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的場均
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{{BLP unsourced|date=2013年5月}} {{騎手 |画 = [[File:Hitoshi-Matoba20101127.jpg|240px]] |説 = |名 = 的場均 |国 = {{JPN}} |出 = [[北海道]][[新冠郡]][[新冠町]] |生 = {{生年月日と年齢|1957|3|25}} |死 = |身 = 160cm |体 = 52kg |血 = [[ABO式|B型]] |団 = JRA |厩 = [[大久保房松]](1975年3月 - 1989年2月)<br />フリー(1989年3月 - 引退) |初 = [[1975年]]3月1日 |区 = 平地 |引 = [[2001年]]2月28日 |重 = 63勝 |G1 = 13勝 |通 = 12309戦1440勝 |調初 = [[2001年]](2002年) |調引 = |調重 = |調G1 = |調通 = |所 = [[美浦トレーニングセンター|美浦T.C.]](2001年 -) }} '''的場 均'''(まとば ひとし、[[1957年]][[3月25日]] - )は、[[日本中央競馬会]] (JRA) 所属の元[[騎手]]で、現在は[[調教師]]。 [[柄崎孝]]調教師は妻の兄にあたり遠戚。次男の[[的場勇人]]が、2006年3月に中央競馬騎手としてデビューした。 == 来歴 == [[北海道]][[新冠郡]][[新冠町]]の農家の10人兄弟の末っ子として生まれる。生家が[[競走馬]]の生産牧場を経営していたことから、2歳のころから馬に乗るようになる。4歳のときに父親に連れて行かれた[[札幌競馬場]]で初めて競馬を見て、騎手を志すようになる。 [[新冠町立新冠小学校]]を経て[[新冠町立新冠中学校]]卒業後、[[馬事公苑]]長期騎手講習を受験するが不合格。[[大久保房松]]調教師に弟子入りし、短期騎手講習を経て[[1974年]]に騎手免許を取得。翌[[1975年]][[3月8日]]、タイコウヒメで初騎乗。同年[[7月6日]]にリュウセイで初勝利。 [[1976年]]、[[ジャンボキング]]で[[スプリンターズステークス]]に勝って[[重賞]]初勝利。翌[[1977年]]には関東リーディング5位に浮上する。[[1989年]]、[[ドクタースパート]]で[[皐月賞]]を勝ち、[[競馬の競走格付け|グレード制]]導入後GI初勝利。なお、GI級の重賞初勝利は[[1983年]]の[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]](優勝馬[[ハーディービジョン]])。後述のミホノブルボンやメジロマックイーンらに代表されるように「3連覇阻止」のイメージがあり、中山記念3連覇を狙ったカネミカサやエイティトウショウのそれを阻止している。 [[ライスシャワー]]とのコンビでは全国区の人気を集めた。[[1992年]]の[[菊花賞]]で[[中央競馬クラシック三冠|三冠馬]]を目指す[[ミホノブルボン]]を破り、翌[[1993年]]の[[天皇賞#天皇賞(春)|天皇賞(春)]]では[[メジロマックイーン]]の同レース3連覇を阻止するなど、歴史的な記録を相次いで阻止したため、的場とライスシャワーは「関東の刺客」「マーク屋」「業師」「仕事人」などと呼ばれた。的場が勝ったレースを実況したことが多い[[関西テレビ放送|関西テレビ]]の[[杉本清]]アナウンサーは彼のことを「この馬と決めたときは怖い。」(1993年天皇賞(春)、[[1999年]][[宝塚記念]])と言えば、後を継ぐ[[馬場鉄志]]アナウンサーも「京都の坂越えは的場均」([[1997年]][[エリザベス女王杯]]、[[2000年]][[マイルチャンピオンシップ]])と実況で使用していた。 騎手としての最晩年には[[グラスワンダー]]とのコンビでふたたび全国区の人気を集め、[[1998年]]、[[1999年]]の[[有馬記念]]2連覇、[[1999年]]の宝塚記念を含めてグランプリ3連覇を達成している。的場はグラスワンダーと同世代のライバルである[[エルコンドルパサー]]の[[主戦騎手]]でもあったが、1998年の[[毎日王冠]]で2頭が直接対決することとなり、どちらに乗るか選択を迫られた的場は、迷った末にグラスワンダーを選んだ(エルコンドルパサーは[[蛯名正義]]が騎乗)。グラスワンダーも前述の偉大な実績を残したがエルコンドルパサーも国外のGIに勝ち、ヨーロッパ最高峰のレース[[凱旋門賞]]で2着に入るなどして活躍した。 [[2001年]][[2月28日]]に騎手を引退。生涯成績12309戦1440勝、重賞63勝、GI競走13勝(グレード制導入後)。 騎手時代の的場はGIで勝利してもウイニングランをしなかった。これは的場いわく「全力で走った後の馬をまた走らせるのはかわいそうだから」ということだった。また、ゴールしたあとは無事に馬を止めることが何より大事だという理由で、ゴール後に[[ガッツポーズ]]をすることもなかった。彼の優しい性格を物語るエピソードである。そのため、蛯名正義([[ステージチャンプ]]、1995年天皇賞〈春〉)と[[武豊]]([[スペシャルウィーク]]、1999年有馬記念)は的場との接戦時に的場がアクションをしなかったこともあって勝利したと思いガッツポーズを行ってしまっている(両名とも[[着差 (競馬)|ハナ差]]2着であった)。 また、レース終了後は必ず当日騎乗した馬の全ての馬房を訪ね、丁寧に馬の体調を気遣っていた。この態度が多くの調教師からの信頼を強くし、関東・関西を問わず、有力調教師からの騎乗依頼が多かった。 騎手を引退後は調教師に転進し、[[2002年]]に厩舎を開業した。初出走は同年[[3月2日]][[中山競馬場|中山競馬]]第8競走のローランドラグーンで、初勝利は同年[[6月1日]][[中京競馬場|中京競馬]]第8競走のユウワンキングで挙げた。 歌手の[[さだまさし]]と親交があり、通算1000勝を記念して、さだが作詞・作曲した「[[ひとりぽっちのダービー]]」という曲を歌ったCDシングルを出している。関係者にのみ配布されたもので市販はされていない。間奏に被せて、ライスシャワーで天皇賞を初制覇したときの競馬実況が録音されている(さだ本人のCDに収録されているものは、『ダービー』だけに、[[ナリタブライアン]]が[[東京優駿|日本ダービー]]を制覇したときのものである)。 趣味は[[ワイン]]。座右の銘は「夢無限」「乗らずに馬がわかる日まで」。 == 騎手成績 == {{Vertical_images_list |幅= 180px |枠幅= | 1= Matoba hitoshi on rice shower.jpg | 2= [[天皇賞(春)]]でライスシャワーに騎乗<br />(1993年4月25日) |幅= 200px |枠幅= | 3=Grass Wonder 19991226.jpg | 4=[[有馬記念]]で[[グラスワンダー]]に騎乗<br />(1999年12月26日) |幅= 200px |枠幅= | 5= | 6=[[アグネスデジタル]]で現役最後のGI勝利<br />(2000年11月19日) }} {| class="wikitable" style="text-align: right;" !通算成績!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!!勝率!!連対率 |- !平地 |1439||1364||1208||12292||.117||228 |- !障害 |1||2||3||17||.059||.176 |- !計 |1440||1366||1211||12309||.117||.228 |} {| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;" !||日付||競走名||馬名||頭数||人気||着順 |- |初騎乗||1975年3月8日||-||タイコウヒメ||13頭||-||11着 |- |初勝利||1975年7月6日||-||リュウセイ||-||-||1着 |- |重賞初騎乗||1975年11月19日||カブトヤマ記念||ハードラーク||11頭||10||4着 |- |重賞初勝利||1976年10月10日||スプリンターズS||ジャンボキング||9頭||9||1着 |- |GI級初騎乗||1977年4月17日||皐月賞||フジノミラージュ||19頭||15||17着 |- |GI級初勝利||1983年4月30日||朝日杯3歳S||ハーディービジョン||8頭||2||1着 |} === おもな騎乗馬 === *[[テュデナムキング]] - 重賞2勝。有馬記念2着、[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]2着。 *[[カシマウイング]] - 的場とのコンビで重賞3勝。それに至るまでには2着14回の苦闘があった。 *[[ドクタースパート]] - [[皐月賞]]を勝利、初めて[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]を制覇。 *[[リンドシェーバー]] - [[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]で[[マルゼンスキー]]のレコードを破る。 *[[ライスシャワー]] - ライスシャワーの項を参照。 *[[カネツクロス]] - [[タマモクロス]]を代表する産駒の一頭。おもに[[脚質#逃げ|逃げ]]の戦法で重賞を3勝した。 *[[スピードワールド]] - 大器といわれたが、早熟の馬で勝鞍は[[京成杯]]にとどまる。 *[[グラスワンダー]] - グラスワンダーの項を参照。 *[[エリモシック]] - [[エリザベス女王杯]]で[[ダンスパートナー]]の連覇を阻む。 *[[エルコンドルパサー]] - [[NHKマイルカップ]]までは的場騎乗で勝利。 *[[エリモエクセル]] - [[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]で、のちに二冠牝馬となる[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]を破る。 *[[アグネスデジタル]] - 的場の引退・調教師転進前まで的場が主戦騎手であった。[[全日本2歳優駿]]と[[マイルチャンピオンシップ]]は的場騎乗で勝利した。 == 調教師成績 == {| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;" !||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順 |- |初出走||2002年3月2日||1回中山3日8R||4歳上500万下||ローランドラグーン||16頭||12||9着 |- |初勝利||2002年6月1日||2回中京5日8R||4歳上500万下||ユウワンキング||16頭||3||1着 |- |重賞初出走||2002年10月12日||4回京都3日11R||デイリー杯2歳S||ロケットパンチ||13頭||11||10着 |- |GI初出走||2007年5月20日||3回東京2日11R||優駿牝馬||アドマイヤスペース||18頭||11||14着 |} == テレビ出演 == * [[さんまのナンでもダービー]]([[テレビ朝日]]) * [[課外授業 ようこそ先輩]]([[日本放送協会|NHK]]) == 著書 == *夢無限(流星社) == 関連項目 == *[[中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧]] == 外部リンク == * [http://www.jra.go.jp/datafile/meikan/jretire/503.html 引退騎手情報 的場 均(マトバ ヒトシ)] - JRAホームページ {{DEFAULTSORT:まとは ひとし}} [[Category:日本の騎手]] [[Category:日本中央競馬会の騎手]] [[Category:日本中央競馬会の調教師]] [[Category:美浦トレーニングセンターの人物]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]]
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