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{{Portal|文学}} '''蕭統'''(しょう とう、[[501年]] - [[531年]])は、[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]の[[梁 (南朝)|梁]]の皇族。[[字]]は'''徳施'''。[[襄陽市|襄陽]]で生まれた。武帝[[蕭衍]]の長子で皇太子に立てられていたが、父に先立って死去した。'''昭明太子'''(しょうめいたいし)の[[諡|諡号]]で知られる。廃帝予章王[[蕭棟]]の祖父、[[後梁 (南朝)|後梁]]の宣帝[[蕭サツ|蕭詧]]の父である。 3歳で『[[論語]]』『[[孝経]]』を読み、5歳で[[五経]]を全て読破したと言われる聡明な人物で、武帝の皇太子として、成人してからは国政に携わり、民衆に仁政を行った。また、文章家としても後世に知られている。 蔵書3万巻を持っていたと言われる蕭統の傍には優れた[[文人#六朝時代|文人]]が集まり、それらの助けを借りて各種の名文を集めた『[[文選 (書物)|文選]]』を編纂した。 後、舟遊びの際に水に転落し、それが元で病気を発して死去した。またその蔵書も、[[江陵県|江陵]]の[[元帝 (南朝梁)|元帝]]が[[西魏]]によって滅ぼされた時に灰燼に帰した。 その後、息子である[[蕭サツ|蕭詧]]が江陵で、[[西魏]]政権の手によって[[後梁 (南朝)|後梁]]の[[天子]]として即位させられた時に、蕭統にも'''高宗昭明帝'''と追号された。 == 子女 == *[[蕭歓]] *[[蕭誉]] *[[蕭サツ|蕭詧]] *[[蕭𧫷]] *[[蕭譼]] == 伝記資料 == *『[[梁書]]』巻8 列伝第2 *『[[南史]]』巻53 列伝第43 {{DEFAULTSORT:しよう とう}} [[Category:中国の詩人]] [[Category:蘭陵蕭氏|とう]] [[Category:南朝の追尊皇帝]] [[Category:中国の皇太子]] [[Category:襄陽出身の人物]] [[Category:501年生]] [[Category:531年没]] {{Chinese-history-stub}}
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