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藍玉 (明)
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'''藍玉'''(らん ぎょく、? - [[1393年]]([[洪武]]26年)[[2月10日]])は、[[中国]]・[[明]]代の将軍。定遠(現在の[[安徽省]][[定遠県]])の出身。兄は軍人の藍栄、姉は[[常遇春]]の妻。 明初期に軍事的功績を挙げて大将軍・涼国公に栄進したが、それによる思い上がりと普段からの傲慢な振る舞いによって [[胡藍の獄#藍玉の獄|藍玉の獄]]と呼ばれる疑獄事件を引き起こした<ref name="yamane2">山根「漢民族の復興」『中国史 4』、26-27頁</ref>。 == 生涯 == 義兄の常遇春の麾下で活躍し、常遇春の推薦によって大都督府僉事に取り立てられた<ref name="jiten">山根「藍玉」『アジア歴史事典』9巻、175頁</ref>。明成立後は[[傅友徳]]の[[四川]]の[[夏 (元末)|夏]]平定、[[徐達]]の漠北遠征に従軍した。[[1378年]]に[[沐英]]とともに西蕃([[チベット]])遠征に参加、[[アムド]]、[[カム (チベット)|カム]]の部族長達を従属させた。翌[[1379年]]に軍功を評価されて永昌侯に封じられ、食禄2,500石を与えられた。そして藍玉は徐達や常遇春亡きあと、軍の中核的存在となった。 [[1387年]]、[[大将軍]]・[[馮勝]]に従って北伐に参加し、[[北元]]の丞相[[ナガチュ]]を降伏させる。翌[[1388年]]に失脚した馮勝に代わる大将軍に任命された藍玉は150,000の兵を率いて[[モンゴル高原]]への遠征軍を率いた。[[ブイル・ノール]]の北元の皇帝[[トグス・テムル]]の元に向かい、百眼井に到達するが敵軍の姿を確認できなかったため、藍玉は帰国を考える<ref name="dattan">『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻、8-9頁</ref>。しかし、定遠侯の王弼に説得されて進軍を続け、ブイル・ノールの湖畔でトグス・テムルの軍を撃破した。トグス・テムルは逃したものの、彼の妃や次子・地保奴を捕らえ、太子妃・公主などの皇女100人超、頭目3,000人超、捕虜77,000人、軍馬・家畜150,000匹を得て凱旋した<ref name="jiten"/>。藍玉がトグス・テムルの妃と姦通した噂が流れ、恥じた妃は自害する事件が起きた<ref name="dattan"/>。噂を聞いた[[朱元璋|洪武帝]]は激怒し、藍玉は謝罪した。それでもなお藍玉に恩賞は与えられたが、梁国公の授与は取りやめとなり、代わって涼国公に封じられた。 [[1390年]]に藍玉は湖広施州衛の異民族の反乱を鎮圧する。[[1392年]]に西蕃罕東の地(現在の[[甘粛省]][[敦煌市]]南東<ref name="jiten"/>)に遠征し、帰国後に太子太傅とされた。 藍玉には軍功にたのんだ傲慢な振る舞いが多く、洪武帝からしばしば叱責を受けていた<ref name="jiten"/>。領民の土地を占有して咎めた官吏を放逐する、軍令を破って閉門した関所を強引に通行する行為が『明史』藍玉伝に記録されている。 1393年に[[錦衣衛]]指揮の蒋瓛から謀反の意ありとされ、誅殺された([[胡藍の獄#藍玉の獄|藍玉の獄]])。張翼、陳桓、曹震ら高官から下級の将兵に至るまで次々と連座する人々が摘発され<ref name="yamane2"/>、15,000人から30,000人に及ぶと言われる犠牲者を出した<ref name="kawagoe-ming">川越『明史』、169-170頁</ref>。また、事件の余波は藍玉の娘婿である蜀王・朱椿にも及んだ<ref name="kawagoe-ming"/>。このときの藍玉たちの供述や罪状は「逆臣録」として刊行された。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * 川越泰博『明史』(中国古典新書続編, 明徳出版社, 2004年9月) * 山根幸夫「藍玉」『アジア歴史事典』9巻収録(平凡社, 1962年) * 山根幸夫「漢民族の復興」『中国史 4』収録(世界歴史体系, 山川出版社, 1999年6月) * 『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻(羽田明、佐藤長 他訳注、[[東洋文庫 (平凡社)|東洋文庫]]、平凡社、1973年3月) == 読書案内 == * 川越泰博『明代中国の疑獄事件 藍玉の獄と連座の人々』(風響社, 2002年2月) ==関連項目== * [[胡藍の獄]] * [[胡惟庸]] == 外部リンク == * [http://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7132 明史 巻132] {{デフォルトソート:らんきよく}} [[Category:明代の人物]] [[Category:滁州出身の人物]] [[Category:刑死した人物]] [[Category:14世紀生]] [[Category:1393年没]]
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