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花の御所
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[[Image:Han-no Gosho.jpg|thumb|325px|上杉本陶版『洛中洛外圖』に描かれた「花の御所」。絵の右側が北となっており、[[烏丸通]](絵の下部)に面した東側の門から出入りする人々なども描かれている<ref name="walking">{{PDFlink|[http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/cmsfiles/contents/0000101/101208/rakucyu_rakugai.pdf 洛中洛外図をめぐる]}}(京都市)</ref>。<br /><small>(京都アスニー収蔵)</small>]] {{座標一覧}} '''花の御所'''(はなのごしょ)は、現在の[[京都府]][[京都市]][[上京区]]にあった[[足利将軍家]]の邸宅の通称({{ウィキ座標|35|1|50.2|N|135|45|31|E|region:JP|地図|name=花の御所(1378年~1559年)}})であり、敷地は東側を[[烏丸通]]、南側を[[今出川通]]、西側を[[室町通]]、北側を[[上立売通]]に囲まれた東西一[[町]]南北二町を占めた<ref>[http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012475.html 上京区の史蹟百選/室町幕府址](京都市上京区役所)</ref>。[[京都御所]]({{ウィキ座標|35|1|26.8|N|135|45|43.7|E|region:JP|地図|name=京都御所(皇居:1331年~1869年)}})がある[[京都御苑]]の北西、烏丸今出川交差点を挟んで斜め向かいの一角に位置した<ref>[http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi12.html 花の御所](京都市)</ref>。 == 概要 == 元の[[室町家]]の花亭と[[菊亭家|今出川家]]の菊亭を併せて1つの敷地としたため、広大な敷地を有する邸宅となった。 現在の[[同志社大学]]今出川校地の[[烏丸通]]を挟んで向かい側の場所にある[[同志社大学]]・[[寒梅館]]以南に位置していた。名残としては、邸内に建てられた岡松殿に始まる[[大聖寺 (京都市)|大聖寺]]が現存する。 室町通に面して正門が設けられたことから'''室町殿'''、'''室町第'''とも呼ばれた。この将軍の居所にちなんで足利将軍(家)の事を「'''室町殿'''(室町家)」と呼ぶ時もある。更に古くより将軍の居所は「幕府」と呼ばれる事があり、すなわち「[[室町幕府]]」である。江戸時代中期より武家政権の名前として幕府の用語が使われるようになり、足利家の政権を「[[室町幕府]]」と呼称するのはこれに由来している。また、北小路室町にあることから'''北小路亭'''とも呼ばれた。ちなみに北小路とは現在の今出川通のことである。 {{Wide image|洛中洛外図左.jpg|800px|六曲一双 [[狩野永徳]]筆 国宝『[[洛中洛外図]]屏風』・左隻([[米沢市上杉博物館]]所蔵)。花の御所は中央左下に描かれている。右が北<ref name="walking"/>。}} == 沿革 == [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[後醍醐天皇]]と対立して京都に[[武家政権]]を開いた[[足利尊氏]]は、[[北朝 (日本)|北朝]]を後見するため[[二条通|二条]][[高倉通|高倉]]<ref group="†">ただし、尊氏の京都における邸宅はしばしば移動しており、暦応年間には[[常在光院]]の一郭(現在は廃寺となり、敷地は[[知恩院]]の一部となっている)に邸宅を構え、康永年間には鷹司東洞院に邸宅を構えていたとみられている(細川、2010年、P14-16)</ref>に住み、2代将軍の[[足利義詮]]は父の命で鎌倉から京都に戻った際に[[足利直義]]が住んでいた[[三条坊門第]]に入った。この時の邸宅は観応の擾乱で焼失したために近くに仮の邸宅を置いていたが、将軍就任後に元の三条坊門第は、直義の鎮魂のために[[八幡宮]]とすることになり、自分はその東隣に新たな三条坊門第を造営した。八幡宮は現在の[[御所八幡宮]]のことである<ref group="†">ただし、現在の八幡宮は太平洋戦争中に移転された後のもので、当時は現在の[[御所八幡町]]にあった。</ref>。 花の御所と足利家との関係は[[足利義詮]]に始まる。義詮は、[[室町季顕]]から、その邸宅である[[花亭]]を買上げて別邸とし、のちに足利家より[[崇光天皇|崇光上皇]]に献上された。崇光上皇の[[御所]]となったことにより花亭は「花の御所」と呼ばれるようになったが、しばらくして使用されなくなった。 3代将軍となった[[足利義満]]は[[1378年]](天授4年/永和4年)に[[北小路通|北小路]][[室町通|室町]]の[[崇光天皇|崇光上皇]]の[[御所]]跡と[[今出川公直]]の邸宅である[[菊亭]]の焼失跡地を併せた敷地(東西1町、南北2町)に足利家の邸宅の造営を始めた。同年元の菊亭部分の施設が完成すると直ちにそれまでの三条坊門第から移住した。後にこの新しい邸宅を「上御所」、従来の坊門三条殿を「下御所」とも称するようになった。その後も工事が続けられ、翌[[1379年]]には[[寝殿]]が作られ、[[1381年]]に完成した。北小路通は[[土御門殿|土御門]][[内裏]]に近く、敷地だけでも御所の2倍にも及ぶ規模の将軍邸は[[公家]]社会に対する義満のデモンストレーションを兼ねていたと思われる。また、[[1382年]]には花の御所の近くに[[相国寺]]({{ウィキ座標|35|1|59|N|135|45|43.7|E|region:JP|地図|name=相国寺(1382年~)}})が創建され、三条坊門第の側にあった[[等持院|等持寺]]と並んで足利氏の菩提寺としての役割を果たした。 庭内には[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]から水を引き、各地の[[守護大名]]から献上された四季折々の花木を配置したと伝わり、「花の御所」と呼ばれた。義満はここに[[後円融天皇]]や[[関白]][[二条師嗣]]などを招いて詩歌や[[蹴鞠]]の会などを催した。 [[1394年]]に将軍職を息子の[[足利義持]]に譲ると、義満はここから新築した[[北山第]](現[[鹿苑寺]])へ移る。義満と不和であったとされる[[足利義持|義持]]は義満の死後に元の三条坊門第を再興したが、6代将軍の[[足利義教]]が[[1431年]]再び花の御所に住んだ。8代将軍[[足利義政]]は将軍就任以前からの居所であった[[烏丸第]]を利用していたものの、後に[[長禄・寛正の飢饉]]の最中に花の御所を大改築して[[1459年]]に移り住んだ。だが、その御所も[[応仁の乱]]の戦火で焼失する。その後、室町殿は何度か小規模なものながらも再建が繰り返されたが、13代将軍[[足利義輝]]が[[1559年]]に三管領家の斯波武衛家邸宅跡に[[二条御所]]を造営・移転したために廃止された。 == 跡地 == [[安土桃山時代]]には、現在の[[京都御苑]]の北半分に公家町が形成された。戦乱の時代が終わり諸国に避難していた[[公家]]たちが戻り始めると、それだけでは手狭となり、南部や烏丸小路以東、北小路([[今出川通]])以北にも公家町は広がりを見せる。 [[江戸時代]]には花の御所がかつてあった敷地に、[[公家]]の[[裏辻家]]と[[錦織家]]が設立された。ただし大通りである今出川および室町通に面しては、商いを営む奥行きの浅い町人の町屋があったようである。 == 遺構 == 度重なる戦乱により幾度となく消失と再興を繰り返したため、当時の建物は残っていないが、邸内に建てられた岡松殿より始まる尼門跡寺院の[[大聖寺]]が、ほぼ当時の場所に残る(元は岡松町にあったものと思われるが、現在は隣接する御所八幡町にある)。大聖寺は足利義満が、[[正室]]の叔母([[日野宣子]]、のちに岡松一品と称される)に花の御所内の岡松殿を与えて住まわせたことに始まるとされる。 == アクセス == * [[ファイル:Kyoto MTB Logo.svg|20px]][[京都市営地下鉄烏丸線]]・[[今出川駅]]の出口2または出口4 ** 両出口は、かつての花の御所の敷地内にある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="†"|}} === 出典 === {{Reflist}} === 参考文献 === *細川武稔「空間から見た室町幕府 -足利氏の邸宅と寺社-」(所収:『史学雑誌』第107編12号(1998年)/改題所収:「足利氏の邸宅と菩提寺 -等持寺・相国寺を中心に-」細川『京都の寺社と室町幕府』(吉川弘文館、2010年) ISBN 978-4-642-02887-5) == 関連項目 == * [[京都御所]] * [[上洛]] {{室町幕府将軍}} {{DEFAULTSORT:はなの こしよ}} [[Category:将軍足利氏|城]] [[Category:室町幕府|城]] [[Category:上京区の歴史]] [[Category:室町時代の京都]] [[Category:日本の宮殿]] [[Category:現存しない京都府の建築物]] [[Category:室町時代の建築]] [[Category:足利義満]]
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