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'''蒋 幹'''(しょう かん、生没年不詳)は、[[中国]][[後漢]]末の人物、[[曹操]]配下。[[字]]は'''子翼'''。『[[三国志演義]]』の「[[赤壁の戦い]]」において[[孫権]]軍の[[周瑜]]の計略の操り人形にされてしまうことが知られているが、史書ではわずかな記録しか残っていない。 ==事跡== {| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller" |- ! 姓名 | 蒋幹 |- ! 時代 | [[後漢]]時代 |- ! 生没年 | 〔不詳〕 |- ! 字・別号 | 子翼(字) |- ! 本貫・出身地等 | [[揚州]]九江郡 |- ! 職官 | 〔不詳〕 |- ! 爵位・号等 | - |- ! 陣営・所属等 | [[曹操]] |- ! 家族・一族 | 〔不詳〕 |} 『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』「周瑜伝」注に引く『江表伝』(既に散逸)によると、[[揚州]]九江郡(現在の[[江西省]][[九江市]])の出身で、立ち居振る舞いに優れ、優れた弁舌を以て知られていた。そのために、[[曹操]]の招聘を受けて仕官した。また、故郷が近いこともあって孫権に仕える周瑜とは顔見知りであり、その縁から周瑜を高く評価する曹操により彼を密かに引き抜くように命ぜられた。蒋幹は供も連れず、庶民の衣服のまま揚州に赴き、周瑜に面会した。しかし、周瑜は蒋幹の訪問の目的を既に察知しており、厚くもてなすと共に自らの孫権への忠誠を強調した。蒋幹はそれを素直に認めて、何も申し出ることなく去った。 ==物語中の蒋幹== 小説『[[三国志演義]]』においては、このエピソードを膨らませて赤壁の戦いの一場面として演出している(『江表伝』には蒋幹の周瑜への説得の時期は示されていない)。『演義』においては、蒋幹は説客として周瑜を登用する目的を持ちつつ、孫権軍の情報を盗み出す諜報官の役割も担って潜入するが、逆にそれを見抜いた周瑜に偽手紙を掴まされてしまい、その偽手紙を信じた曹操によって、水軍の将軍である[[蔡瑁]]らが[[処刑]]されてしまう。北方軍主体の曹操軍には[[荊州]]出身の蔡瑁らのほかに水軍に長じた将がおらず、また偶然の遭遇を装った[[ホウ統|龐統]]の策にはまり、欺かれたりしたりと散々な目に遭う人物として扱われている。そしてこれが赤壁の敗北の大きな原因の一つになってしまうのである。『[[三国志平話]]』では、赤壁の敗戦の責任を取らされて自軍の将兵に殺されている。 [[Category:三国志の登場人物|しよう かん]]
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