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皇居
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[[画像:KokyoL0059.jpg|thumb|350px|皇居の正門石橋<br/>(この奥に正門鉄橋(通称[[二重橋]]が架かる)]] '''皇居'''(こうきょ)は、[[天皇]]の平常時における宮殿・住居である。現在は[[東京都]][[千代田区]]にある。「皇居」の呼称が広く用いられるようになったのは現在の皇居からである。 == 概要 == 現在は、[[第二次世界大戦]]後に'''宮城'''(きゅうじょう)の名称が廃止された[[東京]]の[[江戸城]]跡一帯を指して'''皇居'''と呼んでいる。公式の英語表記は「The Imperial Palace」<ref>なおこのページの英語版は「Tokyo Imperial Palace」となっている</ref>。天皇の住居である「'''御所'''」、各種公的行事や政務の場である「[[宮殿]]」、[[宮内庁]]庁舎などがある。''→[[#明治以降の皇居]]を参照。'' 江戸時代には[[京都]]にあり、[[御所]]、禁裏、[[内裏]]などと呼ばれていた[[里内裏]]であったが、[[明治維新]]後の[[東京行幸]]の後に留守となり、天皇の指示で保存されて現在に至る。現在は[[京都御所]]と称され、英名は「Kyoto Imperial Palace」。行幸後、首都機能が東京に移った際、明確な[[遷都]]の法令が発せられなかったので、京都御所を現在も皇居とみなす向きもある。しかし明治以降、京都御所に近代的居住機能が付加されることはなく、[[平安時代]]の様式を伝える最高格式の[[紫宸殿]](正殿)や日常生活の場である[[常御殿]]などが保存されている文化財となっている。それ以前の御所については遺構が残るのみである。 皇居の呼び名は、内裏(だいり)、御所、大内(おおうち)、大内山、九重(ここのえ)、宮中(きゅうちゅう)、禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)、百敷(ももしき)、紫の庭(むらさきのにわ)、皇宮(こうぐう)、皇城(こうじょう)、宮城(きゅうじょう)、蓬が洞(よもぎがほら)、大宮、雲の上、雲居など非常に多い。 == 歴史 == 宮(みや)は家(や「屋」)に尊称(み「御」)がついた言葉である。身分の高い人の住居という意味から出発し、やがて天皇や皇族の宮殿を意味するようになった。[[古代]]には、[[天皇]]の住居は一世ごとに移転され、皇居は'''宮'''(みや)と呼ばれる宮殿を指した。『[[古事記]]』や『[[日本書紀]]』には、[[4世紀]]から[[6世紀]]にかけての宮殿の多くが奈良盆地の東南の地に営まれたと記されている。 === 飛鳥の宮 === [[592年]]に[[推古天皇]]が即位した[[豊浦宮]]から[[694年]][[持統天皇]]が[[藤原京]]へ遷都するまでの約100年間は、奈良の南の地[[飛鳥]]周辺に宮殿が集中したので飛鳥京と呼ぶことがある。このような宮には、[[小墾田宮]]([[603年]] - [[630年]])、[[岡本宮|飛鳥岡本宮]]([[630年]] - [[636年]])、[[板蓋宮|飛鳥板蓋宮]]([[643年]] - [[655年]])、[[岡本宮|後飛鳥岡本宮]]([[656年]] - [[672年]])、[[飛鳥浄御原宮]]([[672年]] - [[694年]])などがある。その頃の大規模な居館がいくつか発見されている。それらは地面に穴を掘って柱の根本を固定する[[掘立柱建物]]である。これらの建物の内、[[7世紀]]以降では、中心建物は南を正面としているのが特徴である。 後には、[[中国]]王朝の影響で'''京'''(みやこ)が造営されるようになり、天皇は京の中の'''[[内裏]]'''(だいり)に定着し、これを皇居とした。国政の中枢である[[朝堂院]]を始めとする中央官衙は内裏に併設され、合わせて[[宮城]]と呼ばれる。 京には、[[難波京]](大阪)、[[藤原京]](奈良)、[[平城京]](奈良)、[[平安京]]([[京都]])などがある。 === 平安時代から江戸時代 === [[画像:Kyotopalace.jpg|thumb|250px|京都御所の正門・建礼門。]] 平安京は、[[794年]](延暦13年)に[[桓武天皇]]によって定められた。[[960年]](天徳4年)に内裏が焼失し、再建されるまで[[冷泉院]]を仮の皇居とした。[[976年]](貞元元年)にも内裏が被災し、[[藤原兼通]]の邸宅である[[堀河殿]]を仮皇居としている。平安京の内裏はしばしば焼亡したため、[[摂関]]や外戚など臣下の邸宅を仮皇居('''[[里内裏]]''')とすることも多かった。[[平安時代]]末期からは、内裏があっても里内裏を皇居とすることが一般化した。[[1227年]](安貞元年)に宮城([[大内裏]])が焼失してからは内裏は再建されず、里内裏を転々とした。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[1331年]](元弘元年、元徳3年)、[[北朝 (日本)|北朝]]の[[光厳天皇]]が[[土御門東洞院殿]]で即位してからは、この御殿が内裏に定められた。これが、現在の'''[[京都御所]]'''の前身となる。 === 明治時代以後 === [[慶応]]4年7月17日([[1868年]]9月3日)に[[江戸]]は[[東京]]と改められた。同年[[10月 (旧暦)|10月]]13日(1868年11月26日)、[[明治天皇]]が[[東京行幸|東京に行幸]]して江戸城西の丸(現在は宮殿のみが建っている・現在の吹上御所とは別の場所)に入った際、江戸城も'''東京城'''と改称され、天皇の東幸中の仮皇居と定められた。天皇は一旦京都に戻った。 翌[[明治]]2年3月28日([[1869年]]5月9日)、再び東京に行幸し、[[1877年]](明治10年)には京都御所が保存され今に至る([[東京奠都]]の項目を参照)。 == 歴代の皇宮 == [[飛鳥時代]]以前の皇居は『[[日本書紀]]』(一部『[[古事記]]』)を典拠とする。また、南北朝時代の南朝の御所は除外する。 {| class="wikitable" rules="all" |- !名称!!置かれた期間(年代)!!天皇!!所在地(推定地含む) |- |[[畝傍橿原宮]]|| ||[[神武天皇]]||[[奈良県]][[橿原市]]畝傍町 |- |[[葛城高丘宮]]|| ||[[綏靖天皇]]||奈良県[[御所市]]森脇 |- |[[片塩浮孔宮]]|| ||[[安寧天皇]]||奈良県[[大和高田市]]三倉堂<br/>もしくは同県[[橿原市]]四条町 |- |[[軽曲峡宮]](軽境岡宮)|| ||[[懿徳天皇]]||奈良県橿原市見瀬町・白橿町 |- |[[掖上池心宮]](葛城掖上宮)|| ||[[孝昭天皇]]||奈良県[[御所市]]池之内 |- |[[室秋津島宮]]|| ||[[孝安天皇]]||奈良県御所市室 |- | [[庵戸宮|庵戸宮(黒田廬戸宮)]]|| ||[[孝霊天皇]]||奈良県[[磯城郡]][[田原本町]]黒田 |- |[[軽境原宮]]|| ||[[孝元天皇]]||奈良県[[橿原市]]見瀬町 |- |[[春日率川宮]]|| ||[[開化天皇]]||奈良県[[奈良市]]本子守町 |- |[[磯城瑞籬宮]]|| ||[[崇神天皇]]||奈良県[[天理市]]渋谷 |- |[[纒向珠城宮]](師木玉垣宮)|| ||[[垂仁天皇]]||奈良県桜井市穴師 |- |[[纒向日代宮]]|| ||[[景行天皇]]||奈良県天理市渋谷 |- |[[志賀高穴穂宮]]|| ||[[景行天皇]] - [[成務天皇]]||[[滋賀県]][[大津市]][[穴太 (大津市)|穴太]] |- |[[穴門豊浦宮]]|| ||[[仲哀天皇]]||[[山口県]][[下関市]]長府宮の内町 |- |[[橿日宮]](筑紫訶志比宮)|| ||[[仲哀天皇]]||[[福岡県]][[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]][[香椎]] |- |[[磐余稚桜宮]](若桜宮)|| ||[[神功皇后]]||[[奈良県]][[桜井市]]池之内<br/>もしくは桜井市谷 |- |[[軽島豊明宮]](軽島明宮)|| ||[[応神天皇]]||奈良県[[橿原市]]大軽町 |- |[[難波大隅宮]]|| ||[[応神天皇]]||[[大阪府]][[大阪市]][[東淀川区]]大隅<br/>もしくは[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]] |- |[[難波高津宮]]|| ||[[仁徳天皇]]||[[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]]餌差町<br/>もしくは[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]] |- |[[磐余稚桜宮]]|| ||[[履中天皇]]||[[奈良県]][[桜井市]]池之内<br/>もしくは桜井市谷 |- |[[丹比柴籬宮]]|| ||[[反正天皇]]||[[大阪府]][[松原市]]上田 |- |[[遠飛鳥宮]]|| ||[[允恭天皇]]||[[奈良県]][[高市郡]][[明日香村]]飛鳥 |- |[[石上穴穂宮]]|| ||[[安康天皇]]||奈良県[[天理市]]田町 |- |[[泊瀬朝倉宮]]|| ||[[雄略天皇]]||奈良県[[桜井市]]黒崎<br/>もしくは桜井市岩坂 |- |[[磐余甕栗宮]]|| ||[[清寧天皇]]||奈良県[[橿原市]]東池尻町 |- |[[忍海角刺宮]]|| ||([[飯豊青皇女]])||奈良県[[葛城市]]忍海 |- |[[近飛鳥八釣宮]](近飛鳥宮)|| ||[[顕宗天皇]]||奈良県[[高市郡]][[明日香村]]八釣<br/>もしくは[[大阪府]][[羽曳野市]]飛鳥 |- |[[石上広高宮]]|| ||[[仁賢天皇]]||[[奈良県]][[天理市]]石上町<br/>もしくは天理市嘉幡町 |- |[[泊瀬列城宮]]|| ||[[武烈天皇]]||奈良県[[桜井市]]出雲 |- |[[樟葉宮]]||[[507年]] - ||[[継体天皇]]||大阪府[[枚方市]]楠葉丘 |- |[[筒城宮]]||[[511年]] - ||継体天皇||[[京都府]][[京田辺市]]多々羅都谷 |- |[[弟国宮]]||[[518年]] - ||継体天皇||京都府[[長岡京市]]今里付近 |- |[[磐余玉穂宮]]||[[526年]] - ||継体天皇||[[奈良県]][[桜井市]]池之内 |- |[[勾金橋宮]]||[[534年]] - ||[[安閑天皇]]||奈良県[[橿原市]]曲川町 |- |[[檜隈廬入野宮]]||[[536年]] - ||[[宣化天皇]]||奈良県[[高市郡]][[明日香村]]檜前 |- |[[磯城島金刺宮]]||[[540年]] - ||[[欽明天皇]]||奈良県[[桜井市]]金屋 |- |[[百済大井宮]]||[[572年]] - [[575年]]||[[敏達天皇]]||奈良県桜井市<br/>もしくは同県[[北葛城郡]][[広陵町]]百済 |- |[[訳語田幸玉宮]]<br/>(他田宮・磐余訳語田宮)||[[575年]] - ||敏達天皇||奈良県桜井市戒重 |- |[[磐余池辺雙槻宮]]||[[585年]] - ||[[用明天皇]]||奈良県桜井市阿倍<br/>もしくは桜井市池之内 |- |[[倉梯宮]](倉椅柴垣宮)||[[587年]] - ||[[崇峻天皇]]||奈良県桜井市倉橋 |- |[[豊浦宮]](桜井等由羅宮)||[[592年]] - ||[[推古天皇]]||[[奈良県]][[高市郡]][[明日香村]]豊浦 |- |[[小墾田宮]]||[[603年]] - ||推古天皇||奈良県高市郡明日香村雷 |- |[[岡本宮|飛鳥岡本宮]](高市岡本宮)||[[630年]] - [[636年]]||[[舒明天皇]]||奈良県高市郡明日香村岡 |- |[[田中宮]]||[[636年]] - ||舒明天皇||奈良県[[橿原市]]田中町 |- |[[厩坂宮]]||[[640年]]||舒明天皇||奈良県橿原市大軽町・石川町 |- |[[百済宮]]||[[640年]] - ||舒明天皇||奈良県[[桜井市]]吉備<br/>もしくは同県[[北葛城郡]][[広陵町]]百済 |- |[[板蓋宮|飛鳥板蓋宮]]||[[642年]] - [[655年]]||[[皇極天皇]] - [[皇極天皇|斉明天皇]]||奈良県[[高市郡]][[明日香村]]岡 |- |[[難波長柄豊崎宮|難波長柄豊碕宮]]||[[652年]] - [[686年]]||[[孝徳天皇]]||[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]法円坂 |- |[[川原宮|飛鳥川原宮]]||[[655年]] - [[656年]]||斉明天皇||[[奈良県]][[高市郡]][[明日香村]]川原 |- |[[岡本宮|後飛鳥岡本宮]]||[[656年]] - ||斉明天皇||奈良県高市郡明日香村岡 |- |[[近江宮|近江大津宮]]||[[667年]] - ||[[天智天皇]] - [[弘文天皇]]||[[滋賀県]][[大津市]]錦織 |- |[[飛鳥浄御原宮]]||[[673年]]頃 - ||[[天武天皇]] - [[持統天皇]]||[[奈良県]][[高市郡]][[明日香村]]岡 |- |[[藤原京|藤原宮]]||[[694年]] - [[710年]](和銅3年)||[[持統天皇]] - [[元明天皇]]||奈良県[[橿原市]]高殿町など |- |[[平城宮]]||[[710年]](和銅3年) - [[740年]](天平12年)<br/>[[745年]](天平17年) - [[784年]](延暦3年)||[[元明天皇]] - [[桓武天皇]]||奈良県[[奈良市]]佐紀町 |- |[[恭仁京|大養徳恭仁大宮]](恭仁宮)||[[740年]](天平12年) - [[743年]](天平15年)||[[聖武天皇]]||[[京都府]][[木津川市]]加茂町例幣など |- |[[難波京|難波宮]]||[[726年]](神亀3年) - [[784年]](延暦3年)||[[聖武天皇]]||[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]法円坂 |- |[[紫香楽宮]]<br/>(信楽宮・甲賀宮)||[[745年]](天平17年)||[[聖武天皇]]||[[滋賀県]][[甲賀市]]信楽町宮町 |- |[[保良宮]]||[[761年]](天平宝字5年) - [[764年]](天平宝字8年)||[[淳仁天皇]]||滋賀県[[大津市]]国分 |- |[[由義宮]]||[[769年]](神護景雲3年) - [[770年]](宝亀元年)||[[孝謙天皇|称徳天皇]]||大阪府[[八尾市]]八尾木 |- |[[長岡京|長岡宮]]||[[784年]](延暦3年) - [[794年]](延暦13年)||[[桓武天皇]]||[[京都府]][[向日市]]鶏冠井町など |- |[[平安京|平安宮]]||[[794年]](延暦13年) - ([[1877年]](明治10年)保存)||[[桓武天皇]] - ||京都府[[京都市]][[上京区]] |- |[[福原京|福原宮]]||[[1180年]](治承4年)||[[安徳天皇]]||[[兵庫県]][[神戸市]][[兵庫区]]荒田町など |- |[[江戸城|宮城・皇居]]||[[1869年]](明治2年) - ||[[明治天皇]] - ||[[東京都]][[千代田区]][[千代田 (千代田区)|千代田]] |} == 明治以降の皇居 == {{右| [[画像:Imperial place Japan 1979 air.jpg|thumb|none|東京の皇居近辺[[航空写真]]。<br/>([[1979年]](昭和54年)撮影)<br/>{{国土航空写真}}]] [[画像:Imperial Palace Tokyo Panorama.jpg|thumb|none|東京の皇居一帯のパノラマ写真]] [[画像:KoukyoSeimon.jpg|thumb|none|正門(江戸城の西丸大手門)、手前は正門石橋]] [[画像:EdoCastleMoatWallBuilding.jpg|thumb|none|桔梗濠、建物は辰巳櫓]] [[画像:The_Moat_of_The_Imperial_Palace.JPG|thumb|none|半蔵門付近から[[警視庁]]方面を望む、堀は桜田濠]] [[画像:Imperial Palace Tokyo East Garden View.JPG|thumb|none|皇居東御苑全景。東御苑は、旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸に当たる。]] }} 明治以降の'''皇居'''は、[[江戸時代]]末期まで[[徳川将軍家]]が居城としていた[[江戸城]]跡にある。江戸城の内郭(内堀内)には、[[本丸]]、[[曲輪#二の丸・三の丸|二の丸]]、[[曲輪#二の丸・三の丸|三の丸]]、[[曲輪#(方角)の丸|西の丸]]のほか、西寄りの部分には「吹上」と呼ばれる庭園があった。「吹上」はかつては屋敷地であったが、[[明暦の大火]]([[1657年]](明暦3年))以降、火除け地として、建物が建てられないようになっていた。 皇室関連施設のうち、[[宮殿]]、[[宮内庁]]庁舎などは旧西の丸に位置するが、天皇の住まいである[[御所]]は江戸城の「吹上」、現在の「[[吹上御苑]]」に建てられている。旧西の丸と吹上御苑は[[道灌堀]]という堀で隔てられている<ref>現在は上・中・下道灌濠の3つの濠に分かれている。</ref>。城郭としての江戸城は本丸、二の丸、三の丸および西の丸部分のみを言い、道灌堀の西側にある庭園部分は厳密には江戸城には含まれないので、御所は城郭としての江戸城跡に建っているわけではない<ref>江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部分は、現在は[[皇居東御苑]]として一般公開されている。</ref>。 現在、皇居一帯は[[東京]]の中央部にありながら、緑豊かな地区で、濠の周りは[[ジョギング]][[道路|道]]として人気が高い。皇居の住所表示は[[東京都]][[千代田区]][[千代田 (千代田区)|千代田]]1番1号で、[[本籍]]として人気が高い住所になっている(郵便番号は100-0001)。また、[[国有財産]]としての皇居の価値は、2146億4487万円である(財務省資料に基づく、2009年5月現在)<ref>『皇室 Our Imperial Family』43号、扶桑社、2009年、15頁。</ref>。 衛星パノラマ画像プログラムの[[Google Earth]]においては世界の[[ランドマーク]]の一つとして登録されている。 === 歴史 === * [[1868年]](慶応4年)、明治天皇の東京行幸により江戸城が'''東京城'''(とうけいじょう)と称され、東京の皇居となる。 * [[1869年]](明治2年)、2度目の東京行幸で天皇の東京滞在が発表され、東京城は'''皇城'''(こうじょう)と称される。 * [[1873年]](明治6年)、それまで天皇の御座所とされていた江戸城西の丸御殿が火災のため焼失し、一時、[[赤坂御用地|赤坂離宮]]を仮皇居とした。 * [[1879年]](明治12年)西の丸に新宮殿を造営することが決まり、[[1888年]](明治21年)に'''[[明治宮殿]]'''が落成し、同年10月27日以後、'''宮城'''(きゅうじょう)と称された<ref>1888年(明治21年)10月27日宮内省告示第6号「皇居御造営落成ニ付自今宮城ト称セラル件」</ref>。明治宮殿は、御車寄、正殿、東溜、西溜、豊明殿、千種の間、鳳凰の間など、儀式・応接・政務が行われる公の場である表宮殿と、天皇の住居にあたる奥宮殿とが接続していた。表宮殿は木造で、外観は和風建築だが、内部は和風の格天井からシャンデリアを下げるなど和洋折衷とし、椅子とテーブルを用いていた。この明治宮殿は[[1945年]](昭和20年)5月、[[空襲]]による飛び火で焼失した。 * [[1935年]]頃、[[宮内省]]第2期庁舎に鋼鉄扉の防空室('''地下金庫室''')が作られた。だが、内部が狭く大型爆弾に耐えられないことから、宮内省工匠寮の設計で、吹上御所近くに新たに防空壕を作ることになった。のちに御文庫と命名される大本営防空壕が完成するまでの間、昭和天皇・香淳皇后は空襲警報発令のたびに宝剣神璽([[三種の神器]]のうち剣と璽)とともに地下金庫室に避難していた。 * [[1941年]]4月12日に'''御文庫'''が極秘に着工され、1942年12月31日に完成した。施工を請負ったのは[[大林組]]。建築費は約200万円であった。建坪1,320m<sup>2</sup>。地上1階、地下1階・2階の3階建て。そこには天皇・皇后の寝室、居間、書斎、応接室、皇族御休息所、食堂、洗面所、侍従室、女官室、風呂、トイレなどがあった。このほか、映写ホール、ピアノ、玉突き台などもあった。屋根は1トン爆弾に耐えるよう、コンクリート1 mの上に砂1 m、さらにその上にコンクリート1 mの計3 mの厚さであった<ref>松浦総三著『天皇裕仁と東京大空襲』、大月書店</ref>。天皇は午前中は表御座所(御政務室)、午後は御文庫で過ごすのが日課であった。 * [[1945年]]6月頃に戦況が悪化したため、さらに頑丈な'''御文庫附属室'''が御文庫から90 m離れた地下10 mに陸軍工兵部によって建設された。広さ330 m<sup>2</sup>、56 m<sup>2</sup>の会議室2つと2つの控室、通信機械室があり、床は板張り、各室とも厚さ約1 mの鉄筋コンクリートの壁で仕切られていた。50トン爆弾にも耐えるよう設計され御文庫とは地下道で結ばれていた<ref>[[入江相政]]著『[[入江相政日記]]』第2巻、朝日新聞社</ref>。この地下壕はのちの終戦時の2度の御前会議の場所となった。 * [[1948年]]([[昭和]]23年)7月1日に宮城の名称は廃止され、'''皇居'''と呼ばれるようになった<ref>1948年(昭和23年)7月1日宮内府告示第13号「皇居を宮城と称する告示廃止」</ref>。 * [[1952年]](昭和27年)からは[[宮内庁]]庁舎の最上階(3階)を仮の宮殿とした。 戦後暫くの間、焼失した宮殿の再建は行われなかった。この理由について、昭和天皇の[[侍従長]]を務めた[[入江相政]]によると、「お上(昭和天皇)は戦争終了後、『国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、新しい宮殿を造ることは出来ぬ』と、国民の生活向上を最優先とすべしという考えから、戦災で消失した宮殿などの再建に待ったをかけていた」と述べている。{{要出典|date=2014年7月}} [[File:Hironiwa.JPG|thumb|left|[[1955年]]頃の広庭(現・新宮殿)]] 昭和30年代に入って、日本の復興が一段落した頃に宮殿再建の動きが活発となり、[[1959年]](昭和34年)、[[皇居造営審議会]]の答申に基づき、翌[[1960年]](昭和35年)から新しい宮殿の造営が始められた。宮殿(いわゆる'''<!--昭和-->新宮殿''')は、明治宮殿のように天皇の御所とは接続させず、御所と宮殿を別々に造ることとなった。まず[[1961年]](昭和36年)、昭和天皇および香淳皇后の住居として皇居内吹上地区の御文庫に隣接して建設された'''吹上御所'''が完成した。新宮殿は明治宮殿跡地に[[1964年]](昭和39年)着工し、[[1968年]](昭和43年)10月竣工。同年11月14日に落成式が挙行され、翌[[1969年]](昭和44年)4月から使用された。なお吹上御所は、1993年(平成5年)12月9日に、皇太后(香淳皇后)の住まいとして吹上大宮御所と改称された<ref>1993年(平成5年)12月9日『[[官報]]』第1297号皇室事項「皇太后陛下の御在所の名称変更」</ref>。 [[明仁|今上天皇]]、[[皇后美智子|皇后]]は、[[即位]]後も暫くは引き続き[[赤坂御所]](現[[東宮御所]])に居住<ref>{{cite wikisource|天皇皇后両陛下の御在所が定められた件|1989年(昭和64年)1月7日内閣告示第3号「天皇皇后両陛下の御在所が定められた件」|ja|nobullet=yes}}</ref>しながら皇居宮殿に通っていたが、皇居内吹上地区の一角に新たな'''御所'''が建設され、[[1993年]](平成5年)12月8日から使用している<ref>1993年(平成5年)12月9日内閣告示第6号「天皇皇后両陛下の皇居へ御移転が定められた件」</ref>。 === 皇居内の施設 === {{右| [[画像:Laura Bush Asia Trip 2002 01.jpg|thumb|none|[[連翠]](南側)<br/>[[2002年]](平成14年)、米国・[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ大統領]]との会見]] [[画像:Tokyo Imperial Palace kyuden cyouwaden.jpg|thumb|none|東庭から宮殿、長和殿を望む]] [[画像:TennoTanjobiM1085.jpg|thumb|none|[[天皇誕生日]]の際、一般参賀に訪れた人々に対し皇族が皇居長和殿ベランダにて応える]] }} * '''[[宮殿]]''' *: [[1969年]](昭和44年)4月から使用されている。鉄骨鉄筋造で、地上2階、地下1階、延べ面積22,949平方メートル。基本設計は[[吉村順三]]。表御座所棟、表御座所附属棟、[[正殿]](せいでん)、[[豊明殿]](ほうめいでん)、[[連翠]](れんすい)、長和殿(ちょうわでん)、千草の間・千鳥の間の7棟からなり、これら建物に面して中庭(ちゅうてい)、東庭(とうてい)、南庭(なんてい)がある。 ** 表御座所棟 **: 天皇が日常の執務をする部屋(表御座所)のほか、[[侍従]]の部屋などがある。 ** 正殿 *** 松の間 ***: 宮殿内で最も格式の高い部屋で、[[新年祝賀の儀]]、[[信任状捧呈式]]、[[親任式]]、[[認証官]]任命式、[[勲章 (日本)|勲章]]親授式、[[講書始|講書始の儀]]、[[歌会始|歌会始の儀]]等の主要な通年の[[儀式]]に使用される他、[[朝見の儀]]、[[即位礼正殿の儀]]などの皇室の重要儀式でも使用される。 *** 竹の間 ***: 主に、天皇・皇后が[[外国]][[国家元首]]・外国政府要人と会見し、又は皇居を訪れた日本政府関係者及び民間人を引見する等の儀式並びに行事に使用される。 *** 梅の間 ***: 主に、[[皇后]]関係の儀式・行事(皇后誕生日祝賀、皇后引見等)等に使用される。 ** 豊明殿 **: 宮殿内で最も広い大広間で、[[宮中晩餐会]]、[[天皇誕生日]]の[[宴会の儀]]等の多人数の宴会に使用される。 ** 連翠 **: [[午餐会]]、[[晩餐会]]等の小人数の[[宴会]]に使用される。 ** 長和殿 **: 南北163メートルにおよぶ細長い建物で、参殿者の休所や、[[もてなし]]、拝謁等多目的に使用される。部屋名は北から南へ順に、北溜、北の間、石橋(しゃっきょう)の間、春秋の間、松風の間、波の間、南溜。一般[[参賀]]の行なわれる東庭に面しており、一般参賀の際には[[皇族]]は長和殿ベランダの中央部に立つ。[[1969年]](昭和44年)[[1月2日]]、新宮殿完成後初の皇居一般参賀で昭和天皇らが長和殿ベランダに立った際、パチンコ玉で狙われる事件が発生した。皇族は負傷しなかったが、この事件の後、長和殿ベランダ中央部には[[防弾ガラス]]が設けられた。 *** 春秋の間 ***: 宮内では豊明殿に次いで広い大広間で、各国賓客の歓迎会や拝謁等に用いられる。[[平成]]に入ってからは、各種レセプションに使用される機会も多くなった。 *** 石橋の間、松風の間 ***: 春秋の間に隣接した広間で、参殿者の休所等として利用される。 *** 北の間、波の間 ***: 参殿者の休所等として利用される部屋。 *** 北溜、南溜 ***: 北車寄、南車寄につながる玄関ホール。北溜は記帳所として利用されることもある。波の間と正殿の間には長さ70メートルほどの回廊があり、[[国賓]]等は長和殿から回廊を経て正殿に向かう。 *** 北車寄、中車寄、南車寄 ***: 北車寄は長和殿の北端、南車寄は長和殿の南端、中車寄は長和殿の地下にある。長和殿と東庭の地下は、参殿者のための地下駐車場となっている。 ** 回廊、千草の間、千鳥の間 ** 庭園(中庭、東庭、南庭) **: 東庭は新年・天皇誕生日の一般参賀の場として使用される。 * '''[[御所]]''' *: [[明仁|今上天皇]]及び[[皇后美智子|皇后]]の住居。[[吹上御苑]]内にあり、[[1991年]](平成3年)に着工、[[1993年]](平成5年)[[12月8日]]から使用されている。設計は[[内井昭蔵]]による。 * '''[[吹上大宮御所]]''' *: 吹上御苑内にあり、吹上御所として[[1961年]](昭和36年)に建設され、生前の[[昭和天皇]]と[[香淳皇后]]の住居として使用された。昭和天皇の崩御後は吹上大宮御所と改称され、皇太后(香淳皇后)の住居として使用されていたが、[[2000年]](平成12年)の香淳皇后の崩御後は使用されていない。 [[ファイル:Bird's-eye view of Imperial palace in 1950s.JPG|200px|サムネイル|default|1950年代の皇居を上空から見た写真。手前の吹上御苑から奥が宮殿のある旧西の丸地区である。一番手前のコンクリート製の陸屋根の建物が皇宮警察吹上護衛署。その奥の寄棟作りの建物が生物学御研究所で南に水田や温室が広がっている。奥に隣接するのが宮中三殿。空襲で宮殿は焼失しており、宮殿のあった場所は空き地になっている。宮殿跡広場の左側(北)には仮皇居となっていた宮内庁庁舎がある。]] * '''[[宮中三殿]]'''([[賢所]]・[[皇霊殿]]・[[神殿]]) ** [[宮中三殿]]に付随して[[新嘗祭]]の行われる[[神嘉殿]]、[[鎮魂祭]]が行われる[[綾綺殿]]等がある。 * '''[[宮内庁]]庁舎''' ** '''[[宮内庁内郵便局]]''' * '''[[生物学研究所]]''' *: [[1928年]](昭和3年)、昭和天皇が[[生物学]]の研究を行うために建設された施設。 *: 現在は今上天皇が[[ハゼ]]を始めとする[[魚類学]]の研究を行ったり、その年の[[新嘗祭]]を執り行う際に用いられる新穀米を栽培するなど多岐に亘って供用されている。米の栽培は職員の手を借りつつも、種まきから田植え、稲刈りまでを自ら行なっている。 *: かつては「生物学御研究所」とも称されたが、2008年10月に今上天皇の意向により、「御」が外されて現名称に統一されている。なお今上天皇自身は単に「研究所」と呼んでいる。 * '''[[紅葉山御養蚕所]]''' *: [[1914年]](大正3年)に[[貞明皇后]]の命により建てられ、以来、歴代皇后が[[蚕]]を飼育している施設である。<br/>御養蚕所で飼われる蚕から出来た絹製品は、主に皇室の[[儀典]]用衣裳等に用立てられる。 * '''[[皇居東御苑]]''' *: [[1968年]](昭和43年)10月1日から一般公開されている。 * '''[[桃華楽堂]]''' [[ファイル:Tōkagakudō 2012.JPG|thumb|200px|桃華楽堂]] *: [[1966年]](昭和41年)2月に建てられる。香淳皇后の[[還暦]]を記念して建てられた音楽堂。名称は香淳皇后の[[お印]]「桃」や画号「桃苑」にちなむ。 * '''[[三の丸尚蔵館]]''' *: 皇室に受け継がれた美術品が[[1989年]](平成元年)6月に国に寄贈されたことから、これを保管・展示・研究するために建てられた。[[1993年]](平成5年)[[11月3日]]に開館した。 * '''[[皇宮警察本部]]庁舎''' * '''[[宮内庁書陵部]]庁舎''' * '''[[宮内庁病院]]''' <gallery> File:Tokyo Imperial Palace fujimi yagura.jpg|富士見櫓 Image:KokyoFushimiYaguraM1070.jpg|[[伏見櫓]]と伏見多聞 Image:Imperial Palace Tokyo Sakashita mon outside.JPG|[[坂下門]] File:Tokyo Imperial Palace.jpg|坂下門。皇居内から望む Image:KokyoKikyomonM1112.jpg|[[桔梗門]] Image:KoukyoOtemon.jpg|[[大手門]] Image:Imperial Palace Tokyo Hirakawamon gate 2.jpg|[[平川門]] Image:Imperial Palace Tokyo Kitahanebashimon Gate 2.jpg|[[北桔橋門]] Image:HanzouMon.jpg|[[半蔵門]] Image:SakuradaGate2.jpg|[[桜田門]](高麗門)(重要文化財) Image:Tayasu-mon 2012.JPG|田安門(重要文化財) Image:Shimizu-mon.JPG|清水門(重要文化財) Image:Japanese Imperial Palace garden2.jpg|[[皇居東御苑|東御苑]]内、建物は大番所 Image:Kokyo0093.jpg|[[皇居東御苑|東御苑]]の二の丸庭園 </gallery> === その他 === * 皇居周辺は1周が約5キロで信号機もないことから、手軽なランニングコースになっている([[皇居ランニング]])<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100129/tky1001291840012-n1.htm 産経新聞2010年1月29日配信記]</ref>。高低差は約26メートル。初心者から上級者まで、幅広く走れる<ref>[http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/1640/Default.aspx 皇居ランニングポータルサイト]</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本の首都]] * [[江戸城]] * [[明治宮殿]] * [[内裏]] * [[御所]] * [[京都御所]] * [[大宮御所]] * [[離宮]] * [[行宮]] * [[殯|殯宮]] * [[御用邸]] * [[皇居東御苑]] * [[皇居外苑]] * [[吹上御苑]] * [[都]] * [[東京都の観光地]] * [[神道の緑性]] * [[天皇秩序の緑性]] * [[勾玉]] * [[宮城事件]] == 外部リンク == {{Wiktionary|皇居}} {{commons|Category:Tokyo Imperial Palace}} {{地図外部リンク |width =240px |align = right |テキスト1 = 皇居 |地図1_サイト = その他 |地図1_ID = http://wikimapia.org/s/#lat=35.684002&lon=139.752874&z=15&l=0&m=s&v=1 |地図1_タイトル = 皇居 |地図1_説明 = – WikiMapia }} '''国の機関''' * [http://www.kunaicho.go.jp/ 宮内庁] ** [http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/kokyo.html 皇居] ** [http://www.kunaicho.go.jp/e-about/shisetsu/kokyo.html The Imperial Palace]{{Languageicon|en|英語}} * [http://sankan.kunaicho.go.jp/ 宮内庁参観案内 – 宮内庁] ** [http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/koukyo.html 皇居] * [http://nettv.gov-online.go.jp/ 政府インターネットテレビ – 内閣府] ** [http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1142.html 皇居] * [http://www.ndl.go.jp/scenery/ 写真の中の明治・大正 – 国立国会図書館] ** [http://www.ndl.go.jp/scenery/map/map_n/chiyoda-ku/kokyo.html 皇居] '''地方公共団体''' * [http://www.city.chiyoda.lg.jp/ 千代田区役所] ** [http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/machizukuri/kekan/documents/machizukuri-bikanguideplan.pdf 千代田区美観地区ガイドプラン] '''社団法人及び財団法人''' * [http://www.kikuyou.or.jp/ 菊葉文化協会] ** [http://www.kikuyou.or.jp/pdf/pamphlet/Japanese.pdf 皇居] ** [http://www.kikuyou.or.jp/pdf/pamphlet/English.pdf The Imperial Palace]{{Languageicon|en|英語}} * [http://www.kanko-chiyoda.jp/ 千代田区観光協会] ** [http://kanko-chiyoda.jp/tabid/2117/Default.aspx 皇居情報ポータルサイト] {{天皇項目}} {{DEFAULTSORT:こうきよ}} [[Category:皇居|*]] [[Category:皇室の施設]] [[Category:日本の宮殿|*]] [[Category:日本の皇室]] [[Category:千代田区]] [[Category:千代田区の建築物]]
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