コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
草津宿のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
草津宿
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[画像:Tokaido52 Kusatsu.jpg|thumb|right|250px|[[歌川広重]]『東海道五十三次・草津』]] [[画像:Kisokaido68 Kusatsu.jpg|thumb|right|250px|歌川広重『木曽街道六十九次・草津』]] '''草津宿'''(くさつしゅく、くさつじゅく<!--いずれかの読みが著しく妥当性を欠く場合は適宜除去して下さい-->)は、[[東海道五十三次]]の52番目の[[宿場]]である。現在は[[滋賀県]][[草津市]]。本陣は国の[[史跡]]に指定されている。[[中山道]]が、ここで合流する。 東海道の江戸方からは、草津川を越えて、堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続き、中山道との合流点に至る。ここで左折し、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町である。中山道からは、[[天井川]]である[[草津川|旧草津川]]をトンネルで抜けると追分に至るが、トンネルができたのは[[明治]]19年([[1886年]])のことである。 == 概略 == [[天保]]14年([[1843年]])の『東海道宿村大概帳』によれば、草津宿の宿内家数は586軒、うち[[本陣]]2軒、[[脇本陣]]2軒、[[旅籠]]72軒で宿内人口は2,351人であった。 == 最寄り駅 == *JR[[東海道本線]]・[[草津線]] [[草津駅 (滋賀県)|草津駅]] *大津宿に至るまでの東海道本線には、[[南草津駅]]・[[瀬田駅 (滋賀県)|瀬田駅]]・[[石山駅]]・[[膳所駅]]がある。また、石山からは[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]]の[[京阪石山坂本線|石山坂本線]]も並行している。 == 史跡・みどころ == [[ファイル:Kusatsujuku Kusatsu Shiga Pref01n4592.jpg|thumb|現在の草津宿]] *追分道標 :[[追分]]とは道の分かれるところを指す言葉である。草津宿にある東海道と中山道との分岐点を「追分」といい、そこに立てられている[[道標]]を「追分道標」という。 *[[高札場]] *[[本陣]]:2軒〔田中七左衞門(七左衞門本陣、別名:木屋本陣)・田中九蔵(九蔵本陣)〕 **[[田中七左衞門本陣]](草津宿本陣) *:国の[[史跡]]。2軒あった本陣のうちのひとつで、現存する本陣としては最大級である。弘化三(1846)年の旧姿に復原され、[[平成]]8年([[1996年]])から一般公開されている。「大福帳」には、[[浅野長矩|浅野内匠頭]]、[[吉良義央|吉良上野介]]、[[土方歳三]]など歴史上重要な人物の名前も多く残る。 ※二川宿(豊橋市)本陣の書院棟は、現存する七左衞門本陣などの書院棟を参考に再現、改修復元工事された。 **[[田中九蔵本陣]] *:2軒あった本陣のうちのひとつで、現存しない。篤姫([[天璋院]])が、[[嘉永]]6年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]([[1853年]][[11月6日]])に御泊している。田中七左衞門本陣に残る大福帳の一節に、篤姫(天璋院)の記録が残る。 *[[脇本陣]]:2~4軒〔大黒屋弥助・藤屋與左衞門・仙台屋茂八・柏屋十(重)右衞門・平井屋彦右衞門〕 *:脇本陣は時代によって変遷はあるものの、2~4軒を数えていた。 **吉川芳樹園店舗兼主屋 *::旧藤屋與左衞門家の一部(北側のお宅とで1軒分)。江戸時代後期築、登録有形文化財。 *[[旅籠]] :[[天保]]年間([[1830年]]~[[1844年]])に72軒、多い時は132軒。宿場内の5~6軒に1軒は旅籠。 *[[貫目改所]] :草津宿には、正徳2年([[1712年]])に全国5か所に設けられた貫目改所があった。貫目改所は当宿のほか、東海道の[[品川宿]]・[[府中宿 (東海道)|府中宿]]、[[中山道]]の[[板橋宿]]・[[洗馬宿]]に置かれた。 *[[草津宿街道交流館]] *[[立木神社]] *[[黒門]]跡 *姥餅屋(うばもちや):浮世絵〔草津「名物立場」〕 :名所図会などにも描かれている「[[うばがもち]]」を商う茶屋(うばもちや)があった。現在は[[国道1号]]沿いに移転している。名物の「うばがもち」は、駅のコンコースや駅前などの店舗で購入できる。姥が餅屋の跡地には、現在「瓢泉堂」という瓢箪を商う店がある。また、この角が「矢橋道(やばせみち)」との分岐点である。[[矢橋]]から大津へ向かう琵琶湖の渡し船(矢橋渡し)は、[[瀬田の唐橋]]へ回るよりも速く、距離が短くすむことから人気があった。勢多の唐橋経由の陸路にくらべて、矢橋港から湖上(50町)で大津への航路は、「勢多へ廻れば三里の回りござれ矢橋の舟にのろ」と詠まれ、水運の安全が確保されたためか、多くの旅人に東海道の早道(脇道)として利用された。「武士のやはせのふねははやくともいそかはまはれせたのなかはし」と詠まれ、「急がば回れ」のことわざの語源になっている。 *[[小汐井神社]] *道灌蔵 <Gallery> ファイル:草津宿の追分.jpg|東海道(右折)と中山道(直進)の分岐点、草津追分。右側に道標 ファイル:Kusatsujuku-honjin Kusatsu Shiga Pref01s3s4500.jpg|草津宿本陣(国の史跡) </Gallery> ;大津宿までの史跡・みどころ *[[矢倉道標]] *一里塚跡(野路) *[[清宗塚]] *野路の[[玉川]] *一里塚跡(一里山) *近江国庁跡 *[[瀬田の唐橋|勢多の唐橋]](日本三大名橋・[[近江八景]]) *[[今井兼平]]墓 *[[膳所城]]跡 *[[義仲寺]](ぎちゅうじ) :[[源義仲|木曾義仲]]の供養塔と[[松尾芭蕉]]の墓が並んでいる。 :[[又玄]]「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。 == 参考文献 == *『中山道を歩く』 [[児玉幸多]] 著 中公文庫 1988年 ISBN 4-12-201556-1 == 隣の宿 == ;東海道 :[[石部宿]] - '''草津宿''' - [[大津宿]] ;中山道 :[[守山宿]] - '''草津宿 == 関連項目 == {{Commonscat|Kusatsu-juku Honjin}} *[[近畿の史跡一覧]] {{東海道}} {{中山道}} {{Coord|35|01|03.6|N|135|57|37.7|E|display=title|region:JP-25_type:landmark}} {{Japanese-history-stub}} {{DEFAULTSORT:くさつしゆく}} [[Category:東海道]] [[Category:中山道]] [[Category:宿場]] [[Category:滋賀県にある国指定の史跡]] [[Category:滋賀県の観光地]] [[Category:滋賀県の交通]] [[Category:草津市の建築物]] [[Category:草津市の歴史]] [[Category:近江国|宿くさつ]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Commonscat
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Coord
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Japanese-history-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:中山道
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:東海道
(
ソースを閲覧
)
草津宿
に戻る。
検索
検索
草津宿のソースを表示
話題を追加