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稲村ヶ崎
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{{Otheruses|地名の稲村ヶ崎|詰将棋|稲村ヶ崎 (詰将棋)}} [[ファイル:稲村ヶ崎西側.jpg|thumb|300px|稲村ヶ崎を西側から望む(2004年11月9日撮影) - 中腹に広場のように見えるのが鎌倉海浜公園。なお砂が全体的に黒っぽいのは地中に含まれる砂鉄のせいである]] '''稲村ヶ崎'''(いなむらがさき)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]]南西部にある[[岬]]で、[[由比ヶ浜]]と[[七里ヶ浜]]の間にあたる。通常、「稲村ヶ崎」の表記は歴史的用法や国の史跡の名称に使用し、住居表示などでは'''稲村ガ崎'''と表記される<ref name="kokuji24">1969年(昭和44年)2月24日自治省告示第24号「住居表示が実施された件」</ref><ref>『鎌倉の地名由来辞典』(東京堂出版)稲村ガ崎の項より。</ref>。 == 地名の由来 == [[ファイル:稲村ヶ崎石碑.jpg|thumb|230px|新田義貞徒渉伝説の石碑(2004年11月9日撮影) - 鎌倉海浜公園内に所在。1917年(大正6年)建立]] [[ファイル:Inamuragasaki_tottanbu.jpg|thumb|right|230px|稲村ヶ崎突端部。画面中央の横穴は[[第140師団 (日本軍)|第140師団]]麾下の部隊が構築した横穴陣地とされている]] [[ファイル:inamura.jpg|thumb|230px|稲村ヶ崎駅から坂を下って徒歩5分程度のところに所在する]] 地名の由来は、[[稲穂]]を重ねたように見えるためだと言われている。古来良質な[[砂鉄]]が採取できることで知られ、古代にはこの地で[[製鉄]]がおこなわれていたと考えられる。 == 歴史 == === 古代 === [[奈良時代]]の[[鎌倉]]には「見越しの崎」あるいは「御輿の崎」「神輿の崎」と呼ばれる地名があったことが知られており、[[万葉集]]に、 {{Quotation|鎌倉の 見越しの崎の 岩崩(いわくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ|万葉集 巻14-3365}} と詠まれている。この地名がどこを指すかについては、[[長谷]]の甘縄神社裏山という説と稲村ヶ崎という説があり、確定していない。しかし、岩崩の名所として知られていたならば、稲村ヶ崎説が有力となる。 === 中世 === [[鎌倉時代]]末期の[[元弘]]3年([[1333年]])5月に[[上野国]]([[群馬県]])[[新田荘]]を本拠とする[[新田義貞]]が挙兵し、[[分倍河原の戦い (鎌倉時代)|分倍河原の戦い]]と[[関戸河原の戦い]]で[[北条氏]]の軍に勝利して[[鎌倉]]にせまった([[鎌倉の戦い]])。5月18日[[極楽寺_(鎌倉市)|極楽寺]]口より攻撃を加え、21日には義貞みずから稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしたが、当時の波打ち際は切り立った崖となっており、石が高く、道が狭小なため軍勢が稲村ヶ崎を越えられなかった。そこで、義貞が潮が引くのを念じて[[剣]]を投じると、その後潮が引いて[[干潟]]となったので岬の南から[[鎌倉]]に攻め入ったという[[伝説]]が『[[太平記]]』に記されている(ただし、近年において天文計算により、稲村ヶ崎の潮が引いたのは18日のことであったことが明らかになり、『太平記』の日付には誤りがあると考えられている)<ref>細井浩志『古代の天文異変と史書』(吉川弘文館、2007年)ISBN 978-4-642-02462-4 P22</ref>。 === 近世以降 === [[幕末]]には外国船監視のための[[台場]]が置かれ、[[長州藩]]が防衛にあたった。 [[1928年]]([[昭和]]3年)、県道片瀬鎌倉線(後の[[国道134号]])の開削工事が行われ稲村ヶ崎の丘陵が分断されて切り通しが開かれた。また、[[第二次世界大戦]]中には[[伏龍]]隊の地下基地があった。 1960年代から付近の丘陵地が大規模住宅地として開発され、1969年には旧大字[[極楽寺 (鎌倉市)|極楽寺]]から分離され、稲村ガ崎一-五丁目として[[住居表示]]が実施された<ref name="kokuji24"/>。 === 現代 === 現在は'''鎌倉海浜公園'''として整備されていて、園内には[[逗子開成中学校・高等学校|逗子開成中学校]]ボート部七里ヶ浜沖遭難事件([[1910年]])の慰霊碑(『[[真白き富士の根]]』の歌詞を刻む)、[[ロベルト・コッホ|コッホ博士]]記念碑などもある。[[サーフィン]]の[[メッカ]]として有名であると同時に、[[海水浴場]]としても使用されてきたが、近年、[[砂]]の流出が進み、[[2003年]]([[平成]]15年)からは海水浴場としての使用は行われなくなった。 == 史跡指定 == [[1333年]]([[元弘]]3年5月)の新田義貞の[[鎌倉幕府]]攻めの際、通行困難だったが義貞徒渉の際には干潟となって容易に進軍できたという伝説より、「'''稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)'''」として、 [[1934年]]([[昭和]]9年)[[3月13日]]、国の[[史跡]]に指定された。 == アクセス == *[[江ノ島電鉄]][[稲村ヶ崎駅]]から徒歩5分。 == 町名 == {{Infobox Settlement |official_name = 稲村ガ崎 |settlement_type = [[町丁]] |native_name = |image_skyline = 稲村ヶ崎東側.jpg |imagesize = 240px |image_caption = 稲村ヶ崎を東側から望む(2004年11月9日撮影) |image_flag = |image_seal = | image_map = | map_caption = | pushpin_map = Japan Kanagawa |subdivision_type = [[国の一覧|国]] |subdivision_type1 = [[都道府県]] |subdivision_name = [[ファイル:Flag of Japan.svg|border|25px]] [[日本]] |subdivision_name1 = [[神奈川県]] |subdivision_type2 = [[市町村]] |subdivision_name2 = [[鎌倉市]] |subdivision_type3 = [[地域]] |subdivision_name3 = [[鎌倉|鎌倉地域]] |established_title = |established_date = |government_type = |leader_title = |leader_name = |area_magnitude = |area_total_sq_mi = |area_total_km2 = |area_land_sq_mi = |area_land_km2 = |area_urban_sq_mi = |area_urban_km2 = |area_metro_km2 = |area_metro_sq_mi = |population_as_of= [[2013年]][[10月1日]]現在 |population_footnotes = |population_total = 3395 |population_urban = |population_metro = |population_density_sq_mi = |population_density_km2 = | timezone = [[日本標準時|JST]] | utc_offset = +9 |timezone_DST = |utc_offset_DST = |latd=35|latm=18|lats=5.9|latNS=N |longd=139|longm=31|longs=32|longEW=E |elevation_footnotes= |elevation_m = |elevation_ft = |postal_code_type = [[郵便番号]] |postal_code = 248-0024 |area_code = |website = |footnotes = }} '''稲村ガ崎'''(いなむらがさき)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]]の[[町丁|町名]]。現行行政地名は稲村ガ崎一丁目から稲村ガ崎五丁目。人口は3,395人<ref group="注釈">2013年10月1日現在。国勢調査の結果を基礎として住民基本台帳法の定める届出等の増減を加算して推計。鎌倉市調べ。</ref> [[1969年]][[2月1日]]に[[住居表示]]が施行され、[[稲村ガ崎]]一-五丁目が置かれた<ref name="kokuji24"/>。 === 地価 === 住宅地の地価は、[[2014年]]([[平成]]26年)[[1月1日]]に公表された[[公示地価]]によれば、稲村ガ崎5-35-2の地点で19万3000円/m{{sup|2}}となっている。<ref>[http://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=2&TYP=0 国土交通省地価公示・都道府県地価調査]</ref> === 町名の変遷 === {| class="wikitable" |- !実施後 !実施年月日 !実施前(特記なければ各字名ともその一部) |- |稲村ガ崎一丁目 |rowspan="9"|[[1969年]][[2月1日]] |大字[[極楽寺 (鎌倉市)|極楽寺]]字金山・字砂子坂・字追揚 |- |稲村ガ崎二丁目 |大字極楽寺字砂子坂・字追揚・字一ツ谷 |- |稲村ガ崎三丁目 |大字極楽寺字追揚・字姥ケ谷(全域) |- |稲村ガ崎四丁目 |大字極楽寺字一ツ谷 |- |稲村ガ崎五丁目 |大字極楽寺字一ツ谷・字正福寺、大字[[津 (鎌倉市)|津]]字東ノ谷 |} == その他 == [[サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]が監督を務めた映画『[[稲村ジェーン]]』([[1990年]])の舞台ともなった場所である。しかし以前は[[自殺]]の名所としても知られていた。また、彼らのシングル曲である「[[君こそスターだ/夢に消えたジュリア|君こそスターだ]]」には、歌い出し冒頭で「稲村ヶ崎は今日も雨」という部分がある。 ほかにも、[[ASIAN KUNG-FU GENERATION]]の曲で「稲村ヶ崎ジェーン」と言う曲がある。 約3m以上の高波が来た時だけ開催されるサーフィン大会、「イナムラサーフィンクラシック」の会場でもある。1981年に「ナガヌマクラシック」の名前で初開催され、現在の名前では1989年と2013年しか開催されていない<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0926/TKY201309260010.html 来た!ビッグウェーブ 湘南・稲村ケ崎で伝説の大会開幕]([[朝日新聞デジタル]], 2013年9月26日)</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/130926/kng13092622590013-n1.htm 「一生に一度」伝説の波…稲村ケ崎、サーフィン見物に3000人 神奈川]([[産経新聞|MSN産経ニュース]], 2013年9月26日)</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 参照 === {{Reflist}} == 参考文献 == == 関連項目 == * [[関東の史跡一覧]] * [[真白き富士の嶺]] * [[伏龍]] == 外部リンク == * [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース] {{Commonscat|Gokurakuji}} {{Geographic Location |Centre = 稲村ガ崎 |North = [[鎌倉山]] |Northeast = |East = [[極楽寺 (鎌倉市)|極楽寺]] |Southeast = [[坂ノ下 (鎌倉市)|坂ノ下]] |South = |Southwest = |West = [[七里ガ浜東]] |Northwest = |image = }} {{鎌倉市の町・字}} {{DEFAULTSORT:いなむらかさき}} [[Category:日本の岬]] [[Category:神奈川県の自然景勝地]] [[Category:神奈川県にある国指定の史跡]] [[Category:鎌倉市の地理]] [[Category:相模湾]] [[Category:関東の富士見百景]]
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