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神保彰
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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> | Name = 神保 彰 | Background = instrumentalist | Birth_name = | Alias = | Blood = [[ABO式血液型|A型]] | School_background = [[慶應義塾大学]]卒業 | Born = {{生年月日と年齢|1959|2|27}} | Died = | Origin = {{JPN}}・[[東京都]] | Instrument = [[ドラムセット|ドラムス]] | Genre = [[フュージョン (音楽)|フュージョン]]<br />[[J-POP]] | Occupation = [[ドラマー]] | Years_active = [[1980年]] - | Label = [[キングレコード]] | Production = | Associated_acts = [[カシオペア (バンド)|カシオペア]]<br />[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]<br />[[ジンサク]]<br />[[Synchronized DNA]] | Influences = | URL = [http://akira-jimbo.uh-oh.jp/ 神保彰オフィシャルサイト] }} '''神保 彰'''(じんぼ あきら、[[1959年]][[2月27日]] - )は、[[日本]]の[[ドラマー]]。 == 人物 == [[東京都]]出身。[[血液型]]は[[ABO式血液型|A型]]。[[1980年]]、[[慶應義塾大学]]在学中だった二十歳のときに、[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]・バンドの[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]に加入してプロデビュー。以降、国内外のリスナー、アマチュア・ドラマーだけではなく、プロのドラマーからも常に注目を集める存在であり、[[2007年]]10月10日発売の『[[ニューズウィーク]]』誌 日本版(10月17日号)において「世界で尊敬される日本人100人」に選出されている。 音数が多くても一音一音をクリアに聞かせるそのテクニカルなドラム演奏は独りで叩いていないように思わせたことから、[[千手観音]]ともそれをもじって“十手観音”(命名者は当時同じカシオペアのメンバーだった[[向谷実]])とも異名が付けられた。すでにデビューしていたカシオペアへの中途加入ではあったが、カシオペアと神保の音楽性はマッチした。双方ともに国内外から高い評価を受けるようになり、神保が加入していた1980年代、カシオペアは黄金時代を築く。[[1990年]]に同じメンバーだったベーシストの[[櫻井哲夫]]とともにカシオペアから脱退し、ふたりはドラム&ベースのユニット、[[ジンサク]]を結成。[[1998年]]、ユニットを解消した後、ソロアーティストとして歩み出すようになり、幅広い活動を行っている。 デビュー以来一貫して[[ヤマハ]]のドラムを使い続けていて、シグネイチャーモデルもいくつも作られている。[[1980年代]]のカシオペア在籍中からヤマハのエレクトリック・ドラムのデモンストレーターとしてその開発に携わったことから、1990年代初頭にそのシステムが応用された[[MIDI]]ドラム・トリガーシステムによる楽曲のメロディ&ベース部分と生ドラムを独りで同時にこなしていく多重演奏のソロパフォーマンスが編み出された。そのソロパフォーマンスは神保自身によって'''ワンマンオーケストラ'''と名付けられて各方面から注目され、[[2000年代]]に入ると、従来の音楽ファン以外からも認知を受けるようになっていった。そして近年における活動の中心となり、国内で年間100本以上、国外でも多くの場所で開催されている。また、作・編曲も出来ることから毎年コンスタントにソロ名義のアルバムを制作している。<!----> リーダー・プロジェクト以外にも、[[熱帯JAZZ楽団]]、カシオペアのリーダー・[[野呂一生]]がカシオペア休止後に立ち上げた[[ISSEI NORO INSPIRITS]]、2012年に活動再開したCASIOPEA 3rdなどに常時参加。また、近年はフュージョン・シーンだけではなく、ポップスや[[アニメソング]]などからもジャンルを超えて重用されている。 == 来歴 == === アマチュアからカシオペアのメンバーとしてプロになるまで(~1970年代)=== 父親は生業としてのプロミュージシャンにはならなかったが、神保が生まれてくる前の学生時代には同年代の[[中村八大]]とともに米軍キャンプを廻って演奏するほどの本格派なジャズ・ベーシストだった<ref>『JazzLife』別冊『A BOOK OF CASIOPEA 「カシオペアの本」』(1988年、立東社)77頁</ref>。そのため、幼少の頃から音楽や楽器に親しんだ環境のなかに身を置く。最初に関わった楽器は、お稽古事としてのピアノ。そして中学の入学祝いにドラムセットを買ってもらうも、この時は半年ほどで飽きてしまう。その後、ギターを嗜むのだが、本人曰く普通の腕前であった(しかし、ギターの演奏経験があったことが、後に作曲を習得する際に役立つことになる)。ようやく高校生3年生になってから本格的にドラムを始めるようになる。そのきっかけは、友人からの勧めで[[デオダート]]など黎明期のフュージョン(クロスオーバー)音楽を好んで聴くようになった矢先、アメリカのキーボーディスト、[[ボブ・ジェームス]]の[[インストゥルメンタル]]・アルバム『はげ山の一夜』(原題:『One』)のタイトル曲をラジオでたまたま聴き、それに参加していたドラマー、[[スティーブ・ガッド]]のテクニカルな演奏に感銘を受けたことから。以降、[[1970年代]]後半のフュージョン・ブームが盛り上がっていく中で、スティーブ・ガッド、氏と同時期に列び立てられていたドラマーの[[ハービー・メイソン]]のふたりが参加したアルバムを聴きまくってコピー演奏していったことで、神保自身の演奏スタイルにストレートに反映されていく。他にもアメリカのファンク・バンド、[[タワー・オブ・パワー]]とそのドラマーであるデヴィッド・ガリバルディにも憧れて同様にコピー演奏していって影響を受けていく。 [[1977年]]、[[慶應義塾高等学校]]から慶應義塾大学に進学した神保は、高校時代の音楽仲間とともに同校のジャズのビッグバンド、[[慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ]]に所属。新入生が必ずこなさなければならない裏方の雑務から始まり、上級生になる頃には頭角を現してコンテストやライブ出演など第一線で活動するレギュラーバンドのドラマーへと昇格する。そして、神保が大学3年生だった[[1979年]]秋、ビッグバンドが[[渋谷109]]のイベントライブに出演する際、就職試験で参加できないベーシストの代わりに同大学に在学していたカシオペアの[[櫻井哲夫]]に代役出演してもらうように学内のツテを頼って依頼した。受諾した櫻井は初対面だったリハーサル段階から神保の卓越した演奏に感銘を受けることになる。当時のカシオペアはドラマーの脱退が決定事項となっており、次期ドラマーを探していたことから、さっそく櫻井は神保の加入を他のメンバーやスタッフに推薦。ただし、神保本人には秘匿とされ、イベントに出演したビッグバンドの演奏をカシオペアのメンバーとスタッフが実際に観てから櫻井に同調することになって、後日神保に加入を打診した。驚いた神保はそれまでプロ経験もなければ、将来プロになる指向もなかったことで当初は躊躇していたのだが、カシオペア側が総出となって口説き落としたこととコンボスタイルのフュージョンへの憧れと造詣が深かったことからカシオペアの音楽性にやりたいことを見いだして加入するに至った。 === カシオペアでの活動前期・ソロ活動以前(1980年代前半) === 当時すでにカシオペアはプロデビューを果たしていたが、[[1980年]]2月に神保が加入してすぐにライブ・レコーディングされた3枚目のアルバム『[[THUNDER LIVE]]』が、音楽誌『ADLiB』の連載企画「ブラインド・フォールド・テスト」(来日した海外のフュージョン系の著名ミュージシャンに、日本のフュージョン系アーティストの新譜レコードをアーティスト名やプロフィールなど目隠し状態で伏せて聴かせて、音だけの判断で評論してもらう)で賞賛され続けたことで話題を呼び、人気が一気に高まっていく。以降、カシオペアはアルバムを出すごとに売り上げを伸ばし続け、ライブの規模と動員もそれにともなって拡張していった。 1980年夏、カシオペアは4枚目のアルバム『[[MAKE UP CITY]]』制作において4人のメンバー全員の自作曲を入れることにした際、ひとりだけ作曲経験の無かった神保にカシオペアの楽曲におけるメインライターであったリーダー兼ギタリストの[[野呂一生]]は自分が覚えてきた作曲方法を伝授した。以後、神保はソングライターとしての才能も開花させることになっていく。同年秋から冬にかけて、カシオペアはアメリカの[[ロサンゼルス]]に一ヶ月滞在して、ハービー・メイソンのプロデュースの下、アメリカ向けアルバム『[[EYES OF THE MIND]]』のレコーディングを行った。当時、大学4年生で一般企業に就職する気持ちがわずかながらどこかに残っていた神保にとってそれをすっぱり諦めるには充分すぎるほどの条件であった<ref>『ドラマー 神保彰 「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた男』(ヤマハミュージックメディア、2010年) 27頁</ref>。[[1981年]]春、慶應義塾大学を卒業し、プロミュージシャンとして社会に出る。 [[1982年]]、カシオペアは本格的な海外活動開始していくその前に、当時の所属レコード会社、[[アルファレコード]]の計らいで、メンバーがバラバラで世界の好きなところに一人旅に出掛けて海外渡航経験を積むことにした。神保は[[ニューヨーク]]や[[ニューオリンズ]]などアメリカにおける幾つかの音楽が盛んな都市を廻ってきた。帰国直後、ニューヨーク滞在時の想い出を元にして作ったのがカシオペアのアルバム『[[FOUR BY FOUR]]』収録の「MID-MANHATTAN」。この曲はライブで人気曲となり、近年におけるカシオペアの活動形態、CASIOPEA 3rdにおいてもひんぱんに演奏されている。 [[1984年]]、当時まだ未発売で試作の段階であった[[ヤマハ]]のエレクトリック・ドラムのデモンストレーターとなる。当初は同じカシオペアのメンバーであったキーボーディストの[[向谷実]]とともにヤマハ主催のデジタル機材を中心とした楽器イベントで披露するのみであったが、[[1986年]]からはカシオペアのライブにおいてもそれまでのシモンズ製のものからヤマハ製のものに代えて披露されるようなっていく。エレクトリック・ドラムと生ドラムを合わせたその演奏の模様は、1986年末に収録されたライブビデオ『[[CASIOPEA PERFECT LIVE II|CASIOPEA PERFECT LIVE]]』の「Drums solo」で観られる。 === カシオペアでの活動後期・ソロ活動開始(1980年代後半)=== [[1980年代]]当時のカシオペアは年間2枚のアルバム制作と国内外で年間100本前後に渡るライブをこなしていた。常にカシオペアはグループとしての活動を優先させたため、メンバーのソロ活動は制限されることになり、他のバンドとの掛け持ちも出来なかった。1980年代前半、神保のカシオペア以外の場における音楽活動は他のメンバーとともに参加した幾つかのレコーディング・セッションのみで、ソロ活動を始めていくのは1980年代後半になってからだった。 [[1985年]]、カシオペアにソロ活動期間が設けられた際、他のメンバーがソロアルバムを制作するなかで、神保は[[亜蘭知子]]のアルバム『IMITATION LONELY ―都会は、淋しがりやのオモチャ箱―』と当時人気絶頂期だった[[中森明菜]]のアルバム『[[BITTER AND SWEET (中森明菜のアルバム)|BITTER AND SWEET]]』の制作(楽曲提供と演奏)に参加した。翌[[1986年]]、再び設けられたソロ活動期間において、ロサンゼルス・レコーディングで初めてのソロアルバム『COTTON』を制作して発表する。神保以外は現地在住のミュージシャンを起用し、当時のカシオペアとは対極的なアコースティック楽器とボーカルやコーラスをフィーチャーしたウォームな[[スムースジャズ]]のサウンドに従来からのファンは驚いたが、以降のソロ名義によるアルバム制作もこのファーストアルバムの路線で続けられることになっていった。 [[1989年]]、カシオペアはグループとしての活動を休止し、三度目のソロ活動期間が設けられることになった。神保はそのなかで2作目のソロアルバム『PALLETE』を制作したほかに、櫻井と一緒にボーカル音楽のバンド、[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]を結成。しかし、野呂と向谷は「シャンバラの今後の継続的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を与える」としてふたりに活動停止を要請した。これに対し、櫻井と神保はカシオペアの活動と両立出来ると主張。野呂・向谷と櫻井・神保の両陣営は最後まで平行線を辿って物別れになり、櫻井と神保はこの年をもってカシオペアを脱退してしまう。後年の[[1997年]]にカシオペアの現役とOBメンバーが集まって収録されたトーク&スタジオライブのテレビ番組『THE MINT CLUB』(CASIOPEA with TETSUO SAKURAI/AKIRA JIMBO『THE MINT SESSION』としてもDVDソフト化)のなかで神保は脱退直前のカシオペアについて次のように述懐している。 {{Quotation|僕ら4人(野呂・向谷・櫻井・神保)で、ずっとやってて、最後の方は金魚鉢の金魚が酸素がなくなって(口を)パクパクさせているみたいな感じが自分の中でイメージがあったんです|}} === ジンサク活動期におけるソロ活動(1990年代)=== [[1990年]]、カシオペアから脱退した櫻井と神保のふたりはシャンバラ以外にフュージョン・シーンで活動する[[ジンサク]]というユニットを結成する。[[1990年代]]前半、神保はジンサクの活動と併行して、カシオペア在籍時代から引き続いてロサンゼルス・レコーディングによるソロ名義のアルバム制作も毎年行っていき、アルバムのプロデューサー兼現地コーディネーターの[[松居和]]の尽力により、アメリカでも発売されていくようになった。しかも、国内よりも[[スムースジャズ]]が盛り上がっていたアメリカの方で話題を呼び、現地ではプロモーション・ライブも行われていた。 [[1992年]]、初めてのビデオソフト『Metamorphosis』を制作。ドラム演奏のテクニックを伝授する教則ビデオで、収録されている楽曲のデモ演奏パートには、ジンサクのライブで披露されていた櫻井哲夫とのドラム&ベースによるデュオ演奏のほか、後のワンマンオーケストラの元ともなる、ヤマハのエレクトリック・ドラム開発から応用化した[[MIDI]]ドラム・トリガーシステムを使った神保だけによる演奏もフィーチャーされた。この頃、そのプロモーションもかねて、カシオペア在籍時代は余暇の範囲内でしか行われなかったドラムセミナーをひんぱんに行っていくようになる。ビデオソフト『Metamorphosis』は、神保の国際的な音楽活動における実績から日本ではなくアメリカの音楽ソフトメーカー、DCIによって制作および現地でも発売されたことにより、海外でもそのプロモーションをかねたドラムセミナーが開かれていく。[[1995年]]、2作目のビデオソフト『PULSE』を制作して発表。1作目で示したドラム・トリガーシステムを組み込んだデモ曲の演奏はより進化し、生ドラムと同時にメロディやベース、和音も操る独り多重演奏が確立した。同年、ヤマハからテクニカルマスターの称号を与えられたことにより、国内外でのドラムセミナーが活動の柱の一つとなっていった。 [[1995年]]、[[パーカッション]]奏者の[[カルロス菅野]]がリーダーとなったラテン・ジャズのビッグバンド、[[熱帯JAZZ楽団]]に立ち上げから参加。[[1997年]]、ドラマーが脱退して活動計画に窮していたカシオペアにもサポートメンバーとして復帰する。一方で櫻井哲夫と組んでいたジンサクは1990年代後半になる頃からふたり別々のソロ活動に比重が高まっていたこともあり、[[1998年]]にユニットを解消。神保はこれを機に以後は特定のバンドやユニットには属さないソロアーティストとして活動していくようになる。 === ソロとして独り立ち・ワンマンオーケストラの確立(1990年代末期~2000年代前半)=== [[1990年代]]末期から[[2000年代]]初頭にかけて、ドラムセミナー内で披露される、MIDIドラムトリガーシステムによる楽曲のメロディ&ベース部分と生ドラムを同時にこなした独り多重演奏は、神保がそれ用に作ったオリジナルの楽曲ばかりでなく、ポップスから映画音楽、日本の伝統音楽まで様々な著名曲もアレンジしていくようにもなり、レパートリーが増えていった。この頃、神保自身によって、独り多重演奏のパフォーマンスは、ワンマンオーケストラと命名されることになった。そして、専門的なドラムセミナー内でのデモ演奏としてではなく、ワンマンオーケストラ自体を全編にフィーチャーしたライブも行われるようになっていき、次第にドラムセミナーに代わってそれが活動の中心となっていく。 ワンマンオーケストラは各方面で話題を呼ぶようになり、[[2001年]]には[[テレビ朝日]]系列で放送されていた報道テレビ番組『[[ニュースステーション]]』に出演し披露したことにより、神保の活動を知る音楽ファン以外にも認知されていくようになる。 1980年代から続けていたソロ名義によるアルバム制作活動は1997年に発表した10作目の『STONE BUTTERFLY』を最後に一旦休止する。それ以後しばらくは、DJのケイ・ナカヤマとのINTELLIGENT JAZZ、和太鼓奏者の[[ヒダノ修一]]とのヒダじんぼ、アメリカ人ベース奏者のブライアン・ブロンバーグとのJBプロジェクトなど、あらゆる音楽分野の達人とコラボレーションした双頭ユニットでライブとアルバム制作活動を行う。 [[2004年]]、元[[T-SQUARE]]のドラムの[[則竹裕之]]とのツインドラムのユニット、[[Synchronized DNA]]を結成。それと前後して、高校・大学時代の音楽仲間であった[[鳥山雄司]]と[[和泉宏隆]]ら3人による[[インストゥルメンタル]]・バンド、[[ピラミッド (音楽)|PYRAMID]](活動当初は慶応ボーイを文字って“オーケーボーイズ”なる名義だった)を結成してレコーディングとライブ活動を行っていく。 === 近年における主な活動 (2000年代後半~2010年代)=== [[2006年]]、カシオペアが活動休止するも、その後にカシオペアのリーダー・野呂一生が立ち上げたソロ・プロジェクト、[[ISSEI NORO INSPIRITS]]に参加。また、[[向谷実]]の音楽活動にも度々呼ばれていた。[[2012年]]、カシオペアはCASIOPEA 3rdとして活動再開し、神保は休止前と同じスタンスでサポートメンバーとして支えている。 [[2007年]]からそれまで十年途絶えていたソロ名義のアルバム制作を再開。ロサンゼルス・レコーディングにて、[[エイブラハム・ラボリエル]](ベース)、オトマロ・ルイーズ(ピアノ)らをパーマネントで起用して毎年制作されている。近年は神保が書いたオリジナル曲のものとは別にカバー曲集のアルバムも同時に制作されている。なお、それらに収録されたオリジナル曲やカバー曲は、ワンマンオーケストラ用にアレンジし直されて演奏もされている。 [[2011年]]、[[国立音楽大学]]ジャズ専修客員教授に就任。[[2012年]]から[[NHK教育テレビジョン]](NHK Eテレ)にて放送されている『[[スクールライブショー]]』バンドバトル部門の審査員としてたびたび登場するなど後進の指導にもあたっている。 == ドラム・トリガー・システム == 先述の「ワンマン・オーケストラ」を実現するために考案した「'''ドラム・トリガー・システム'''」と呼ばれるこの機材の第1号機は、1990年代初頭にヤマハが開発したもの。いわゆる「電子ドラム」に、ドラムの各パーツに貼り付けたピックアップ(圧電素子)や電子ドラムパッドを接続し、それぞれのパーツから打撃を受けると、機材内で設定した[[MIDI]]の信号に変換する仕組みを付け加えたものである。MIDI信号を受け取る[[シンセサイザー]]から様々な音が鳴る。 さらにこの機材には、それぞれのパッドや[[ピックアップ]]が叩かれた際に、1種類の音を鳴らすだけでなく、あらかじめ下記のような動作の設定を収めることができる。 * 鳴らす[[和音]]・[[音色]](音色を変えてドラム以外の楽器の音を鳴らす) * 叩かれた回数に応じて鳴らす[[音程]](たとえば、3回叩くと「ド、ミ、ソ」と流れ、もう1度叩くと「ド」に戻り、この3音のループを繰り返していく。変化させる音程や前述の和音の上限は、[[演奏]]に取り組み始めた1990年初頭の機材では4音までであったが、2010年現在の市販機材「DTX900」ではマニュアルによると和音・音程切り替え合わせて、一つのパッドの叩いた場所/ピックアップごとに最大100種の音符設定を記憶できる) * 上記2点の組み合わせを取りまとめたセットの記憶 * セットを複数切り替える機能(パッドの1つが切り替えスイッチとなっており、これにより[[メロディ]]や[[コード進行]]の変化に対応している) これにより一人での多重パート・メロディ演奏が可能となる。かつては19インチラックに収めるデザインだったが、近年ではドラムセットの傍らに置いて操作できるコンパクトな機材となった。この機材にもMIDI端子が付いており、[[サンプラー]]を接続すれば肉声や自然音も演奏できる。神保自身のライブでは外部MIDI音源を接続し使用している。 なお、上記2番目の機能は神保の演奏を見ても、[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]による自動演奏の[[フレーズ]]を鳴らしているだけと思われがちだが、'''演奏する音程はあらかじめ機材にプログラミングされているため、全ての手順を演奏者が記憶せねばならないことから非常に高度な演奏技術を必要とし、1打でもミスをするとその後の演奏が破綻してしまう'''。演奏ミスはまれに見られ、TV番組のインタビューにて「1打多く打ったらどこかで1打少なくして帳尻を合わせる。合わせられない場合はそのセクションを捨てて次へどんどん進んでしまう。どうしようもなくなった場合はMCでフォローする」と語った。<ref>[[NHK]]Eテレ「[[スクールライブショー]]」2013年1月13日放送分より</ref> また、[[キーボード (楽器)|キーボード]]による演奏と違って'''「音を止める」タイミングを演奏者が決められないため、「長く鳴らす音」「短く鳴らす音」をあらかじめプログラミングする必要がある。''' 神保の説明によると「テープやシーケンサーによる同期演奏とは全く異なる。同期演奏はクリックのタイミングに演奏が縛られるが、ワンマンオーケストラでは自分のタイム感でバンドオーケストレーションを作り上げることができる」という(教則ビデオ"PULSE"より)。 == ディスコグラフィー == === スタジオ・アルバム === {| class="wikitable" style="font-size:small;" ! scope="col" rowspan="2" | タイトル ! scope="col" | アルバム詳細 ! scope="col" rowspan="2" style="text-align:right;" | 最高順位<br /><ref name="album.chart">日本の[[オリコン]]アルバムチャートの最高順位: * {{Cite web|url=http://www.oricon.co.jp/prof/artist/223466/ranking/cd_album/|title=神保彰のアルバム売り上げランキング、オリコン芸能人事典-ORICON STYLE|work=|publisher=オリコン|accessdate=2014-04-28}}</ref> |- ! scope="col" style="text-align:left;" | * 発売日 * レーベル * 規格: [[規格品番]] |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『COTTON』 | * 1986年4月25日 * [[徳間ジャパンコミュニケーションズ|徳間ジャパン]] * [[レコード|LP]]: 28JAL-3051, [[コンパクトディスク|CD]]: 32JC-157 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;white-space:nowrap;" | 『PALETTE』 | * 1989年6月5日 * [[徳間ジャパンコミュニケーションズ|徳間ジャパン]] * [[コンパクトディスク|CD]]: 32JC-434 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBO』 | * 1990年6月5日 * [[徳間ジャパンコミュニケーションズ|徳間ジャパン]] * [[コンパクトディスク|CD]]: TKCA-30094 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『SLOW BOAT』 | * 1991年7月25日 * [[徳間ジャパンコミュニケーションズ|徳間ジャパン]] * [[コンパクトディスク|CD]]: TKCA-30319 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『PENGUIN PARASOL』 | * 1992年6月25日 * [[徳間ジャパンコミュニケーションズ|徳間ジャパン]] * [[コンパクトディスク|CD]]: TKCA-30591 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『LIME PIE』 | * 1993年7月27日 * [[アルファレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: ALCA-9018 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『PANAMA MAN』 | * 1994年7月20日 * [[アルファレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: ALCA-5001 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『ROOMS BY THE SEA』 | * 1995年9月1日 * [[ポリドール・レコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: POCH-1514 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『FLOWER』 | * 1996年9月30日 * SOUND VIBRATION * [[コンパクトディスク|CD]]: SVCD-0010 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『STONE BUTTERFLY』 | * 1997年6月25日 * [[アルファレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: ALCA-5165 | - |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『FOUR COLORS』 | * 2007年5月23日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-518、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 189 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『GET UP !』 | * 2008年3月26日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-531、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 173 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBOMBA』 | * 2009年2月25日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-554、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 140 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBO GUMBO』 | * 2010年2月10日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-573、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 147 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBO JAMBOREE』 | * 2011年1月12日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-609、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 107 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『Smile Smile』 | * 2012年1月11日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-624、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 94 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBO de COVER』 | * 2012年1月11日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-625、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 85 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『Mind Scope』 | * 2013年1月9日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-650、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 120 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBO de COVER 2』 | * 2013年1月9日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-651、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 136 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『Crossover The World』 | * 2014年1月8日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-660、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 119 |- ! scope="row" style="font-weight:normal;" | 『JIMBO de COVER 3』 | * 2014年1月8日 * [[キングレコード]] * [[コンパクトディスク|CD]]: KICJ-661、[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]] | 137 |- |} == 関連書籍 == * '''『ドラマー 神保彰 「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた男』'''(ヤマハミュージックメディア、2010年) ISBN 4636863585 : 刊行当時の新撮からカシオペア在籍時、プライベートに至るまでの秘蔵写真を多数収録。また、本人及びゆかりのミュージシャンへのインタビュー、公式web掲載の自伝や日記の再録、本人解説によるディスコグラフィーなど神保に関する事柄を徹底収録。 * '''『天声神保』'''([[リズム&ドラム・マガジン]]編集部、2014年) *[[電子書籍]]版のみ刊行 : ドラム専門誌『リズム&ドラム・マガジン』に連載していた神保本人によるコラム集。 * '''『至高のグルーヴを求めて 神保彰“30年間”のインタビュー集』'''(リズム&ドラム・マガジン編集部、2014年) *電子書籍版のみ刊行 : ドラム専門誌『リズム&ドラム・マガジン』創刊まもない1982年から2013年までの神保彰に関する記事総数39本の再録集。 * '''向谷実『フュージョン狂時代』'''(ヤマハミュージックメディア、1995年) ISBN 4636209311 : 向谷が書いた自伝。1980年代のカシオペア在籍時における神保の事柄や、神保の前任者・[[佐々木隆 (ミュージシャン)|佐々木隆]]の加入から脱退するまでの事柄にも触れられている。 == その他 == * [[2007年]]11月、シューズメーカーの[[ニューバランス]]に協力しドラマー向けシューズM150を完成させている。 * [[おかあさんといっしょ]]([[NHK教育テレビジョン]])の1990年の月歌である「にじのいろとおほしさま」の作曲を担当している。 * [[となりの関くん]] のエンディングである「Set Them Free」のドラムを演奏している。<ref>[https://twitter.com/jimboakira/status/420504297621577728 @jimboakira 2014年1月7日 19:36 tweet]</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=†}} === 出典 === {{Reflist|colwidth=15em}} == 外部リンク == * [http://akira-jimbo.uh-oh.jp/ 神保彰オフィシャルサイト] * {{Twitter|jimboakira|神保彰 (jimboakira)}} * [http://www.ustream.tv/channel/jimboakira Ustream神保彰チャネル] * [http://www.casiopea.co.jp/ カシオペアオフィシャルサイト] * [http://www.sync-dna.com/ Synchronized DNA オフィシャルサイト] * [http://special.auctions.yahoo.co.jp/whatshot/music/welovemusic_synchronized_dna01/index.html ヤフーオークション「We Love MUSIC」Synchronized DNAインタビュー Vol.1] * [http://www.tv-tokyo.co.jp/m-jin/onair/050916/index.html テレビ東京「音遊人」2005年9月16日放送分 PYRAMID] {{カシオペア (バンド)}} {{DEFAULTSORT:しんほ あきら}} [[Category:1959年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本のフュージョン・ミュージシャン]] [[Category:日本のドラマー]] [[Category:キングレコードのアーティスト]] [[Category:国立音楽大学の教員 (音楽)]] [[Category:東京都出身の人物]]
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