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美濃和紙
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{{出典の明記|date=2011年10月}} '''美濃和紙'''(みのわし)とは[[岐阜県]]で製造される[[和紙]]である。 [[1985年]](昭和60年)5月22日に、通商産業省(現[[経済産業省]])[[伝統的工芸品]]に認定されている。また、本美濃紙の技法は[[1969年]](昭和44年)4月15日に国の[[重要無形文化財]]に指定されている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/bunka-geijutsu/bunkazai-zuroku/bunkazai-zuroku/mukeibunka/minosi/honnminosi.html |title=本美濃紙 |publisher=岐阜県 |accessdate=2013-05-13}}</ref>。なお[[日本工業規格]]における紙の規格であるJIS B列は[[江戸時代]]の公用紙だった美濃紙を元に定めた美濃判に由来している為に[[国際標準化機構]]の定めるISO B列とは異なる寸法である(2014年現在の日本ではJIS B列が標準)。 == 概要 == [[寺尾 (岐阜県)|寺尾]](現在の[[岐阜県]][[関市]]寺尾)で生産される和紙が特に有名で、『[[和漢三才図会]]』では[[障子]]用の[[書院紙]]、包み紙、[[灯籠]]用として使用していたと記し、『[[新撰紙鑑]]』では[[徳川幕府]]御用の製紙職人として、市右衛門、五右衛門、平八、重兵衛の名を挙げている。 また、寺尾の他にも[[牧谷]]、[[洞戸]]、[[岩佐]]、谷口で生産される物も良品である。当然ながら、産地毎に製紙に使用する水が異なるため、生産された和紙の風格もそれぞれ異なるほか、得意とする種類も産地によって異なった。 === 書院紙 === 『[[岐阜県史稿]]』によれば、二折、三折の美濃和紙があり、障子の格子幅に合わせてそれぞれ使用されていた。 ==== 絞書院紙 ==== 紋書院紙とは、透かし文様入りの書院紙であり、美濃の他、[[筑後国|筑後]][[柳川市|柳川]]や[[肥後国|肥後]]でも生産され、肥後産のは特に透かしが綺麗であった。 美濃の紋書院紙は、鹿子・紗綾形・菊唐草・七宝 ・亀甲などの紋様を漉き込み、障子以外にも灯籠用に使用された。 [[21世紀]]現在、[[岐阜市]]で生産される[[落水紙]]([[美光紙]])にも、紋書院紙風の物がある。 ==== 紋天具帖 ==== 紋天具帖とは、極薄の天具帖紙に透かし紋様ではなく、胡粉などで木版摺りした物で、後に型染めで捺染するようになったが、やはり光を漉かして紋様を浮かび上がらせる物で、灯籠用として使用された。 == 歴史 == === 奈良時代・平安時代 === 美濃国は、[[奈良時代]]から製紙が盛んで、良質の紙を生産していた。古くは702年([[大宝 (日本)|大宝]]2年)の[[正倉院文書]]に美濃の紙が記録されている。<ref>{{cite web|url=http://www.minokanko.com/minowashi/|title=美濃和紙の歴史|accessdate=2011-10-06}}</ref> [[平安時代]]には、[[朝廷]]から製紙用の役人が派遣されて、宣命紙等の色紙や公用紙を生産した。 === 鎌倉時代・室町時代 === [[鎌倉時代]]初期には美濃和紙は余り使用されていなかったが、[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]の動乱や[[応仁の乱]]によって利用者の懐事情が悪化した結果、安価な美濃和紙が使用されるようになった。 美濃国[[守護]]である[[土岐氏]]は[[富国強兵]]のため、産業開発を促進し、製紙業を後押しした。そうして大量に生産された美濃和紙は文化人の多い土岐氏を慕って来訪した[[公家]]、[[僧侶]]によって日本各地に伝播され、その後は[[京都]][[宝滋院]]を拠点とする[[近江国|近江]]枝村の[[商人]]によって流通した。 === 江戸時代 === [[江戸時代]]になると、専売制度の下に特産地として育成され、また、町人層の需要拡大によって大量生産され、特に障子紙として使用されるようになり、[[美濃判]]として障子の規格となるに至り、「みの」と言えば障子のことを指すようにまで普及した。因みに、[[すだれ]]は[[伊予国|伊予]]が、[[畳|疊]]は[[近江国|近江]]が代名詞となった。 === 養女奴隷 === 養女奴隷とは、製紙のために少女を幼少時に養子にして、製紙作業をさせる制度である。戦前の製紙は朝の4時から夜の10時まで作業する厳しいものであり、しかも製紙業は家族だけの零細経営が多く、働き手が足りないためにこの制度が生まれたのである。なお、奴隷と言っても、実の娘と区別することはない。もちろん現在はこの制度はなく、そのために後継者難に陥っている。 === 紙問屋 === 美濃では和紙の原料を余所から輸入して生産していたため、様々な原料を使用して製紙が行われ、必然的に製紙技術が向上したが、その反面、原料を輸入し、完成した和紙を輸出する紙問屋に強く依存する生産者にとって不利益な経済体制を採らざるを得なかった。製紙業の家庭の養女は養女奴隷と呼ばれていたが、製紙業の家庭も紙問屋の奴隷であった。 現代では、製紙業は巨大な製紙メーカーとして問屋を圧倒し、力関係は逆転したが、伝統的な和紙は現在も零細経営の和紙職人の手によって生産されている。 == 美濃和紙と岐阜の伝統工芸 == 江戸時代以降、[[長良川]]を利用した運輸により[[長良橋]]たもとの地域は[[長良川]]の重要な港町となり、奥美濃から美濃和紙などの陸揚げが多く、それを扱う問屋町として栄えた。良質な和紙「美濃和紙」を得た岐阜では、岐阜の工芸品である[[岐阜提灯]]、[[岐阜和傘]]、[[岐阜うちわ]]が生まれた。美濃和紙は岐阜の伝統工芸には欠くことのできない物である。この問屋町は奇跡的に戦中の[[岐阜空襲]]を逃れることができたため現在[[川原町 (岐阜市)|川原町界隈]]として整備され、鵜飼観光などで訪れた人々で賑わっている。 == 関連項目 == *[[美濃和紙の里会館]] *[[美濃和紙あかりアート館]] *[[美濃まつり]] *[[紙の寸法]] == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == *[http://www.city.mino.gifu.jp/minogami/ 美濃和紙の里会館] *[http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya/ 美濃和紙の里 上野八幡神社] *[http://www.tokyo-np.co.jp/approach/adfile/bn200912/toukai.html 山村経済を支えた和紙づくり] {{DEFAULTSORT:みのわし}} [[Category:経済産業大臣指定伝統的工芸品]] [[Category:重要無形文化財]] [[Category:和紙]] [[Category:岐阜県の文化]] [[Category:美濃市]]
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