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華国鋒
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{{政治家 |人名 =華国鋒 |各国語表記 =华国锋<br/>Hua Guofeng |画像 = Hua Guofeng-1.jpg |画像説明 = 華国鋒(1978年) |国略称 ={{PRC}} |生年月日 ={{生年月日と年齢|1921|2|16|死去}} |出生地 ={{CHN1912}}、[[山西省 (中華民国)|山西省]][[交城県]] |没年月日 ={{死亡年月日と没年齢|1921|2|16|2008|8|20}} |死没地 =[[ファイル:Flag of the People's Republic of China.svg|25px]] [[北京市]] |出身校 = |前職 = |現職 = |所属政党 =[[File:Flag of the Chinese Communist Party.svg|25px]] [[中国共産党]] |称号・勲章 = |親族(政治家) = |配偶者 =韓芝俊 |サイン = Hua Guofeng Signature.svg |ウェブサイト = |サイトタイトル = |国旗 =中華人民共和国 |職名 =第2代[[国務院総理]] |内閣 =華国鋒内閣 |就任日 =[[1976年]][[4月7日]] |退任日 =[[1980年]][[9月10日]]<br><small>1976年[[2月2日]] - 1976年4月7日まで、国務院総理代行</small> |元首職 = |元首 = |国旗2 =中華人民共和国 |職名2 =[[中華人民共和国国務院|国務院]]副総理 |内閣2 =[[周恩来]]内閣 |就任日2 =[[1975年]]1月 |退任日2 =1976年4月7日 |元首職2 = |元首2 = |国旗3 =中華人民共和国 |職名3 =第4代[[中華人民共和国公安部|公安部長]] |内閣3 = |就任日3 =[[1973年]]10月 |退任日3 =[[1977年]]3月 |元首職3 = |元首3 = |国旗4 = |職名4 =第2代[[中国共産党中央委員会主席]] |内閣4 = |就任日4 =1976年[[10月7日]] |退任日4 =[[1981年]][[6月29日]] |元首職4 = |元首4 = |国旗5 = |職名5 =第2代[[中国共産党中央軍事委員会主席]] |内閣5 = |就任日5 =1976年10月7日 |退任日5 =1981年6月29日 |元首職5 = |元首5 = }} {{中華圏の人物 | 名前=華国鋒 | 画像= | 画像の説明= | 出生= | 死去= | 出身地= | 職業= | 簡体字=华国锋 | 繁体字=華國鋒 | ピン音=Huà Guófēng | 注音= | 和名=か こくほう | 発音=ホワ・クオフォン | ラテン字= | 英語名= }} {{中華人民共和国}} '''華 国鋒'''(か こくほう、ホワ・クオフォン、[[1921年]][[2月16日]] - [[2008年]][[8月20日]])は[[中華人民共和国]]の政治家。[[国務院総理]](首相)、[[中国共産党中央委員会主席]]などを務めた。原名は'''蘇鋳'''。華国鋒という名前は、[[日中戦争]]時に彼が属していた「中華抗日救国先鋒隊」から取られた。 == 経歴 == === 初期の政治活動 === [[山西省]]交城県で生まれた華国鋒は、日中戦争が始まると抗日活動に身を投じ、[[1938年]]に交城県犠牲同盟抗日遊撃隊に参加。このとき、彼が属した「中華抗日救国先鋒隊」にちなんで、本名の蘇鋳から華国鋒へ改名している。同年、[[中国共産党]]に入党。[[1940年]]、故郷で抗日救国連合会の主任を務め、後に共産党の同県書記となった。[[1949年]]の中華人民共和国成立後は、[[毛沢東]]の故郷である[[湖南省]][[湘潭県]]などで党委員会書記を務め、[[文化大革命]]では湖南省党委第一書記となり、毛沢東の忠実な部下として昇進した。そのことや外見などから、毛沢東の隠し子ではないかといわれたこともある。 === 党主席就任 === [[1969年]]の第9回党大会で[[中国共産党中央委員会|中央委員]]となった華国鋒は、[[1973年]]の第10期党中央委員会第1回全体会議(第10期1中全会)で[[中国共産党中央政治局|中央政治局]]委員に昇格。同年、[[中華人民共和国公安部|公安部長]](大臣)に就任。[[1975年]]には[[中華人民共和国国務院|国務院]]副総理(副首相)に昇進。党内序列は第11位であった。[[1976年]]に[[周恩来]]が死去すると、後継の[[国務院総理]]兼党中央委員会第一副主席・中央政治局常務委員に抜擢された。国務院総理には[[張春橋]](当時、国務院第二副総理)、党第一副主席には[[王洪文]](当時、第二副主席)が有力視されていたが、それを抑えての就任だった。 [[1976年]][[4月30日]]、毛沢東から「あなたがやれば、私は安心だ({{lang|zh-cn|你办事,我放心}})」という委託を受けたとされている<ref>このことについて中国共産党中央文献研究室の『毛沢東伝』では否定されている。これは当時毛沢東の私設秘書であった張玉鳳の手記を引用したもので、国際問題について尋ねた華国鋒に「既定の方針にしたがってやれ」「あなたがやれば私は安心だ」と言ったに過ぎず、事実に合わないとの見解を党は示している。一方で、上述の毛沢東の言葉は、華国鋒が四人組の攻撃に耐え切れずに毛沢東に辞意を示したときに、声の出なくなった毛沢東が紙に書き、その後の政治局会議でその紙を政治局員らに見せ、攻撃を乗り切ったとする説もある。</ref>。 同年[[9月9日]]、毛沢東が死去。[[10月6日]]、文化大革命の主導者であった[[江青]]や張春橋らの[[四人組 (中国史)|四人組]]を逮捕。これにより、毛沢東の死後に激化していた党内対立を一気に解決し、文化大革命を事実上終結させた。翌[[10月7日]]、党主席・中央軍事委員会主席に就任。[[1977年]]8月の第11回党大会において、1966年以来11年にわたった文化大革命の終結を宣言した。 権力基盤の脆弱な華国鋒は、常に毛沢東の威光を借りようとした。1976年11月には[[毛主席紀念堂]]を着工して、翌年9月の死去1周年に完成させており、建物の正面に「毛主席紀念堂」の金文字の揮毫を自ら行っている。1977年10月には「[[二つのすべて]]({{lang|zh-cn|两个凡是}})」の方針を示し、文化大革命には是々非々の立場を表明したが、かつて実権派として失脚・迫害された[[トウ小平|鄧小平]]らからの強い批判を浴びた。 === 失脚 === [[1978年]]12月に行われた[[中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議|第11期3中全会]]で、中国共産党のトップとしての実権を[[トウ小平|鄧小平]]に奪われ、[[1980年]]に首相を、そして翌[[1981年]]には党主席を辞任した。[[1982年]]に党主席ポストが廃止されるまで、序列6位の副主席に降格。四人組ほど急進的でなかったものの、「文革色」の残る政治家であった華国鋒は、鄧小平らと権力闘争を展開し、最終的に追い落とされて失脚させられたといわれる。 その後も、[[2002年]]11月に引退するまで中国共産党中央委員を務めた。外国メディアとの接触は断ち、中国国内でその動静を伝えられることは極めて稀であったが、ある程度の政治的活動は認められていたと考えられている。これは、鄧小平らとの権力闘争に敗れることを予測してからは泥沼の権力闘争をせずに身を引いたことが中国の混乱を防止したとして、鄧らから一定の評価を受けたためとされる。 === 引退後 === [[2004年]]2月、中国共産党に離党届を提出したと一部メディアが報道したが、[[2007年]]10月、「中共元老」として[[中国共産党第十七回全国代表大会|第17回党大会]]に招待され参加していることから、実権を失ってからも一定の待遇を受けていたと考えられる。 [[2008年]][[8月20日]]午後0時50分ごろ([[中国標準時]])、病気のために北京市内の病院で死去した。 == 指導者としての評価 == === 内政 === 首相や党主席に就任した時は文化大革命の末期で、混乱した中国社会の再建が急務であった。最初の行動が四人組の逮捕であり、その後も共産党の指導性を維持しつつ、社会の安定を取り戻そうとする試みを続けた。 ただし、彼自身が文化大革命の時期に台頭し、[[毛沢東思想]]の信奉者であったため、四人組に連なる党内左派の排除は緩やかであり、その一方では鄧小平ら右派の台頭も抑え込めなかったため、党内では不安定な立場のままだった。その曖昧さは経済運営にも反映され、[[人民公社]]の解体は慎重に進められた。この時期は、中国が鄧小平の指導で改革・開放政策による急速な経済発展へと進む、前段階であったとも言える。 党主席に就任した後は、毛沢東の肖像画の隣に自らの肖像画を飾った。また、個人崇拝の絵が存在している(鄧小平の肖像画や絵はほとんど存在しない)[http://www.iisg.nl/~landsberger/hgf.html]。 一方、彼が行った四人組の逮捕と文化大革命の終結がなければ、後の[[改革開放]]は数年は遅れていたものと考えられている。また金銭的には清廉で、権力を利用して利益を自らに誘導することはなかったとされている。そのため、後に官僚の腐敗が横行する中で、一部で根強い人気を維持した。 === 外交 === 毛沢東・周恩来時代の末期の外交路線を踏襲し、[[アメリカ合衆国]]との接近と[[ソビエト連邦]]との対決を進めた。 [[1979年]]1月にはアメリカ([[ジミー・カーター]]大統領)との国交を樹立し、中華人民共和国が「中国を代表する唯一の正統政府」であるという立場を認めさせて、[[台湾]]の[[中華民国]]政府との外交関係を断絶させた。ただしアメリカは、中華民国との実質的な協力関係を維持し、中華人民共和国は、アメリカによる中華民国への軍事援助などを止めさせることはできなかった。 また、[[日本]]([[福田赳夫]]首相)との間では、[[1978年]]に[[日中平和友好条約]]を締結し、戦争状態を完全に終結させた。[[1980年]]には、中華人民共和国のトップとして初めて日本を公式訪問した。東京での公式行事のあと、[[京都市]][[嵐山]]の[[亀山公園 (京都市)|亀山公園]]に前年に建立されたばかりの周恩来の詩碑を訪問している。なお、同年7月にも[[大平正芳]]首相の葬儀参列のため、再び訪日している。 一方、ソビエト([[レオニード・ブレジネフ]]共産党書記長)との対立は依然として厳しく、国境では[[人民解放軍]]の大軍がソビエトの侵攻に備えた。日中平和友好条約締結の際には、中国側がソビエトを念頭に「覇権主義への反対」を条文として盛り込むように要求し、「第三国」という表記で決着するという事態になった。 また、[[1979年]]1月にソビエトの支援を受けた[[ベトナム]]が、[[カンボジア]]に侵攻して[[ポル・ポト]]政権([[民主カンボジア]])を倒すと、ポル・ポト政権と関係の深かった中国は激しく反発し、すぐさま「懲罰」と称してベトナムに侵攻した([[中越戦争]])。ただし人民解放軍は大きな損害を出し、中途半端な状態で戦争を終わらせてしまい、軍事・外交の両面で得るものはなく終わった。その後も、カンボジア内戦ではポル・ポト派を支援し、ベトナムとの外交関係は断絶したままであった。 == 四人組逮捕と華国鋒 == これまで四人組の逮捕については、[[葉剣英]]中央軍事委員会副主席が中心となって画策し、逡巡する華国鋒に決断を迫ったという見方があった(『毛沢東秘録』産経新聞社)。{{要出典範囲|date=2012年1月|しかし最近、自らが毛沢東死去の翌日に四人組逮捕を決断し、葉剣英ら党の長老に根回しをしたと華国鋒本人が証言したことが明らかになった}}。ただし、四人組逮捕について積極的な評価が定まってからの発言であることにも留意しなくてはならない。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[大地の子]]([[山崎豊子]]の小説。華国鋒をモデルとした人物が登場する) {| class="wikitable" style="margin:0 auto" |- ! {{Flagicon|CHN}}[[中華人民共和国]] {{先代次代|[[国務院総理]]|[[1976年]] - [[1980年]]|[[周恩来]]|[[趙紫陽]]}} {{先代次代|[[中華人民共和国公安部|公安部長]]|[[1973年]] - [[1977年]]|[[李震]]|[[趙蒼壁]]}} |- ! [[File:Flag of the Chinese Communist Party.svg|25px]][[中国共産党]] {{先代次代|[[中国共産党中央委員会主席|中央委員会主席]]|[[1976年]] - [[1981年]]|[[毛沢東]]|[[胡耀邦]]}} {{先代次代|[[中国共産党中央軍事委員会主席|中央軍事委員会主席]]|[[1976年]] - [[1981年]]|[[毛沢東]]|[[鄧小平]]}} {{先代次代|[[中国共産党中央委員会|中央委員会]]第一副主席|[[1976年]]|[[周恩来]]<br /><small>(副主席筆頭)</small>|[[葉剣英]]<br /><small>(副主席筆頭)</small>}} |- |} {{中華人民共和国の最高指導者}} {{中国共産党党首}} {{中華人民共和国国務院総理}} {{DEFAULTSORT:か こくほう}} [[Category:中華人民共和国の政治家]] [[Category:国務院総理]] [[Category:中国共産党の人物]] [[Category:山西省出身の人物]] [[Category:1921年生]] [[Category:2008年没]]
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