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[[ファイル:Mikaousui.jpg|thumb|200px|臼井甕男]] '''臼井 甕男'''(うすい みかお、[[1865年]][[8月15日]] - [[1926年]][[3月9日]])は、現在[[レイキ]]として世界中に広まっている[[手当て療法]]を中心とした[[民間療法]]の一種「臼井靈氣療法」(臼井霊気療法)の創始者である。 生誕地は、[[岐阜県]][[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[谷合村]](現在の岐阜県[[山県市]])である。 職業は、[[公務員]]、[[サラリーマン|会社員]]、[[実業家]]、[[記者|新聞記者]]、政治家[[秘書]]などさまざまに経験する。 その体験から「人生の目的とは何か」という大命題の探求から、[[禅]]の道に入り、真の[[悟り]]ともいえる[[安心立命]](あんじんりゅうめい)の境地を目指し修行するも、どうしても悟りを得られず、悩みぬいた末に[[禅]]の師に相談したところ、 「それなら一度死んでごらん」 と答えられ、「自分の人生も、もはやこれまで」という覚悟を決め、[[1922年]]春(3月または4月と、文献によって記載が異なる)に京都の[[鞍馬山]]にこもって[[断食]]を始める。修行のための断食と言うよりは、死を覚悟してのものだったらしい。 断食に入り3週間目の真夜中ごろ、脳の中心部あたりに落雷をうけたような激烈な衝撃を感じ、そのまま意識不明の状態に陥る。 数時間後、ふと気がつくと夜が明け始めた頃で、心身爽快な気分に満ちて目覚め、その衝撃のときに感じたエネルギーが心身を貫き、体内との共鳴、一体感を達成し、求めていた悟りの境地を完成したことを知る。 悟りが得られたことに喜び勇んで山を降りる途中、石につまづき足の指の爪がはがれ、思わず手を当てたところ痛みが去り、血が止まり即座に治癒してしまったという。そして、山のふもとまで降りてくると、小さな食堂があり、主人が止めるのも聞かず腹いっぱい食べた。主人の孫娘が顔が腫れるほどのひどい虫歯で、頬に手を当てるとたちどころに痛みが引いた。さらに、家族にも試したところ即効的な効果があり、「広く世の中の人にこの力の恩恵を与えたい」との思いから、工夫研究の結果、この能力を他人に伝授し、心身改善に活用する方法を見出す。これが臼井霊気療法という[[手当て療法]]の始まりとされる。 1922年4月に指導法などを定めた上で臼井霊気療法学会を設立する。 現在世界中に広まっているレイキは、臼井が養成した21または20人の師範(レイキを他人に伝授できる資格者)の一人[[林忠次郎]]がハワイ在住の日系人[[高田ハワヨ]]に伝授したものが広まったもの。 == 関連項目 == *[[レイキ]] *[[林忠次郎]] *[[高田ハワヨ]] {{DEFAULTSORT:うすい みかお}} [[Category:スピリチュアリティ]] [[Category:手当て療法]] [[Category:岐阜県出身の人物]] [[Category:1865年生]] [[Category:1926年没]]
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