元昊は唐朝から下賜された李姓を捨て、自ら嵬名氏を名乗り、即位翌年以降は宋の[[年号]]である[[明道 (北宋)|明道]]を、父の諱を避けるために[[顕道]]と改元し、西夏独自の年号の使用を開始している。その後数年の内に宮殿を建設し、文武班制度を確立、兵制を整備するとともに、[[チベット・ビルマ語派]]の{{仮リンク|タングート語|en|Tangut language}}を表記するための独自の文字である[[西夏文字]]を制定した。 即位の翌年からは、長年の宿敵である[[西寧市|青唐]]のチベット系勢力[[:zh:唃厮啰国|青唐王国]]([[1032年]] - [[1104年]])を攻めて決定的な打撃を与え、さらに[[1036年]]には宋の支配下であった、[[河西回廊|河西地方西部]]の[[粛州]]・[[瓜州県|瓜州]]・[[敦煌市|沙州]]に兵を進めて制圧した。またチベット系をさらに牽制するため、[[蘭州]]近郊へ兵を送った。そして[[1038年]]10月11日に皇帝を称し、国号を'''大夏'''として名実ともに建国するに至った。 === 建国初期から全盛期 === 西夏は建国後、[[遼]]と同盟し[[宋 (王朝)|宋]]に対抗する政策を採用し、しばしば宋内に兵を進めている。この軍事対立は[[1044年]]の和議成立([[慶暦の和約]])まで続いた。宋との和議では宋が西夏の地位を承認すると共に西夏が宋に臣従する代償として莫大な歳幣を獲得した。しかし、同年に西夏と遼の間で武力衝突が発生すると、西夏は宋・遼と対等な地位を獲得するに至った。ただ、宋との和議成立後もたびたび局地的な戦闘が続き、宋は西夏との国境に軍隊を常駐させていた。 李元昊の死後、2歳にも満たない息子の[[毅宗 (西夏)|李諒祚]]が即位し、その母である沒蔵氏による摂政が行われた。この時期遼による西夏攻撃が行われ、西夏は敗北、遼に臣従する立場となった。 [[1063年]]、[[吐蕃]]の[[禹蔵花麻]]が西夏に帰属した。皇帝である[[恵宗 (西夏)|李秉常]]の母である梁氏はこの時期宋に対する軍事行動に出るが失敗、国政は李秉常の元に帰属するようになった。しかし李秉常の死後に3歳の息子である[[崇宗 (西夏)|李乾順]]が即位すると、梁氏は再び摂政を開始、宋や遼に対する軍事行動を起こしている。李乾順の親政が開始された後は遼や宋との和平政策へ転換し、軍事行動は年々減少、西夏の社会経済が発展していくこととなった。 [[1115年]]、[[金 (王朝)|金]]が成立すると遼に対し侵攻を開始した。[[1123年]]、遼[[天祚帝]]は敗戦により西夏に亡命、同時に金の使者も来朝し李乾順に対し遼帝の引渡しを求めた。李乾順は遼の復興は困難と判断し金の要求を受諾、これにより西夏は金に服属することとなった。そして金により[[北宋]]が滅ぼされると、西夏は機会に乗じ広大な領土を獲得することとなった。 李乾順の死後は息子の[[仁宗 (西夏)|李仁孝]]が即位した。この時期西夏国内では地震と深刻な飢饉が発生し民心が乱れ、各地で農民蜂起が発生した。これに対し李仁孝は国内に各種改革を行い、社会経済の発展と、社会の安定に努めた。 === 衰退 === 李仁孝の死後は息子の[[桓宗 (西夏)|李純祐]]が即位したが、この時期になると政治腐敗が進み、国勢は凋落の一途を辿っていた。その状況下の[[1206年]]、親族の[[襄宗 (西夏)|李安全]]が帝位を簒奪し李純祐を殺害、それまで金に依存した外交政策を見直し、当時強大な勢力を誇った[[モンゴル族]]に依存する政策を採用した。 李安全は金に対し十余年に及ぶ軍事行動を発動した。この軍事行動は金のみならず西夏の国力を疲弊させるものであり、また飢饉などで貧困が続いていた民衆の離反を招き、また政治腐敗のみならず、皇帝自らが酒色に溺れ朝政を省みない状況で国内は一層不安定なものとなっていた。またモンゴルに依拠した外交政策も、西夏の安全を保障するものでなく、[[1205年]]にはモンゴルは西夏侵攻を開始、[[1209年]]までに3次に亘る西夏出兵ですでに国力は限界に達した。 [[1211年]]、西夏で宮廷クーデターが発生、[[神宗 (西夏)|{{lang|zh|李遵頊}}]]が帝位を簒奪した。しかし中興に影響を与えるものでなく、西夏の国力は下降線の一途を辿った。[[1216年]]、西夏は[[チンギス・カン]]の出兵要請を拒否する。その行為はモンゴル側の怒りを招き、[[1217年]]に第4次西夏遠征が行われるに至った。[[1223年]]、{{lang|zh|李遵頊}}は自らが亡国の君主になることを避けるため、太子の[[献宗 (西夏)|李徳旺]]に譲位した。 西夏は李安全と{{lang|zh|李遵頊}}の治世下で滅亡寸前の国力となっており、李徳旺の登場で復興できる状態ではなかった。李徳旺はモンゴルに対抗するため、チンギスが西征した機会を狙ってモンゴルを攻撃しようとしたが、事前に情報がモンゴル側に漏れ、[[1224年]]にモンゴル軍により都銀川が包囲されるとモンゴル軍に投降、人質を送ることで滅亡することはわずかに免れることができた。[[1226年]]、李徳旺が病死し、[[末主 (西夏)|{{lang|zh|李睍}}]]が皇帝に推挙されたが、翌年{{lang|zh|李睍}}はモンゴルに投降、その後{{lang|zh|李睍}}は毒殺され西夏は名実共に滅亡した。 [[ファイル:宋・金時代.PNG|left|thumb|300px|西夏の位置(黄緑)]]<br clear="all" /> === 夏国公 === 李継遷と李徳明は皇帝に即位していないが、西夏建国後に皇帝号を追贈された。1038年、李元昊が皇帝に即位。 {|table border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" |- ! style="background:#efefef;"|[[廟号]] ! style="background:#efefef;"|[[諡号]] ! style="background:#efefef;"|漢名 ! style="background:#efefef;"|西夏名 ! style="background:#efefef;"|一般通称 ! style="background:#efefef;"|在位期間 ! style="background:#efefef;"|[[元号]] |- |太祖 |孝光皇帝 |継遷 |align="center"|─ |[[李継遷]] |[[985年]]-[[1004年]] | |- |太宗 |光聖皇帝 |徳明 |阿口移 |[[李徳明]] |[[1004年]]-[[1032年]] | |- |景宗 |武烈皇帝 |元昊 |嵬理・曩霄 |[[李元昊]] |[[1032年]]-[[1038年]]<br />(1038年皇帝即位) |[[顕道]]<br />[[開運 (西夏)|開運]]<br />[[広運 (西夏)|広運]]<br />[[大慶 (夏景宗)|大慶]] |} === 夏皇帝 === {|table border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" |- ! style="background:#efefef;"|[[廟号]] ! style="background:#efefef;"|[[諡号]] ! style="background:#efefef;"|漢名 ! style="background:#efefef;"|西夏名 ! style="background:#efefef;"|一般通称 ! style="background:#efefef;"|在位期間 ! style="background:#efefef;"|[[元号]] |- |景宗 |武烈皇帝 |元昊 |嵬理・曩霄 |[[李元昊]] |[[1038年]]-[[1048年]] |[[天授礼法延祚]] |- |[[毅宗 (西夏)|毅宗]] |昭英皇帝 |諒祚 |寧令諒祚 |李諒祚 |[[1048年]]-[[1067年]] |[[延嗣寧国]]<br />[[天祐垂聖]]<br />[[福聖承道]]<br />[[シャ都|奲都]]<br />[[拱化]] |- |[[恵宗 (西夏)|恵宗]] |康靖皇帝 |秉常 |align="center"|─ |李秉常 |[[1068年]]-[[1086年]] |[[乾道 (西夏)|乾道]]<br />[[天賜礼盛国慶]]<br />[[大安 (西夏)|大安]]<br />[[天安礼定]] |- |[[崇宗 (西夏)|崇宗]] |聖文皇帝 |乾順 |align="center"|─ |李乾順 |[[1086年]]-[[1139年]] |[[天儀治平]]<br />[[天祐民安]]<br />[[永安 (西夏)|永安]]<br />[[貞観 (西夏)|貞観]]<br />[[雍寧]]<br />[[元徳 (西夏)|元徳]]<br />[[正徳 (西夏)|正徳]]<br />[[大徳 (西夏)|大徳]] |- |[[仁宗 (西夏)|仁宗]] |聖祖皇帝 |仁孝 |align="center"|─ |李仁孝 |[[1139年]]-[[1193年]] |[[大慶 (夏仁宗)|大慶]]<br />[[人慶]]<br />[[天盛]]<br />[[乾祐 (西夏)|乾祐]] |- |[[桓宗 (西夏)|桓宗]] |昭簡皇帝 |純祐 |align="center"|─ |李純祐 |[[1193年]]-[[1206年]] |[[天慶 (西夏)|天慶]] |- |[[襄宗 (西夏)|襄宗]] |敬穆皇帝 |安全 |align="center"|─ |李安全 |[[1206年]]-[[1211年]] |[[応天 (西夏)|応天]]<br />[[皇建 (西夏)|皇建]] |- |[[神宗 (西夏)|神宗]] |英文皇帝 |遵頊 |align="center"|─ |李遵頊 |[[1211年]]-[[1223年]] |[[光定 (西夏)|光定]] |- |[[献宗 (西夏)|献宗]] |align="center"|─ |徳旺 |align="center"|─ |李徳旺 |[[1223年]]-[[1226年]] |[[乾定]] |- |[[末主 (西夏)|末主]] |align="center"|─ |睍 |align="center"|─ |李睍 |[[1226年]]-[[1227年]] |[[宝義]] |} == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[西夏の君主一覧]] * [[西夏遠征]] * [[敦煌市|敦煌]] * [[吐蕃]] * [[アムド]] * [[タングート]] * [[西夏文字]] {{DEFAULTSORT:せいか}} [[Category:西夏|*]] [[Category:かつて存在したアジアの国家]] [[Category:中央ユーラシア史]] [[Category:寧夏回族自治区の歴史]] [[Category:甘粛省の歴史]] [[Category:中国史に現れる周辺民族]] {{Link FA|zh}}
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