コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
花隈城のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
花隈城
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Otheruses|かつて[[摂津国]]にあった'''花隈城'''|かつて[[土佐国]]にあった介良城の別郭である'''花熊城'''|介良城}} {{日本の城郭概要表| img = 画像:Hanakuma castle01s3200.jpg| img_capt = 花隈城模擬石垣(東側)| img_width =300px| name = 花隈城| pref = 兵庫県| ar_called = 花熊城、花隅城、鼻熊城| struct = [[平山城]]| tower_struct = 不明(天守が推定される)| builders = [[和田惟政]]か[[荒木村重]]| build_y = [[永禄]]11年([[1568年]])| revamp = なし| rulers = [[大河原具雅]]か[[荒木元清]]| reject_y = [[天正]]8年([[1580年]])| remains = なし| cultural asset = なし| rebuilding things = 模擬城・砦| location = {{ウィキ座標2段度分秒|34|41|17.011|N|135|10|58.352|E|scale:80000}}|| }} '''花隈城'''(はなくまじょう)は、[[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]の元町駅西方にあった[[城]]。別名は'''花熊城'''。 ==概要== [[画像:Hanakumajyo6365.JPG|thumb|left|公園内にある石碑]] 花隈城は「鼻隅城」と書くこともあった。これは[[六甲山]]の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、その稜線を「隅」で言い表したものである。またかつてはこの付近一帯のことを「花熊」と呼んでいたことも窺える。 [[永禄]]10年([[1567年]])、[[織田信長]]が[[荒木村重]]に命じて築かせたと言われているが、この時期信長はまだ入京しておらず[[摂津国|摂津]]に力を及ばす状況ではなかった。従って、翌永禄11年([[1568年]])10月に[[和田惟政]]に摂津を任した時に築いたか、[[天正]]2年([[1574年]])に[[石山本願寺]]と[[毛利氏]]との警戒用に荒木村重に命じて築城したのではないかという説もある。築城には[[近江国|近江]]の「[[穴太衆]]」を呼び出しかなりの[[石垣]]を使用し、1年程度で完成させたと言われている。 [[画像:花隈城9.jpg|thumb|left|城郭部分の拡大図]] [[天正]]6年([[1578年]])、村重が信長に反旗を翻したため([[有岡城の戦い]])、花隈城は荒木方([[伊丹城|有岡城]])の支城として戦ったが、[[池田恒興]]などに攻められて天正8年([[1580年]])に落城した。合戦の功によりこの地を与えられた池田恒興は[[兵庫城]]を築城したため、花隈城は[[廃城]]となった。兵庫城の築城にあたっては、花隈城の部材を転用したと伝えられている。 [[画像:花隈城8.jpg|thumb|300px|摂津国花熊之城図/岡山大学付属図書館所蔵]] 花隈城は[[岡山大学]]所蔵の「摂津花熊之城図」によると、中央部には[[本丸]]、二の丸、三の丸からなっており、本丸の西北隅に[[天守]]、東南隅に[[櫓]]があった。また東部には侍町2筋、足軽町は3筋、西部は町屋が4町ある。 推定地は、東は[[神戸市立神戸生田中学校]]辺り、西は花隈町と下山手通8丁目の境付近、北は[[県庁]]前道路付近、南は[[JR]]の高架下辺りの範囲であり、大規模な近世[[城郭]]に分類される。近くの福徳寺には「花隈城天守閣址碑」があり、この周辺が本丸跡地である。現在は、花隈城の本丸跡に、地下は駐車場、地上は公園となっている部分に「花隈城跡」と石碑がある。[[模擬石垣]]や模擬[[天守]]台があるが、規模からも花隈城を類推するものではなく、公園としての演出施設である。 すぐ南を[[JR神戸線]]が通っており、列車内からも石垣を見る事ができる。{{-}} == 花隈城の戦い == {{battlebox| |battle_name= 花隈城の戦い |image = |caption = |conflict= 城撃戦 |date= [[天正]]8年([[1580年]])[[3月2日 (旧暦)|3月2日]] - [[7月2日 (旧暦)|7月2日]] |place= 花隈城とその周辺 |result= [[織田信長]]軍[[ファイル:Oda emblem.svg|20px]]の勝利 |combatant1= [[池田恒興]]軍[[File:Ageha inverted.png|20px]]<br />[[紀伊国|紀伊]][[雑賀衆]] |combatant2= [[荒木村重]]軍[[File:Gyoyō Botan inverted.png|20px]] |commander1= [[池田恒興]][[File:Ageha inverted.png|20px]]<br />[[池田元助]][[File:Ageha inverted.png|20px]]<br />[[池田輝政]][[File:Ageha inverted.png|20px]] |commander2= [[荒木村重]][[File:Gyoyō Botan inverted.png|20px]]<br />[[大河原具雅]]<br />[[荒木元清]][[File:Gyoyō Botan inverted.png|20px]]<br />瓦林越後守 |strength1= 不明 |strength2= 不明 |casualties1 = 不明 |casualties2 = 不明 |campaign = |}} [[ファイル:Lkeda3.jpg|thumb|left|池田恒興画像/大阪城天守閣蔵]] 有岡城の戦いで有岡城を失い[[尼崎城]](大物城の事ではないかと思われる)も追われ、[[摂津国|摂津]]最後の城となった花隈城に逃げ込んだ[[荒木村重]]は文字通り「最後の砦」となった。 当時の城主は『常山記談』によると「[[荒木元清]]」との記載があるが、『中川文書』によると「[[大河原具雅]]」が城主で、その部下が荒木元清との記載もある。 荒木軍を追撃してきた[[池田恒興]]と嫡男の[[池田元助|元助]]は諏訪山に、次男の[[池田輝政|輝政]]は[[生田神社]]の森に、[[紀伊国|紀伊]][[雑賀衆]]の援軍は大倉山に花隈城を囲むようそれぞれ陣取った。 戦端は[[天正]]8年([[1580年]])[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]、荒木軍が花隈城より出撃して生田神社の森の池田輝政軍に攻めかかった。同時に周りの池田軍が花隈城へ攻撃、総大将の恒興自身も自ら5,6名程度を討ち取るなどかなりの乱戦になったが、結局勝敗はつかず両軍兵をひいた。 次の戦闘は同年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]、周りの草などで偽装して近づいてきた(偵察兵ではないかと思われる)池田輝政軍を花隈城兵が追い散らしたところに池田元助軍が加わり、更に池田恒興軍も加勢し、[[大手門]]周辺で大激戦になった。また別動隊が搦手より城内に侵入し、大手門を守る守備隊を背後から襲い、これに後詰の軍として待機していた紀州雑賀勢の援軍も加わり、花隈城を開城させることに成功した。この後村重は[[毛利氏]]の元へ亡命し、花隈城は廃城になる。 築城年には諸説あるが、いずれの説も築城年数は短く、大規模な近世[[城郭]]があった城だが本格的な戦いはこの花隈城の戦いが最初で最後ではないかと推定されている。{{-}} == 花隈公園の写真 == <gallery> 画像:花隈城6.jpg|正面方向より撮影 画像:花隈城5.jpg|復興天守台からの眺望 画像:花隈城3.jpg|復興天守台 画像:花隈城1.jpg|模擬石垣 </gallery> == 花隈公園へのアクセス == [[画像:花隈城10.jpg|thumb|駐車場入口]] * 電車でのアクセス ** [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]、[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]][[元町駅 (兵庫県)|元町駅]]徒歩5分 ** [[阪急神戸高速線]][[花隈駅]]徒歩2分 ** [[神戸市営地下鉄]][[県庁前駅 (兵庫県)|県庁前駅]]徒歩7分 * 車でのアクセス ** [[阪神高速]][[阪神高速3号神戸線|神戸線]][[京橋出入口 (兵庫県)|京橋IC]]→[[国道2号]] ** 公園が駐車場になっている == 周辺 == * [[元町 (神戸市)|元町商店街]] * [[兵庫県公館]] == 参考文献 == * 戦国合戦史研究会『戦国合戦大事典 六 京都・兵庫・岡山』、[[新人物往来社]]、1989年2月。 * 『[[日本城郭大系]]』第12巻、大阪・兵庫、新人物往来社、1981年。 * 兵庫県民族芸能調査会『ひょうごの城紀行』下、神戸新聞総合出版センター、1998年12月。 == 関連項目 == * [[花隈町]] * [[日本の城一覧]] * [[兵庫県の城]] * [[日本の合戦一覧]] * [[池田城 (摂津国)|池田城]] * [[滝山城 (摂津国)]] == 外部リンク == {{Commons|Category:hanakuma Castle}} * [http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%B2%D6%B7%A8%B8%F8%B1%E0&lat=34.68476&lon=135.18574306&type=scroll&lnm=%B2%D6%B7%A8%B8%F8%B1%E0&idx=21 花隈公園/Yahoo!地図情報] * [http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%CA%A1%C6%C1%BB%FB&lat=34.68467694&lon=135.18401806&type=&lnm=%CA%A1%C6%C1%BB%FB&idx=19 花隈城天守閣址の石碑がある福徳寺/Yahoo!地図情報] * [http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/map/cyuuouku18_22.html#22 花隈城跡/神戸市文章館公式ホームページ] {{DEFAULTSORT:はなくましよう}} [[Category:兵庫県の城]] [[Category:神戸市中央区の歴史]] [[Category:摂津国]] [[Category:神戸市の公園]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:-
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Battlebox
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Commons
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:日本の城郭概要表
(
ソースを閲覧
)
花隈城
に戻る。
検索
検索
花隈城のソースを表示
話題を追加