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'''荒井 宣行'''(あらい のぶゆき、[[天保]]3年([[1832年]]) - [[明治]]39年([[1906年]])[[8月25日]])は、[[幕末]]の[[仙台藩]]士で、[[額兵隊]]隊士。通称は'''平之進'''。変名、'''橋本左京'''。'''左馬之助'''とも。雅号は'''千歳庵一叟'''。 == 経歴 == [[星恂太郎]]率いる[[額兵隊]]に入隊して頭取・裁判役などを務めて[[戊辰戦争]]を戦い、仙台藩恭順後は[[榎本武揚]]ら旧幕府軍と行動を共にして[[蝦夷地]]へ渡る。 蝦夷地上陸時、額兵隊が[[土方歳三]]の配下となったため出陣して[[松前藩|松前]]攻めに活躍。蝦夷地平定後は大野村([[北海道]]の旧村)を守備して、新政府軍と旧幕府軍が明治2年([[1869年]])4月より決戦を開始すると[[木古内]]口に出兵して徹底抗戦を続けた。しかしついに敗走となり、箱館総攻撃では[[千代ヶ岡陣屋]]に出陣したが敗退。5月18日、旧幕府軍は全面降伏となる。 [[称名寺 (横浜市)|称名寺]]や[[弁天台場]]で謹慎となり、明治3年([[1870年]])4月に赦免。当初仙台藩は荒井ら脱藩士達の帰藩を望まない姿勢を取っていたが、7月には帰国を許された。 後、郵便局長などを務めて生活していた。 明治39年、死去。[[享年]]75。俳諧を好んだと言う。 墓所は[[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]北山喜伝山[[秀林寺]]。 == 辞世の句 == *散る華を 途(みち)連れにして 吹れけり {{DEFAULTSORT:あらい のふゆき}} [[Category:幕末仙台藩の人物]] [[Category:戊辰戦争の人物]] [[Category:額兵隊の人物]] [[Category:箱館戦争の人物]] [[Category:江戸時代の俳人]] [[Category:捕虜となった人物]] [[Category:郵便に関する人物]] [[Category:宮城県出身の人物]] [[Category:1832年生]] [[Category:1906年没]]
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