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糟屋武則
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 糟屋武則 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期 | 生誕 = [[永禄]]5年([[1562年]]){{Sfn|糟谷正勝|1993|p=60}} | 死没 = <!--出展が明示されるまでコメントアウト[[慶長]]12年([[1607年]]){{要出典|date=2009年10月}}-->不詳 | 改名 = 加須屋正之助、数正、助右衛門武則、真雄、宗孝<ref group = a>宗孝は、武則の子であるという説がある。</ref> | 別名 = 姓:糟谷、粕屋<br />諱:宗重、真安 | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = 証丹宗光大禅定門 | 霊名 = | 墓所 = [[称名寺 (加古川市)|称名寺]]([[加古川城]]跡・[[兵庫県]][[加古川市]])<br />[[萬昌院功運寺]]([[東京都]][[中野区]]) | 官位 = [[従五位|従五位下]]・[[内膳司|内膳正]] | 幕府 = | 主君 = [[別所長治]]→[[豊臣秀吉]]→[[豊臣秀頼]]→[[徳川家康]] | 藩 = | 氏族 = [[糟屋氏]] | 父母 = 志村某、[[小寺政職]]の妹、''糟屋朝貞'' | 兄弟 = ''[[糟屋朝正|朝正]]''、武政 | 妻 = 不詳 | 子 = 八兵衛、宗孝? | 特記事項 = <references group=a /> }} '''糟屋 武則'''(かすや たけのり)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]にかけての[[武将]]、[[大名]]。[[賤ヶ岳の戦い#賤ヶ岳の七本槍|賤ヶ岳の七本槍]]の一人。[[糟屋氏]]は[[播磨国]][[加古川城]]を拠点に[[鎌倉時代]]から続く武家で、[[別所氏]]の家臣であった[[糟屋朝貞]]の次男。兄に[[糟屋朝正|朝正]]、甥に弓の名手であった[[加須屋武成|武成]]がいる。 姓は他に'''糟谷'''、'''粕屋'''、'''加須屋'''、'''賀須屋'''などとも記され、有名な名乗りとしては「'''加須屋真雄'''(かすやさねお/さねかつ)」がある。他にも、'''数正'''、'''宗重'''、'''真安'''、'''宗孝'''など武則の別名として伝わっているが、年代によって違うことから、本人の名なのか子なのか混乱もある。 == 生涯 == === 三木合戦 === 永禄5年(1562年)[[播磨国]]の志村某の子として生まれる。母は、[[小寺政職]]の妹である。小寺政職の妹は、初め[[糟屋朝貞]]へ嫁ぎ、兄である[[糟屋朝正|朝正]]を産んだ後離縁し、豪族志村氏と再婚して武則を産んだ。その後、志村と死別し、武則を初めの嫁ぎ先である[[糟屋氏]]の当主である朝正に養育を託した後再婚した。朝正は、武則を養弟として養育した。[[天正]]5年([[1577年]])の[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の播磨攻めの時に朝正は[[別所長治]]について朝正と子である友員とともに[[三木城]]に入ったが、[[黒田孝高]]の説得により、武則は加古川城に戻った。武則は[[黒田孝高]]の推挙により羽柴秀吉の[[小姓]]頭となり、[[三木合戦]]に参戦した。その支城である[[野口城]]の攻略が武則の初陣となる。更に三木城の攻防戦では[[箕谷ノ上付城]]を守り、包囲網の一翼を担った<ref>[http://www.siromegu.com/castle/hyogo/minodani/minodani.htm 箕谷ノ上付城跡(城めぐ.COM)]</ref>。一方朝正は、三木の合戦の一戦である平井山合戦(天正7年2月6日([[1579年]]3月2日))により討死し、天正8年([[1580年]])武則は、家督を相続した。 天正10年6月2日([[1582年]][[6月21日]])の[[本能寺の変]]が起こると、武則は、秀吉に従って[[備前国|備前]]より急遽反転し、旧暦6月13日([[7月2日]])の[[山崎の戦い]]に従軍した。旧暦10月15日([[11月11日]])には、[[大徳寺]]で行われた[[織田信長]]の葬儀に陪臣として参列した。 === 賤ヶ岳の戦い === 天正11年([[1583年]])、[[賤ヶ岳の戦い]]では、武則は[[佐久間盛政]]配下の[[宿屋七左衛門]]を討ち取るなどして活躍した。秀吉の面前の西の切り通し付近で奮戦して武功を立てた武則は、[[福島正則]]や[[加藤清正]]ら(賤ヶ岳の七本槍)と共に一番槍の賞詞が旧暦6月5日(7月3日)に渡され、旧暦8月1日(9月16日)、播磨国[[加古郡]]に2,000石、[[河内国]][[河内郡 (大阪府)|河内郡]]に1,000石など合わせて3,000石余を拝領した{{Sfn|糟谷正勝|1993|pp=50-51}}。 === 天下統一までの活躍 === その後も[[小牧・長久手の戦い]]や[[九州征伐]]、[[小田原征伐]]などに兵150名を動員して参加している。天正12年([[1584年]])には[[従五位|従五位下]][[内膳司|内膳正]]に任官。また軍事だけでなく行政面でも事績を残しており、天正14年([[1586年]])に[[方広寺]]大仏の作事奉行を務め、天正16年4月14日([[1588年]][[5月10日]])[[後陽成天皇]]の[[聚楽第]]行幸の際にも天皇の行列に供奉している{{Sfn|加古川市|1953|pp=219-220}}。天正19年([[1591年]])には[[近江国]]検地奉行となって[[増田長盛]]らと共に[[検地]]を行い、[[文禄]]2年([[1593年]])には自領に近い播磨国[[美嚢郡|三木郡]]の秀吉の[[蔵入地]](直轄領)1万石の代官に任じられている。更に実態ははっきりしないものの、[[中川秀成]]移封後の三木城歴代城番の一人としても武則の名が伝わっている{{Sfn|『三木市史』|pp=95}}。 === 朝鮮出兵 === 文禄元年([[1592年]])の[[文禄・慶長の役#文禄の役|文禄の役]]では[[目付]]として、[[片桐且元]]とともに200名の手兵を引き連れて[[名護屋城]]へ出兵し、[[織田秀信]]に属して[[朝鮮]]に渡海した。[[新庄直忠]]らとともに朝鮮人逃亡流民の帰郷を促す訓令を発布するほか、同年に第一次、翌文禄2年(1593年)には第二次[[晋州城攻防戦]]に参加するなどして活躍し、文禄4年8月17日([[1595年]][[9月20日]])に6,000石加増された。帰国後、文禄3年([[1594年]])には[[伏見城]]の普請にも参加した。 === 晩年 === [[関ヶ原の戦い]]が起こると360名の兵を率いて西軍に加わり、[[伏見城の戦い]]に参加した。関ヶ原の本戦では[[宇喜多秀家]]隊に属して奮戦したとも([[関ヶ原本戦の配置]]参照)、参戦せず大坂に滞在したとも言われている。戦後隠居し、子である八兵衛を立て家名の存続を計ったが、[[慶長]]6年([[1601年]])秋に武則(宗孝)、慶長7年([[1602年]])春に八兵衛が死去したことにより、慶長7年9月15日([[1602年]][[10月29日]])に領地を没収された。同年旧暦10月(11月)、遠縁である[[駿河国|駿河]][[今川氏]]の[[家臣]]である糟谷但馬守相喜が家督を相続し、500石を拝領した{{Sfn|糟谷正勝|1993|p=299}}。他にも、後に許され、武則(宗孝)は、慶長7年(1602年)に[[旗本]]として召抱えられ、500石という小禄ながら徳川家臣となったという説もある。慶長7年(1602年)から慶長15年([[1610年]])の間、武則と八兵衛安長が[[備中国|備中]][[国吉城]]に入封した<ref>[http://www.hb.pei.jp/shiro/bicchu/kuniyoshi-jyo/ 備中・国吉城(城郭放浪記)]</ref><ref>[http://www.siromegu.com/castle/okayama/kuniyosi/kuniyosi.htm 国吉城跡(城めぐ.COM)]</ref>とも伝わっている。一方「加古川市誌」によると、文禄年間、朝鮮からの帰国後、[[伏見]]にて毒により死去したとされる。そして、子である宗孝が、関ヶ原合戦に西軍として参加したが、敗れたため[[改易]]された。慶長7年(1602年)に領地を1万2,000石に回復したが、[[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])[[大坂の役#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]にて討死にしたとされている{{Sfn|加古川市|1953|pp=220-221}}。なお、糟屋氏の菩提寺である称名寺の寺記では、宗孝は、元和9年8月14日([[1623年]][[9月8日]])に死去したと記されている{{Sfn|加古川市|1953|pp=220-221}}。また武則の弟である武政は大阪の役の後、現在の[[加古川市]][[米田町 (加古川市)|米田町]]船頭で帰農したという。 == 逸話・その他 == *『寛政重修諸家譜』では、武則は、糟屋忠安の四男の数政(かずまさ)であるとされている<ref>{{Cite book|和書 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= 1923-05-31|url= http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082713|title=寛政重脩諸家譜. 第4輯 |format= |doi= |work= |publisher= 國民圖書|volume = 747|page= 1030|pages=|chapter = 藤原氏良方流 糟屋 |language= |archiveurl= |archivedate= |accessdate= 2013-11-26|quote= |ref=}}</ref>。 * 賤ヶ岳の戦いの際の武則の出立ちは「金の角取紙のエヅルの指物」で宿屋七左衛門と槍を合わせた。宿屋七左衛門は烏打坂の南に踏みとどまって桜井佐吉と戦っていたが、佐吉が宿屋に斬りつけられたところへ武則が突進して佐吉を助けたところで槍を合わせた。七左衛門が槍を突き出したところで武則が一槍で突き殺したという。 * [[滋賀県]][[長浜市]]の[[長浜城 (近江国)|長浜市立長浜城歴史博物館]]に武則所用の大身槍が所蔵されている。 ==関連作品== ;小説 * {{Cite book|和書|author = 徳永真一郎|authorlink = 徳永真一郎|title = 賤ヶ岳七本槍 秀吉を支えた勇将たちの生涯|year = 1992|publisher = PHP研究所|location = |isbn = 978-4569564739|pages = |chapter = 糟屋助右衛門武則|chapterurl = }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}}{{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author = 加古川市|date = 1953-6-15|title = 加古川市誌|publisher = 加古川市|volume= 第1巻|pages =219-221 |ref = harv}} * {{Cite book|和書|author = 糟谷正勝|date = 1993-6-30|title = 播磨糟谷家の系譜|publisher = みるめ書房|pages =44-69|chapter= 三、加須屋内膳正 |ref = harv}} == 関連項目 == *[[加古川城]] *[[賤ヶ岳の戦い]] *[[三木合戦]] *[[櫛橋光]] - 小寺政職の姪で、黒田孝高(黒田官兵衛)の正室。武則とは従姉弟にあたる。 == 外部リンク == * {{Cite web |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= |url= http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kasya_k.html|title=糟屋氏系譜 |format= |doi= |work= |publisher= |page= |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |accessdate= 2013-11-26|quote= |ref=}} * {{Cite web |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= |url= http://homepage2.nifty.com/makotoyouchien/kounji/kounji.html|title=萬昌院功運寺 |format= |doi= |work= |publisher= |page= |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |accessdate= 2013-11-26|quote= |ref=}} {{DEFAULTSORT:かすや たけのり}} [[category:戦国武将]] [[Category:織豊政権の大名]] [[Category:糟屋氏|たけのり]] [[Category:播磨国の人物]] [[Category:1562年生|かすやたけのり]] [[Category:没年不明]]
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