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'''自由選挙'''(じゆうせんきょ)とは、複数の候補者で選挙戦を争い、立候補に当たって当局が事前の資格審査をしない[[選挙]]を指す。 ==概説== [[日本国憲法第15条]]第4項では、「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と明記されている。 ==自由選挙が実施されない例== [[ソ連型社会主義]]国家では、[[党]]が唯一の候補者を選定し、[[有権者]]は[[信任投票]]をするだけだった。[[信任]]の場合はそのまま投票、[[不信任]]の場合だけ記入所で×印を記入するなど、当局が不信任投票をした有権者を特定することが可能な投票方式が広く行われていた。また、社会主義国家が、[[体制内改革]]を行うにしても、党が承認した候補者だけの争いとなる場合が普通であった。 [[東欧革命]]後、潔く自ら自由選挙を実施した旧[[共産党]]は、[[社会主義]]の功績の部分を評価する有権者からの根強い支持がある([[ハンガリー社会党]]など)。いっぽうで、[[党の指導性]]に固執した共産党は、自由選挙で[[議会]]に勢力を残せない場合が多い([[ルーマニア共産党]]など)。 [[中東]]諸国でも自由選挙が実施されない場合が多い。[[イラン]]大統領選挙では、事前に立候補資格審査があり、[[イスラム法学者]]による統治そのものに反対の[[イラン自由戦線]]は、候補者を立てられない。また、[[エジプト]]大統領選挙でも、人民議会が指名した唯一の候補に信任投票することになる。 [[日本]]でも[[第2回衆議院議員総選挙]]([[1892年]])における[[品川弥二郎]][[内務大臣 (日本)|内務大臣]]・[[白根専一]]同次官による大規模な[[選挙干渉]]や戦時中の[[第21回衆議院議員総選挙]]([[1942年]]、いわゆる'''翼賛選挙''')のような自由選挙の原則に反する選挙干渉が行われた時代があった。 自由選挙は、相当に[[人権]]意識が確立していなければ困難であり、自由選挙が実施されて日が浅い国では、敗れた[[野党]]候補が[[不正選挙]]を叫び、また実際に不正選挙が行われる場合もあるので、選挙実施に当たり国際監視団が派遣されることもある。 ==その他== ちなみに、自由選挙を行っている国々でも[[単記非移譲式投票]]を選挙制度に採用するところは、[[デュヴェルジェの法則]]により被選挙権を行使できるのは''(改選数+1)''人に事実上制限される。これから自由選挙を行う当局はこれを参考にして、完全連記制の大選挙区・全国区制か単記非移譲式投票の小選挙区制を採用してから、自らを保守二大政党に分裂させれば、自由選挙の下で体制を維持することができる。 ==関連項目== *[[不正選挙]] *[[国王自由選挙]] [[category:選挙|しゆうせんきよ]]
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