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立花隆
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{{Infobox 作家 | name = 立花 隆<br/>(たちばな たかし) | image = Replace this image JA.svg | imagesize = 200px | caption = 画像募集中 | pseudonym = | birth_name = 橘 隆志<br/>(たちばな たかし) | birth_date = [[1940年]]([[昭和]]15年)[[5月28日]] | birth_place = {{JPN}}[[長崎県]][[長崎市]] | death_date = | death_place = | occupation = [[ジャーナリスト]]・[[ノンフィクション作家]]・[[評論家]] | nationality = {{JPN}} | period = | genre = | subject = | movement = | notable_works = | awards = | debut_works = | spouse = | partner = | children = | relations = | influences = | influenced = | signature = | website = | footnotes = }} '''立花 隆'''(たちばな たかし、本名:橘 隆志 [[1940年]][[5月28日]] - )は、[[日本]]の[[ジャーナリスト]]・[[ノンフィクション作家]]・[[評論家]]。 == 来歴 == * 1940年 [[長崎県]][[長崎市]]に生まれる。父は長崎の女学校教師で後に編集者を務め、母は[[羽仁もと子]]の信奉者で、[[クリスチャン]]の家庭。戦前の[[右翼]]思想家・[[橘孝三郎]]は、父方の[[いとこ]]に当たる。 * [[1942年]](昭和17年) 父が[[文部省]]職員として[[北京]]の[[師範学校]]副校長となったため、一家で[[中華民国]]へ渡る。 * [[1946年]]、[[引揚者|引揚げ]]で日本へ戻り、一時母方の茨城郡那珂西に住み、のちに父の郷里[[茨城県]][[水戸市]]に移る。 * 茨城師範学校(茨城大学)付属小学校、中学校を経て、[[1956年]](昭和31年)に[[茨城県立水戸第一高等学校|水戸一高]]、[[千葉県]]に移ったため[[東京都立上野高等学校]]への転入を経る。小学校時代から[[読書]]に熱中し、自らの読書遍歴を記した文章を残している<ref>『ぼくはこんな本を読んできた』{{要ページ番号|date=2012年7月}}</ref>。また、中学時代は[[陸上競技]]にも熱中。俳優の[[梅宮辰夫]]・モータージャーナリストの[[徳大寺有恒]]は中学時代の先輩であり、三人とも陸上競技選手だった。 * 1959年(昭和34年) [[理系]]志望であったが色弱のために断念し、[[東京大学]]文科二類へ入学。在学中は[[小説]]や[[詩]]も書き、[[イギリス]]で開かれた[[反核]]会議にも参加。[[卒業論文]]は[[フランス]]の[[哲学者]][[メーヌ・ド・ビラン]]。 * [[1964年]] [[文学部]][[フランス文学|仏文]]科を卒業し、[[文藝春秋]]に入社し、「[[週刊文春]]」に配属される。直属の上司に[[堤尭]]がいた。先輩記者の導きで、文学青年時代から一転ノンフィクションを濫読して多大な影響を受けるが、もっともやりたくない[[仕事]]である[[プロ野球]]の[[取材]]をさせられたことから、2年後に退職を決意。 * [[1967年]](昭和42年) 東京大学文学部哲学科に[[学士入学]]するが、翌68年に[[東大紛争]]が勃発し大学が休校となる。休校中に文春時代の仲間の誘いで文筆活動に入り、[[フリーライター]]として活動を開始する。創刊時の雑誌『[[諸君!]]』に「生物学革命」、「宇宙船地球号」、「[[石油]]」などをテーマとして[[ノンフィクション]]や評論を書く。 * [[1968年]] 「立花隆」のペンネームで文藝春秋増刊号「素手でのし上がった男たち」を発表。『諸君!』の初代[[編集長]][[田中健五]](のちの文藝春秋編集長)との交友が後の「角栄研究」に繋がる。 * [[1969年]] この前後の時期に「文藝春秋」や「週刊文春」に「60年安保英雄の栄光と悲惨」、「東大ゲバルト壁語録」、「この果てしなき断絶」、「実像・[[山本義隆]]と[[秋田明大]]」などを発表<ref>「立花隆のすべて (下)」文春文庫{{要ページ番号|date=2012年7月}}</ref>。 * [[1970年]] 東大紛争中(休校期間)の学費支払いを巡り大学事務と衝突。東京大学哲学科を中退。新宿で[[バー (酒場)|バー]]『ガルガンチュア立花』を経営し自らバーテンも務める。(中東出発で閉店) * [[1972年]] [[講談社]]の[[川鍋孝文]](のちの[[週刊現代]]編集長)の紹介で[[イスラエル]]政府の招待をうけ2週間イスラエルに滞在。招待期間終了後は自費で中東各地、[[地中海]]・エーゲ海を中心としたヨーロッパ諸国を放浪する。放浪期間中に偶然[[テルアビブ空港乱射事件|テルアビブ事件]]が発生。東大紛争以後中断していたジャーナリスト活動を現地で再開した。 * [[1974年]](昭和49年) 『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表。大きな反響を呼び、[[田中角栄|田中]]退陣のきっかけを作ったとされる。文藝春秋は角栄批判から手を引くが(その為単行本は講談社で出された)、その後も発表場所を変え、折に触れて田中金脈問題を取り上げ、[[ロッキード事件]]で田中が逮捕された後は東京地裁での同事件の公判を欠かさず傍聴し、一審判決まで『[[朝日ジャーナル]]』誌に傍聴記を連載した。また同誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、[[俵孝太郎]]、[[渡部昇一]]ら田中角栄擁護論者を「イカサマ論法にして無知」と非難した。なお渡部は後年には、立花のことを高く評価するコラムを雑誌に発表している。朝日ジャーナルでの担当者は[[筑紫哲也]]。以後しばしば筑紫の番組に出演するなど公私ともに親交があった。 * [[1976年]](昭和51年)には『文藝春秋』に『[[日本共産党の研究]]』を連載。これに対して党側が組織的な反立花キャンペーンを展開して反論し、大論争に発展する。また、「総合[[商社]]」、「[[農業協同組合|農協]]」、「[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核]]・[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル]]」、[[脳死]]問題など巨大な権力、組織の究明を行う。 : 『諸君!』時代に書いていたサイエンス関係のテーマにも手を広げ、1981年には『[[中央公論]]』に「宇宙からの帰還」を発表。[[平凡社]]『[[アニマ (雑誌)|アニマ]]』に連載された「サル学の現在」、ノーベル賞受賞者[[利根川進]]との対談『精神と物質』、『[[科学朝日]]』に連載された「サイエンス・ナウ」「電脳進化論」「脳を究める」、などのテーマを手がける。また、[[日本放送協会|NHK]]や[[TBSテレビ|TBS]]などにおいて[[ドキュメンタリー番組]]制作にも携わり、連動した[[臨死体験]]などの著作もある。これらにより、[[1983年]]に[[菊池寛賞]]、[[1998年]]に[[司馬遼太郎賞]]をそれぞれ受賞。 *1984年「田中角栄と私の9年間」で第45回[[文藝春秋読者賞]]受賞。 * [[1995年]]アニメ映画「[[耳をすませば]]」で主人公の父親役を演じた。東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任。 * [[1996年]] - [[1998年]]には、東京大学教養学部で「立花ゼミ」を主催。ゼミは[[2005年]]に再開され、現在も続いている。 * この時期にも、『画家[[香月泰男]]』関連など様々な形で[[日本放送協会|NHK]]など放送メディアに出演した。 * [[2002年]] 12月25日に大きな[[大腸ポリープ]]が[[S字結腸]]に発見され切除するが、癌化を疑い自らを[[被写体]]として健康状態の患者から[[ポリープ]]が発見され切除、がんかどうかの[[病理検査]]、診断、告知までの[[ドキュメンタリー番組]]の制作を[[日本放送協会|NHK]]に提案。NHK側も同意して撮影開始。このとき、約束をしながら果たしていない約束が7つほどあることが判明。簡単には死ねないと感じる。いちばんの大仕事は[[1998年]]から連載していた『わたしの東大論』を本にする仕事であった。1999年頃には長年連れそった前妻が末期がんに侵され、彼女の依願で病院に同行を繰り返したりするが、1年間の闘病の末2000年に死去。この頃よりがんへの関心を深める。 * [[2005年]] 東京大学大学院総合文化研究科特任教授に就任。 * [[2007年]] 東京大学大学院情報学環特任教授、立教大学大学院特任教授に就任。同年12月に[[膀胱癌]]の手術を受け、『文藝春秋』(2008年4月号)に手記「僕はがんを手術した」を発表。 * [[2009年]][[11月27日]]、[[鳩山由紀夫内閣]]の[[事業仕分け (行政刷新会議)|事業仕分け]]で大型研究プロジェクトに交付される特別教育研究経費が予算要求の縮減と判定されたのを受けて全国各地の国立研究所長らと共に東京大学で記者会見を開き、「[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]は日本をつぶす気か」と仕分け結果を非難した。「資源小国の日本は科学技術による付加価値で生きていくしかない」と指摘した上で、「目の前で起きている出来事を見て怒りに震えている」と話した。作業風景の印象について「訳のわからない人たちが訳のわからないことを論じている」と評し、仕分け人を「[[バーバリアン]](野蛮人)」と形容した<ref>[[リアルスポーツ]](2009年11月28日)</ref>。ドキュメンタリー番組『旧友再会」(NHK)に梅宮辰夫と出演し、かつての住まい茨城県水戸市を訪問。 == 人物 == * 幼少期より一貫して人の[[生]]と[[死]]の問題に関心を持ってきた。あるいは人間存在の本質に興味を抱き続けてきた。そのため、他人の目には一見すると結びつかないような多方面のことをテーマに考え、書いてきた。立花自身は次のように述懐している。「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」<ref>『生、死、神秘体験』</ref>。 * [[臨死体験]]、[[脳死]]、[[異常性格]]者、[[超能力]]などにも科学的な視点から論じることも多く、一部では[[オカルト]]主義者との評価も生まれた。 * 猫好きで、[[東京都]][[文京区]][[小石川]]に「猫ビル」(巨大な猫の顔が壁に描かれている)の別名で呼ばれる地上三階地下一階建の事務所兼書庫を保有。数万冊にも上る蔵書を抱える。地下にはワインセラーを設置しており、無類の[[ワイン]]好きである。猫ビルについては、[[妹尾河童]]が「ぼくはこんな本を読んできた」で図解で紹介している。 * 兄は[[朝日新聞社]]監査役を務めた橘弘道(たちばな ひろみち、[[1938年]] - )。 * [[高エネルギー加速器研究機構|KEK]]への取材を続けている<ref>「小林益川理論の証明」</ref>。 == エピソード == *「[[週刊文春]]」の記者時代、[[プロ野球]]にだけは全く興味が無いため、その関係の仕事だけはさせないでほしいと宣言したが、「あの野郎は生意気だ」ということで、見せしめにプロ野球の取材を1週間させられたことから、退社する決意を固めた。自分がやりたくもないことを上司の命令というだけでやらねばならない事実に我慢ができなかった。現在もプロ野球には一切関心はなく「なぜあんなものに多くの人が夢中になれるのか全く理解できない」と自著に記している。 * [[漫画家]][[赤塚不二夫]]と「[[週刊プレイボーイ]]」で対談したが、初対面ながら共に、満州から引き揚げ出身でもあり意気投合している。立花自身それなりに面白い体験だったと自著に記している<ref>「赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談」([[集英社]]、1995年)</ref>。 == 批判 == * 科学関連の仕事は、一部で文系と理系のクロスオーバーとして評価されている。だが他方では、その内容に誤りや誤解を招く表現があるという指摘がある。2000年以降、サイエンス分野を中心とした立花批判があった。これは立花の著述には、他人を見下すような姿勢や、本人の科学理解の水準が低いにも関わらず断定口調が目立つことが反感を買ったためだと推測される。また、自身が興味を持った事象については徹底的に調べて評論を行うのに、興味を失ったことに対しては我関せずという姿勢も見受けられ、彼の著作は結局は自己満足でしかないという批判もある<ref>『立花隆先生、かなりヘンですよ - 「教養のない東大生」からの挑戦状』谷田和一郎著(洋泉社 2001年11月) </ref>。 * 女性蔑視の発言がまれにあると一部で指摘された。例えば講談社から出版された「文明の逆説―危機の時代の人間研究」において、立花は「だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(中略)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし」「多淫な女、複数の男性を望む女は例外なく冷感症、不感症」「女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ」などと記述した。これらの記述を、右派の評論家[[日垣隆]]は「男根主義」と皮肉った<ref>『通販な生活 一生を1ギガで終えないための買い物学』([[講談社]] 2008年4月)</ref>。 * 立花が書く人物評には感情に流されやすい傾向や中傷めいた記述が目立つとの指摘があり、あやしげな話を持ち出しては名誉毀損で訴えられ敗訴というケースも多々見られたという<ref>『立花隆「嘘八百」の研究―ジャーナリズム界の田中角栄、その最終真実』([[宝島社]] 2002年1月)</ref>。 * [[ライブドア]]前社長[[堀江貴文]]は、「堀江被告の保釈・幕引きで闇に消えたライブドア事件」(2006年5月10日)の記事で暴力団と関係があるように書かれたとして、立花と「日経BPネット」を運営する[[日経BP社]]を相手取って5000万円の損害賠償請求訴訟を起こした<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/2007/08/24/0000566773.shtml 堀江氏が立花隆さんを提訴] [[デイリースポーツ]] 2007年8月24日</ref>。2008年10月3日、東京地裁は、「記事の内容は真実と認められない」として、立花らに200万円の支払いを命じた<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008100300822 立花のコラムについて堀江被告、立花氏に勝訴=コラムの名誉棄損認定-東京地裁] 時事通信 2008/10/03-19:36</ref>。 * 2007年2月21日付の「日経BPネット」に、「政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題」として、「安倍首相は紙オムツを常用せざるをえない状態」「安倍一族は短命の家系。一族の墓誌を丹念に調べた人の報告によると、40代50代で死んでいる人が沢山」などと記述し、 「J-CASTニュース」は、それに対する安倍事務所の怒りの声と、ネット掲示板[[2ちゃんねる]]上の立花批判の書き込みを取り上げている<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3047732/ 首相は「紙オムツ常用」状態!? 立花隆の超過激コラム] [[ライブドアニュース]] 2007年02月26日</ref>。 * 自民党の鳩山邦夫の元秘書であったジャーナリスト[[上杉隆]]は、具体例として[[小沢一郎]]民主党幹事長の政治資金問題を挙げ、立花が検察や小沢や民主党など事件当事者への取材を一切行わず、新聞・テレビの報道や過去の経験を基に憶測で記事を書いている点、さらには10年以上永田町で取材を行っていない点などを指摘し、立花の記事の杜撰さを批判した。 == 教育・執筆・講演活動 == * 2010年2月現在、東京大学大学院情報学環特任教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授、[[大宅壮一ノンフィクション賞|大宅壮一ノンフィクション賞]]の選考委員も務める。 * 文系や理系などの垣根を乗り越え、学問の総合・融合・全体像という俯瞰的な視点から、その時代の最先端科学の現場へ足を運んで取材し、一般市民が理解できるように配慮した執筆・出版・ネット発信活動を行ってきた。これまでの科学系の著書のほとんどは、その時代の最先端科学を伝える内容である。 * 宇宙飛行士の[[野口聡一]]は高校3年生のときに立花の著書「宇宙からの帰還」を読み、宇宙飛行士になる決心をした<ref>http://iss.jaxa.jp/kids/astro/noguchi.html</ref>。2005年12月、野口・立花の対談が実現<ref>「宇宙を語るⅠ 宇宙飛行士との対話」(中公文庫)</ref>。 * 2007年に[[膀胱癌|膀胱癌]]が見つかってから、[[癌]]をテーマにした執筆・講演活動が増えた。 * ほぼ毎年行われている[[自然科学研究機構]]シンポジウムに、プログラムコーディネータとして参加している。 : 第1回 「見えてきた!宇宙の謎。生命の謎。脳の謎。」 : 第2回 「爆発する光科学の世界 量子から生命体まで」 : 第3回 「生物の生存戦略 われわれ地球ファミリーは いかにして ここに かくあるのか」 : 第4回 「宇宙の核融合・地球の核融合」 : 第5回 「解き明かされる脳の不思議 脳科学の未来」 : 第6回 「宇宙究極の謎 暗黒物質、暗黒エネルギー、暗黒時代」 : 第7回 「科学的発見とは何かー『泥沼』から突然『見晴らし台』へ」 : 第8回 「脳が諸学を生み、諸学が脳を統合する」 : 第9回 「ビックリ4Dで見るサイエンスの革新」 : 第10回 「多彩な地球の生命-宇宙に仲間はいるのか」 : 第11回 「宇宙と生命-宇宙に仲間はいるのかⅡ」 : 第12回 「知的生命の可能性-宇宙に仲間はいるのかⅢ」 == 著作 == ※文庫版は版元や巻数が、初版底本と同一の場合は記述省略。 * 『素手でのし上がった男たち』(番町書房、1969年) * 『思考の技術』 日経新書、1971年、中公文庫 1990年 * 『日本経済・自壊の構造』([[日本実業出版社]]、1973年)菊入龍介名義 * 『[[中核vs革マル|中核 vs 革マル]]』全2巻 [[講談社]]、1975年、[[講談社文庫]]、1983年 ISBN 4061341839、ISBN 4061341847 * 『田中角栄研究』 [[講談社]] 1976(のち新版・同文庫全2巻) * 『文明の逆説 危機の時代の人間研究』講談社 1976(のち文庫) * 『[[日本共産党の研究]]』 講談社全2巻 1978(のち文庫全3巻) 第1回[[講談社ノンフィクション賞]]受賞 * 『ジャーナリズムを考える旅』文藝春秋 1978(のち改題『アメリカジャーナリズム報告』文春文庫) * 『アメリカ性革命報告』文藝春秋 1979(のち文庫) * 『農協』朝日新聞社 1980(のち文庫) * 『ロッキード裁判傍聴記 1~4』、[[朝日新聞社]] 1981~85(のち改題『ロッキード裁判とその時代』 朝日文庫) * 『田中角栄いまだ釈明せず』朝日新聞社 1982(のち改題『田中角栄新金脈研究』 朝日文庫) * 『宇宙からの帰還』[[中央公論社]] 1983 [[中公文庫]]、1985 * 『「知」のソフトウェア』[[講談社現代新書]] 1984 * 『青春漂流』 講談社[[スコラ]] 1985 (のち講談社文庫) * 『論駁--ロッキード裁判批判を斬る 1~3』 朝日新聞社、1985-86(のち文庫) * 『脳死』中央公論社 1986(のち文庫) * 『脳死再論』中央公論社 1988(のち文庫) * 『同時代を撃つ 情報ウオッチング 1~3』 講談社 1988-90(のち文庫) * 『サイエンス・ナウ』朝日新聞社 1991(のち文庫) * 『サル学の現在』平凡社 1991(のち[[文春文庫]]全2巻) * 『脳死臨調批判』中央公論社 1992(のち文庫) * 『電脳進化論 ギガ・テラ・ペタ』朝日新聞社 1993(のち文庫) * 『巨悪 vs 言論』文藝春秋 1993(のち文庫全2巻) * 『[[臨死体験]]』文藝春秋全2巻 1994(のち文庫) * 『ぼくはこんな本を読んできた』文藝春秋 1995(のち文庫) * 『インターネット探検』講談社、1996 * 『脳を究める』朝日新聞社、1996 (のち文庫) * 『立花隆の同時代ノート』講談社、1997 * 『インターネットはグローバル・ブレイン』講談社、1997 * 『立花隆・100億年の旅』朝日新聞社、1998(のち文庫) * 『100億年の旅2 宇宙・地球・生命・脳 その原理を求めて』朝日新聞社、1999(のち文庫) * 『100億年の旅3 脳とビッグバン』朝日新聞社、2000(のち文庫) * 『人体再生』 中央公論新社、2000(のち文庫) * 『21世紀 知の挑戦』文藝春秋、2000(のち文庫) * 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』文藝春秋、2001(のち文庫) * 『東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論』文藝春秋、2001(のち文庫) * 『解読「[[地獄の黙示録]]」』文藝春秋、2002(のち文庫) * 『「[[田中真紀子]]」研究』 文藝春秋、2002(改題「政治と情念」文春文庫) * 『「言論の自由」VS.「●●●」』文藝春秋、2004 * 『イラク戦争・日本の運命・小泉の運命』講談社、2004 * 『シベリア鎮魂歌 [[香月泰男]]の世界』文藝春秋、2004 * 『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』書籍情報社、2004 * 『エーゲ 永遠回帰の海』書籍情報社 2005、[[須田慎太郎]](写真) * 『[[天皇]]と東大 大日本帝国の生と死』 文藝春秋全2巻、2005(のち文庫全4巻) * 『滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか』 日経BP社、2006 * 『ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊』文藝春秋 2007 * 『小林・益川理論の証明 陰の主役Bファクトリーの腕力』 [[朝日新聞出版]]、2009 * 『立花隆の書棚』中央公論新社、2013、薈田純一(写真) * 『自分史の書き方』講談社、2013 * 『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』 文藝春秋、2013 === 対談・編著・共著 === * 『遊びの研究』[[三一書房]] 1976 : 9つの討論会の司会を務め、「現代人における<遊び>の構造」を執筆 * 『われらが青春―安東仁兵衛対談集』[[現代の理論社]] 1979 : [[安東仁兵衛]]が[[吉村昭]]、[[坂本義和]]、立花隆、[[柴田翔]]、[[丸山真男]]と対談 * 『ロボットが街を歩く日』[[吉川弘之]]との対話、[[三田出版会]] 1987 * 『精神と物質』 [[文藝春秋]] 1990、文春文庫 1993 : [[利根川進]]へのインタビュー・編著 (第4回[[新潮学芸賞]]受賞) * 『ランダムな世界を極める』[[米沢冨美子]]との対話、三田出版会 1991、[[平凡社ライブラリー]] 2001 * 『脳死 [[NHKスペシャル]]』 [[日本放送協会|NHK]]取材班と共編著、[[日本放送出版協会]] 1991 * 『宇宙よ』 [[秋山豊寛]]との対話、文藝春秋 1992(のち文庫全2巻) * 『マザーネイチャーズ・トーク』新潮社 1993(のち文庫) 8人との対話集 * 『生、死、[[神秘体験]] 対話篇』 書籍情報社 1994([[講談社文庫]] 2007) 10人との対話 * 『宇宙を語る 対話集』 書籍情報社、1995([[中公文庫]]全2巻 2007) 文庫化で講演記録を増補、7人との対話 * 『証言・臨死体験』文藝春秋 1996(のち文庫) インタビュー集 * 『無限の相のもとに』[[埴谷雄高]]との対話、平凡社、1997 * 『立花隆のすべて』 文藝春秋 1998(のち文庫全2巻) インタビューほかの編著 * 『環境ホルモン入門』東大教養学部立花隆ゼミ共編、新潮社、1998 * 『サイエンス・ミレニアム』[[中央公論新社]]、1999(のち文庫) 科学者との対話集 * 『二十歳のころ 東大教養学部立花隆ゼミ』 新潮社、1998、68名へのインタビュー編著 : 『二十歳のころⅠ 1937-1959』、『Ⅱ1960-2001』 新潮文庫全2巻、2002、[[ランダムハウス講談社]]文庫全2巻、2008 * 『東大講義人間の現在1 脳を鍛える』 新潮社、2000(のち文庫) 編著 * 『新世紀デジタル講義』 新潮社、2000(のち文庫) 編著 * 『立花隆「旧石器発掘ねつ造」事件を追う』朝日新聞社、2001、編著 * 『読む力・聴く力』 岩波書店 [[河合隼雄]]、[[谷川俊太郎]]との共著 2006 * 『[[南原繁]]の言葉』[[東京大学出版会]] 2007 編者代表 * 『[[戸塚洋二]] がんと闘った科学者の記録』 文藝春秋 2009 共編著 * 『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』 [[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]との対談、[[文春新書]]、2009 * 『未来をつくる君たちへ [[司馬遼太郎]]作品からのメッセージ』 [[関川夏央]]、[[松本健一]]、日本放送出版協会 2009 * 『白川静読本』 [[五木寛之]]、[[松岡正剛]]、[[宮城谷昌光]]、[[内田樹]]、[[町田康]]、[[押井守]]ほか多数 平凡社 2010 * 『がん 生と死の謎に挑む [[NHKスペシャル]]』 NHK取材班 文藝春秋 2010、番組DVD付き、のち文庫(DVDはなし) * 『二十歳の君へ―16のインタビューと立花隆の特別講義』 東京大学立花ゼミ+立花隆 文藝春秋 2011 * 『私と宗教』 [[高村薫]]、[[小林よしのり]]、[[小川洋子]]、[[荒木経惟]]、[[高橋惠子]]、[[龍村仁]]、[[細江英公]]、[[想田和弘]]、[[水木しげる]] [[平凡社新書]] 2011 * 『「こころ」とのつきあい方 13歳からの大学授業(桐光学園特別授業Ⅳ)』 [[桐光学園中学校・高等学校]]、[[御厨貴]]、[[高山宏]]、[[宮島達男]]ほか [[水曜社]] 2012 * 『地球外生命 9の論点』 [[佐藤勝彦 (物理学者)|佐藤勝彦]]、[[長沼毅]]、[[皆川純]]ほか、[[自然科学研究機構]]編集 [[ブルーバックス]] 2012 * 『体験から歴史へ─〈昭和〉の教訓を未来への指針に』 [[保阪正康]]、[[半藤一利]]、[[田城明]] 講談社 2013 === 翻訳 === * 『アメリカ人の雑学おもしろ小百科』バリー・ターシス(講談社 1984) * 『バーバラ・ハリスの臨死体験』ライオネル・バスコム共著(講談社 1993、[[講談社+α文庫]] 1998) * 『[[アポロ13号]]奇跡の生還』ヘンリー・クーパーJr(新潮社 1994、新潮文庫 1998) == 声の出演 == * [[耳をすませば]](月島靖也) == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * [[文藝春秋]]編『立花隆のすべて』([[文藝春秋]],1998年)ISBN 4-16-353810-0 / ([[文春文庫]]上下,2001年)ISBN 4-16-721776-7 / ISBN 4-16-721777-5 * 佐藤進『立花隆の無知蒙昧を衝く 遺伝子問題から宇宙論まで』([[社会評論社]],2000年)ISBN 4-7845-0607-1 / 増補改訂版([[社会評論社]],2001年)ISBN 4-7845-0608-X * [[谷田和一郎]]『立花隆先生、かなりヘンですよ 「教養のない東大生」からの挑戦状』([[洋泉社]],2001年)ISBN 4-89691-580-1 / [[宝島社文庫]]([[宝島社]],2002年)ISBN 4-7966-2840-1 * [[別冊宝島]]編集部『立花隆「嘘八百」の研究』([[宝島社]],2001年)ISBN 4-7966-2556-9 / [[宝島社文庫]]([[宝島社]],2002年)ISBN 4-7966-2781-2 * 佐々木千賀子『立花隆秘書日記』([[ポプラ社]],2003年,秘書による日々のドキュメント)ISBN 4-591-07659-8 * CD 『[[慶應義塾|慶應]]MCC夕学セレクション 立花隆「科学ニッポン最前線」』 (日本音声保存,2008年) == 関連人物・関連項目 == * [[田中角栄]] * [[田中眞紀子]] * [[小沢一郎]] * [[筑紫哲也]] * [[埴谷雄高]] * [[武満徹]] - 未刊行だが、雑誌『[[文学界]]』において「武満徹・音楽創造の旅」を長期連載。 * [[エリザベス・キューブラー=ロス]] * [[フランシス・フォード・コッポラ]] * [[香月泰男]] * [[寺山修司]] * [[利根川進]] * [[梨元勝]] * [[朝日ジャーナル]] * [[週刊現代]] * [[月刊現代]] * [[文藝春秋]] * [[諸君]] * [[地獄の黙示録]] * [[山中伸弥]] * [[戸塚洋二]] * [[日本共産党]] == 外部リンク == * [http://chez.tachibanaseminar.org/ シェ・タチバナ 立花隆公式ページ] - 講演の予定を掲載。 * [http://sci.gr.jp/ SCI(サイ)] * [http://www.tachibanaseminar.jpn.org/ 立教 立花組乱歩通り裏・6号館 ネコ屋敷] * [http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/professor.php?id=450 立花 隆|東京大学大学院 情報学環・学際情報学府] * [http://president.jp/articles/-/10635 PRESIDENT Online 著者インタビュー 「立花隆著『立花隆の書棚』」]- インタビュー * [http://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/special001_01.html 「教育の基本は言葉を交わすこと -『調べて書く』実地教育のすすめ」大修館書店 国語情報室]- インタビュー {{Normdaten|TYP=p|NDL=00083089|GND=172832926|LCCN=n/81/033699|VIAF=40691317}} {{DEFAULTSORT:たちはな たかし}} [[Category:日本のジャーナリスト]] [[Category:日本の評論家]] [[Category:日本の反共主義者]] [[Category:東京大学の教員]] [[Category:日本の随筆家]] [[Category:ロッキード事件の人物]] [[Category:文学関連の人物]] [[Category:文藝春秋の人物]] [[Category:日本の引揚者]] [[Category:立教大学の教員]] [[Category:東京大学先端科学技術研究センターの人物]] [[Category:菊池寛賞受賞者]] [[Category:田中角栄]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:長崎県出身の人物]] [[Category:茨城県出身の人物]] [[Category:1940年生]] [[Category:存命人物]]
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