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荒武宗幸
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'''荒武 宗幸'''(あらたけ むねゆき、生没年不詳)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。日向[[伊東氏]]の家臣。受領名は兵庫頭。入道名は歓久。 荒武氏は「都於郡四天衆」と呼ばれる[[日向国]][[都於郡]]土着の豪族。伊東氏の日向入部以来、代々伊東家当主の重臣、近習、小姓などを輩出した。 [[天文 (元号)|天文]]18年([[1549年]])[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]、[[島津忠広 (豊州家)|島津忠広]]と[[伊東義祐]]は節句を理由に一時休戦し、相撲興行を行うことになった。島津方からは強力無双の中馬武蔵守を、伊東方からは宗幸を出し勝負に及んだところ、組み合いの果てに最後は宗幸が組み伏せ、ついに中馬の首を取った。若者たちはこれを誉めそやしたが、「めでたい節句だからこそ休戦したのであって、首を取ったのは非道である」との声も上がったという。これに憤慨した島津方は薩摩に使いを送り、守護家に援軍を求めた。これに応じて[[伊集院忠朗]]が日向入りし、伊東軍に奇襲をかけて散々に破ったので伊東方は総退却となり、数年に渡って続いた飫肥侵攻は一度目の頓挫を迎えた。 {{DEFAULTSORT:あらたけ むねゆき}} [[Category:戦国武将]] [[Category:日向国の人物]]
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