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落語家
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{{出典の明記|date=2012年6月28日 (木) 10:46 (UTC)}} '''落語家'''(らくごか)は、[[落語]]を演じて視聴させることを[[職業]]とする人。戦前は、[[寄席]]がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かし[[テレビ番組|テレビ]]や[[ラジオ番組|ラジオ]]の[[司会|司会業]]、[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]などの副業をすることも多い。「'''話家'''」「'''噺家'''」「'''咄家'''」(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。 落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。 # 落とし噺:噺の終わりに「[[落ち]](「さげ」とも言う)」が有る噺。「[[落語]]」はこれに該当する。 # [[人情噺]]:噺の終わりに「落ち」が無い噺。基本的に続き続き…で引っぱっていく。怪談噺等もこれに属する。 このため、「落語家」という表現は、厳密には 1. のみを語る者ということになり、1. 2. 両方語る場合「噺家」の方が適切な呼称であるが、1.に属する一部の噺も人情噺として捉える主張の存在もあり、現在は「落語家」で定着している。 江戸時代には狂歌や雑俳に関わる人々など素人の咄家も活躍していたが、やがて[[烏亭焉馬]]や[[三笑亭可楽]]などの職業咄家たちがあらわれた。 == 身分 == その身分は見習い、前座(ぜんざ)、二つ目(ふたつめ)、真打(しんうち)からなる。この区分けがあるのは、現在では東京だけであり、[[上方]]にはこれらの身分は存在しない。 === 見習い === 弟子入りを志願した師匠から入門の許可を得た落語家の卵。入門したあと、前座名(名前)を師匠から貰い、前座登録をして、前座として楽屋入りするまでは'''「見習い」'''と呼ぶ。正規の身分制度にはもともと存在しないが、前座の数が多いのでそれまでの待機をする。おもに師匠宅で師匠・その家族のために家事などの下働き・雑用をする。休みはない。昔は師匠宅に住み込みで身の回りの世話をすることもあったが、現在は通いの方が多い。食事は師匠宅ですることが多い(作るのは見習い本人だが)。住み込みであれば家賃もいらない。見習いと前座は、落語家社会では一人前とみなされない。 === 前座 === 仏教における[[前座]](まえざ)説教が語源。前述の、師匠宅の家事・雑用の他に、寄席での仕事(前座修行)が課せられる。寄席での、呼び込み太鼓・鳴り物・めくりの出し入れ・色物の道具の用意と回収・マイクのセッティング・茶汲み・着物の管理など楽屋、寄席共に毎日雑用をこなす(大阪では、これらの仕事のうち太鼓・鳴物以外は「お茶子」と呼ばれる寄席従業員によって行われる<!--彼女らは将来も落語家にならずお茶子のままである-->)。寄席で「開口一番」と呼ばれる最初の一席を受持つ場合もあるが、あくまで'''勉強の為'''であるから通常は落語家名は番組にも載らない。また、[[割 (寄席)|割]](出演料)ももらえない。しかし、前座作業の代償として、僅かながら1日あたり定額の小遣い(給金)がもらえる。[[橘家圓喬 (4代目)|4代目橘家圓喬]]は一旦二つ目に昇進したが、親を養う金を稼ぐために、自ら前座に降格した([[関山和夫]]『落語名人伝』)。 このように、「二つ目に昇進できるのにあえて前座に止まる」落語家を'''へたり'''という。永久前座という異名もある。昭和30年代位までは、へたりが数人いた。[[三遊亭圓福|橘ノ圓福]]・[[林家正吉]]らである([[立川談志|7代目立川談志]]が著書『談志楽屋噺』で紹介)。歌舞伎でいう「頭取」のようなものである。実際には寄席従業員として働いているのと変わらない。一方大阪ではへたりは太鼓・鳴物の演奏を務める人を意味し、以前はかなり重宝された。主なへたりには[[三升小三]]([[戎橋松竹]])・[[桂右之助]]([[千日劇場]]・旧[[うめだ花月]])・[[桂文蝶]]([[千日劇場]])・[[桂團治]]([[道頓堀角座]])・[[橘家つばめ]]([[神戸松竹座]])・2代目[[三升紋三郎]]([[新花月]])等がいた。 当日の寄席で働く前座のうち、もっとも古株を'''「立前座」'''(たてぜんざ)と呼ぶ。寄席興行の進行についての決定権を持つ、重要な役回りである。立前座は仕事を他の(下の)前座に指図する。ネタ帳を記録するのも立前座の仕事である。 === 二つ目 === 前座と真打の間。辞書に掲載されている形では'''「二つ目」'''だが、最近では'''「二ツ目」'''と表記されている事が多い。この表記については特に決まりが無く、人によっては'''「二っ目」'''や'''「二ッ目」'''と仮名を小さく書く場合もある。[[だるま]]に二つの目を入れられるほど、芸が[[開眼]]したという意味。 落語家社会の中でようやく一人前とみなされる。自分の労力と時間を100%自分のためにだけ使うことが許される。師匠宅の雑用も寄席での裏方仕事もしなくてよい。以下のことが許される。 *(紋付きの)羽織を着ること。 *番組にも名前が出る。 *自分の手拭いを昇進の挨拶に配ること(配らなければならない)。 *飲酒・喫煙 *自分で落語会を開催したり、(師匠とのつながりのない)他の落語会に出演させてもらうこと。 *自分でテレビ・ラジオ出演や営業等への売り込みをすること。また実際に出演すること。<ref>但し、落語家時代の[[伊集院光]]や[[三遊亭こうもり]]が前座の身分でありながらテレビ・ラジオに出演した例がある。</ref> 正規の落語家として、寄席で落語をして割がもらえるようになる。しかし、定席への出演機会は大変限られているので、仕事は基本的に自分で探してこなければならなくなる。さもなくば本当に仕事がない状態となる。前座でやってきた雑用が全く無くなった分、その小遣いがもらえる訳でもなく、経済的には苦しいと言われる。最近では、芸事と関係ない[[アルバイト]]などをするものも少なくない。なお、かつての上方落語では'''「中座」'''(なかざ)と呼ぶ。 実際には'''ヨビ'''と呼ばれる“仕事”が存在する。これは、代演要員として寄席に出勤するというもので、抜いた落語家の穴が埋まらない時に高座に上がれる。一部を除いて、二つ目までは自身の師匠が死去した場合、別の真打の門下に移ることになっている。 === 真打 === 「(蝋燭の)芯を打つ」ことから転じた。蝋燭は江戸時代の室内照明であり、それを打つ=消すのは最後に上がる出番の落語家が演じ終わってからである。つまり主任(とり)のみが消すことができる=芯を打てる。 その名の通り寄席で主任(とり)を務めることができる資格が与えられるほか、'''「師匠」'''と敬称で呼ばれる。また弟子をとることが許される。 真打昇進の際には、特別の興行となり、新真打本人がその芝居の主任となる。そして真打'''披露'''目が行われ口上が述べられる。これがなければ昇進したことにならない。つまり、真打昇進と興行とは不可分である。興行中に他の出演者に高級弁当を振る舞い、終演したら真打本人が全経費を払う飲み会が始まる。出費はかなりのもの(特に単独昇進の場合)になるが、反面、お旦(芸人のスポンサー)からのご祝儀が見込める。 [[1980年代]]半ば頃から[[落語協会]]、[[落語芸術協会]]共に所属する落語家の半数以上を真打が占めるようになり、制度としては形骸化しているとの意見もある。 === 問題点 === 戦後、真打昇進制度は数度変わった。しかしその選考基準が不明瞭であるとする批判が一貫してある。これがひいては落語家内部の対立の原因となっている。 真打制度は[[香盤]](同一協会内の落語家間の序列)と密接に関係している。真打昇進の順番、すなわち真打昇進の早い遅いによって、真打達の香盤が決定される。真打昇進以降、中年から老年にかけて、人気、実力が変動することがあっても、順位は入れ替わらない。香盤が一門同士の対立を避けるための談合・密約を果たしているという意見もある。 ==== 戦後の騒動 ==== ; [[落語協会分裂騒動]] : [[1978年]](昭和53年)、[[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]]が[[落語協会]]理事会において当時常任理事[[三遊亭圓歌|3代目三遊亭圓歌]]・[[三遊亭金馬 (4代目)|4代目三遊亭金馬]]・[[春風亭柳朝|5代目春風亭柳朝]]の更迭、大量真打の反対の動議を提出し結果棄却された事に起因しており、この事が昇進試験制度設立につながる。 ; [[落語立川流|立川流]]の創設 : 上記の落語協会分裂騒動では落語協会に残った[[立川談志|7代目立川談志]]だが、[[1983年]](昭和58年)に一門ごと脱会し、立川流を創設。昇進試験をめぐり落語協会主流派と7代目立川談志一門が対立した事が理由とされる。この事件は試験制度による改革も決して業界全体を満足させるものではない事を証明した。 === 大阪における真打制度の不在 === 真打制度は戦前には上方にも存在した。しかし、戦中から終戦直後の時期において大阪では落語より漫才が好まれたこともあり、事実上上方落語が崩壊していた時期に消滅した。その真打制度は[[上方落語協会]]で1977年(昭和52年)2月に復活して公表もされた。 [[2012年]]現在は制度として事実上消滅している。内部の落語家ランク(例えば協会費のランク)も他の基準(年功序列)で決定している。また大阪では、香盤は内部で存在している(かつて真打のみ一回だけ公表もされた)ものの、現在では外部には一切非公開となっている。 当時の会長6代目松鶴は「真打にふさわしいかどうかはお客様が決めること(であり、真打制度に胡坐をかいて落語家サイドが真打を客に押し売りするのはおかしい)」と言っている。その後、定席[[天満天神繁昌亭]]開設時に、真打制度復活が論議されたが見送られている。上方落語ならではの自由な気風を損ねるというのが、真打制度非導入の理由であった。 このこともあり、主に上方落語四天王の弟子には、寄席やテレビなどで早くに知名度をあげ、入門から7~10年程度で弟子を採る者も多くいた。また、修行中に師匠が死去しても、別の師匠の元に移籍するというようなことが無い。代表的な例には6代目松鶴の最後の弟子、[[笑福亭鶴二#当代|笑福亭鶴二]]がおり、入門から1年も経たずに師匠松鶴が死去し、兄弟子にあたる[[笑福亭松鶴 (7代目)|7代目松鶴(笑福亭松葉)]]らの指導を仰いだが、現在でも「松鶴の弟子」として活動している。ただし全員がその限りではなく、東京のように元の師匠の兄弟弟子などに移籍する場合も稀にある。後者の例では、[[林家小染 (5代目)|5代目林家小染]]などがいる。 真打・香盤問題は東京でも非常にセンシティブな問題で、協会分裂の直接の引き金になっている。上方落語協会ではもっとナイーブな理由(殆ど口喧嘩)で大物が脱退したことすらある。 香盤制度・真打制度は完全な実力主義でもないので、“急激に売れた人”“若い時から売れっ子になった人”に対する処遇が難しいというのも理由の一つである。真打昇進と真打昇進披露興行はリンクさせるが、上方落語協会(繁昌亭)は(香盤と関係なく)「賞」を落語家に受賞させそれと興行をリンクしている。東京の協会では幹部を話し合いで選ぶが、上方落語協会では選挙で選ぶ。 東京の流れを汲む中でも、名古屋の雷門一門のように、「仮に真打を名乗ったとしても一門外の落語家や客が認めてくれるかどうかわからない」という理由から真打制度を棚上げする意向を示している一門もある<ref>[https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/warai74/details.php?blog_id=34 らくだの寝床:東海らくご事情「なごや雷門」淘汰か進化か(愛知)] - まいまいクラブ・2012年5月10日</ref>。 == アマチュアの落語家 == 大学の[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属する学生などのほかにも[[アマチュア]]の落語家が昔から存在し、これらの人々は「[[天狗連]]」と呼ばれる。プロの落語家が使わない[[亭号]]・[[屋号]]を名乗ることが多い。その他にも、地方で落語をベースにした独自の活動を主体にしている、大分県の[[県南落語組合]]などのような社会人活動グループなどもある。 == 落語家の所属団体 == === 関東の落語家 === * [[落語協会]]([[1923年]](大正12年)設立、現会長:[[柳家小三治|10代目柳家小三治]] 一般社団法人) * [[落語芸術協会]]([[1930年]](昭和5年)設立、現会長:[[桂歌丸]] 公益社団法人) * [[円楽一門会]](1978年(昭和53年)設立、現会長:[[三遊亭鳳楽]]) * [[落語立川流]](1983年(昭和58年)設立、現代表:[[土橋亭里う馬 (10代目)|10代目土橋亭里う馬]]) === 関西の落語家 === * [[上方落語協会]]([[1957年]](昭和32年)設立、現会長:6代[[桂文枝]] 公益社団法人) ** [[笑福亭鶴光]]一門は、筆頭弟子の[[笑福亭学光]]を除き上方落語協会と落語芸術協会の両方に加盟している。 == 無所属の落語家 == 上記五団体に属さないプロ落語家を以下に挙げる。いわゆる[[天狗連]]でなく、プロとしての修行を積んだ者、かつ生存者に限定する。但し、既に名を成した芸能人等が副業、余興として落語もやる場合(最近では、[[風間杜夫]]、[[森末慎二]](金メダル亭慎二)、[[山田隆夫]](鈴々舎鈴丸)、[[にしゃんた]]、[[友近]]、[[テリー伊藤]](林家テリ平)、[[高田文夫]](立川藤志楼)、[[ミッキー・カーチス]](ミッキー亭カーチス)<!--高田文夫とミッキー・カーチスは立川流Bコースの真打-->、荻野アンナ、[[ダイアン吉日]]等)は除く。 === 上方落語協会を離脱している落語家 === *旧[[桂枝雀]]一門([[桂南光 (3代目)|3代目桂南光]]以下の弟子たち)※[[桂雀三郎|雀三郎]]一門・[[桂文之助 (3代目)|雀松]]・[[桂九雀|九雀]]・[[桂む雀|む雀]]は復帰 *[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]一門のうち[[桂小米]]・[[桂千朝]]・[[桂宗助]](米朝本人や、上記の枝雀一門の一部を除く他の弟子は協会加入) *[[笑福亭松之助|2代目笑福亭松之助]]※直弟子で実子の[[明石家のんき]]は2012年に上方落語協会加盟 === 名古屋の落語家 === *[[雷門小福]]一門(もとは東京落語・[[雷門福助 (初代)|雷門福助]]の系譜。) === 周囲から孤立してプロ活動を続ける者 === ==== 東京 ==== *[[桂小金治|2代目桂小金治]](もとは日本芸術協会。映画俳優として売れたため落語家活動ができなくなり脱会。以降フリー) *[[春風亭華柳|2代目春風亭華柳]]([[1991年]](平成3年)落語芸術協会を脱会してフリー) *[[快楽亭ブラック (2代目)|2代目快楽亭ブラック]]一門(落語協会を師・談志とともに離脱、その後落語立川流からも除名。本人の著書ISBN 978-4893086396 とISBN 978-4862480217になぜ除名されたかが事細かに書かれている。除名後、孤立した活動となってから弟子を新たに複数とっており、彼らもまた孤立した存在となっている。 *[[柳亭風五]] 柳橋門下から柳亭風枝門下になりその後フリー。[[1975年]](昭和50年)から[[2010年]](平成22年)に掛けて柳亭風之進。 *[[橘家玉蔵]] [[橘家圓蔵 (7代目)|7代目橘家圓蔵]]から移籍して[[橘家圓蔵 (8代目)|8代目橘家圓蔵]]一門。 ==== 関西 ==== *[[桂春彦]] ==== 岡山 ==== *[[雷門喜助]]([[雷門福助 (初代)|雷門福助]]門下。瀧口雅仁(オフィスぼんが)著『噺家根問』ISBN 978-4779112973 参照。なぜ岡山かも記述してある) === 事実上のレッスン・プロ === *[[東家夢助]] (函館。東京時代の芸名[[柳家小三太]]。自殺未遂から、函館労音事務員として受け入れられ、救われる。アマチュア落語家を集めた「全国落語大学」学長。著書『はい、出前落語です』) *[[桂小文吾#6代目|7代目桂小文吾]] (鳥取県[[米子市]]。上方落語から身を引いて[[ヘルスセンター]]に就職。社員として勤務していたが、舞台に自ら上がるなど、何かしら芸はしていた。定年退職後、フルタイムのプロ落語家に復帰。瀧口雅仁(オフィスぼんが)著『噺家根問』ISBN 978-4779112973 参照) *[[はち好]](沖縄) 物故者のなかで、無所属の落語家の筆頭格は[[柳家金語楼]]([[吉本興業]]から離脱(昭和20年代)以降)・[[三遊亭金馬 (3代目)|3代目三遊亭金馬]]などが挙げられる。 == 首都圏・中京・関西圏以外に拠点を移した落語家 == 上記を除く。落語家として現役の者のみ。 *[[三遊亭洋楽]]([[函館市]]議会議員) *[[桂七福]](徳島。[[徳島県]]観光協会理事) *[[桂米蔵]](山梨県) *[[桂枝光|2代目桂枝光]](北海道。著書『お笑い屯田兵ただ今奮闘中』。前名桂小つぶ) *[[桂米裕]](落語修行中に[[住職]]になった。岡山県[[矢掛町]]の住職。) また[[三遊亭歌笑#4代目|4代目三遊亭歌笑]]はすでに帰京。[[笑福亭笑子]]は一時大阪で活動していたものの再度[[シンガポール]]に移住(彼女はもともとシンガポールで[[アナウンサー]]をしていたところ[[笑福亭鶴笑]]の高座を見て感動し弟子入りする。鶴笑が[[ロンドン]]に移住しても夫、子供を連れてロンドンへ移住。今回のシンガポール移住は夫の転勤に伴うもの)。 == 政治家になった落語家 == *[[林家とんでん平]]([[札幌市]]議会議員。著書『真心あかね雲』) *[[三遊亭窓里]]([[川越市]]議会議員)著書『三遊亭窓里の自画自賛』 *[[三遊亭らん丈]]([[町田市]]議会議員) *[[桂三発]]([[津市]]議会議員、旧[[安濃町]]議会議員) 窓里(師:6代目圓窓)、らん丈(師:圓丈)、前項の洋楽(師:5代目圓楽)は奇しくも6代目圓生の孫弟子であり、年代とキャリアも同世代。 桂三発は町議会議員も勤めたことがある(市町村合併に伴い失職)。 国政では、[[立川談志]]は[[1971年]](昭和46年)の[[第9回参議院議員通常選挙]][[全国区]]に[[無所属]]で立候補し当選([[1969年]](昭和44年)にも[[衆議院選挙]]旧・東京都第8区に無所属で立候補し落選)。[[2011年]](平成23年)現在では落語界唯一の[[国会議員]]経験者であり、のちに[[自由民主党]]へ入党し、[[1975年]]に[[三木内閣]]の[[沖縄開発庁|沖縄開発]][[政務次官]]を務めている(但し、舌禍により在任36日で辞任)。 [[月亭可朝]]は参議院選挙に2回出馬(談志と同じく1971年(昭和46年)[[第9回参議院議員通常選挙]][[全国区]]に無所属で出馬と[[2001年]](平成13年)[[第19回参議院議員選挙]]に[[自由連合 (政党)|自由連合]]公認で出馬)してすべて落選している。[[桂きん枝]]も[[2010年]](平成22年)[[第22回参議院議員通常選挙]]比例代表区に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]公認で出馬したが落選した。 == かつてプロ落語家だった著名人 == 落語家から寄席の色物(漫才・漫談・物まね・コント等)に転じたケースを除く。またアマチュア落語家として入門したケース、既に名を成した芸能人等が落語もやる場合も除く。 *[[永井荷風]](三遊亭夢之助)(注:三笑亭ではありません) *[[乙田東洋司]](三遊亭扇生) *[[和多田勝]](笑福亭小つる) *[[宗矢樹頼]](三遊亭窓矢) *[[伊集院光]]([[三遊亭楽大]]) *[[嘉門達夫]](笑福亭笑光) *[[クーペ (歌手)|クーペ]](林家クーペ) *[[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]](立川談かん) *[[上田信彦]](桂ましゅ麿) *[[明石家さんま]](笑福亭さんま) *[[万田さざめ]](桂三来寿) == 親子落語家 == (二世落語家) *[[坊ちゃん5]] **[[林家正蔵#7代目|7代目林家正蔵]] - [[林家三平 (初代)|初代林家三平]] - [[林家正蔵 (9代目)|9代目林家正蔵]]・[[林家三平 (2代目)|2代目林家三平]] - [[林家たま平]] **[[林家木久扇]](初代林家木久蔵) - [[林家木久蔵 (2代目)|2代目林家木久蔵]] **[[三遊亭好楽]] - [[三遊亭王楽]] **[[桂春蝶 (2代目)|2代目桂春蝶]] - [[桂春蝶 (3代目)|3代目桂春蝶]] **[[月亭八方]] - [[月亭八光]] *[[橘家圓太郎#初代|初代橘屋圓太郎]] - [[三遊亭圓朝]] *[[三遊亭金勝]] - [[柳家金語楼]]・[[昔々亭桃太郎#先代(自称24代目)|先代昔々亭桃太郎]] *[[林家染語楼 (3代目)|3代目林家染語楼]] - [[林家染語楼 (4代目)|4代目林家染語楼]] - [[林家市楼]] *[[三遊亭圓右#初代|初代三遊亭圓右]] - [[三遊亭圓右#2代目|2代目三遊亭圓右]] *[[三遊亭圓左#初代|初代三遊亭圓左]] - [[三遊亭圓左 (2代目)|2代目三遊亭圓左]] *[[三遊亭金朝#2代目|2代目三遊亭金朝]] - [[三遊亭金朝#3代目|3代目三遊亭金朝]] *[[桂文治 (初代)|初代桂文治]] - [[桂文治 (2代目)|2代目桂文治]] *[[桂文治#3代目|3代目桂文治]] - [[桂文治#4代目|江戸4代目桂文治]] - [[桂文治 (6代目)|6代目桂文治]]・[[桂文之助|4代目桂文之助]] - [[桂文之助#5代目|5代目桂文之助]] *6代目桂文治 - [[桂文治 (8代目)|8代目桂文治]](養子) *[[三遊亭圓生 (4代目)|4代目三遊亭圓生]] - [[橘家小圓喬]] *[[桂才賀 (2代目)|2代目桂才賀]] - [[桂文楽 (5代目)|5代目桂文楽]]・[[春風亭傳枝]] *[[三遊亭萬橘#2代目|2代目三遊亭萬橘]] - [[柳家小せん#初代|初代柳家小せん]] *[[麗々亭柳橋 (3代目)|3代目麗々亭柳橋]](後の[[春錦亭柳桜]]) - [[麗々亭柳橋 (4代目)|4代目麗々亭柳橋]]・[[麗々亭柳橋 (5代目)|5代目麗々亭柳橋]] *[[笑福亭松右衛門]] - [[桂文屋]] *[[笑福亭松鶴 (5代目)|5代目笑福亭松鶴]] - [[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]] - [[笑福亭枝鶴 (5代目)|5代目笑福亭枝鶴]] *[[笑福亭松鶴 (5代目)|5代目笑福亭松鶴]] - [[和多田勝|笑福亭小つる(和多田勝)]](孫) *[[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]] - [[金原亭馬生 (10代目)|10代目金原亭馬生]]・[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]] *[[桂春団治 (2代目)|2代目桂春團治]] -[[桂春団治 (3代目)|3代目桂春團治]] *[[三遊亭圓麗]] - [[三遊亭小圓朝#2代目|2代目三遊亭小圓朝]] - [[三遊亭小圓朝#3代目|3代目三遊亭小圓朝]] *[[三遊亭圓之助#3代目|3代目三遊亭圓之助]] - [[三遊亭小圓朝#4代目|4代目三遊亭小圓朝]] *[[三遊亭圓之助#初代|初代三遊亭圓之助]] - [[立川志らく|朝寝坊志らく]] *[[三笑亭可楽#2代目|2代目三笑亭可楽]] - [[三笑亭可楽#3代目|3代目(武正可楽)三笑亭可楽]](養子) *[[蜃気楼龍玉#2代目|2代目蜃気楼龍玉]] - [[三遊亭小圓遊#3代目|3代目三遊亭小圓遊]] *[[桂三木助 (3代目)|3代目桂三木助]] - [[桂三木助 (3代目)|4代目桂三木助]] *[[桂三木助 (3代目)|3代目桂三木助]] - [[桂三木男]](孫) *[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]] - [[桂米團治 (5代目)|5代目桂米團治]] *[[柳家蝠丸#初代|初代柳家蝠丸]] - [[桂文治 (10代目)|10代目桂文治]] *[[桂文治 (9代目)|9代目桂文治]] - [[翁家さん馬#10代目|10代目翁家さん馬]](養子) *[[雷門助六#6代目|6代目雷門助六]] - [[雷門助六#8代目|8代目雷門助六]] *[[古今亭圓菊]] - [[古今亭菊生]] *[[柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さん]] - [[柳家小さん (6代目)|6代目柳家小さん]] *5代目柳家小さん - [[柳家花緑]](孫) *[[柳家つばめ (5代目)|6代目柳家つば女]] - [[柳家小きん (11代目)|11代目柳家小きん]] *[[三遊亭金馬 (4代目)|4代目三遊亭金馬]] - [[三遊亭金時]] *[[三遊亭圓窓#6代目|6代目三遊亭圓窓]] - [[三遊亭窓輝]] *[[桂福團治#4代目|4代目桂福團治]] - [[桂福若]] *[[桂猫丸|2代目桂猫丸]] - [[桂枝太郎#初代|初代桂枝太郎]] *[[桂枝雁]] - [[桂燕太郎]] *[[桂文昇#2代目|2代目桂文昇]] - [[桂福團治#2代目|2代目桂福團治]](養子) *[[桂文吾#3代目|3代目桂文吾]] - [[桂小文吾#初代|初代桂小文吾]] *柳亭左楽 - [[気取家延若]] *[[桂團輔]] - [[桂文吾#5代目|5代目桂文吾]] *[[桂團丸]] - [[桂小春団治|初代桂小春團治]] *[[露の五郎兵衛#2代目|2代目露の五郎兵衛]] - 露のききょう([[綾川文代]]) *[[月亭都勇]] - [[三遊亭圓馬#3代目|3代目三遊亭圓馬]] *[[月の家満月]] - [[三遊亭圓馬#4代目|4代目三遊亭圓馬]] *[[林家菊丸#初代|初代林家菊丸]] - [[林家菊丸#2代目|2代目林家菊丸]]・[[林家花丸]] *[[林家うさぎ]] - [[林家花丸|笑福亭花丸]](林家花丸) *[[五明楼玉輔#初代|初代五明楼玉輔]] - [[入船亭扇橋#4代目|4代目入船亭扇橋]] *[[金原亭馬きん#初代|初代金原亭馬きん]] - [[五明楼玉輔#3代目|3代目五明楼玉輔]] *浅草亭馬道 - [[金原亭馬生 (5代目)|5代目金原亭馬生]] *[[桂文三 (3代目)|3代目桂文三]] - [[桂文三#4代目|4代目桂文三]] *[[桂文都 (3代目)|3代目桂文都]] - [[桂文都#4代目|4代目桂文都]] *[[三笑亭吾妻#2代目|2代目三笑亭吾妻]] - [[三笑亭芝楽#上方各代|2代目三笑亭芝楽]] *[[桂文之助#上方各代|2代目桂文之助]] - [[笑福亭福松#3代目|3代目笑福亭福松]] *[[笑福亭松之助|2代目笑福亭松之助]] - [[明石家のんき]] - [[明石家ぽんた]] *[[柳亭痴楽 (5代目)|5代目柳亭痴楽]] - [[柳亭小痴楽#3代目|3代目柳亭小痴楽]] *[[三遊亭圓楽 (6代目)|6代目三遊亭圓楽]] - [[会一太郎|三遊亭一太郎]] *[[桂梅團治 (4代目)|4代目桂梅團治]] - [[桂小梅]] *[[林家小染 (5代目)|5代目林家小染]] - [[林家染八#当代の染八|3代目林家染八]] *[[柳家三好]] - [[橘家圓好#4代目|4代目橘家圓好]] *[[三遊亭圓生 (5代目)|5代目三遊亭圓生]] - [[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]](義理の息子) *[[入船亭扇橋#8代目|8代目入船亭扇橋]] - [[柳亭燕枝 (3代目)|3代目柳亭燕枝]] *[[春風亭柳條#初代|初代春風亭柳條]] - [[立花家花橘#初代|初代立花家花橘]] - [[春風亭柳橘]] *[[三升家勝次郎#初代|初代三升屋勝次郎]] - [[三升家勝次郎#2代目|2代目三升屋勝次郎]] *[[鼠遊亭鉄扇#2代目|2代目鼠遊亭鉄扇]] - [[柳亭左楽#3代目|3代目柳亭左楽]] *[[桂鯛助]] - [[三遊亭新朝#5代目|5代目三遊亭新朝]] *[[林家木鶴#2代目|2代目林家木鶴]] - [[桂文三 (2代目)|2代目桂文三]](養子) == 代表的な落語家 == その他の落語家については[[落語家一覧]]を参照。 ; [[三遊亭圓朝|初代三遊亭圓朝]](さんゆうていえんちょう) : 父は[[橘家圓太郎|初代橘家圓太郎]]。江戸末期から明治にかけて活躍した落語家。落語筆記や寄席の近代化、新作落語など、落語の近代化に尽くしたため、中興の祖として仰がれる。講談的な人情噺を得意とした。『牡丹燈籠(ぼたんどうろう)』、『芝浜』、『真景累が淵(しんけいかさねがふち)』、『乳房榎(ちぶさえのき)』などが代表作である。 : 明治期の名士であり、[[夏目漱石]]の小説などにも描かれた。墓は谷中にある。 ; [[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]](ここんていしんしょう) : 旧旗本美濃部家の息子だが、遊びが過ぎて勘当され、芸を志す。当初は落語だけでなく[[講談]]もやっていたが、一向に芽が出ず、赤貧生活が続いた。当時の様子は『なめくじ艦隊』に詳しい。講談も含め芸名を15回変えたことでも有名。 : 戦争中、[[三遊亭圓生_(6代目)|6代目三遊亭圓生]]と共に[[満州]]巡業に出かけ、そのまま行方不明。戦後、引揚げてから人気落語家になる。十八番に『火焔太鼓』、『唐茄子屋』など。6代目三遊亭圓生をして「道場なら勝てるが、真剣で立会ったら私が斬られる」と言わしめた。 : 高座で酔って寝込むなどエピソードも多い。長男は[[金原亭馬生 (10代目)|10代目金原亭馬生]]、次男は[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]、孫は[[俳優|女優]][[池波志乃]]。 ; [[桂文楽 (8代目)|8代目桂文楽]](かつらぶんらく) : 8代目桂文楽・5代目古今亭志ん生は並んで昭和の落語界を支えた。 : 8代目桂文楽の芸は緻密で、演目は少なかったが絶品とされた。芸に対しては自分にも他人にも厳しかった。本来は桂文楽の「六代目」に当るが、八は末広がりで縁起がいいということで、勝手に八代目と名乗った。代表的な演目は『明烏(あけがらす)』、『鰻の幇間(うなぎのたいこ)』等。 : その芸は一点の狂いもなく行われるのが特徴だったが、1971年(昭和46年)[[国立小劇場]]で『大仏餅』を口演中に登場人物の「神谷幸右衛門」の名前が出てこなくなり「もう一度勉強し直して参ります」と客席に詫びて高座を降りた。以後、高座に上ることなく同年12月に没した。[[上野]][[下谷区#沿革|西黒門町]](現[[東京都]][[台東区]]上野1丁目)に住まいがあったため、「黒門町」とも呼ばれた。8代目桂文楽が会長であった[[落語協会]]も旧西黒門町にある。 ; [[林家三平 (初代)|初代林家三平]](はやしやさんぺい) : 「よしこさーん」などの歌謡フレーズ、ギャグや駄洒落を取り入れたスタイルで、高度成長期に一世を風靡した落語家。[[客いじり]]が絶妙で、彼の寄席は常に爆笑の渦であった。落語とバラエティ番組の接点を切り開いたタレントとしても知られる。 : 父([[林家正蔵#7代目|7代目林家正蔵]])に落語の手ほどきを受けるが、父の死後はかつて父の弟子であった[[月の家圓鏡|4代目月の家圓鏡]](後の[[橘家圓蔵 (7代目)|7代目橘家圓蔵]])に師事する。 : 若い頃は芸が未熟と指摘もあったが、大衆の人気は絶大であった。大病から復帰するが間もなく[[肝臓ガン]]で死去。正蔵襲名は遂にかなわず、柳家小三治や月の家圓鏡などの襲名のすすめも辞退し(5代目柳家小さん『咄も剣も自然体』より)、生涯一つ名で通した。[[享年]]54。代表的な演目は『源平盛衰記』。 : 弟子として[[林家こん平]]や[[林家ペー]]等。息子に[[林家正蔵 (9代目)|9代目林家正蔵]](長男)、[[林家三平 (2代目)|二代・三平]](次男)、娘はタレント[[海老名美どり]]([[峰竜太]]夫人)、[[泰葉]]([[春風亭小朝]]元夫人)、妻はエッセイスト[[海老名香葉子]](えびな かよこ)。 ; 落語四天王(らくごしてんのう) :# 当時、消えかかっていた上方落語の復興に尽力した、[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]・[[桂春団治 (3代目)|3代目桂春團治]]・[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]・[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]]の総称。 :# 1960年代にテレビを中心にして起こった演芸ブームで台頭した、東京の当時の若手落語家[[立川談志|7代目立川談志]]・[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]・[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]・[[春風亭柳朝 (5代目)|5代目春風亭柳朝]]の総称(落語評論家の[[川戸貞吉]]は5代目春風亭柳朝を排して[[橘家圓蔵 (8代目)|8代目橘家圓蔵]]を加えていた)。 ; [[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]](かつらしじゃく) : [[上方落語]]の立役者。神戸出身。元々は実弟と素人[[漫才]]でならしたが、大学時に落語に転向し、[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]に入門、師匠譲りの古典落語を演じる。しかし古典の美学を究めるより、笑いを求めて精進の結果、「爆笑王」の異名を取る。 : 「緊張の緩和」によって笑いが起こるとした。弟子や妻子にも恵まれたが、<!--路線の違いを巡って師匠と絶縁したり、-->晩年は芸に悩んで[[うつ病]]になった。『貧乏神』『茶漬け閻魔』など、[[創作落語]]も多い。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[寄席]] * [[落語家の亭号一覧]] * [[落語家一覧]] * [[三遊派]] * [[柳派]] * [[桂派]] * [[笑点]] {{DEFAULTSORT:らくこか}} [[Category:落語|*らくこか]] [[Category:落語家|*らくこか]]
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