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美学
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{{出典の明記|date=2011年12月|ソートキー=学}} {{哲学のサイドバー}} '''美学'''(びがく、[[英語]]:aesthetics、「[[感性]]の学問」)とは[[美]]、[[芸術]]または[[趣味]]に関する[[哲学]]の一領域である。[[森鴎外]]により「審美学」という訳語が与えられたが、現在では美学と呼称される。 == 概要 == 伝統的に美学は美とは何かという美の本質、どのようなものが美しいのかという美の基準、美は何のためにあるのかという美の価値を問題として取り組んできた。美学が一つの学問として成立した歴史的背景には、18世紀に啓蒙主義の思想と自然科学の確立に伴って表面化した科学的認識と美的もしくは感覚的認識の相違が認められたことと関係している。[[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン|バウムガルテン]]は[[理性]]的認識に対して[[感性]]的認識に固有の論理を認め、学問としての美学を形作った。後にカントは美学の研究について美的判断を行う能力としての趣味を検討し、趣味を支配する普遍的な原理は存在しないことから、美学を美そのものの学問ではなく美に対する批判の学問として位置づけた。ここから美学はシラー、シェリング、ヘーゲルなどにより展開された美に対する哲学的批判へと焦点が移行するが、19世紀から20世紀にかけて美の概念そのものの探究から個別の美的経験や芸術領域、もしくは芸術と他の人間活動との関係にも考察が及んでいる。 なお、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて勝敗利害を超越した信念の持ち主を評するときに用いられることがある(「美学を感じさせる指し手」など)。たとえば[[囲碁棋士]]の[[大竹英雄]]の[[棋風]]は「大竹美学」と称されるが、別に大竹が哲学者を兼ねているわけではない。 == 名称 == ドイツの[[哲学者]][[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン|アレクサンダー・バウムガルテン]]が[[1750年]]に『美学』 (Aesthetica) を出版したことが、美学が[[哲学]]の一領域として定式化される一つの契機となった(バウムガルテンは、最初の著作『詩についての哲学的省察』の中で既に、詩の美学的価値の原理的考察を思考する学として aesthetica という学を予告している)。 この '''aesthetica''' という語は、古典ギリシア語 αἴσθησις(aisthesis)の形容詞 αἰσθητικ-ός(aisthtike)を[[ラテン語]]化したもので、二つの語義を持っていた。一つは「感性的なるもの」であり、他方は、「学問」(episteme)という語が省略(ギリシア語での慣例による)された語義である「'''感性学'''」である。 バウムガルテンがどちらの意味でこの語を使用しているかはその諸著においても曖昧であるが、遅くとも『[[美学]]』以降では、後者の意、さらに詳しく言えば「'''感性的認識論''' scientia cognitionis sensitivae」の意で用いていることは明らかである。 バウムガルテンによれば「美は感性的認識の完全性」(『美学』14節)であるから、aesthetica(「感性的認識論」)は「美について考察する学 ars pulcre cogitandi」(同1節)である。一方、「完全な感性的言語 oratio sensitiva perfecta」(「詩」を指している)を典型とする芸術一般は美にかかわるから、aesthetica は「芸術理論 theoria artium liberalium」(同1節)である。 :( aesthetica = 感性的認識論 = 美について考察する学 = 芸術理論 ) バウムガルテンの体系においては、美や芸術に関する学的考察である感性的認識論は、理性的認識論との対比において「疑似理性の学 ars analogi rationis」であり、「下位の認識論 gnoseologia inferior」(同1節)として位置づけられた。 == 美学の歴史 == その淵源は[[プラトン]]にまで遡る。[[イマヌエル・カント]]の『[[判断力批判]]』、[[フリードリヒ・シェリング|シェリング]]の『芸術の哲学』講義、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]の『美学』講義などを経て、フィードラーの「上からの美学」批判を受け、現代に至る。現代美学において特筆すべきは、<!--[[マルクス主義]]ルカーチはもう古典。あとはろくな人いないやん。アドルノ?-->・[[実存主義]]・[[分析哲学]]・[[ポスト構造主義]]によるアプローチであろう。 === バウムガルテンの「美学」 === [[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン|バウムガルテン]](A.G.Baumgarten,1714-62)は、ライプニッツ・ヴォルフ学派の系統に属す。「美学」(aesthetics/英)という学問の名称は、彼が、「[[感性]]」を表す[[ギリシャ語]]から作った[[ラテン語]]の造語「Aesthetica」に由来する。彼は[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]大学で1742年からこの「美学」の講義を始め、その後も再度の講義要請があったことから、もとの講義内容に若干の加筆修正を行い、これを[[ラテン語]]で出版した。『美学(Aesthetica)』第1巻は1750年、更に第2巻が1758年に出版された。 '''引用''' <blockquote> 美学(自由学芸の理論、下級認識論、美しく思いをなす[[技術]]、理性類似物の技術)は、感性的認識学の学である。(第1節) </blockquote> <blockquote> 美学の目的は、感性的認識そのものの完全性にある。然るに、この完全性とは美である。そして、感性的認識そのものの不完全性は避けられねばならず、この不完全性は醜である。(第14節) </blockquote> 美学の出発点は、知性的認識の学としての[[論理学]]を感性的認識の学で補完することにあった。 === 日本の美学 === 日本語の「美学」は、[[中江兆民]]がVeronの著作を訳して『維氏美学』と邦題を付けたことによる。日本の高等教育機関における美学教育の嚆矢は[[東京美術学校]]および[[東京大学]]における[[アーネスト・フェノロサ|フェノロサ]]のヘーゲル美学を中心とした講義、森林太郎([[森鴎外]])による東京大学におけるE. V. ハルトマン美学ら当時の同時代ドイツ美学についての講演、および[[ラファエル・フォン・ケーベル]](ケーベル先生の呼称で知られる)による東京大学での美学講義である。また[[京都]]においては[[京都工芸学校]]においてデザイン教育を中心とする西洋美学および美術史の教育がなされた。なお東京大学は独立の一講座として[[大塚保治 (美学者)|大塚保治]]を教授に任命、美学講座を開いた世界で最初([[1899年]])の大学である。 日本における主要な美学関連[[学会]]としては[[美学会]]があり、雑誌『美学』(年四回)および欧文誌 Aesthetics (隔年)を発行している。毎年十月に行われる全国大会のほか、年五回関東および関西で研究発表会が開催される。なお2001年の国際美学会議(4年おき開催)は日本で行われた。 == 日本の美意識 == 近代以前の日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」は無い。しかし、[[いき]]、[[わび]]などの個別の[[美意識]]は、古くから存在しており、また[[茶道]]や[[日本建築]]、[[伝統工芸品]]などを通して、さまざまな形で実践されてきた。また、歌論、能楽論、画論などの個別の分野での業績はあるものの、孤立した天才の偉業という色彩が濃く、一枚岩の美学ではない。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述・説明することができない。近代以前の日本の事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈を無視した議論となり、慎重を期すべきである。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。今後、複数の視点を生かした研究が待たれる。 歴史的に見ると、日本神話の天の岩戸の挿話は、民族の危機が歌舞(うたまい)の芸術によって救われたという意味であり、日本民族の歴史に占める比重の大きさを示唆する。 ここにおける理想的人間は「明(あか)き浄(きよ)き直(なお)きこころ」(宣命)という内面の曇りの無いことに結晶し、罪はみそぎと祓いとによって水の果て、風の果てに消散されるとする宗教的呪術的心情には美と清さとがなんらかの形において一致するという美学的思考が胎生している。 日本において美学的思考が初めて意識的に理論化されたのは、[[古今和歌集]]』「仮名序」においてである。 [[紀貫之]]は「仮名序」で、和歌は純粋な心の結実であるとした(「やまと歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」)。 そして和歌は天地開闢の時から出来したと述べ、和歌に結集する芸術は、「生きとし生けるもの」の生の表現がヒトにおいてその精華を開花させたものであるとした。 この[[歌論]]が芸術批評、創作指標として理論化されたのは、[[藤原公任]]の『[[新撰髄脳]]』、『[[和歌九品]]』以降においてであり、後者の9分法は仏教における九品蓮台によると思われるが、基本的には中国[[唐]]代の[[画論]]における品等論の影響が推定される。 藤原公任によって最高の歌格とされた「あまりの心」は、[[藤原俊成]]、[[壬生忠岑]]、そして[[鴨長明]]によって「余情(よせい)」として深度化され、幽玄と関係づけられた。 そのころ歌風は、「たけ」、「長高様」([[崇高]]あるいは壮美)、「をかし」(趣向の面白さに由来する美)など、美的[[カテゴリー]]の細分化がおこなわれ、「和歌十体」として体系化された。 [[藤原定家]]は、「むかし貫之歌のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもしろき様をこのみて余情妖艶の体をよまず」(『近代秀歌』)として、「あはれ」(優美)の範疇を開拓した。 藤原定家によって重んじられた幽玄様、右心体の趣を[[禅]]的思想で深めた[[正徹]]は、「いかなる事を幽玄体と申すべきやらむこれぞ幽玄体とてさだかに詞にも心にも思ふ斗りいふべきにはあらぬ也」と、名状しがたい悟入の境地と芸術の奥義とが照応していることを指摘した(『正徹物語』)。 ここから芸道の精神が生まれ、[[演劇]]論としては、能の[[世阿弥]]の『花鏡』の「動十分心動七分身」(心を十分に動かして身を七分目に動かせ)という余情演技、「せぬが所が面白き」という「為手(して)の秘する所」を中心とする能の幽玄論の「かたちなき姿」を尊重する秘伝につながる。 これは、技法上の修練が必要であることに理解を示したうえでの、俳人の[[松尾芭蕉]]による、「俳諧は三尺の童にさせよ初心の句こそたのもしけれ」(『三冊子』)という、「気」の芸術の主張につながる。 この内面的な自発性は、『笈の小文』によれば、[[西行]]の和歌、[[飯尾]]の絵画、[[千利休]]の茶道を貫く風雅の精神である。 このことを別の側面から保証するように、文人画家の[[池大雅]]は、絵画でいかなることが困難であるかと質問されて、「ただ紙上に一物もなきところこそなしがたし」と答えたという(桑山玉洲『絵事鄙言』)。 この気の芸術の神秘主義は、宇宙的生命の自己表現から出発する日本の美学思想に起源するが、たぶんに、中国思想、仏教思想の影響がある。 一方、これに対して、純粋な日本的精神による美学を主張したのは国学者の[[本居宣長]]である。 本居宣長(『石上私淑言』)は、「事にふれてそのうれしくかなしき事の心をわきまへしるを物のあはれを知るといふ也」と述べて、事象と自我との接触としての経験において事象の本質を認識したうえで成立する感動を、「物のあわれ」と規定した。 そして、これを知る人を「心ある人といひ知らぬを心なき人といふ也」(同上)として、すなわち「もののあわれ」を知ることが人間が人間たるゆえんであるとした。 しかるに、「なべて心に深く感ずる事は人にいひきかせてはやみがたき物」(同上)であるのだから、感動の表現は人間的な必然となる。 その表現手段の粋は、「鳥虫に至るまでも(中略)おのれおのれが歌謡をなすものを人間として一向詠む事あたはざるは恥ずべきことのはなはだしきにあらずや」(『あしわけおぶね』)というように、和歌である。 かくして本居宣長においては、感覚的経験、認識、感動、表現欲求、そして芸術制作という、創造をめぐる美的経験の構造分析が行なわれている。 本居宣長はまた、「歌の本体政治をたすくるためにもあらず身をおさむる為にもあらずただ心に思ふ事をいふより外なし」(同上)として、儒教の教えとは鋭く対立し、芸術の自律性の主張した点においても、近代精神を先取する側面があった。 このように美と芸術を重視する思想的伝統があるために、西洋美学の摂取も成功したのであり、[[西周 (啓蒙家)|西周]]、[[中江兆民]]、[[森鴎外]]、[[高山樗牛]]以後においては、東洋の伝統に立ち[[茶道]]における老荘の美学的世界観を主張した[[岡倉天心]]の『茶の本』、および西洋美学の方法で歌論を研究してその側面から[[範疇]]論を補足した[[大西克礼]]の『幽玄とあはれ』は注目すべきである。 == 近代の美学 == * [[カント]] * [[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]] * [[ヘーゲル]] == 近代以降の美学 == * [[ニーチェ]] * [[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]] * [[ハイデガー]] * [[メルロ=ポンティ]] * [[アドルノ]] == 関連項目 == * [[美術史]] * [[美意識]] * [[哲学]] * [[数学的な美]] * [[批評]] * [[詩学]] * [[芸術学]] (Kunstwissenschaft) * [[カルチュラル・スタディーズ]] (cultural studies) * [[分析美学]] * [[芸術制度論]] * [[美]] * [[醜]] * [[崇高]] * [[イロニー]] * [[フモール]] * [[アレゴリー]] * [[図像学]] * [[想像力]]、[[構想力]]、[[制度論]] * [[エロス]] * [[ランナウェイ説]]または、『 [[美人#平均美人説|平均美人説]] 』 * [[美学会]] == 外部リンク == {{Wiktionary|美学}} {{IEP|aestheti|Aesthetics}} {{美術}} {{哲学}} {{DEFAULTSORT:ひかく}} [[Category:哲学の主題]] [[Category:美学|*]] [[Category:美]] [[Category:美術]]
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