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自衛隊ペルシャ湾派遣
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'''自衛隊ペルシャ湾派遣'''(じえいたいペルシャわんはけん)とは[[湾岸戦争]]後の[[1991年]](平成3年)に[[ペルシャ湾]]に[[自衛隊法]]第99条を根拠に[[海上自衛隊]]の[[掃海艇|掃海]]部隊('''ペルシャ湾掃海派遣部隊''')が派遣されたことをいう。自衛隊にとって初の海外実任務である。 [[練習艦隊]]等による遠洋航海以外の海外実任務で、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]・海上自衛隊の艦隊がインド洋を渡るのは、[[第一次世界大戦]]の[[地中海]]派遣、[[第二次世界大戦]]のインド洋作戦以来の出来事である。また、他国領海付近における掃海作業は、[[朝鮮戦争]]での[[海上保安庁]]の[[日本特別掃海隊|特別掃海隊]]による活動([[1950年]](昭和25年))以来のことである。 == 経緯 == [[1991年]]1月29日、自衛隊法第100条の5(国賓等の輸送)を根拠として、[[航空自衛隊]][[輸送機]]による[[難民]]輸送が[[政令]]で認められた。 3月2日の[[国際連合安全保障理事会決議686]]を、翌3日[[イラク]]は受諾し、また4月3日の[[国際連合安全保障理事会決議687|安保理決議687]]を、同6日イラクはこれを受諾し、4月11日に停戦が発効した。 停戦発効後、[[防衛庁長官]]は[[海上幕僚長]]に対し「ペルシャ湾における機雷等の除去の準備に関する長官指示」を発出した。4月24日、長官は海上自衛隊に対し、「我が国[[船舶]]の航行の安全を確保するため、ペルシャ湾における[[機雷]]の除去及びその処理を行う。」ことを目的とする「ペルシャ湾における機雷の除去及びその処理の実施に関する海上自衛隊一般命令」(平成3年4月24日海甲般命第18号)を発令した。法的には、公海上の作業ということで、海上自衛隊の通常業務という解釈がされた形である。[[自衛艦隊]][[司令官]]に直属する「'''ペルシャ湾掃海派遣部隊'''」が編成され、4月26日に出発した。 掃海派遣部隊は、ペルシャ湾へ進出する途上で、[[スービック海軍基地|スービック]]([[フィリピン]])、[[シンガポール]]、ペナン([[マレーシア]])、[[コロンボ]]([[スリランカ]])、カラチ([[パキスタン]])ドバイ([[アラブ首長国連邦]])に寄港した。その際には、ペルシャ湾への早期到着を最優先して、各寄港地では補給・整備のみに限り、現地[[在外公館]]や所在海軍部隊指揮官への表敬訪問をする程度にとどまった(これらの行事は港に寄港する外国[[艦隊]]の最低限の礼儀である)。5月27日にドバイのアル・ラシット港に約7,000[[海里]]の航海を経て入港した。 そして、6月5日から9月11日までの99日間にわたり、[[アメリカ合衆国|米国]]及び他の多国籍軍派遣部隊と協力して掃海作業を実施した。 このペルシャ湾派遣に際し隊員家族との連絡手段のため[[補給艦]]「[[ときわ (補給艦)|ときわ]]」内に「海上自衛隊ときわ船内郵便局」が設置された。海上自衛隊の艦艇内に[[船内郵便局]]が設置されたのは、自衛隊創設後初のことであった。そのため、艦内郵便局の[[消印]]欲しさに激励手紙が送られる事態となり<ref>「モテモテ!?掃海艇 「船内郵便局の消印欲しい」」 1991年5月7日付『[[毎日新聞]]』朝刊</ref>、寄港時を見計らって未使用切手に押印に押してもらおうとする業者もあった。 == 掃海派遣部隊編成 == [[Image:JMSDF AOE423 DD111.jpg|thumb|right|230px|補給艦「ときわ」(左の艦)]] * [[指揮官]] - [[落合畯]](たおさ)[[1等海佐]]([[自衛艦隊#掃海隊群|第1掃海隊群]][[司令]]) * [[司令部]] - [[士官|幹部]]25(落合指揮官含む)、[[准尉]]2、[[海曹|曹]][[士 (自衛隊)|士]]23、合計50名。 * 掃海母艦「[[はやせ型掃海母艦|はやせ]]」([[旗艦]]) - 艦長は横山純雄[[2等海佐]]。幹部12、准尉1、曹士133、合計146名。 * 第14掃海隊 - 隊司令は森田良行2等海佐 ** 掃海艇([[はつしま型掃海艇|はつしま型]])「ひこしま」(61MSC) - 艇長は新野浩行[[1等海尉]]。幹部8、准尉1、曹士38、合計47名(第14掃海隊司令部含む)。 ** 掃海艇「ゆりしま」(61MSC) - 艇長は梶岡義則1等海尉。幹部5、曹士38、合計43名。 * 第20掃海隊 - 隊司令は木津宗一[[3等海佐]] ** 掃海艇「あわしま」(62MSC) - 艇長は桂真彦1等海尉。幹部8、准尉1、曹士38、合計47名(第20掃海隊司令部含む)。 ** 掃海艇「さくしま」(62MSC) - 艇長は田村博義3等海佐。幹部5、曹士38、合計43名。 * 補給艦「[[ときわ (補給艦)|ときわ]]」 - 艦長は両角良彦2等海佐。幹部13、准尉2、曹士120、合計135名。 以上、幹部76、准尉7、曹士428、総員511名で編成されていた。また、これには[[医官]]3名が含まれ、隊員の健康管理に当たった。 ==掃海作業== ペルシャ湾の機雷敷設海域には、1991年2月28日の戦闘停止直後から、[[アメリカ合衆国|米]]・[[イギリス|英]]・[[ベルギー]]・[[サウジアラビア]]の4か国海軍の派遣部隊が掃海作業に従事していた。また、日本部隊が到着するまでには、[[フランス共和国|仏]]・[[ドイツ|独]]・[[イタリア|伊]]・[[オランダ王国|蘭]]の4か国も掃海部隊を派遣していた。日本部隊と各国派遣部隊との関係は、指揮命令ではなく、協同の関係とされた。 7月20日までにMDA-7海域で日本部隊は17個の機雷を処分する。その後、英・仏・独・伊・蘭・ベルギーの各部隊は、掃海終了宣言を発出して掃海作業を打ち切り帰国した。日・米・サウジアラビアの掃海部隊はその後もMDA-10及びクウェイト沖の航路等において、掃海作業を継続した。掃海派遣部隊は、この間、MDA-10において新たに計17個の機雷処分を行う。また、サウジアラビア政府の要請に基づき、独自でカフジ沖の[[油井]]に至る航路の安全確認を実施する。 爆破された計34個の機雷の処分方法としては、リモコン式処分具を使い、安全な遠隔操作により爆破されたものが5個、水中処分隊員が機雷に近づき、手作業で爆破準備したものが29個であった。 掃海海域には、[[イラン]]・[[イラク]]・[[クウェート]]の[[領海]]が含まれていたため、日本は自国の外交ルートを経由して交渉し、イランとの間では、7月20日にイラン軍の代表者を立ち会わせること等を条件として日本の掃海派遣部隊の領海立入りや掃海作業の実施について同意が成立した。イラクからは7月25日に、クウェートからは8月12日に、領海内での掃海作業を認める正式な回答がなされた。 また、イラン及びクウェートの要請により、イランの[[バンダレ・アッバース]]港(8月22日から同月24日)及びクウェートのアル・シュワイク港(9月4日から同月6日)に寄港し、友好親善を図った。 ==部隊派遣後== 湾岸戦争に際して日本は、130億ドルにも上る資金協力を行った。それにもかかわらず、クウェートが湾岸戦争終結直後に、[[ワシントン・ポスト]]紙の全面を使って謝意を表した[[広告]]には、クウェート解放に貢献した全ての国の[[国旗]]が掲載されていたが、金銭的貢献しか行わなかった日本は除かれていた。しかしながら、掃海部隊派遣後は、クウェートで日本の[[国旗]]が新たに他国に加わって印刷された記念[[切手]]が発行されるなど、危険を伴った人的貢献に接して、外国における評価が一変する。 また、部隊や隊員に対して次の通りの表彰が行われた。 *部隊に対して - 特別賞状(職務の遂行に当たり、特段の推奨に値する功績があった部隊)。自衛隊創隊以来初となる。 *掃海派遣部隊指揮官 - 第1級賞詞 *各級指揮官 - 第2級賞詞 *その他の派遣隊員総員 - 第3級から第5級までの賞詞 *派遣部隊隊員総員 - 国際貢献記念章の[[防衛記念章]] また、この掃海作業により海自の掃海・掃討能力は技量についてはともかく、装備については諸外国に(特に掃討分野で)大きく劣ることが明らかになった。その為、諸外国の掃海・掃討装備を導入した[[すがしま型掃海艇]]が建造されることになった。 == 参考文献 == <references /> * 碇義朗『ペルシャ湾の軍艦旗 <small>海上自衛隊掃海部隊の記録</small>』([[潮書房|光人社]]、2005年) ISBN 4-7698-1261-2 * 神崎宏・朝雲新聞社編集局 編『「湾岸の夜明け」作戦全記録 <small>海上自衛隊ペルシャ湾掃海派遣部隊の188日</small>』([[朝雲新聞社]]、1991年) ISBN 4-7509-8013-7 * 日野景一「注目のペルシャ湾派遣掃海部隊 <small>その編成とミッション</small>」 : 海人社『[[世界の艦船]]』1991年7月号 No.438 p168~p171 * 「ペルシャ湾派遣掃海部隊行動日誌」 : 海人社『世界の艦船』1992年1月号 No.445 p218~p219 ==関連項目== *[[湾岸戦争]] *[[自衛隊海外派遣]] *[[朝鮮戦争#日本特別掃海隊|朝鮮戦争での海上保安庁特別掃海隊による活動]] *[[自衛隊カンボジア派遣]] == 外部リンク == * [http://www.mod.go.jp/msdf/mf/touksyu/yoakenosakusen.pdf 落合畯「Operation Gulf Dawn(湾岸の夜明け作戦)」2001年10月] {{DEFAULTSORT:しえいたいへるしやわんはけん}} [[Category:自衛隊海外派遣|へるしやわんはけん]] [[Category:海上自衛隊の歴史|しえいたいへるしやわんはけん]] [[Category:ペルシャ湾]]
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