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'''脇田 和'''(わきた かず、男性、[[1908年]]([[明治]]41年)[[6月7日]] - [[2005年]]([[平成]]17年)[[11月27日]])は[[昭和|昭和期]]に活躍した[[日本]]の[[洋画家]]。[[新制作協会]]創立会員。童話的で温かな印象を受ける作風が特徴。実子は洋画家の[[脇田愛二郎]]。 == 経歴 == *[[1908年]]、[[東京都]]港区青山に生まれる。 *[[1923年]]、[[青山学院高中部|青山学院中等部]]中退。 *青山学院中等部中退後、[[ドイツ]]に渡り[[ベルリン国立美術学校]]に入学、人体デッサン、遠近法、木口版画、七宝等絵画に関するさまざまな技法を学ぶ。 *同校卒業時([[1930年]])に美術学校より金メダルを受賞する。 *[[1932年]]、太平洋画会に入選し、翌年には[[帝展]]に入選する。 *戦時中、[[フィリピン]]の[[マニラ]]で水彩画を描いている。 *[[1936年]]、[[新制作派協会]](現在の[[新制作協会]])の結成に加わり、以後同協会展に出品を重ねる。 *敗戦後、大部分の作品を戦火によって失うも制作を続ける。 *[[1955年]]、[[日本国際美術展]]で最優秀賞。 *[[1956年]]、グッケンハイム国際美術展国内賞を受賞。 *[[1964年]]、[[東京芸術大学]]助教授となり、[[1970年]]まで同校で教授を務める。 *[[1991年]]、軽井沢に脇田美術館開館。勲四等[[旭日章|旭日小綬章]]。 *[[1998年]]、[[文化功労者]]。 == 主な作品 == *『窓』 油彩145.5×112.1cm([[1966年]]) *『対話する鳥たち』 油彩116.7×91cm([[1972年]]) *[[絵本]]の挿絵に『おだんごぱん』(ロシア民話、訳:瀬田貞二)がある。 == 主な作品収蔵先 == *[[東京国立近代美術館]] *[[脇田美術館]] *[[島根県立美術館]]「化石と女」([[1955年]]) *[[福島県立美術館]] *[[世田谷美術館]] == 関連項目 == *[[藤城清治]] *[[佐藤一郎 (画家)]] *[[吉村順三]]<!--如何なる関連か?--> {{DEFAULTSORT:わきた かす}} [[Category:日本の画家]] [[Category:文化功労者]] [[Category:東京芸術大学の教員]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1908年生]] [[Category:2005年没]]
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